打越通信

日記ふういろいろ

大晦日

2014-12-31 19:30:51 | 日記ふう
大晦日の今日、やっと一週間が過ぎ外出許可が出た。
前回の回診で主治医と年末年始の外泊は出来ないか相談したがダメだった。
それには納得したが、大晦日と元旦の連続外出に対してもめた。
医院側は1日にまとめられないか?との意見だった。
気のみ気のままの状態で入院したので、今日は書類関係の目通しや必要なモノのチェックをしたいし元旦は年賀状のチェックや家族での初詣などあるので普通の連続外出とは意味が違うと反論した。
結果了承していただいた。
そんなことがあり朝食、朝礼の後、妻と娘が迎えにやってきた。
3週間ぶりの自宅、風呂が沸くまでの時間、書類関係のチェック、病院にもって行く品物のチェックなどしてゆっくりと風呂に入り、今年の汚れをすべて洗い流したのだ。



昼前になり妻と娘の買い物に付き合うため上通りのアーケイドを歩く、歩く速度が遅いため妻と娘に追いつけない。
そして食事処を探すが<ラーメンのこむらさき、山水亭>や蕎麦屋には長蛇の列が出来ていた。
色んな店をアタックするが大晦日という事でほとんどの店が休みだった。
娘が<ここあいてるよ>と言うのでパン屋のような洒落た店に入った。
私はカレーを頼み、妻と娘はパン生地なのか良く分らないが野菜とベーコンをくるりと巻いたもの、クレープ生地の真ん中に生卵を置き横にソーセージというのかウインナーというのか分らないがそんなのが入ったプレートだった。
今日は1ヶ月ぶりの外食というので朝の病院食も三分の一は残して期待したいたのにこんなもんかと少しがっかりしたのだった。



カレー一つにしてもココナッツ味、鶏肉やたまねぎなどの食材はすぐに分る。
確かに美味いがカロリーや成分など分らない(何を食わされているのか)。
外食の怖さを感じたのだった。



妻と娘が買い物をしている間に本屋で時間待ちした。
色んな本があり、あれもこれもといった10冊以上の欲しい本が目に飛び込んできた。



そういえば文芸春秋の1月号、高倉健の最後の手記が載っている本を次号が出ていたのに必死で妻が買って来てくれたことを思い出す。
そんな本屋で1時間ばかり時間をつぶし2冊の本を買った。
病院に帰る時間になり病院への帰り道、もの凄い雷雨だった。
クルマの運転もひさしぶりだし街中の喧騒も久しぶりだったが気持ちの切り替えにはもってこいの大晦日だった。
病院には予定より30分早い帰宅(帰院?)で看護士もホットした表情だった。
今年は病院のベットの上で新年を迎えることになる。

親父の死、その前にはペット(クー)の死、その8ヶ月後の母の死など淡々と乗り越えてきた。
何があってもそれが現実なのだと自分に思い聞かせ淡々とやり過ごしてきた。
今年は父の命日の日に退職の願いを伝えて無事退職が了承された。
そして今回の緊急入院、これまた淡々と現実を受け止めている。
これまでは母の死に対する事を考えるのが多かったのだが、近頃は親父の事を考えるようになった。
父はどんな思いで問題や現実をとらえ考えてきたのだろうという事だ。
我が家の場合、両親もいないし私が家族の柱になっているわけだ。
入院などしている場合では無いけども、ゆっくりとそのあたりの事も考えながら新年を迎えることになりそうだ。

緊急入院

2014-12-30 17:59:06 | 日記ふう
あれからしばらくは良かったんだけど、嘔吐と下痢が再びやってきた。
3,4日間何も食べても嘔吐するし、水を飲んでも嘔吐という日が続いたのだ。
妻からは病院に行こうと何度も言われたが、怖くて拒んでいた。
妻と娘が買い物で家を留守にしていた時、ひょこっと息子が遊びに来た。
私の顔を見るなり
「おとう!顔色悪いし病院に行こう!」
とビックリした様子で言い出した。
息子に私のバックの中から薬を探してもらい、ネットで薬を調べて精神安定剤を見つけて服用した。
ソファーから立ち上がるのもやっとの事で、息子がかかり付けの病院に電話する間にやっと身支度しかかりつけの病院に向った。
先生は私の顔を見るなりすぐに点滴の用意をしベットに寝かしてくれた。
「○○さん!あなたは私と同じ年なのよ。長い付き合いだから頑張ってね!」
この女医さん同じ年だったんだ。
そんなわけで紹介状とともに息子のクルマで国立病院の緊急救命センターにかけつけた。
ベットに寝かされ洋服をはぎ取られ、医師なのか看護士なのか4,5人で点滴の準備や採血、脈拍、血圧など素早い検査が始まる。
スタッフの中からは<脱水症状>がどうのこうのとささやきが聞こえる。
すぐにCTの検査、レントゲンの検査、心電図の検査が行われた。

検査の結果、主治医なるものが来て、即入院となった。
妻と娘も駆けつけて心配そうな顔で寄り添ってくれた。
緊急救命センターの病室は5名程度入院していたが、目の前のオヤジは普段はおとなしいのだが突然と大声で叫びだすし、隣のオヤジは夜中でも<ねえちゃん>などと叫び出すし、とても寝れるどころでは無かった。
若い看護士のオネーサンはとても親切に接してくれた。
看護士になってまだ一年とかいっていたが若いのに隣のくそオヤジ対してもそれなりに対応いた。
最初の一週間のうち半分は何も食えず点滴だけの日々だった。



週の後半になると少しずつ病院食も食えるようになった。
隣のオヤジは相変わらず夜中に騒ぎだす、私には睡眠薬を点滴の管から注入もしていたようだ。
救急救命センターのベットはベットに縛りつけるベルトがあり簡単に取れないようにしてある。
寝返りもうてないしこれがかなり精神的にも肉体的にも苦痛だった、が例の若い看護士が最後の3日間だけは私のベルトを外してくれた。



救急救命センターの病室を出て一般病棟へ移された。
妻とも話し合い保険に2つ加入していたので個室を選んだ。



一般病棟に移り、食事もまともに食えるようになり、まともな状態ではないが車椅子でトイレにも行けるようになった。



一般病棟で再び一週間を過ごした。
親の入院で何度も病院を経験したがまさか自分が入院(生涯初めて)するとは思っていなかったので辛かった。



この病院は救急病院なので2週間経過すると転院しなければならない。
しばらくは療養所のような所で安静にされたがいいですよ、と病院側が言う。
病院から次の病院をいくつか紹介され、妻はその病院をネットで調査し2つ程選んでくれた。



何ヶ月かかるのか分らないが手術などは必要なく、薬と規則正しい生活を送るような熊本市郊外の病院を選び、主治医の紹介状と一緒にそのままその病院の外来を受診し入院となった。
国立の入院の最後の2,3日でなんとか立ち上がり歩けるようになった。
やはり入院すると脚の筋肉が落ちるようで、最初はロボットのような歩き方しか出来なかったが退院の時にはまともに歩けるようになっていた。
新しい病院は家からもそんなに遠くないし施設も新しいようなので決めた。
入院に関して個室を希望したが空いてないので2人部屋に一人ということ、他人に絶対迷惑をかけないという項目のあった書類にはあえてサインはしなかった(あくまでも個室)。
そう、この病院には差額ベットが無いのだ。
病室にはテレビも無く唖然としたがしょうがない、そこでパソコンの持込を要望し、用途目的には<ネット使用と日記の書き込み>と書き要望書を出した。
次の日、看護士が来て要望の内容を確認し、生活に支障が出るようであれば規制するとの条件で許可が出た。
早速パソコンを2台持ってきてもらいワンセグチューナーを息子に買ってくれるように頼んだ。
やはりDVDでのインストールが必要だったので一台のパソコンにインストールして動作を確認し、もう一台(DVDドライブなし)にはDVD付きのパソコンからUSBにコピーしそれからインストールし動作の確認をした。
娘はスマホからポケットWi-Fiルーターのレンタル先を探していた、札幌に1台見つけ、スマホから注文をしてくれた。
まあ、年末の忙しいなかそんなことがあった。

旅の疲れ

2014-12-29 18:26:26 | 日記ふう
あっというまにあと数日で今年も終わりになってしまった。
そういえば12月に入りとんでもない事が次々と起こり、今日になりやっとこさネット環境が出来上がりこうして久々の更新となった。

京都旅行から帰り、ちょっと京都の街を歩きすぎたのがいけなかったのか、太ももに張りが出てその痛さに一週間ばかり苦しんだ。
実は退職祝いとして息子からランニング用の上下のスーツ、娘からランニング用のシューズをプレゼントされたのだ。
といいますか、私のほうから退職したら体作りから始めるので要望したのだった。
それで今回の旅行には新しいシューズを持っていったのだ。
通勤用にはヨネックスのシューズだった。
そしてランニング用にはこれまで幾種類ものシューズを履いたがやっぱりアシックスが良かったので少し高めであったがアシックスを選んだのだ。
まあ一度も試しも無く持っていった(履いて行った)のが悪かったのかこれが原因か分からないが太ももに痛みのある張りが出来たのか良く分からないがそういう事だ。



嵐山、清水の坂、清水から観音堂、そして哲学の道などかなりの距離を歩いた。
靴のせいなのか、歩き方が変だったのか、原因は分からないが痛みがとれるまで10日ばかり苦しんだのだった。
やっと痛みが取れ始めたと思っていたら、今度は例の激しい嘔吐と下痢に襲われたのだった。
旅の疲れなのか、他に原因があるのか、それから再び大変な事態になってしまったのだ。

永観堂

2014-12-02 21:01:03 | 旅行
京都、最終日、朝6時起きだった。
マンションは午後3時には出て行かないといけない。
3連休の最終日ということもありどこも人でいっぱいが予想される。
「この時間なら清水が6時から開門しているとよ」
と言うので出かけた。
清水寺までならマンションから歩いていけると思ったが、七条大橋を渡り京阪電車に乗り込む。
清水五条駅までは一駅、駅を降りて清水の坂を歩く。
清水には何回か来たこともあるが結構きつい坂なのだ。
こんなにきつい坂だったのか、昔の記憶は間違っていた。
まだ朝の8時前なので土産品店は開いていないし人の姿もまばらだった。
拝観料は300円と安いし、さすが清水寺という雰囲気がある。
すっかり紅葉した清水寺、言葉が無かった。
一般的な観光路を歩いて清水寺を後にした。
東大路通りだと思うが永観寺まで歩くのだ。



高台寺、八坂神社が見える、しかし時間の関係で立ち寄ることはできない。
東大路から右に曲がり細い路地を行く。
知恩院が右手に見える、行きたいと言うが聞き入れてもらえなかった。



しばらく歩くと巨大な鳥居、これにはびっくりだ。
街の真ん中に何でこんな巨大鳥居は必要なのだろう。
ここは平安神宮の鳥居だった。
門をくぐり境内を見ただけで参拝はしなかったが神社とお寺は何が違うのか、疑問が出てきた。
さらに右に道を折れ進むと目的地の永観堂に到着した。
境内に入ると、これはこれはすばらしい紅葉たちが出迎えてくれた。







それは言葉を失うような美しさだった。
嵯峨野嵐山駅でのあのオヤジから聞いた通り、ガイドブックであっちこっちと探している妻より正確な情報だった。
あまりの美しさにカメラを向け何十枚を撮るがこのブログにはすべてを掲載できない。
清水から約1時間歩いてきた価値がある。
境内を出て哲学の道なる入り口がありそのそばに喫茶店があったのでそこに入る。
妻はコーヒーととケーキみたいなものを頼んでいるが、私は当然喉がからからでビールだった。
哲学の道も趣がありなかなかな風情だった。
約2kmの道を歩き、京都駅までバスに乗る。
偶然なのか渋滞は無い、しかし運転はかなり荒いのだ。
どこまで乗っても230円、は良いことだと思うがこの運転には参った。
京都駅に着きマンションに向かい帰り支度をする。
実は来るとき新大阪駅で帰りの指定を取ろうと緑の窓口に行ったが3連休の最終日、午後の便はすべて満席だった。



新大阪駅の20番ホーム、人であふれていた。
一便遅らせて何とか席は確保できたが立ち席の人たちが通路まであふれ、トイレに行くにも人をかき分けて行くしかない。
それでも何とか帰ってきたのだ。

比叡山

2014-12-01 23:05:27 | 旅行
京都3日目、胸を打撲してしまい咳をすると激痛が走る。
妻と娘は平等院や宇治の方面へ出かけたが私はマンションのベッドの中でやり過ごした。

4日目起きてサンドイッチなど食いながら<比叡山に行ってみようや>と言う。
妻は大原の三千院に行きたいと言っていたが、交通手段が分からないし、この時期のバス移動は渋滞で当てにならないと言うと納得した。
マンションを出て京都駅と反対側を歩く、鴨川にかかる七条大橋を渡り京阪七条駅、電車に乗り込み出町柳駅に向かう。
この京阪電車、おもしろいことに二階建ての車両がある。
乗り込んだ七条駅から終点の出町柳駅までは鴨川に沿って地下を走る。
駅を出てエイデン(叡山電車)駅だ。



ものすごい人たちで混雑していた。
改札を抜けようとICカードを使おうとすると使えなかった。
妻がエイデンの一日フリーパス(1000円)を買ってきた。
ホームに出ると人で一杯だ。
やっと電車に乗り込み八瀬比叡山口駅を目指す。



駅を出るときれいな紅葉が出迎えてくれた。
しばしその紅葉を眺めながらの休憩だった。



ケーブルカーとロープウェイを乗り継いで比叡山の山頂(?)まで来た。
そこからバスで延暦寺を目指す。



眼下には琵琶湖が見える。
そうもうここは滋賀県なのだ。
山頂の駐車場もそうだが延暦寺の駐車場もクルマであふれかえっている。
受付で拝観料(入場券)1200円を買い中に入る。
国宝殿が入り口のすぐ近くにあるのでまずそこに入る。
国宝や重要文化財が多数展示されていて撮影禁止なので画像は無い。
どの仏像も見事だったけど、薬師如来坐像の一つとされる月光菩薩(がっこうぼさつ)の前で足が止まった。
凛とした立ち姿に目を奪われしばらくその姿に立ちすくんでしまった。
どの仏像もこれが人が彫ったものなのか疑うしか無いのだ。
古いものは9世紀、新しいものでも12世紀というから歴史を感じる。
国宝殿を出て境内をゆっくりと歩く。
紅葉がきれいでしばしベンチで休む。



子供連れの家族や若い恋人同士などが目立つ。
初めての場所だし事前に下調べなどしてないから何が何だか分からない。
根本中堂という国宝のお寺に来た。



ここも撮影禁止なので中の画像は無い。
釈迦堂や西塔など見て周り再びロープウェイとケーブルカーで下山した。
まだ時間があるので妻が貴船神社に行きたいという。
再びエイデンで宝ヶ池まで行き鞍馬行きの電車に乗り換える。
途中、紅葉のトンネルという場所があり、電車も徐行してくれる。
写真を撮ろうとするが薄暗いので画像が流れてせっかくの紅葉たちが流れてしまう。
貴船口駅で降りようとするが人が多すぎて困ったものだ。
最終駅の鞍馬までいった。



駅を出ると巨大な天狗の銅像が出迎える。
そうか、鞍馬天狗か!何も知らずこんなところに来てしまった。
胸の痛さに、妻から痛み止めをもらい茶小屋のようなところで缶ビールを買った。
店には簡単な食事が出来るような場所がありそこでビールを飲む。
店の人が簡単なつまみを出してくれた。
そんな感じで一日が終わった。
でもそこからの帰りの電車はとんでもなく混んでいたのだ。