打越通信

日記ふういろいろ

Windows7

2012-08-31 07:45:52 | パソコン
8月に入りバタバタした中、息子が博多に出て行った。
仕事の関係でどうしてもパソコンがいるようで、我が家で活躍していたVistのパソコンを持って行ってしまったのだ。
家には息子が使っていたデスクトップと前回中古で買ったXPがある。
B5版のXPはIBMのパソコンで持ち運びようで活躍しているのだが、出張などで持ち出すのでネット命の妻が困るわけだ。
先日、中古パソコン屋に見に行ったら、Windos7HomePremium(32bitb版)でメモリ1GB、LAN、無線LAN対応というFMV LIFEBOOKがあった。
Celeron M(1.73GHz)、15.4型ワイド液晶、外見はガサツな感じだが法人向けのパソコンなのでしょうが無い。
価格を見ると19,800円だった。
ソフトはkingSoftOffice2012が入っていた。
いろいろと説明を聞いていると、Windows7の説明書とビデオは無しで、マイクロソフトOfficeを入れてくれるという。
ただし2002版だった。
USBの口数が4つとハードディスクが40GBと少ないのが気になったが、ハードディスクについてはNASか外付けを検討しているので良しとして、この値段なら買いだ。



さっそく買って帰って電源を入れてみた。
Windows7の立ち上がりの早い事、Vistのかったるい立ち上がりと全然違う。
液晶も15.4型とあって迫力があるし、画面のバラつきも無い。
ネットに出してUpdateをかけた。



必要なソフトもインストールしてみたが問題なく動作するようだ。
わが家もやっとこさWindows7の世界になった。
しかもこんな価格で、時間があるときいろいろとやってみよう。

あいさつ

2012-08-30 06:50:38 | 日記ふう
法事の後の母の体調を考えて、翌日は休みを取った。
やはり昨日の法事と父との別れなどあり、朝からあまり体調は良くなかった。
朝食をとって、庭の草むしりをしていると佐世保からの義理の兄がやってきた。
兄はこれから友達に会いに鹿児島に行くそうだ。
新幹線の時間を調べると9時15分があった。
駅まで見送りをして、かえる準備をする。
荷物をクルマに積み込み、家の鍵を見てまわる。
しかし母がどうも調子が良くない。
結局、家を後にしたのは11時少し前だった。
今日は昼から叔父と挨拶周りに行かなくてはならない。
熊本で落ち合っていく予定なのだ。
高速を休憩も無しに先を急いだ。
途中、回転すしにより遅めの昼食だった。
そこで叔父からケータイに連絡があった。
今からだと家に戻り、シャワーを浴びて午後2時くらいになりそうだと伝えた。
家に戻り、慌てて家を出て叔父のマンションまで行く。
マンションの下からケータイで連絡をして一緒にクルマに乗り込み、玉名を目指した。
叔父は高校の教師だった。
玉名には独身時代と結婚して子どもが出来たころと2回住んだ事があるそうだ。
すっかり変った玉名の街を見てビックリしていた。
父が最後に退職した高校へ向かった。
葬儀で弔辞を読んでいただいた先生への挨拶だった。
しかし先生は今日は休みという事で、事務長の方が対応された。
電話では何度もお話した方だった。
そして父が生前に頂いた勲章に叙位を申請していただいて申請が受理されたお礼も述べた。
横を見ると父の若かりし頃の写真が飾ってあった。

温泉街の焼鳥屋

2012-08-29 05:41:20 | 食事
法事が終わり、ホテルに電話すると、請求の計算が出来ていると言う。
妻とホテルに出かけた。
フロントで精算をして、法事の後そのまま宿泊している義理の兄の部屋に行ってみた。
なかなか広い部屋で、兄は食事が終わったところのようだ。



妻が風呂に入りたいと言うので、私も露天風呂に入った。
誰もいない風呂に30分ばかり入り、兄の部屋で妻を待った。
妻が来て、飲みに出る事になった。
フロントで焼鳥屋を紹介してくれたのでそこに行ってみた。



元気の良い旦那が居て、すぐに兄と話が合った。
焼鳥を焼いてもらうのだが、なかなか旨い。
ビールと焼酎が進む。
先客は1人だったが、その人とも話が合い、すぐに打ち解けた。
日曜日の夜という事もあって、客は私達3人と先客1名様だけだった。



1時間ばかり飲んで食って3人で3000円とちょっとだった。
温泉街の焼鳥屋、旨いし安いし兄も満足したようだった。

49日法要

2012-08-28 12:52:37 | 日記ふう
父の葬儀からバタバタと過ぎて、先日49日法要を行った。
実家からクルマを持って来て、妻と母、娘に妹、それに父の遺骨をもってクルマ2台で実家を目指した。
実家に着くと締め切ったすべての部屋の窓を開け、空気を入替えた。
そして掃除だ。
庭は業者の人に頼み、きれいに選定が済んでいた。
法要は10時半からだった。
9時頃から続々と親戚が集まって、狭い家は一気に賑やかになった。
10時半にお坊さんが来ていよいよお経が始まった。
狭い部屋に約40名、静かな中にお経が流れた。
お経の後、会食会のため皆さんバスに乗って海べりのホテルに向かった。
簡単な挨拶を私がして、本家の叔父に献杯の音頭をお願いした。



魚中心の料理でこれに混ぜ寿司と茶そばがついていた。
しかし刺し身を2,3口箸を付けただけで、後はビールを注いでまわった。
遠くから来てくれた伯父には遠方からの礼を言い、近所の親戚には通夜、葬儀での結束の凄さに礼を言い、市役所に勤める親戚には手続き等を丁寧に教えて頂いた礼を言ってまわった。
このホテルには5,6ヶ所の温泉風呂があり、食事をされた方は何人か風呂に行かれたようだ。
会食会は2時間ばかりで終えて、ふたたびバスに乗り、実家に帰った。
そして納骨堂に行き、父の遺骨を納めた。
その後も実家に集まり、ビールに焼酎だった。
佐世保から来た義理の兄に、私達が結婚した時、今は亡き義理の父が、亡くなった父へ送った少しでかいサイドボードを紹介した。
ボードの扉をを開けると中に高級ブランディがあった。
父からの贈り物だろう、皆に注いで乾杯をした。
夜遅くまで49日の法要は続いたのだった。

石塘工事

2012-08-25 08:11:55 | 写真投稿
白川と坪井川の接する箇所に石塘(いしども ) 堰を築き完全に2本の川を分離し白川の氾濫を防いだといわれる。
そして坪井川を有明海からの運行路として確保したという加藤清正の最大の治水事業の場所なのだ。
熊本駅周辺の開発計画なのかは知らないが、この石塘の約300mを催しが出来る工事をしていた。



車道と歩道にあった樹木を取り払う。





白川沿いの堤防に、テーブルのようなものを設置する工事などだ。



この前、久しぶりに歩いたら工事は終了していた。
丸いテーブルの前にはコンクリートで出来たイスも用意されていた。
車道と歩道の境目もきれいに無くなっていた。
催しは車道を歩行者天国にして行われるのだ。
高層マンションの下の坪井川も整備が進み、憩いの場所になっている。
交通アクセスも熊本駅に近く、イベントの開催にはもってこいの場所なのだ。



しかし堤防を越え、白川を眺めれば、前回の豪雨の影響で堤防よりのところには大量の泥がそのままになっていた。
いつもの川幅のところにたっていた木は、今にも倒れそうな姿をしていた。

車窓からの眺め

2012-08-24 06:16:52 | 写真投稿
9時6分発の鹿児島中央行きのつばめ333号に乗り込む。
盆休みも過ぎて車内はガラガラだった。



車窓を眺めていると雲仙普賢岳の周りに夏雲が出ていた。



なんとも幻想的な眺めに思わずシャッターを切った。
夏ならではの風景に見入ってしまった。
乗車26分で新水俣駅に到着。
仕事を終えて、ふたたびさくらで熊本へ。



今度は、熊本の象徴である金峰山が迎えてくれる。
出張疲れのなか、こんな車窓からの眺めに癒される。

写真集

2012-08-23 07:05:57 | 写真投稿
その昔は、写真の現像とプリントで写真屋にはずいぶんと通ったものだ。
今回、父の葬儀の写真をプリントするために、葬儀屋からのCDと私のコンデジに甥っ子の淳がとった写真をパソコンで確認して、これはと思う写真を選ぶだし、USBメモリーに抜き出した。
それをもって写真屋に向かった。
写真の修整を入れようか迷ったが、写りの暗い写真だけコンロラストの調整をしただけだった。
最も近い親戚だけに今度の49日法要に渡すことにする。
それでもL判のプリントだけでも100枚近くになる。



パソコンで写真のプリント依頼をかけカウンタいに出した。
プリントを待っている間、テーブルにおいてあった写真集に目が行った。
九州新幹線全線開業の時の九州縦断ウェーブ の写真集だった。
鹿児島中央駅から博多駅までの沿線で祝っている人たちを写した写真集だ。
列車の中からさすがプロのカメラマン、皆さんの表情が良い。
鹿児島中央駅を出て、薩摩川内駅、出水そして新水俣駅。
そう新水俣会場の写真もある。



黒いクルマの横で赤いジャンバーを来た男を発見。
たまたま通りがかりに居合わせただけなのに、こんな写真集に収まってしまった。
開業から2年、東北震災の翌日が開業の日だったのでCMは流れなかったが、こうして写真集として残っているのだ。
新八代を過ぎ熊本駅到着の時、カウンターから名前を呼ばれて中断してしまった。
プリントした写真を振り分けて、たぶんあと2回くらいはプリントの焼き増しが出るので、続きはその時なのだ。

二日酔い

2012-08-22 06:35:59 | 日記ふう
娘のアパートでいつも通りの7時頃目が覚める。
最上階からの眺めは最高だ。
しかし昨日の酒が残っているようで、少し頭が痛い。
まあ、楽しい酒のあとは決まってこうなるのだからしょうが無い。
娘もまだ、眠りたいようで、今日は用事があると言うので、別に急ぐ事は無いが帰る事にした。



アパートを出て美野島商店街を歩く。
まだ早いのか人通りは少なかった。
もう8月も後半、割とすがすがしい朝だ。



何本かの道を渡り、進んでいくと「人参公園」という所に来てしまった。
その昔、高麗人参を栽培していた福岡藩の薬園があり、その名前に由来しているらしい。
歩いているうちに、気分も良くなってきた。
飲み会では食べたようでも以外に食べてないようで、お腹が空いてきた。
すき家に入り、たまごかけごはん朝食と海苔、アイスコーヒーを頼んだ。



しめて330円なり。
朝食食って元気を取り戻し、博多駅までふたたび歩く。



早めの列車に乗って、今日は父の葬儀の写真を整理しよう。
写真の中から抜粋して、親戚一同に配ろう。
そう思いながら、9時台の下り列車で、熊本駅には10時前に到着した。

博多での飲み会

2012-08-21 06:33:14 | 日記ふう
博多での飲み会のため、夏の日差しの強い中、熊本駅まで歩く。
熊本駅に着く頃には、汗が噴出して止まらない。
駅舎の中で汗が引くのを待って、少し早いが昼食を摂った。



何にしようか迷ったが、待合室にあるうどん屋に入った。
ざるそばと稲荷で軽めの食事。
食事を終えて改札を通り、ホームに上がると、11時44分発のN800系のさくらが待っていた。



この時間帯の列車はあまり乗ったことが無いが、休みのはざ間という事もあり、結構な乗車率だった。
博多駅に着くと、息子に渡す荷物があり、コインロッカーを探す。
何箇所かあるコインロッカーはすべて利用中のランプがついて、まったく空が無かった。
しかたなく重い荷物をぶら下げて仕事場へ。

仕事を終えて、近くのホテルの最上階のビヤホールへ、生ビールで乾杯。
つまみはたこ焼きやピザ、やきそば、ローストビーフなど食べ放題。
今日は午前中から汗のかきっぱなしだったので、生ビールが最高にうまい。
2時間ばかりの飲み会で生ビール5,6杯は飲んだようだ。
それから焼酎に切り替えて、終わるころにはほろ酔い気分。

博多駅からバスに乗り、息子に電話した。
博多駅4丁目で降りろ、というので降りたところに息子がいた。
息子の友達と3人で居酒屋に入り、焼酎のオンザロックをチビリチビリ。
娘も今日は飲み会のようで、少しはなれた場所であるようだ。
息子が娘に連絡して、10時頃に娘がやって来た。
息子と友達と娘としばし楽しい時間を過ごせた。
その後、娘のアパートに泊めてもらったのだ。

もう一つのオリンピック

2012-08-20 06:23:31 | 島からの便り
>今日の22時55分、NHKから放送される「にっぽん紀行」に、我が親族のオリンピック大会が出ます。
見てくださいね~<

沖縄の泳げない海人さんからメールが来た。



番組を見てビックリ、藤八さんとウシさんを頂点に親族約240名の壮大なオリンピックだった。



泳げない海人さんもしっかりと写っていた。
懐かしい奥武島。



親族をまとめるのも大変だろう。



小さな島はこの日は暑く燃えたのだろう。



NHKの全国放送だ、すごいな~!

夏草刈り

2012-08-19 06:19:13 | 日記ふう
打越開拓団以来、ぼうぼうとなった畑、朝の涼しい時間に草刈をした。
昼間はいろいろと事務処理があるので朝しか時間が無いのだ。
畑に入ってみると、高い草は私のこしくらいまで伸びていた。



1段目の畑を刈るのに2時間くらい掛かった。
順調に刈っていくのだけど、草刈機に草が撒きつき、そのたびに中断する。
畑にはかぼちゃを植えていたが、ほとんど草に覆われて枯れていた。



ひとつだけ花を見つけたのでそこだけ刈らずに残した。
翌日は2段目の畑だ。



刈って行くと山芋はほとんどなぎ倒されて、土を掘った跡だけが残っていた。



やはりイノシシか野生の動物の仕業だろう。
無残な状況に開拓団の皆さんはなんと言うだろう。



そんな事を考えながら草刈をしていると、無数の蜂が飛んでいるのだ。
刺されたら大変なので、中途半端だけど作業を中断する事にした。

盆休み

2012-08-18 12:29:14 | 日記ふう
あっという間に盆休みは過ぎていった。
ブログも久しぶりになってしまった。
そんななか、8月11日から実家に帰省、翌、日曜日には妹も帰って来て、香典返しのリスト整理を行う。
息子が入力した芳名帳を元にリストを出力して、名前、住所の間違いが無いかチェックしていく。
そして香典返しの商品の選択だった。
そのリストを持ってデパートの外商に持ち込む。
妹はその日に帰って行った。
結局、その日はそれで終わった。
翌日は市役所に出向き、引き落としが凍結された市民税や固定資産税、水道代などの口座変更の手続きを行った。
それらの書類を持って金融機関周りなど回った。
実家の電話代、電気代、母のケータイ代などの変更もあり、翌日はその処理で私は走り回ったのだ。
何とか処理が終わったと思いきや、金融機関から印鑑もれがあり呼び出される始末だった。
父の医療費控除の手続きで病院に行き支払の書類関係を書いてもらい市役所への提出があったり、飛びまわった。
署名捺印などで何回、同じ名前と住所を書いたのだ。
そのほかにも49日法要の場所選定と打ち合わせなど、あっという間に過ぎてしまった。



その間にも来訪者があり、家を空けられないので妻か私のいずれかは家に居た。
6日間の休みもあっという間だった。
しかし、盆休みの間、市役所や金融機関があいていてくれてホントに助かった。
今年の夏はそんな感じで過ぎ去った。

BROS.Kaneko

2012-08-14 06:05:33 | 食事
いろいろと野暮用を済ませ、妻とランチにどこに行くか迷う。
「この前も、マリちゃん(妹)と探したんだけどお店が見つからなかった」
と妻が言っている。
妻はネットで調べたレストランの事を言ってるようだ。
熊本からの運転、郵便局やデパートなど歩きつかれて、お腹もペコペコだった。
一般の道から少し入ったところについに発見。
喫茶店風なお店で、道に面していないので分かりにくいところだ。
駐車場にクルマを停めて外に出るとムッとした熱気が襲い掛かる。



店の中に入ると、シックな感じのいい雰囲気だった。
テーブル席が6席くらいある。
中年のおじさんがお冷を持って注文を聞きに来る。



日替わりランチを2つ頼み、しばらく店内を見てまわる。
シェ・パニースの記事と写真が飾ってある。
どうもここのシェフは、有名なオーガニックレストラン “シェ・パニースで学んでこられた方のようだ。
その下にはワインが並んでいた。



そうこうしているとスープが出てきた。
アツアツかと思いきや冷やしスープだった。
しかしそれが旨い。
店内にはシャンソンが流れていた。



そしてサラダとパンが出てきた。
ドレッシングは酸っぱ目で、夏の暑い日にはいい感じだ。



そして今日の日替わりはハンバーグだった。
パンにハンバーグ、そして最後のアイスコーヒー。
これで840円、満足だった。
支払をして外に出ると、ポメがいた。
妻が近寄って遊んでいた。

BROS.Kaneko
水俣市旭町1-2-5
0966-63-4671


電力不足

2012-08-12 07:45:25 | ネット記事
あれだけ騒がれた計画停電。
現在運転中の原子力発電所は大飯発電所3号機、4号機だけ。
一番需要が逼迫するのは関西と九州と言われていたっけ。



会社や工場、家庭での節電の効果もあるのだろうが、九州電力にいたっては80%台で推移している。
東京電力にいたっては70%台だ。
結局、原発無くてもどうにかなるってことになるのかなぁ。

不思議なセーラー服軍団

2012-08-11 05:31:39 | 日記ふう
朝7時35分の熊本電鉄の上熊本駅行きの電車では熊本駅には早く着きすぎて50分近くも熊本駅で待たなければならない。
そこで8時5分の電車にしよう思ったが、妻も母も食事が終わりゆっくりしていたので妻に上熊本まで送ってもらった。



上熊本8時22分の下りの電車で熊本駅へ、8時44分のいつものみずほに乗り込む。
お盆休み前の8月9日のことだ。
意外と空いていた。
吉村昭の本を取り出して読みふけった。



帰りは小倉駅18時49分のさくらだった。
普段と変らない乗車率、博多からの乗車は少なく、3人かけの窓際に座り、朝の続きを読んでいた。
このさくら、新鳥栖駅に停車後は熊本まで停まらない。
新鳥栖駅で白いセーラー服と白い帽子をかぶった水兵さんらしき団体が乗り込んで来た。
そして引率の方だろうか、小太りのオバサンと若い女性の方が私が座っている席に座った。
一気に車内は賑やかになり、本に集中できなくなってしまった。
会話を聞いていると横に座った方は先生と呼ばれていた。
その先生と呼ばれている小太りでお洒落な服を着たオバチャンはきれいな標準語を喋っていた。
セーラー服を着た7,8名の水兵さんとこのオバチャンたち、一体何者なんだろう?
鳥栖駅からの乗車ということは長崎線からの乗り換えだろう。
会話の中でお昼のチャンポンがどうのこうのと言っていた。
ひょっとすると今日は長崎原爆の日だ、式典からの帰りかな、などと憶測は広がる。
そうこうしていると隣のオバチャンたちは弁当を広げて食べだした。
列車は新大牟田駅を過ぎ新玉名駅を通過した。
このままでは食い終わらないうちに熊本到着だ、しかしこの状態ではどうしようも無い。
熊本到着のアナウンスが流れたので
「すみません、降ります」
と言うとオバチャンたち、弁当と飲み物を手に持ちテーブルを元に戻して私を通してくれた。
熊本駅からの連絡はすこぶる良く、家には8時前に着いた。