打越通信

日記ふういろいろ

水巻コスモス園

2020-10-24 07:22:36 | 季節の花
遠賀川の河口近く、水巻町に遠賀川に沿って全長5,6kmに渡ってコスモスが咲いていると情報を得た。
秋晴れのなかさっそく出かけてみた。
国道3号線を左に折れ場所はすぐに分かった。
河川敷の雑草はきれいに刈られ、そこにコスモスの花の道が出来ていた。
遠賀川も河口近くなのでゆっくりとした流れで落ち着いた雰囲気だ。
いったい何万本の花が植えられているのか想像もできないが、人材シルバーの人たちが熱心に作業をされていた。





川面に映えるコスモス、晴天の空に映えるコスモスなど狙いながら花道を歩いてみた。
ポカポカであまりに気持ち良いので、河川敷に寝転がり昼寝をした。



空を見ると、近くにある自衛隊芦屋空軍基地の練習機なのか3,4台の小型ジェットが低空で旋回していた。
望遠レンズを出し、コスモスとジェット機を撮られてみようと思った。
しかしあまりにもジェット機が小さすぎるしすばやっこいのでとらえることはできなかった。



逆光に輝く花、風に揺れる花などいろいろを試してみたが、なかなかうまくはいかなかった。
九州で唯一サケが遡上するといわれる遠賀川だ。
飯塚や田川など炭鉱で栄えたころは輸送で使われ、かなり水質が悪かった頃もあったようだが、今ではかなり改善しているという。



ゆたかな川の河川敷では春はチューリップや菜の花、秋はコスモスなどで賑わっているようだ。
水巻町のコスモス祭りも今週末あたりに計画されているようで、多くの人たちでにぎわう事だろう。

瑠璃アザミ(ヒゴタイ)

2020-04-18 20:53:02 | 季節の花
<2013年8月 大分県九重町筋湯温泉(1泊)に行った帰り、野生のヒゴタイを発見>

朝と昼過ぎと夕方、近くの公園に散歩に出かける。
土曜日だけど人が極端に少ない。
毎日来ていると大体決まったベンチに座る。
近くに座る人も大体同じ顔になりつつある。
通勤していた時は、少なくとも8000歩から多いときは15000歩ほど歩いていた。
今では3000-5000歩といったところだ。
朝と昼前、そして夕方に1時間ほど歩く。
そして心地よい日差しのなか本を開く。
1、2時間とそのまま読み耽ってしまう事もある。
退屈すると部屋に戻り、テレビを見たり(あまりない)パソコンを開いたりしている。
過去の写真を整理というかピックアップのような事をしている。



<阿蘇仙酔峡の花屋(おばあさんが売っていた)で苗木を買って来て庭に植えたがその年だけ花を咲かせてくれた>

どうも平衡感覚が右下がりになる癖があるため写真の腕前は良くない。
整理している写真を見ながら反省している所だ。

春の癒しを

2020-04-05 20:02:57 | 季節の花
外出を控えるようニュースでは呼び掛けている。
しかし狭いマンションの部屋にいてもテレビをつければ新型コロナウイルスのニュースや特番ばかりで気がめいりそうになる。
近所を散歩するにもビルが立ち並ぶ場所や天神や博多駅など人が密集する場所ばかり、熊本に帰ろうかと考えるが福岡県も熊本県も移動制限のようなものが出ているようで、息子に連絡するとそういう返答が返ってくる。
人が密集しないところであれば良いだろうとカメラをリックに詰め込み、クルマに乗り込む。



福岡もあまり行くところはないのだが、海の中道海浜公園に行ってみた。
海の中道への道はいつもなら渋滞が起きているところなのだが、ガラガラだった。
西口駐車場を探すが入り口のゲートもクルマは無い。
閉館されているのかと思うほど少ない。
ゲートをくぐり駐車場もクルマはまばらだった。



公園内に入るのは2度目なのだがさっそくチューリップたちが迎えてくれた。
今日は園内をぐるりと一周するつもりで桜並木が立ち並ぶ道(ほんと人がいない)を春の日差しと花冷えがする風に吹かれゆっくりと散歩する。
鳥の声がうるさいように聞える。
野原に座り目を閉じると近くからひばりの鳴き声がまるで音楽をさえずるように聞こえるから不思議だ。
目を開けてその声の居場所を探すが、まぶしい日差しにさえぎられ見つけることはできない。



ある森に行くと、ホーホケキョとウグイスの鳴き声まで聞こえる。
えっと思ったがそうもう4月なのだと思い返した。
広い公園内を歩いてはベンチや野原に座り込み(または寝そべって)空を眺め、鳥のさえずりに耳を傾け至福な時間を過ごした。



コロナコロナでうんざりしているときだから、あらためて自然の美しさ(人工的につられたものではある)が癒してくれる。

朝日の中のアジサイ

2017-06-15 06:27:22 | 季節の花
梅雨に入って雨らしき日があったのかというとあまりないように思う。
毎日、晴天が続き、この季節の晴天の気候というのも珍しい経験かも知れない。
5時前には近くの公園に行きストレッチや軽い体操をするか、近くの住吉神社までのウォーキングか軽いジョグをしている。
空梅雨の恩恵みたいなものだ。
朝早い時間でも結構人の往来はある。
夜勤明けの人、飲んだくれて朝帰りの人、新聞配達人、毎日公園の掃除に来るオジサン、犬を連れて散歩をする人、ジョギングを楽しむ人、まあ様々だ。
この頃はスポーツウエアに着替えるのもめんどくさく、パジャマにウインドブレーカを着て出かける。
それでも朝方はかなり冷え込む。
例年、夏を前にしたこの梅雨時期はこんなものだったのかと思うほどだ。



公園や神社に咲くアジサイも開花しているのかどうなのか、一応花が咲いているように見えるがあまり勢いを感じさせない。
どちらかというとひっそりとした感じだ。
アジサイというと梅雨の雨が似合う花、といった潜在的な感覚があるからだろうか。



朝日を浴びるアジサイの花、どうも違うけどそんな光景が見られるのも今年の特徴かも知れない。

しょうぶまつり

2017-06-11 14:43:02 | 季節の花
国道3号線から香椎付近で国道495号線に入る。
通称「和白通り」と呼ばれかつての国道3号線だったという。
和白に住む先輩社員が東区は人口が急激に増えていると言っていたことを思い出す。
完全な渋滞に入り込んでしまった。
海の中道への交差点を過ぎても渋滞はひどく、結局、福津までノロノロ状態が続いた。
宮地嶽神社は今回で二度目になる。
だだっ広い駐車場には多くのクルマが停まっていた。
前回来たときはちょうど桜の時期で寒かった思い出がある。
神社裏にはダム湖や広大な敷地があり、季節の花々が楽しめそうな雰囲気だった。
藤やつつじの季節も良いだろうなと思っていたら季節を逃してしまった。
石段を上り後ろを振り返ると「光に道」が見える。
階段をのぼり境内に入ると結婚式があっていた。
白いネクタイに礼服を来た人々の中に白無垢を来た花嫁さんの姿が見えた。
「ジューンブライド」こんな古めかしい神社にこんな言葉が似合うのかわからないがほかに言葉が思いつかなかった。



大きな門をくぐると境内には菖蒲の花がいっぱいに飾られていた。
出雲大社を思わせる大きなしめ縄、参拝客も前回来たときよりはるかに多かった。



参拝を終え神社の裏に行ってみた。
大音量でエキゾチックな音楽が聞こえてくる。
何かイベントのようなものがあっているようだった。
芝生の広場に人が集まり舞台の上には民族衣装らしき服を着た踊り子さんたちが踊りを踊っていた。
何の説明もなく、次から次へと音楽がかかりそのたびに踊り子さんたちも変わる。



インド音楽のようでもありタイ音楽のようでもあり、踊りも腰を振りフラのようでもありタイの踊りのようでもあった。
しばらく見入っていたが単調で飽きてしまった。



ダム湖の方に行ってみると菖蒲園のような場所がありたくさんの菖蒲の花が咲いていた。



古民家風の藁ぶき屋根をした売店では小物を売っていた。
菖蒲祭りといえば玉名の高瀬浦川菖蒲祭りを思い出すが、ここ福津でも菖蒲祭りは行われていた。

シャクヤク

2017-04-23 20:05:09 | 季節の花
今月は2回の土曜出社、まったく時代が遡ったのような隔週休2日制だ。
こうにも社会の流れに逆行するのも珍しい。
それだけ拘束されても生産性が上がるとは思えないのだが(いやいや逆だ)
そんなわけで熊本にも帰るわけが行かず、せっかくの晴天だったので舞鶴公園まで散歩に出た。
赤坂小学校の横から場内に入り陸上競技場横の道を渡ると、藤棚が見える。



まだまだ5分咲きくらいだろうか藤の花が咲きはじまていた。
藤棚の下でしばらく休憩をしていたが、蜂ような虫がたくさん飛んでいたのでそこを後にした。
階段があり門構えの植物園のような場所があったので入ってみた。
園内はシャクヤク園になっていて、まだまだつぼみのシャクヤクの花がずらりと並んでいた。



先方には今が咲き頃の花が並んでいた。
品種もいろいろとあるようで花の前には名札が示してあった。
何とも豪快で大輪の花はさすが迫力があった。





園内には八重桜が咲いていた。
さすがに盛りは過ぎていたようだが、まだまだ見頃のようだった。
ベンチに座り目を閉じると爽やかな風が気持ち良い。
目を開けると新緑が逆光に生えキラキラとしていた。
爽やかなひと時で日頃の疲れを取るにはい良い一日だった。

春は名のみの

2017-03-09 21:01:18 | 季節の花
朝の出勤途中に粉雪が舞う日があった。
この季節に雪が降るのも珍しい。
だんだんと強くなり春の突風も吹いて先が見えなくなる。
3月に入りこんな気候も珍しい気がする。
日ごとに暖かさと寒さがやってくるものだから、気分的にも緩んだり引き締まったりと精神的にもあまりよろしくない。
季節の中で春が一番嫌いな季節でもある。
とくに3月は幼いころからのトラウマになっている。
別れの季節でもあり、新しく飛び立つ季節でもあるが、変化に弱い人間にとっては嫌な季節となる。
昼間の散歩でいつもの公園に行ってみると、つぼみがいっせいに開花していた。
桃の花だと思うが定かでないのが自分らしい。
遅咲きの梅ではないと思うが、早咲きの桜と言われればそうかなと思うし、自信がない。



公園にあるまだ幼い木々がいっせいに咲いている。
ただ風は冷たい。
木々の下にはニョキニョキと芽を出す花も草花もあり、再び一年が始まるかのような雰囲気になっている。
さすがに都会の小さな公園なので鳥の声はあまり聞こえない。
周りの騒音も風が強いのであまり聞こえては来ない。



風は冷たいが日差しが暖かく、どっちともつかない微妙さが良いのかもしれないな。

早春賦は幼いころから好きな歌だった。

こんな都会の小さな公園には似合わないけども、春は来ている。

島原の梅

2017-02-04 23:55:30 | 季節の花
ゆっくり目の目覚め。
久しぶりに熟睡の朝だった。
今日は用事があり熊本に帰ることになっているのだが、夕方まで着けばよい。
ネットを開き梅の名所を探してみた。
大宰府は先週行ったがまだまだのようで、他の梅の名所も2月中旬から3月の上旬の予想が出ていた。
調べるうちに島原城の梅が1月下旬から2月中旬と出ていた。
10時過ぎに福岡を出て佐賀平野から干拓堤防を渡り、5時間近くかかって島原に着いた。
あいにく雨がポツリと落ちるような天候でうす暗い天候だった。
クルマをお城の外に停めたのでお城までは少し歩くことになった。



お堀跡の窪みから階段をてくてくと上ると、梅の甘い匂いが漂ってきた。
階段の踊り場のようなところに白梅、紅梅が咲いていた。
まだ満開とはいかないがそこそこに咲いていた。
今日はEOS6Dに24-70mmの標準ズームに70-200mmの望遠ズームそれにフラッシュを持ってきた。
EOS5Dと比べ6Dはやはり軽い。



曇天のためフラッシュは正解だったようだが、光の当て方がむつかしい。
直接当てると梅だけが光り異様な図になってしまう。
フラッシュの角度を変えながらモニターで確認しながらひかりの加減を見る。



島原城の細長いスマートな城に梅はなかなか似合っていた。
義理の兄が近くの国見高校(サッカーで有名になった)に赴任していた頃一度来たことはあった。
しかし記憶はほとんどなかった。
高台に位置しているため島原市内が一望出来きる。



反対側には普賢岳と眉岳がすぐ近くに鎮座していた。
遠く佐賀平野からは大きくそびえたつ険しく見えていたが近くに来てみると案外とやさしい山だった。
天草に1年半ほど暮らしたことがあり、島原半島にはちょくちょく船で渡ったことがある。
口の津という半島の先端のほうでそこから諫早や長崎、佐世保へと出かけていた。
一方、多比良港からは長洲港へ行くことが多かった。
島原は両方の中間点ということであまり来ることは少なかった。



島原の乱というと天草四郎を一番に思い出す。
天草、ロマンの島、隠れキリシタンと連想ゲームが始まる。
梅との関連はイメージ出来なかった。
しかし何らかの言い伝えのようなものはあるのだろう。
時間が気になり島原港に向かった。

東風吹かば

2017-01-29 16:38:47 | 季節の花
腰の痛みも随分と和らいできた。
それと時を同じようにして、柔らかな春を感じさせるような気候になってきた。
腰の痛みは精神的にも落ち込むようで、しばらくは底なし沼に入り込んだような様態が続いていた。
こんな時は部屋に閉じこもっていては苦しくてしょうがない、久しぶりに一眼レフを取り出してバス停に向かった。
薬院駅から西鉄のドンコウに乗り込んだ。
二日市駅で降り、乗り換えの時間を見ると20分以上の待ち合わせがあった。
一旦、駅を出て、通りを歩くことにした。
小雨が降りだしたがジャンパーのフードをかぶり歩く。
五条駅を過ぎ大宰府駅に着くと、駅前には多くの人がいた。
参道も駅からの人の群れと、駐車場からの人の群れがぶつかり合い、混雑していた。
どうもお隣の国の人たちのようで、格好も言葉も普通とは違っていた。
そういえば旧正月だったような気がする。
太鼓橋も団体さんの流れに任せるように進む。
桜門をくぐるとすぐに参拝者の行列が出来ていた。



参拝をあきらめ、裏の梅園に行ってみた。
まだまだつぼみが膨らみ始めたばかりだった。



それでも咲初めの梅がちらほらと見える。
ブラブラと園内をぶらついていると綺麗なオネーさんから声をかけられた。
顔を見るとこれはこれは好みの美しい人だった。
首をかしげてしきりに話しかけてくるのだが、言葉がわからない。
「すみません。韓国語はわかりません」
というと頭を下げて行ってしまった。
私の言葉はわかったようだ。



一生懸命に写真を撮っているオネーさんがいた。
「まだ少し早いようですね」
と声をかけると、こちらは言葉のわかる娘(ひと)で笑い顔が素敵な人だった。
しばらくベンチに座り話し込んでしまった。
時間はたっぷりあったのでしばらく話をして、梅園をブラブラと歩いた。



くもり空で時々細かな春雨が降る中だったが、春の気配を十分に感じ取った気がした。

ヒゴタイ

2016-08-01 22:27:48 | 季節の花
ヒゴタイの花が色づいていた。
瑠璃色というのかヒゴタイの花が初めて我が家に咲いた。



阿蘇の草原にはあちらこちらで見かけるが、まさか平地でこの花が見られるとは思いもしなかった。



ちょうどサルスベリもそろそろ満開を迎えていて青と赤の競演だった。
家の水槽もこれまた賑やかになっていて、グッピーの他に息子夫婦が買い足している。



グッピーの赤ちゃん達も随分と大きくなっていて、そろそろ大きな水槽に移しても良いだろう。



しかしこれだけ多くなると、この水槽ではちょっと小さいのかも知れない。
福岡のマンション生活では得られない安堵感がある。
息子達夫婦も綺麗に生活しているようで、部屋は綺麗に片づいていて気持ちが良い。
そんな熊本を後に福岡に戻った。
やっぱり熊本は良い。

リンドウの花

2015-10-19 18:24:58 | 季節の花
庭にリンドウの花が咲いた。
今年の5月だったか、阿蘇の仙酔峡に行ったとき、山小屋の前でおばあちゃんが売っていた花だ。
ヒゴタイの花と一緒に買ったのを庭の花壇(というか畑というか)に植えたものだ。



阿蘇で生まれた私にとってこのリンドウの花とコスモスの花は思い出が深い。
幼い頃に古い町営住宅に咲いていたっけ。
さてわが家の庭も季節が変り、そろそろ晩秋の頃になった。
今年は割りと芝生の管理もそこそこ出来たような気がする。
病気も無く、定期的に芝刈りも出来き順調に育ったと思う。



今は刈り取った芝生のサッチ取りを行っている。
毎年、年に一回か二回は行うのだが、これがまた大変な作業になる。
青く茂った芝の下にかさかさになったサッチ、レーキーを入れて掻き取るのだが、なかなか取れない。
中には平たくかさかさになった板状のようになったものもあり力を入れてはぎ取らなければならない。
芝生に対するダメージもあるようでそこいらが難しい。
たった数坪の庭だけどゴミ袋に2,3袋分は出る。
芝の掃除みたいなものだけど、中にはそんな事はしないほうが良いという意見もあるが、やはり気持ち的なもので毎年行っている。
時期的にいつが良いのかは分からないが、今のところ梅雨前と今の時期に行っている。



そんな作業をしているとひょこひょこと姿を現すのがヤモリだ。
ここに引っ越してきて27年になるがその当時から住みついている。
だから今ここに住んでいるヤモリで数十代目のヤモリになるのかも知れない。
芝生の中にはコガネムシの幼虫や白く小さな飛び跳ねる虫、蟻やミミズなどもいて退治してくれているのかも知れない。
今年初めて咲いたリンドウの花。
我が家の新しい仲間になってくれればありがたいのだが・・・。

萌の里

2015-10-09 20:46:19 | 季節の花
平日だというのに駐車場は満車状態が続く。
順番待ちでやっと駐車することができた。
南阿蘇方面への通過地に当たるので、ここで休憩する人も多いのではないのだろうか。



ここも畑一面にコスモスが咲いている。



今頃が一番の見頃なのだろう。



明日からの連休はこれまた大勢の人で賑わうのだろう。
コスモスって蜜が取れるのだろうか。


蜂が来て一生懸命に蜜を吸っているようでもあるが、すぐに飛ん行ってしまう。
レンズをマクロに切り替えて接写で狙うがなかなか捕らえきれない。
マクロの世界をウロウロしている間に、妻は居なくなってしまった。
コスモス畑を一週して売店に帰ると
「弁当が売れてしまったじゃない!」
と怒られてしまった。



明日からの連休、こういう場合は先ずは弁当を買って、ベンチでゆっくりとお弁当を食べてから花見の方が良いようだ。
確かに今日も賢い人たちはベンチに座って弁当を頂いている人が多かった。
花より団子、そうらしい・・・。

岩坂コスモスの丘

2015-10-01 11:08:59 | 季節の花
熊本空港の滑走路の延長線に当たるところにコスモス畑がある。
確か去年来た思い出がある。
てっきり西原村のコスモス畑と思っていたが大津町だった。
正式には<岩坂コスモスの丘>と言うらしい。
道路にクルマを止め、最初に顔を見せたのはなんとひまわりだった。
それも広大な畑に何本ものひまわりの花だ。



よく見るとそれぞれに変わった顔をしている。



まるでハロウィンだ。
こんな顔したひまわりが延々と咲いていた。



その先にコスモスたちが秋の風に揺られながら咲いている。





秋の陽気につられふらふらとやって来た。
右手の痛みも少し和らぎ、液晶が割れてしまったEOS6Dが撮影できるのか試し撮りだ。
以外と風が強く、阿蘇方面を見るが噴火の様子も薄い雲で確認できない。
熊本空港の近くとあってヒコーキがやたらと飛んでいる。
気のせいかかすかに硫黄の臭いがするが噴煙なのだろうか?

ひまわりとコスモスの競演には感動した。

彼岸花

2015-09-12 18:09:37 | 季節の花
堤防の道沿いに彼岸花を見つけた。
もうハーフパンツに半袖シャツでは寒くて、長袖のジャージに着替えた。

ここ数日、朝のテレビでは茨城や宮城の大雨のニュースを放映していた。
まるで東北の震災の時のような映像だった。
今回、町内会の集まりで市の防災担当の人が来て講習会があった。
テレビで映される孤立した人たちをヘリコプターで救出される映像を見ながらあの講習会の話を思い出す。
逃げ遅れて災害にあった人の38%以上の人が「まさか自分が災害に遭うとは思わなかった」と答えるという。
<正常化の偏見=事態の深刻さを低く考え、自分を落ち着かせようとする心理的特性>だそうだ。
避難勧告が出ても避難しない理由、私も多分そう行動するだろう。
そして今日は都心での地震のニュースが流れていた。
地震は突然来るが台風や大雨はある程度予想される。
予想されるが行動は別ということだ。
熊本市内も白川という天井川が流れている。
他人事では無い、「まさか自分が災害で死ぬとは思っていなかった」では笑い話にもならない。



さて右手のギブスのおかげで不自由な生活を送っている。
箸も持てなくなったので左手を使って器用に食べている。
さすがに文字は書けないが、食事その他はなんとかなっている。
妻は幼稚園の時まで左利きだったそうだが両親の教育方針で右を使うようになったそうだ。
今私の前で左手で一緒に食事をしているがどうも私の方が上手いようだ。
日常生活の中でも左利きの人に不利なものを発見(発見というか実感だ)した。
たとえばカメラ、どのカメラ(コンデジ、一眼)もシャッターは右についている。
一番大事なシャッターを利き手の反対の手で切らなければならないわけでそれだけでも不利のように感じる。
そしてパソコンもそうだ。
今のノートパソコンはフルキーボートの右にテンキーがついているタイプのヤツがある。
あれは使いづらい気がするがどうなんだろう。
マウスにしてもそうだけど、まあマウスは左に持ち帰ればなんとかなるか。
クルマの運転は特に問題は無い。
しかし乗り降りの時に気をつけないと痛い事になるので注意している。
パーキングブレーキが左なのでこればかりは助かっている。
ギブスで固定するするのが良いのかは良くわからないが、今のところ痛みも腫れも変らないようだ。
変ったのは季節の花と朝夕の冷たさぐらいか・・・。

荒尾の薔薇

2015-05-12 10:20:42 | 季節の花
朝から台風の影響で雨が降っている。
久しぶりに朝からパソコンを開いている。
テレビもうるさく見たいモノはすべて録画して後で見ることにしているし、パソコンも朝から開くことはめったに無い。
変れば変るもので仕事に着いたらすぐにパソコンを開いていた時とは全然違う生活をしている。

さて昨日は新聞を読んでいて荒尾の「おもやい市民花壇」でばらが満開だという記事を見つけ出かけてみた。
荒尾は熊本県北部で福岡県大牟田市と県境の町になる。
私個人としてはあまりかかわりの無いところだが、今や世界遺産に登録推薦されている三井三池炭鉱跡地として栄えた町だ。
とりあえず荒尾駅に行く。
海達公子の汽車の音という詩碑が建っていた。
下関駅にあった金子みすずの詩碑のようで、似た感じを受けた。
駅からクルマですぐのところに「おもやい市民花壇」はあった。



少し分りにくいところだったが平日だというのに駐車場は一杯だった。





ばら園に入るとばらの甘い香り、色とりどりのばらが満開になっていた。
ばら園にいると自然に笑顔になれるから不思議なものだ。
何枚かカメラに収めたが全部は掲載できないので私好みの何枚か編集してみた。



ばら園には次々と介護施設の人たちや幼稚園児たちがやってきてばらの世界を楽しんでいた。



その後、ここ荒尾、大牟田を中心にした炭鉱跡地と一つ万田抗跡地を見に行った。
幼い頃、三池炭鉱と言うとガス爆発や落盤事故などのニュースでしか知らなかったが、日本でも有数な炭鉱地だったと知った。
今日は外から眺めただけだが、あの長崎の軍艦島を思わせる雰囲気だった。