打越通信

日記ふういろいろ

気力の回復

2015-04-30 22:52:45 | 日記ふう
4月も最終日となり明日からいよいよ5月になる。
体調も随分と良くなってきてはいるが、筋力の回復にはもう少し時間がかかるようだ。
軽いジョギングも今はやっていないし、庭に出て草取りや散歩で運動は続けている。
体調よりもやはり気分の回復の方が進んでいる。
気だるさも無くなり気持ち的に前向きになったのが大きいようだ。
そして食欲と睡眠が重要のようだ。



そんな4月、野暮用などで日中は結構忙しく夜になると毎晩のように息子達が遊びに来るようになった。
晩御飯を一緒に食べ、ワイワイと過ぎ時計を見ると10時半だったり11時過ぎだったりしている。
妻と二人の夕食と違い賑やかだし息子たちが逞しくも思えたりする。
庭仕事も梅雨を前にやるべきことはおおむね終えたので再びジョギングでも始めようと思っている。
連休も始まるようだし、博多にいる娘を迎えに行ったり実家の整理などの予定も入っている。
5月も予定が入り結構忙しくなりそうだ。

深呼吸

2015-04-29 23:35:18 | 日記ふう
今日は朝から住民会の総会だった。
会は予定通りに始まったが、次期会長が決まらない状況での進行だった。
前年の広告があり、今年度の活動計画案が示されたが会長不在のままの案件だからどうなるのやら。
その中で団地の案内掲示板の建て直しへの意見が出た。
内容はストーカーなどで案内板を出すのに反対と言う内容だった。
会長不在の総会に、そしてこの軽薄な意見に唖然とも怒りとも知れない感覚だった。
「それは決着して終わったことだ」
と言いたかったが声に出せばけんか腰になるのでやめた。
建て直しに皆で了承を得た案件にいまだに意見を言うバカがいるのだ。
了承は得ているが実行されて無いので、とも思うが一度決めたことを覆す意見には唖然と思った。
意見は言うが実行しない、その前に決められない、こんな住民がここの常識なのだ。
お互い歳をとり少し頭も古くなり年に一回の総会では去年了承したことすら忘れているのだろうか。
いやいや元からそういう会だった。
会への意識の低さ、会の運営もおぼつかない有様にあきれ返った会議だった。

今日は昭和の日、天皇誕生日、みどりの日そして今では昭和の日と名前は変ってきた。
しかし私たちには結婚記念日として名前は変らない。
街中に出るとゴールデンウィークのはしり、人手は多く気温も夏日だった。
先ずは食事ということで妻がテラのオヤジの奥さんから聞いていた店へ向う。
おフランス料理のお店だった。



日替わりランチとハンバーグランチ、どちらも1300円と手頃な値段だった。



前菜、スープ、メイン、デザートのコーヒーという内容で満足気のご様子。
その後、郷土のデパートで妻の母の形見のネックレス、首につけるリングの部分(名前など分らない)を買いに行く。
まあちょっとしたものだがプラチナというのらしい。
値段を見てビックリ。
当然現金は無いのでカード支払になる。
母の形見を大切にする妻に結婚記念のプレゼントだ。
目をつむり深呼吸をして店員さんにカードを渡したのだ。

高齢化

2015-04-26 22:58:43 | 日記ふう
今日は自治会の新年度の総会だった。
眠剤のせいなのか寝起きが悪く、起きてしばらくは何も出来ないでいる。
予定の8時半に公民館に行かなければならないのだが、起きたのは8時半過ぎだった。
グッチから電話が来た。
内容は分っていたので
「すぐ行く!」
と言って出かけた(当然朝飯抜きだ)。
今日は午後1時からの総会に向けての資料作りなのだ。
5班の地区ごとに組長さん単位に資料を作りまとめて行くのだ。
会場の準備など終え11時頃に家に戻り昼飯を食った。
再びグッチが迎えに来て公民館に行った。

打越町は北区の南の端にありすぐ隣は中央区になる。
市内から北へ3キロほどの位置だ。
その打越町(町名は、昔近くは海で、その水が打ち越すという由来を聞いた事がある)は坪井川の西に南北に長い町そして丘があるため坂道が多い町だ。
公民館は小高い丘にあり北に位置する人たちは遠い道、そして坂道を登って来られる。

12時半頃からぼちぼち組長さんたちが来られる。
ちらほらと顔見知りの人たちも見受けられちょっとした立ち話になる。
80歳以上の人たちも結構見受けられ、お隣の○○さんは82才になられここ数年肺に病気を持たれ闘病中の方だ。
「組長は輪番制ですが、パスされても良いんですよ」
と声をかけたが、1年くらいは大丈夫ですと言われる。
会議が始まり正面から席上を見回しても70才以上の方々が多く、若い人たちは少数派のようだった。
3年か4年ぶりの総会だったがそれは昔も変らない。
会議の資料で世帯数が800世帯と書いてあったのでそれも昔のままだ。
その頃からすると打越町の空き地といわれるところに家が建った。
公園もいつの間にか分譲地と化しているので800世帯も古いような気がした。

会議は例年通り無事に終わったが、高齢化、坂道の問題など突きつけられているようで自治会として考えなければならないように思えた。

4世紀

2015-04-25 22:04:39 | 熊本の風景
月曜日の穀雨の日、福岡はとても寒かった。
その影響なのか昨日あたりから鼻水は出るはクシャミは出るは、喉まで痛くなってきてしまった。
最初はPM2.5の影響かと思ったがどうもそうではなく風邪かもしれない。
おまけに今週は忙しくしていておまけに夜になると息子達が遊びに来て、一緒に食事をしてある事柄でワイワイと話で盛り上がった。
時計を見ると夜の10半だったり11時だったりととてもパソコンを開く時間が無かった(だいたいブログは夜の10時だったりしていた)。

今日はパッソの車検で代車を借りて山鹿(熊本県北)に行ってみた。
ツツジで有名な日輪寺だ。
その昔、親父が妻や息子、娘を連れて来たところだ。
その頃の親父と同じくらいの歳になったが、残念なことにまだ孫は居ない。
そんな事を考えながら日輪寺に着いた。
いつもは近くの国道沿いに眺めていたが、ここに来るのは初めてだった。



駐車場にクルマを停め、なんじゃこれは!
すでにツツジは終わりつつありわずかに所どころ咲いているだけだった。
花の命は短くて1週間も過ぎるとこんなものなのだ。
がっかりもしながらツツジ1000本と言われる小高い丘に登った。
途中に巨大な仏像がある、しかしこの寺の仏像はしたからは木が生え茂っていて見る事はできない。



途中で横顔しか拝めなかった。
禅寺のようでいろいろな施設もあり、中には赤穂義士遺髪塔などありだからなんなのだと思うのだがかなり由緒ある寺のようだ。
小高い丘の頂上に到達した。



山鹿市内が眺望できる。



横を見ると不動岩が遠めに見える。
その頂上の広場に古墳があるのだ。



竜王山古墳と書いてあった。
だからこの小高い丘、いやいや小山は竜王山と言うのだろう。
その古墳の案内板を見ていると、県北で最古の古墳という。
そして岩を組み合わせた古墳のようだ。
側面を平石を積み上げ天井もまた平石をかぶせた堅穴式古墳のようだ。
そして驚いたのは4世紀頃の古墳のようだ。
4世紀といえば、今は21世紀なので17世紀前の事だ。
言葉はあったのだろうか?あったとして熊本弁を話していたのだろうか?
などなど考えていると面白い。
言葉が無くそんな巨大な石をどういう道具で山頂まで運んだのだろうか。
古代の先輩たちが「うふぉ!うふぉ!」などと言い岩を砕きながら、そして「うふぉ!うふぉ!」と言いながら担ぎあげたのだろうか?
そんな事を考えていると巨大な仏像もツツジもどうでもよくなってしまったのだ。

穀雨ともつ鍋

2015-04-22 22:33:10 | 日記ふう
穀雨の朝7時半に息子たちが我が家に迎えに来た。
息子が博多に用事があるので一緒に行くことにしたのだ。
途中コンビニでサンドイッチを食いながら息子の運転で大宰府ICを降り息子の最初の用事がある。
博多といっても春日市なので福岡か、用事に1時間ばかり時間が出来たので白水大池公園に行ってみた。
朝、熊本は生暖かい朝だったので7部袖のシャツに念のためにベストを持って出かけたが福岡は肌寒い雨だった。
息子の次の用事に付き合い、長くなりそうなので竹下駅(博多駅の隣駅)まで送ってもらった。
博多駅まで電車で移動、小倉に通う娘と待ち合わせだった。



待ち合わせまで時間があったので駅周辺をブラブラしてみた。
博多通勤していた頃からすると半年以上経つ。
少しくらいは懐かしいとか、そういった感傷的な感覚があるのかと思ったが意外とそんな感覚は無かった。
駅構内も駅から通勤で通った道も、ただの現実だけでただそれだけだった。
娘とひかり広場で待ち合わせ、元気な娘の顔を見ると頼もしくも見えたのだ。
「なに食べに行こうか?」
と娘が言う。
もつ鍋と私が言うと娘も考えが同じで、すぐに娘がケータイで予約を入れている。
娘のアパート近くに2店ある「おおいし」の住吉店は今日は店休日のようで美野島店に予約が取れたようだった。



小雨降る寒い中をてくてくと百年橋通りまで歩く。
寒い日はやっぱり鍋だ。



結局もつ鍋3人前とチャンポン、娘はビール、妻はノンアル、私はウーロン茶だった。
平日だというのに店内は一杯で初めて2階に通された。
その2階も人で埋まっており、寒さからなのか賑わっていた。
味も最高でもつ鍋がこんなに美味かったのかと感心したのだ。

途中で買い物をして娘のアパートに到着。
福岡に一番最初に乗り込んだのは娘だった。
そしてすぐ近くに息子が住んでいた。
そして私も博多通勤となったわけだ。



娘のアパートの14階からの眺めはあいも変らず絶景だった。
部屋に入るなり息子から連絡があり娘の部屋に息子が来た。
ゆっくりと明日は列車で帰る予定だったが、ついでだからと一緒にクルマに乗り込んだ。
懐かしいかなと思っていた博多だったがなんとも無味な思いにがっかりしてしまったのだった。

放鷹

2015-04-18 21:17:45 | 熊本の風景
近くの弁当屋さんで弁当を2個と飲み物を買って立田山に行ってみた。
立田山といっても小高い山(150mくらいかな)になっていて自宅近くの坪井川からはすぐ近くに見える山なのだが、火山だというのだ。
立田山は熊本市の真ん中に位置していて今では公園として整備されている。
自宅からクルマで10分とかからない所なのだが自然溢れる憩いの場所になっている。
前回、満開の桜を見に来たところだ。
トンボ池とサクラ池が山越えの細い道を中腹まで登っていく。
枝道に入りちょっとした場所があったのでそこに駐車し広場の方に向った。



東屋がありその前にベンチがあったのでそこで弁当を広た。
幼い子供を連れた夫婦、恰好からして登山スタイルの年配のグループ、カップル(私たちもそうか)で賑わっていた。
昼食を終え、私はふらりと周りを散歩した。
さすがにサクラは散ってしまっていて葉桜になっていた。
それにしても夏を思わせるような気候だ。



そして新緑が綺麗な季節になって来た。
眩いばかりの新緑についついカメラを向ける。



登山道があちらこちらにあり、何度か入った事もある。
元の場所に戻ってくると妻はベンチの上で昼寝をしていた。
東屋の反対方向に柱を支える石の土台らしきものがある。
案内板を見ると肥後藩主(細川家)の放鷹や泰勝寺参詣帰りの休息所があったところらしい。
ここで鷹狩りをしていたわけだ。



その横に斜面があり可愛らしい花が咲いていた。
写真を撮ろうと座り込んだがそれでもまだ遠く、とうとう寝そべって撮っていた。
斜面が良い具合になり仰向けになり空を見た。
そのまま眠ってしまった。
いままでは、季節を感じないまま過ごしてきたが季節の移り変りをひしひしと感じる。
豊かな気分になる・・・。

昭和園

2015-04-17 22:46:26 | 熊本の風景
暑い日が続き、いきなり寒気が訪れ冬のような気候になる。
夜中には雷まで鳴り出し強風が吹き荒れる。
三寒四温というより春の荒しの到来のようだ。
そんな気候も暖かく落ち着き始めた頃、2度目の診察で病院に向った。
主治医は前回の若い男の先生から中年の女医さんにかわった。
中年肥りなのかストレス肥りなのか判断できなかったが前の医師から比べると話の分りやすい医師だった。
別に通院するほどのことも無く、薬もほとんど処方されない、ただ診断書(保険申請用)が必要ために受けているようなものだ。



ちょっと早いかなと思いながらもツツジの名所、大津町の昭和園に行ってみた。
園内に入ると平日ながらも結構な人がいた。



園内を一週してみるとツツジは今から、八重桜が散り始めていた。
所によっては満開に近いツツジもあるがまだまだ全体的には今からのようだ。
花の時期は短い。
今年のソメイヨシノのようにパッと咲いて終わりというのがある。
ツツジも同じであっという間に咲いて終わりだ。



我が家の枝垂桜も花が咲いた。
街路樹として植えてあるハナミズキも花が咲き始めた。
庭の手入れをしていると隣のハナミズキも花が咲いていた。
我が家のハナミズキ、去年やっと花が咲いたが今年はまだ咲かない。



菜の花、梅から始まりコブシ、モクレン、桜、そしてツツジと季節は移りすぎていく。
我が家の近くに1kmにわたり道の両側にツツジが咲きほころぶ道がある。
山鹿の日輪時などツツジの名所もあるが、ここ昭和園も見ごろを迎えようとしている。

市役所からの展望

2015-04-14 22:31:45 | 熊本の風景
ちょっとした買い物(贈物)で街中に出てみた。
熊本市内では県民百貨店を最後に百貨店といわれるところは1ヶ所になってしまった。
クルマで鶴屋百貨店の立体駐車場に入れようとするとどうも今日は休館日のようだ。
しかたなくいつも使うコインパーキングにクルマを入れ商店街をブラブラと散歩した。
久しぶりだしランチでもしようと妻が言う。
ブラブラとアーケイドを歩きながら妻と何を食うか話し合う。
特にお腹も空いているわけでもないし、とんかつ屋に行ってみたが客が多くてあきらめた。
料理天国という夜は居酒屋だけど昼は定食を出す店があるのでそこに入ってみた。
ここも客で一杯だった。



歩いているとダイエー(旧大洋デパート)も解体がすみ更地になっていた。
洋食は重たいし中華もきつい。
そうだと思い市役所の地下に言ってみた。
大衆食堂のようなものがあり一度は行かないと行けないなと思っていたところだ。
店の前のディスプレイには、まあ普通の料理が並んでいた。



食券を買って調理場に出す方式だ。
私は肉そば、妻は生姜焼き定食にした。
結構広い店内にお客さんもポツリポツリといった感じだ。



味もそこそこだし、この肉そばは390円、生姜焼きはいくらだったか知らないが安いのだ。
食事を終えてエレベータで14階の展望階へといってみた。
ちょうど昼休みも終わりといった時間帯でエレベータは満員だった。
展望所と同じ階の大会議室では新人研修会のようなものがあっていた。



さすが目の前には新緑の中に熊本城が見える。
しまったと思った。
桜満開の時のポイントに良い場所だった。
来年があるさ・・・。

新年度

2015-04-13 23:05:17 | イベント
新年度になり27年度の1回目の役員会が公民館であるので向った。
打越神社にお参りして公民館に入ろうとしたが人気が無い。
時間を間違えたかと思ったがそうではなかった。
事務所で今日の会議の資料を作っていたのだ。
しばらく手伝いをして6時には資料も出来上がったが圧倒的に人数が少ないのだ。
いつも役員会は7時からになっているのに今日は6時からなのだ、皆さん勘違いしているようだった。



グッチの丸坊主頭が見えたので後ろから頭をつかんだ。
振り向いて
「なんね!ケンちゃんは真っ白たい」
とグッチが言う。
そういえばグッチとも久しぶりだった。



ジローちゃん夫婦とドライブで人吉に行ったとき
「ケンちゃん役員会に絶対行ってよ」
と言われていた。
そして自治会長(セイのオヤジ)からも来るようにと言われていた。
しかしここ数年来、親父の事や母のことなどあり4,5年ばかりご無沙汰している、そして突然の入院だったのだ。
会長が言うには名前はそのまま残してあるという。
会計の人が役員手当てを持ってきたが活動していないのでお断りし前回も会長にそういったので会計上の処理は会長に聞いてくれといってお断りした。
会議は今月末に予定されている新年度の組長会(総会)の資料の内容の確認だった。
数箇所訂正が出たが会議は30分程度で終わり、懇親会だった。



弁当を頂いてグッチが公民館の裏山で取ったタケノコをもらってマーのオヤジと一緒に団地に帰った。
体調のこともあり役員を辞退しようと思っていたが、新年度の役員名簿に名前がしっかり載っているし、あと1年ぐらいは貢献しようと思うようになった。

庭木

2015-04-10 22:15:20 | 日記ふう
築25年以上も経てば庭木も大きくなり手入れが大変なのだ。
これまでも松の木2本、山茶花1本、カイヅカイブキ5本、そのほかとげがある木など数本を切ってきた。
家を新築したとき親父が勤めていた高校から苗木を持って来て植えてくれた木々だ。
寿命を迎える木もあれば、虫にやられ枯れていく木もある。
ここ数年、庭の清掃などしていないし裏庭など目が行き届いていない。
ここ数日、昼間は晴れて夜になると雨が降るといった気候が続き、雑草の駆除、芝の手入れなど進んでいるし木々の成長にはもってこいの季節のようだ。
もうそろそろ穀雨の時期だと思う。
裏庭に行って見ると南天の木々が隣の庭にはみ出している。



数本を切って庭まで運び出す。
細かく切ってゴミ出し用の袋に入れなければならない。
電気ノコギリを出しては見たが、剪定ばさみの方が早い。



枝を切って木の本体と枝とを分けた。
枝を袋に詰め本体をどうするか考えた。
ゴウヤを植えて緑のカーテンの建木に使えるかも知れないし、野菜を植えて添え木にも使えるかも知れないので取っておくことにした。



庭には松の木がある。
芯を止めて手入れがし易い高さを決めていたが、ますます大きくなってきている。
この松も剪定しなければならない。
そして芝生も雑草取りが終わった状態なので、エアレーション、サッチ取り、肥料の散布もある。
することは多いが、実家のことを考えると気が重くなる。

北バイパス

2015-04-08 22:26:34 | 熊本の風景
区役所に用があり北部町を通行していると新しい看板が目に入った。
帰り道新しく出来た道を通ってみた。
以前北部町(四方寄町)に住んでいたことがあり、その当時から新しい道が出来ると言われていた。
あれから何年経つのだろうかと考えると家を建て引っ越してから27年になるのでそうとう昔の話だ。
東バイパスから日田バイパスまで延長工事が終わり、あと数キロで国道3号線と接続というところまでは知っていたし工事していることも知っていた。



しかし急に開通するとは知らなかった。
昔住んでいた頃の国道3号線は植木町までの渋滞がひどかったものだ。
アパートから国道に右折するのに大変だったことを思い出す。
そして交通事故も頻繁に起こっていた。
旧国道3号線と新しい国道3号線(清水バイパス)の3差路からわずかな距離なのだが、これで少しは渋滞が緩和されるのか分らないが熊本市を環状する道には違いない。



走ってみると信号も少なく交通量もそんなに多くは無かった。
だけど新しく道が出来ると人(クルマ)の動きも変り、コンビニや飲食店には影響が出るかもしれない。



熊本市内も少しずつではあるが新しい道が出来てきている。
我が打越町付近ももっと道幅を広げて欲しいものだが、広げると交通量が多くなるようで、どっちが良いのか一概には言えないわけだ。
でもねバス通りだからね。

さすがにネット上の地図は何処もまだ更新されてなかった。




春の雨

2015-04-06 22:50:53 | 日記ふう
今日は朝からすぐれない天気だ。
朝7時起床、しかし体調はすっきりした朝だった。
7時15分から”じぇじぇじぇ”が始まり”希”が終わり”とうちゃこ”のゴールデンタイム、その間に朝食を頂く。
ニュースで一心行の桜も今日の雨ですっかり散ってしまったと言っていた。
残念な事をした。
何年か前にその一心行の桜を見に行ったときに買って来た桜だ。
確かクー(愛犬)も一緒だったからもう3年以上も前の話だ。
我が家の庭に植えたのだが土壌がよくないのか肥料が少ないのかあんまりパッとしない。
春は雑草の季節なので午前中は雨を避けながら庭の雑草取りだった。
取っては生えの繰り返しなので根気がいる。
除草剤は芝や木々があるので使えない、手で根気良く取るしかないのだ。
取った雑草を木々の根元に放り投げる。



前までは燃やすゴミとして出していたが、有料のゴミ袋に2,3枚必要となるので見た目は悪いが木々の肥料にするようにした。



クー(愛犬)の死を悼み植えたハナミズキも季節を感じたのかグイグイと葉っぱが伸びてきている。
芝生に寝転び空を見るのが至福の時間のようだ。
昼になり妻と食事と買い物に出かけた。



近所にオープンした喫茶店、前回行った所と同じようなスタイルだった。
コーヒーの値段も同じだし、店構えも似たり寄ったり、しかし内装は木目で統一されていて雰囲気は違う。
メニューを見るとパスタ系は無し、パンが中心の軽食だ。



ヒレカツセットにしたが結構なボリュームだった。
ヒレのはずなのに硬くて店員さんにナイフをお願いした。
サラダも大盛りでこちらは柔らかく美味しく頂いた。
帰りホームセンターに寄ってピーマンと花の苗木を買って帰り花壇の復活作業で一日が過ぎたのだ。

桜ドライブ

2015-04-04 21:50:48 | 桜前線
昨夜の雨ともの凄い風、桜ももう散ってしまったのかと思いカメラを片手にクルマに乗り込む。
ちょっとした用事で一時間ばかり会議に出席した。
新年度の始まりで、周りは緊張感溢れる雰囲気だった。
桜の名所を巡ってみたが熊本城の桜は散々な結果だった。
写真に思いに耽った桜の時期だったが、まともな写真を一枚も撮れなかった。
その場の雰囲気と言うのか感動というのか、それを表現できないのだ。
写真の基本的なところというか、カメラの構造というのか、ようは知識が無いのだ。
それでも気持ちだけはあるのでギャップがもの凄いのだ。
センスが無いと言われれば否定するつもりも無いが、努力はしてみた(つもり)。
今年の桜も終わったようだし、次のテーマを見つけて頑張ろう。



私的にはいろいろあり、現実の厳しさというのか世の中の仕組みというのかいろいろと経験している。
少し身体の調子が良くなく、これについては自分で良く分っている。
今いえるのは白髪の後から黒い毛が出てきている、これには妻も驚いているようだ。
身体的な変化によるだるさのようだし、慣れるまではしょうが無いようだ(良い方向なので心配なく)。



精神的には十分に安定している。
物事を客観的に冷静に見ることが出来ていると思う。
だから今まで見えなかった世の中の仕組みが見え始めているようだ。
もともと淡々と物事を進めるほうなので見てしまっても流してしまう。
まあ、少し落ち着いたらそこいらをまとめて見たいと思う。



結局あちらこちらとドライブしたが、一番元気だったのは家の前の打越公園の桜だった。
なんてこった!

青ガエルの解体

2015-04-03 22:30:39 | 日記ふう
熊本電鉄の踏み切りを過ぎ、パン屋の横をクルマで通っていると北熊本駅方面に青い物体が見えた。
横には重機がありひょっとするとと思い壷井川遊水公園の近くにクルマを停めて見に行った。



解体用の引っ込み線(そういうのがあるのかどうか)のレールの上に台車だけが乗っていた。



横を見ると確かに青ガエルらしき物体だった。
先月引退したカエルの一匹のようだ。
車体は横に置いてあり、台車の部品をトラックに積み込んでいた。
先月の3月8日のお別れセレモニーが最後の運転終了日だったのだ。
引退後の解体作業、記事にまとめて出すのには迷ったが、最後の姿なので記事にした。



反対方向に行き写真を撮っていると駅の係りの人が来て
「すみません、ここ立ち入り禁止なので」



と言うのでクルマを停めたところまで下がった。
「ここからなら大丈夫ですよ」
と言われた。
しばらく解体作業を見ていた。
無残な光景だったがこれも時代の移り変わりなのだ。



クルマに乗ろうとしていたら、もう一匹の青ガエルが上熊本方向から走って来た。
こちらも元気良くとはいかないが現役で頑張っていた。