打越通信

日記ふういろいろ

更新

2015-05-31 22:39:11 | 日記ふう
今月は誕生月だ。
免許更新の案内の葉書が月初め頃来ていた。
免許更新も5年に1度の割合なのでついつい忘れがちになり、こういう通知が来るのはありがたいことだ。
免許更新というと、昔は平日しか更新できず、会社を全休するか半休するしかなかった。
それでも客先に出るついでにズルをして更新に行っていたものだ。
違反といえば、スピード違反で3回捕まった事があるが他には違反は無い。

事故は2回ほど起こした。
一度は大型バスが客待ちで2台停まっていたのでウインカーをあげ対向車線に出て戻るとき、わき道からクルマが出てきてぶつかった。
相手は私が元の車線に戻るときウインカーをあげ、それを勘違いして出てきたみたいだった。
責任の割合は8対2で先方の不注意となった。
保険会社に任せていたが2割の過失に不満が残ったことを思い出す。
そして2度目は天草パールラインマラソンの帰り、グッチと一緒で、彼がおにぎりを食べるだけして渡してくれて、それをパクリと口に入れた瞬間だった。
対向車線をフラフラする軽自動車があり、目の前でスピンをしてこちらの走行車線をふさぐ形になった。
雨が降り始めでこちらは下り坂、急ブレーキをかけたが間に合わず追突だった。
お互いのクルマは自走できずレッカー車で引き取られたっけ。
過失割合は100対0で先方の過失となったが、こちらのクルマの査定(下取り時の査定が落ちる)までは保険がきかずもめたのだった。

わき道にそれたが、前回スピード違反で捕まったのはかなり昔だったように思うが、今回はゴールド免許になった。
それこそ久しぶりのゴールド免許で更新時の講習も30分で済んだ。
しかしそれだけではなかった、視力検査で裸眼で通ってしまったのだ。
何回か更新をしたがいつも免許用のメガネが必要だった。
今回は裸眼で通った。
処理する女性職員が来て、コンタクトを入れていないかどうかしきりに私の顔を見て、視力検査の係りまで行って確認をしていた。
出来上がった免許証を見ると、条件欄の眼鏡等の文字が消えていた。
仕事がらパソコンのモニターで目を酷使していたのだろう、それと新幹線通勤でほとんどクルマの運転をしなかったからのゴールドかもしれない。
あとは罰則が厳しくなった飲酒運転、これだけは気を付けなければいけない。
そう思った。

ケーブルテレビ

2015-05-29 23:31:35 | パソコン
テレビ、ネット、電話をケーブルテレビに切り替えてもう何年経つだろう。
その前はテレビは屋根の上にアンテナを建て、ネットはNTTの回線(ISDNだった)を使いプロパイダーはniftyだった。
フレッツなどの名称が出始めISDN回線がADSL回線に変る頃にケーブルテレビにすべてを切り替えた。
その間、地デジ移行などめんどくさい事もせずに済んだ。
それまでは回線料金(フレッツ)とプロバイダー料金、電話料金などかなり高額な料金になっていたがケーブルになりすべてをあわせて9000円以下の料金で利用できるようになった。



そして去年、スマートテレビなるものに料金据え置きで切り替えた。
しかし今回の料金を見て9500円ほどに変っていた。
そういえばKCN(熊本ケーブルテレビ)からJCOMに変るという案内が来ていた事を思い出した。
良く見てみるとネット移行の案内にメールに関する説明しかないので窓口に電話確認をした。
しかし電話先の女性ではどうも話が通じない。
それで担当者を呼んで説明を受けた。
先ず大きな違いはネットサービスの中でホームページサービスが無いことだった。
ブログを始める前に遊びのつもりでタグを書いて遊んでいた時期がありそれはそのままの状態になっていた。
中には本格的に作り込んだ人たちもいるだろうとたたみかけると、基本(インフラ)はauだけどzaq(これが何者か良く分らないが)のblogariを利用したらどうかという。
blogariなるものがどういうものかは今から調べるが、HPの移行もめんどくさいもんだ。



料金については8500円のコースもあるのでそれにした。
そして録画用のハードディスク(1テラ)を増設しタブレット(無料提供)を利用することにした。
テレビに関しては地デジとBSがあればCATVはいらないのだが縛りがあるようで今はそのコースを選択できないようだ。
どうせテレビもニュースやちょっとした番組しか見ないし、時間が束縛されるのでほとんどが録画なのだ。
auのWiMAX(ポケットWi-Fi)も4000円/月ちょっとで利用できるようだが今回は保留にした。
ケーブルテレビも今後、移動通信網の高速化や料金の低価格化に移行すればどうなるかは分らないが、今のところは重宝している。

睡蓮池

2015-05-26 23:01:33 | 写真投稿
国道沿いをクルマで走っていると、蓮池(蓮でなく睡蓮のようだ)を見るとキラキラしたものが見えた。
公園の駐車場にクルマを停め池まで歩く。
国道と池の間に熊本電鉄が走っている。
真夏のような暑さ、紫外線も強い西日の午後だ。



堤防沿いの道から池までは綺麗に草は刈ってある。
国道からもすぐ近くなのに池の渕に立つと大自然の中にいるような雰囲気だ。



牛のような蛙の声が聞こえる。
重低音の蛙の声があちらこちらから聞こえる。
すぐ近くに居るのだろうが姿は見えない。
声が途切れドボンという音がする。
睡蓮池は散歩コースにもなっているので一週してみる。
歩いていると亀が草むらから出てきた。
急いでカメラを取り出しレンズをセットしたが間に合わない。
亀は池の中にするりと滑りこんだ。



池を見回すと、時期的にまだ早いのか満開とまではいかないようだ。
それでもピンク色の蓮ではなかった睡蓮の花が咲いていた。
時間的には夕方に近く、睡蓮の花も閉じかかっているようだ。
散歩道の近くにありながら、長年気がつかずに過ごしていた。
ここに来るたびに思うことがある。
坪井川とも離れていて、この池に流れ込む川は無い。
この水はいったいどこから来ているのだろう。
公園内にはもう一つ池があるが、あちらの池は干上がっているのを見た事がある。



しかしこの池だけはいつも水を蓄えている。
雨水だけでは無いようで、地下で壷井川と繋がっているのか、それとも湧き水なのか、自宅からも近いのでちょくちょくそのあたりを観察してみようと思っている。

上江津湖2

2015-05-25 22:47:10 | 熊本の風景
歩いていると花を見つけた。
アヤメなのか、ショウブなのか、私には判断がつかない。
その花の横に札が建っていて「肥後花菖蒲」と書いてあった。



しばらく歩くと、いつも大勢のカメラマンが居る場所だ。
今日も2人先客が居たが行って見た。
小さな池の真ん中に鶴のような木が一本建っていた。
すぐ先は近代的な建物が建つ熊本県立図書館だ。
この木の先に野鳥がとまればいい絵になりそうだ、でも今は野鳥の季節では無いようだ。



江津湖公園のあちらこちらから湧水が出ているようで江津湖(加勢川)に勢い良く流れ込んでいた。



この季節、蝶が多く飛んでいた。



少し季節が遅いが、夜になれば蛍も舞っているようだ。
湧き水なので透き通った湖の岸辺には水草の緑色がとても綺麗だった。



何枚もカメラで撮ってみたがなかなか表現が難しい。
初夏のような気候なのだが雲行きは怪しく、ポツリポツリと雨が落ちてきた。
あわてて江津湖の島伝えにかかる橋を渡っているとサギがすぐ近くに居た。



川辺でもないのに一本足で立ち微動だにしない。
若いカップルが近づくと体はそのままで顔を向けた。
作り物じゃない、などと笑い声が聞こえる。
そういえばコイツ前回来た時もここにいた。
ポツリポツリと雨は降ったがそれ以上は降ることはなかった。

※EOS6D 70mm-200mm f4

上江津湖

2015-05-24 23:00:54 | 熊本の風景
朝の散歩も今では毎日とは行かず、少し運動不足になっている。
毎日同じ道ばかりでは飽きてしまうので今日は江津湖にやってきた。
駐車場にクルマを起き、リックにEOS6Dと70mm-200mmのレンズを入れ、手にはコンデジを持ち歩き出す。
さすが土曜日ともありボートも何台か出ているし散歩をしている人たちも多い。
中の島を渡り駐車場と対岸の道を歩く。
前回来た時は冬場だったので数多くの野鳥がいたが、この季節、数は少ない。
それでも鳥の鳴き声だけは聞こえる。
今にも雨が降りそうな天気だが、かえって紫外線も少なく快適ではある。



水前寺公園の方に歩いていると子供たちが何かを取っているようだ。
いたる所から湧き水が出ているようでその水の中の中の何かを取っているようだ。
川沿いの道を離れうっそうととした芭蕉園に入っていく。



まるでジャングルの中に来たような異様な風景だ。
これが熊本市の都心なのかという風景だ。
その昔はそんなに気にはならなかったが、こうしてあらためて来て見ると新しい発見といった感じだ。



再び川沿いの道に出る。
こんな自然があるすぐ近くには高層のマンションが数棟建っていて、昔からすると随分と高層化したものだ。
電車通りを渡りその昔、水前寺体育館が建っていた場所に来た。
今では公園になっておりそこで休憩だ。
ベンチに座り看板を見ると<ジェーンズ亭>の看板が見える。
クルマでは行けそうも無い細い路地を歩いていると古い洋館が見えてきた。



明治も初期に建てられた建物のようで日本の屋敷とは異なる建物だ。
一度は来たことはあったがもう数十年も前のことだ。



すぐ横には夏目漱石の第三の旧家もすぐ横にある。
時代背景が良く分らないが、漱石とその外国人教師のジェーンズとはお隣同士で面識があったのだろうか?
と思いながらお腹が空いたので電車通りまで引き返した。

※コンデジでの撮影。

欲しいもの

2015-05-23 22:29:15 | 日記ふう
冬場はジャンバーなど着ているのでちょっとしたものは上着のポケットに詰め込める。
しかし春から夏にかけて持ち物をどうするかという事を考えていた。
今までは背広だったし移動するときは常にビジネスバックを持っていたので不自由はしなかった。
持ち物といってもケータイにデジカメあとは財布にカード、小銭入れ関係だ。
財布といっても今まではお札のほうは裸でスラックスの左ポケットに入れていた。
コンビニではクイックペイだしスパーならクレジットを使うのでお札よりカードが多い。
公共交通機関はJQカードを使うのでだいたいこの3枚のカードがあれば用は足りる。
しかし熊本市の交通機関は全国共通の交通系のカードは使えないし、食い物やもカードが使えるところが少ないので困っている。
親父の形見としてイタリア製の高級そうな財布があったのでそれを使うことにした。
そうするとちょっとした小物が入れられるバックが必要になる。
ジーパンにシャツといった服装に合うような、できれば一眼レフの一式が入るのが欲しい。
その昔セカンドバックなどと云うものを持っていた時期があったがあれもすぐにやめてしまった。
カメラ用のバックは2つ持っているがいかにもカメラ用だし、担ぐタイプのやつは大きい。
それでいろいろバックを探していたが見つかった。
リック式で胸のところをとめられるタイプなのだが大きさがもう少し小さいのが欲しかったが、これが一番小さいという。
バックのしたには雨よけ用のカバーもついていた。
これならカメラも入るし通常持ち歩くバックとして使えそうなので買った。
使って見ると以外に便利だった。



200mmの望遠レンズをカメラ本体に装着したまま入れられるし、レンズも2,3本は入る。
妻に言わせればこれが誕生プレゼントだそうだ。
そして誕生日に日の夜遅くに息子達がやってきた。



履物で有名なブランドだそうでサンダルだった。
サンダルというとクロックスしかもっていなかったのでこれは良い。
そして宅急便で贈物が届いた。
内容はアマゾンからというダンボールに入っていた。



なつかしの劇団四季の「キャッツ」2枚組みCDだった。
娘のヤツ、イキなハカライといったところか!
ありがたい事だ。

五月晴れ2

2015-05-22 22:24:31 | 小旅行
昨日、書きかけたところで息子達がやってきて中途半端な終わり方だった。
だから続きだ。

阿蘇神社に報告をして幼い頃良く遊んでいた神社の裏に行ってみた。
幼い頃の風景(三つ子の魂とやら)があり、それを確認する事がここに来たときの恒例になっている。
神社を一週するように横参道から商店街に抜ける。



水基めぐりを中心に町おこしを行っているところだ。
妻が何か看板を見つけたようで古民家のような店に連れて行かれた。
店の前には大型バイクが3台停まっていて、ナンバーを見ると湘南、これはまた遠いところから来ているものだ。
店に入りメニューを見ると3種類、赤牛のステーキ、赤牛とガーリック焼き飯、赤牛のどんぶり。



赤牛肉がレアー気味なミディアム、塩とわさびが添えてあるのでそれで頂く。
一口頂いていると、とろろ芋の冷汁が出てきた。
あっという間に食べてしまい物足りなさを感じながら店を出た。
しばらく幼い頃の思い出を頼りにこのあたりを散歩した。
宮地をぬけ仙酔峡に向った。
青年の家あたりを過ぎると小堀牧という草原に出る。
幼い頃、両親と妹とピクニックに来た場だ。
草原には牛が放し飼いになっている。



クルマを止めて牛に近づくと<ブル~>とやられてしまった。
それでもこちらを向いてポーズらしきものをとってくれた。
しばらく細い道を上がっていくと巨大な佛舎利塔が見えてくる。
その横を抜けると仙酔峡のロープウェイの駅でもある駐車場だ。
ロープウェイも長年使われていないようでゴンドラの姿も無かった。
そして肝心なミヤマキリシマも時遅しのようでわずかしか咲いていなかった。
噴火の影響だろうか中岳方面には立ち入り禁止の看板が立っていた。



途中まで登って見ると、五月晴れに高岳が見事に映えていた。
神々しくも見え、しばらく五月の涼しい風の中見とれてしまった。
登山小屋のようなところに「おばあさんの花屋」というのがあった。
覗いて見ると、こんなの売って良いのかと思われる「ヒゴタイ」があった。
「平地でも大丈夫だよね?」
とおばあさんに聞くと首を立てにコクリ。
ヒゴタイとリンドウの苗を買った。

五月晴れ

2015-05-21 23:35:06 | 小旅行
朝は寒いくらいの気候だった。
春に3日の晴れ無しの言葉があるが、今日も晴天、そしてカラッとした感じだった。
EOS6Dにフイルムカメラ時代の28mm~105mmのレンズを装着する。
24mm~70mmのレンズは大口径で手ブレ防止やマクロなどの機能がついているのでやたらと重い、しかしこのセットにするとなかなか軽いのだ。
別のバックに2本のレンズを入れて阿蘇に向った。
今回は阿蘇くまもと空港の地下道をくぐり、西原村から南阿蘇に向う。
俵山付近を走行していると真っ赤なお花畑が目に入った。



駐車場にクルマを停めお花畑に行ってみると綺麗なポピーが咲いていた。
早速カメラを取り出して撮ろうとするが、ファインダーをのぞくと四隅に黒い影がある。
故障したかなと思ったが何のことは無い、レンズフードが正確にセットできていなかった。
阿蘇に入る前にポピーのお花畑と俵山のそう快さに先制パンチを食らった感じだ。



西登山道という長陽村からの道を登り、米塚を見る。
緑に囲まれた米塚と草原を吹き抜ける風、クルマの外に出ると寒いくらいだった。
草千里まで登ると駐車場には観光バスがぎっしりと停まっていた。
ミヤマキリシマはもう終わった様でわずかに咲いた花を選んで何枚か撮ってみた。



中岳は噴火も収まった様で白い煙が細く上がっているだけだった。
山頂のロープウェイ乗り場まで行って見たがその先の火口口までの道は通行止めになっていた。



登山道を降り防中に入る。
内牧温泉の有名食堂に行ってみたが長蛇の列、しかたなく阿蘇神社を目指した。
阿蘇で生まれ阿蘇で5歳まで暮らしたところだ。
阿蘇神社の境内は子供の頃の遊び場だった。
今日は私の誕生日、その報告みたいなものだ。
お参りのあと、水基めぐりで活気がある阿蘇神社の横参道を歩く。

松の木には

2015-05-20 21:33:40 | 家庭菜園
5月に入り結構雨が多かったような気がする。
久しぶりに晴天が続き梅雨前の一仕事が残っている。
芝の雑草取り、特に今回はクローバー退治に苦労した。
地中の球根と一緒に取っていくわけだが、大根のような根を持つものと丸く茶色の球根を持つ2種類があるようだ。
オスとメスの違いなのか良く分らないが茶色の球形の根の周りに種が出来増殖しているようだ。
取っても取っても次から次に発芽するのはどうもそれが原因のようなので、土を少し掘り起こしながらガスバーナーで土ごと焼いていった。
除草剤を使うほどの広さでも無いし芝や木々への影響を考えると手で取るのが一番なのだ。
特にクローバーの密集しているところを中心に土ごと焼いていくとある程度の効果があった。
それでも再びポツリポツリと出てくる、こればかりは根比べの状態なのだ。

せっかくの晴れ間なので松の剪定をしなければならない。
これまでも何度か大きく切ってきた松だが、背が大きくなりどの程度切って良いのか考えていて先に進まずにいた。
大きくなりすぎて椅子に乗っても届かない。
脚立を借りるために近所のテラのオヤジに電話した。
どうも仕事のようで家にはおらず奥さんも留守のようだ。
勝手に持って行って良いよとの事だったので留守中のテラのオヤジ家に入り借りてきた。
テラのオヤジの裏庭には初めて入ったが見事に手入れが行き届いていた。
やっぱりこのくらい手入れをしないといけないとつくづく思いながら松の木に向う。



最初は変に伸びた小枝を切っていくが思い切って松の上を切った。
一旦脚立を降りて全体を見回しさらにノコギリを入れる。
植えてからもう25年以上も経つので木全体が大きい。
思い切り切ったつもりだけど素人仕事なので不恰好でとても全体図は見ることは出来ない。



切った木の枝を細かく切り袋に入れる。
大きな枝はノコギリでは面倒なので電気ノコギリを取り出して切る。



松といえば毛虫がいる。
毛虫を捕まえ庭の隅に放り投げる。
それでも服に毛虫が這っている。
毛虫など怖くないと思いながらも自分の服を這っていると気持ち悪い。
ぎゃ~!と叫びながらもやっと終わったのだ。

モーリーバルーン

2015-05-18 23:00:41 | 愛犬(Qoo)
大阪都構想なる住民投票のせいで寝不足気味、結果はどうあれ興味深々だった。
政治の事は良く分らないが改革は難しいようだ。
まあ一つのケジメはついたようだし、今後の動きを含みあの人の今後の動静に注目している。

そんな眠たい頭を抱えつつもホームセンタのペット売り場に付き合う。
そう、妻は今、鑑賞用のお魚さんに夢中になっているのだ。



もう1年くらい前に赤ドジョウを買ってきて可愛がっている。
小型の水槽に今はその赤ドジョウ(なまえはドジ)と3匹のモーリを飼っている。
ドジョウはそこそこの環境でも大丈夫なようで問題はモーリーの方だそうで、その相談のようだ。
私はペットショップの子犬のコーナーで足が止まってしまった。
黒のポメラニアンのオス犬だ。
前に買っていたペットと同じ犬種で色も同じだった。
その犬を見ていると姿といい横顔といいそっくり、しかししばらく見ているとやっぱり違う。
彼とは違う、と思いつつもついつい30分くらい見入っていた。
もう犬は飼うと事無いよね、などと妻と話はしているがついつい値段を見る。
結構な値段がついている。
もし飼うとすれば名前はどうする、躾けはどうするなどと考えていると
「さあ行くよ!」
と妻から腕を引っ張られるのだ。
今は犬のことなど全然頭に無いらしく、手には新しくモーリー(バルーンではない)と小さな海老が入った袋を手にしている。



家に帰り水槽の掃除だった。
前日水道水にバクテリアらしきものを入れたバケツの水に入れ替え新しい環境になった。
水槽は赤ドジョウにモーリーバルーン(ペットショップではバルーンモーリー)とモーリーと海老だ。



水を入れ替えた水槽に新しく住民になる魚が参加したのだ。
犬のことなどすっかり頭に無い嬉しそうな妻の顔を見る。
時が過ぎればこうも変るものだ。
そう、時が変れば・・・。

ジェイ

2015-05-14 22:00:08 | 食事
その昔、健軍方面から路面電車で味噌天神電停まで1年ほど通っていた時期があった。
まだ学生だった頃の事だ。
味噌天神という町の名前は無いが電停にしろバス亭にしろ「味噌天神」というので味噌天神界隈ということになる。
全国的にも珍しい味噌を祭った神社、味噌天神(本村神社)があるのでその名前で呼ばれるのだろう。
社会人になってからその味噌天神電停の近くに客があり、私にとっては何故か縁のあるところなのだ。
その客の2階で仕事をしているとガタンゴトンと路面電車の音が聞こえる、なんとも熊本らしいと思った記憶がある。
九州学院の裏道には普通の食料品店なのだが即席ラーメンを買うとその場で調理して出してくれる店などがあった。
その通りには何件か店があった。
そのお客さんとよく行った「ケーザイ場」という店があった。
ちょうどバブルの時期で地上げ屋が盛んに土地を買い漁っていた時期だった。
その店のおばちゃんは断固として店を守っていたっけ。
しかしその店も今は跡形も無く残っているのは数件の店になってしまった。
熊本市図書館が近くにあるので図書館に寄ったついでにこの界隈をぶらつく事が多い。
その九学通りから電車通りの反対側にある「ジェイ」は学生時代に良く行っていた店だ。
それこそ味噌天神電停の目の前に昔懐かしい看板はあった。



中に入ると昔のまんまだった。
私が知っている限りでは三十数年前からある喫茶店だ。
メニューを見ると、サンドイッチにピラフ、カレー、ケーキなど喫茶店ならではのメニューが並ぶ。



私は当然カレーにする。



妻はケーキセット。
食べてみるとなんとも懐かしい味がする。
移り変りの激しい飲食業界でここまで頑張ってくれるのは嬉しい。
我が学び舎も新しい校舎に建替えられて昔の面影がなくなってきている中、この喫茶店は数十年前と寸分も変っていない。
私的に勝手だと思うが、いつまでも頑張って欲しいものだ・・・。

荒尾の薔薇

2015-05-12 10:20:42 | 季節の花
朝から台風の影響で雨が降っている。
久しぶりに朝からパソコンを開いている。
テレビもうるさく見たいモノはすべて録画して後で見ることにしているし、パソコンも朝から開くことはめったに無い。
変れば変るもので仕事に着いたらすぐにパソコンを開いていた時とは全然違う生活をしている。

さて昨日は新聞を読んでいて荒尾の「おもやい市民花壇」でばらが満開だという記事を見つけ出かけてみた。
荒尾は熊本県北部で福岡県大牟田市と県境の町になる。
私個人としてはあまりかかわりの無いところだが、今や世界遺産に登録推薦されている三井三池炭鉱跡地として栄えた町だ。
とりあえず荒尾駅に行く。
海達公子の汽車の音という詩碑が建っていた。
下関駅にあった金子みすずの詩碑のようで、似た感じを受けた。
駅からクルマですぐのところに「おもやい市民花壇」はあった。



少し分りにくいところだったが平日だというのに駐車場は一杯だった。





ばら園に入るとばらの甘い香り、色とりどりのばらが満開になっていた。
ばら園にいると自然に笑顔になれるから不思議なものだ。
何枚かカメラに収めたが全部は掲載できないので私好みの何枚か編集してみた。



ばら園には次々と介護施設の人たちや幼稚園児たちがやってきてばらの世界を楽しんでいた。



その後、ここ荒尾、大牟田を中心にした炭鉱跡地と一つ万田抗跡地を見に行った。
幼い頃、三池炭鉱と言うとガス爆発や落盤事故などのニュースでしか知らなかったが、日本でも有数な炭鉱地だったと知った。
今日は外から眺めただけだが、あの長崎の軍艦島を思わせる雰囲気だった。

天草

2015-05-10 21:36:06 | 熊本の風景
連休の疲れもとれ陽気に誘われて天草までドライブに出かけた。
昔と違い随分と道も良くなり1時間ちょっとで本渡に着いた。
その昔、1年半ほど住んでいたこともあり街中は知っていたつもりだった。
しかし新しい道が出来、また町並みも随分と変わってしまっていた。



本渡に着くなり港に行ってみた。
ここからは実家の水俣までフェリーが出ていたが今は運行を止めてしまっていた。
社会人になったばかりで本渡に赴任、クルマを持たなかったあの頃はそのフェリーが実家への足だった。
今は熊本港までの高速船も無くなり、三角行きや御所浦行きの船が運航していた。



港の周りには天草五橋が無かった頃賑わっていただろう旅館や倉庫などがまだ点在している。
岬の丘に建つホテルに行ってみた。
ヤシの木が建ち並び青い海と非常に合っていた。
隠れキリシタンの島でもあり、西海岸に行くと大江の天主堂や崎津の天主堂などの教会、お墓も日本式の墓の上に十字架が乗っていたりと独特の文化がある。



このホテルではちょうど結婚式があっていて丘の上の教会で式が終わりこれから記念写真というところだった。



かつてここにはロープウェイがあり水族館もあったところで眼下にはトライアスロンの国際試合がある茂木根海水浴場がある。
街中は変ってしまったが天草独特の空気の流れというのか時間の流れというのか懐かしくもあった。
そういえば当時、母からの手紙に
「天草郡本渡市」
と宛名があった事を思い出す。
今では天草市本渡と言うのだが、当時は本渡市だった。
天草郡では無いのだ。
そんな事を思い出し、今日は母の日だったことに気がついた。


草との戦い

2015-05-07 22:44:10 | 日記ふう
博多の娘のアパートを9時に出て熊本に着いた。
今日中に実家まで移動の予定だったが疲れが出て明日に伸ばすことにした。
翌日は朝9時に家を出て実家に帰る。
妹夫婦もやってきて実家の整理をするのだ。
実家には午前11時過ぎに到着、妹たちも5分遅れでやってきた。
荷物を実家に置きそのまま近くの食堂に全員で昼食をする。
名物のチャンポンにおにぎりだったのだが、妹の旦那はカレーにチャンポンそしてカツ丼を食っていた。
いやはやすごい事になっていた。
そして妹も2人の娘も特製チャンポンを食っている。
我が家と違って家族全員もの凄いことに唖然となったわけだ。
午後からはいよいよ実家の整理だ。
女たちは家の中を、そして男(私と義理のおとうと)は庭と畑の草刈だった。



庭は義理の弟に任せ畑に行ってみた。
背の高さほどの草(というより木になりかけていた)と竹が生えていた。
前回草刈をしたのは4年ほど昔、そう打越開拓団とやらで打越団地の仲間で草を刈り耕運機で耕して以来の事だ。



畑は3段になっており1段目から始めるが1段に2時間もあれば刈れるだろうと思っていたが、意外と背の高い草は時間がかかる。
草の上半分を切り落とし次に地面近くから切り落とす。
そして草を払いながらなので時間がかかる。
そして一番は体力だ。
30分おきに休憩を入れないと足や腰が痛くてしょうがない。



初日は約4時間程度で1段目も半分にも達しなかった。
翌日は法事があるため10時から3時まで法事に出かけた。
祖父の兄弟の15回忌だったが私まで呼び出され40人ほどの盛大な法事だった。
田舎の法事のすごさにこれまたビックリの一日だった。
法事のあと皆で鹿児島の甥っ子の店(居酒屋)に行く予定だったが妻も娘もそして私も疲れが出て鹿児島まで行く余力が無く、妹家族に任せたのだ。
再び草刈、翌朝も早めに起き草刈だった。
草との戦いで全部とはいかないが、梅雨前には終わらせたいので来週でも残りをしなければいけない。
作業を終えてウッドデッキから見る風景はなんとも癒される風景なのだ。



そしてもう一つ、義理の弟がスマホで何かを検索していて私のブログを見つけ
「打越通信ってお兄さんのブログですか?」
と聞く
「いや違うよ!」
と答えると妻と娘がニヤリとしていたのだ。
そんな調子で連休は終わり実家を後に熊本に帰った。
そして夜は来客があり7人での語らいで終わった。

北九州

2015-05-02 22:13:59 | 小旅行
あさ9時前に自宅を出た。
国道をひたすら北に向う。
鳥栖を過ぎ鳥栖筑紫野線を走っていると昼になり、妻がカーナビで近くの公園を探す。
基山城跡があるようでナビに任せ細い道を登って行く。
クルマ一台がやっと通れるような道を登っていくと登山者用の駐車場があった。



案内板を見ると山城の跡のようで登山道を歩いて登ると城跡があるようだ。
ここは南の砦の跡のようで小さな神社があった。
そこで弁当を広げおにぎりとタケノコの煮付けで昼食だった。
そばには水が流れ水城の跡のようだ。
ナビが無ければ来る事が無いような新緑に囲まれた場所だった。

再び鳥栖筑紫野線(県道17号)に戻り博多を目指す。
娘には博多のアパートで待っているとメールしていたが、時計を見るとまだ13時を過ぎた時間だった。

小倉まで迎えに行くことにした。
香椎を過ぎ国道3号を離れ495号線に入った。
高速は山側を、そして3号線はちょっと海側を走る。
495号線はさらに海側を走る道路だ。
新宮、古賀、福津(津屋崎)と進むが玄海灘はちらりと見えるだけだ。
松林が見えたり、草原の中の一本道だったり、原始林の中かと思われる道を進む。



クルマの温度計はついに28℃まで上がっている。
遠賀川を渡ると海べりの道に出た。
芦屋に入る。
テラのオヤジの故郷だ。
大きな自衛隊の基地があるようでそこを過ぎると若松区の文字が見える。
いよいよ北九州市に入った。
初めての道なのでワクワクする。
工業地帯に出たようで大きな煙突があちこちに見えてきた。
若戸大橋の案内板が出ているのでその案内に沿って進む。



大きな橋を渡る。
若戸大橋の中間点で戸畑区に入ったのが分る。
娘の勤め先は小倉記念病院なので小倉駅を目指す。
道はいつの間にか199号になっていた。
小倉駅を通過しまだ時間があったので赤坂海岸に行ってみた。
門司港、小倉と長年にわたり仕事をしてきたところだ。
延命寺公園の駐車場にクルマをとめ海岸まで行ってみた。



仕事場はすぐ近くだったので気分転換に何度も行ったところだ。
仕事は常に午後11時頃までやっていたので夜の夜景も綺麗なところだ。



北の方を見ると関門橋が見える。
クルマで行けば10分とかからないが、そろそろ娘の仕事の終わる時間だ。
小倉駅の新幹線口のコインパーキングにクルマを停め、病院内に入ると娘が待っていた。
今娘は博多のアパートから小倉まで通勤している。
私もそうだったがなぜか娘も小倉に勤務しているわけだ。
娘を拾って博多に向った。

今日中に熊本まで帰る予定だったが、今夜は美野島のアパートに泊まり明日早い時間に熊本に戻ることにした。