打越通信

日記ふういろいろ

出雲そば(割子そば)とおどん

2018-04-30 20:50:46 | 旅行
初日のホテルはビジネスホテルで西出雲駅のすぐ近くだった。
今回の旅行の前日の午後からネットで探して予約したホテルであまり期待はしていなかったが綺麗で広い部屋だった。
西出雲駅まで100mも無いような場所で、駅周辺は区画整備されたのか(または何かの跡地開発なのか)きれいに整備され、新築の施設や住宅が立ち並ぶところだった。
ホテルと併設でレストランはあるが、周りには飲食店は無いようなところだ。
西出雲駅まで歩き出雲まで電車で出かけることにした。
駅に出かけ時刻表を見るとなんと一時間に1本だった。
10分ほどで電車は来たが電化されていないのでジーゼル車だった。
たった一駅だったが少し大きな川を渡るころ夕日が沈んでいた。
出雲駅は高架駅になっていて駅周辺にはホテルが点在していた。
駅を降りて最初にそば屋が見つかったがしばし駅周辺を散策してみた。



駅を振り返るとなんと駅名にびっくり、「出雲市駅」となっている。
なぜと思いながら市畑電車の駅も同じ名前がついていた。
普通は市はつかないだろう?博多はちょっと違うけど熊本など「熊本駅」であって「熊本市駅」などとは言わない。
何か理由があるのだろう。
商店街(アーケイド)や駅の反対側にも行ってみたがこれはという食堂は無かった。



夕暮れの人通りの少ないところをウロウロと一時間ばかりさまよって最初に見つけた駅前のそば屋に入った。
親子丼と割子そばのセットにした。
割子そばは三段重になっていて薬味にもみじおろしと海苔と削り節、それを一段目に少し入れ出汁をかけて頂く。
一段目が終わると出しは二段目に移し、出汁を足していただく。
そばは十割そばかと思うほど割と固めんだった。
出汁はやはりアゴ出汁なのだろうか、コクがあり美味かった。
ホテルに戻り翌日のホテルを探した。
このホテルでも良かったのだが、翌日は日曜日でもあったが空きがなかった。
人気のホテル(安いし綺麗だからな)なのだろう。
玉造温泉に観光旅館に安い部屋が見つかったのでそれを予約した。
当然、夕食は無いのでこれまた松江の町をクルマで探した。
しかし国道沿いのは全国チェーンのレストランやファストフード店ばかりだった。



松江駅に向かい、地下の駅駐車場にクルマを入れた。



駅内の食堂に入り「おどん」という珍しいメニューがあったのでそれにした。
松江ではおでんが結構ポピュラーなのかうどんとおでんを一緒にしたものだった。
玉造温泉の旅館(いやいやホテル)は大きな建物で10畳以上はある広い和室だった。
ロビーでは安来節(ドジョウすくい)の演芸ショーなどもあり多くの宿泊客が集まっていた。

翌日は来た道を帰った。
雨が降りそうな天気だったが雨には合わずに済んだ。



浜田市近くで見つけた大きな塔が目印なのですぐにわかった。
正式には「島根県立しまね海洋館 アクアス」と言うらしい。
目玉は、シロイルカの「幸せのバブルリング」だった。
二匹のシロイルカが水中でリングを作るというのだ。



リングの連射に始まり作ったリングをくぐるたり、二匹で同時にリングを作るなど技を見せてくれた。



帰りに再び日本海の絶景を観ようと阿武町の海岸に立ち寄ってみた。
2日前の海とは全然違った白い波がたっていた。
雨が降りそうな天気ではあったが風はほとんどない、やはり低気圧の影響なのだろう。
長い長い島根県を出て中国自動車道から関門海峡へ、ここまで返ってくるとホットするのだから不思議なものだ。
しかし長距離運転はさすがに疲れが残るものだ。
連休の前半はゆっくりと過ごした。

松江

2018-04-27 21:39:55 | 旅行
昼食もそこそこに松江城に向かった。
松江市内に入り天守閣が目に入る。



すぐ近くの駐車場にクルマを止め場内に入る。
ボランティアのご老人からパンフレットを頂き、簡単な説明を受ける。
すぐ近くにはお堀を船で回る遊覧船の乗り場があった。
お城の入り口には槍を持った城主(かな)の銅像が建っていて「国宝松江城」の石碑が建っていた。



石段をあがって新緑の中を進むと天守閣が現れた。
割と小ぶりな城だが黒と白で統一されどことなく熊本城と似ている感じだった。
城の中に入ると大きな木の柱がいくつも建っていて中は意外と広い。
大改修は何度もあったのだろうが築城そのままの状態で建っているようだ。
つくりが2段階(2重)になっているようで1,2階の上に上3階が乗っかっている構造になっていると説明では言っていた。
階段も狭くて急なつくりになっていて階段の場所も一定な場所ではなかった。
ただ築城そのままの雰囲気は所々に残っており、歴史を感じる。
最上階(5階)まで登ると今まで暗い城内だったが一気に明るくなり視野も広がった。


天守からは松江市内が180度見渡せる。
割と近くに宍道湖が見える。
お城を出てボランティアの方から教えて頂いたコースを歩いてみた。



お堀には定期的に観光船がやってくる。
外国人を乗せた観光船がお堀から川のような水路に入りどこかに行ってしまった。
ひょっとすると宍道湖とつながっているのかなと思いながら武家屋敷の建ち並ぶ堀の道を歩く。
大きな松が行き先を遮るように建っているがそれをよけながらお城の周りを半周した。
だんだんと夕暮れになってきているようで宍道湖の夕日を見に行くことにした。
観光案内では県立美術館からの眺めが良いようだ。
大きな橋を渡り右折して駐車場に入ろうとしたがどうもうまくいかなかった。
道路沿いに駐車場があったのでそこにクルマを止め降りようとしたら、なんと寅さん(当然にせものだが)とバッタリ
「よう!寅さん」
と声をかけるとよう!と手を挙げて過ぎて行った。



地下道を通って湖畔に出た。
目の前には小島(嫁が島)が見え夕日が傾きかけていた。
時計を見ると日没までまだ一時間ほどある。
整備された湖畔を県立美術館方向まで歩いてみた。
多くの人たちがカメラを片手に、またはカップルが、はたまた子供連れの家族が夕日を眺めていた。



しかし水平線の上には雲がかかっていた。
明日は曇りから場合によっては雨になるのだろう。
何枚かカメラに収め日没を待たずに今日の宿泊場所の玉造温泉に向かった。

山陰の旅 続き

2018-04-26 19:26:28 | 旅行
翌日はわりと早めにホテルを出た。
地図を見るとそんなに遠くはないのかなと思ったが出雲から松江まではかなりの距離があるようだ。
国道9号線に入りしばらく走っていると左手に突然、宍道湖が現れた。
何の前触れもなく突然現れたので感激してしまった。
かなり大きな湖だった。
その湖畔をしばらく走る。
松江の手前からナビは安芸市を記す。
山道に入り田舎道の細い道を進むのだが、ほんとにこれで目的地に着くのか不安になる。
少しは広い道に出たが周りは田んぼが広がっていた。
なんだか懐かしい風景のように思え道端にクルマを止めて民家の近くまで行ってみた。
懐かしい農家の裏庭に出てみると広場に男たちが集まって何かの作業をしていた。
懐かしい風景を数枚カメラに収め、しばらく走ると「足立美術館」に着いた。
だだっ広い駐車場には、まだ朝早い(午前9時過ぎだった)のに観光バスが数台すでに止まっていた。
会社の先輩が「山陰に行くときは必ず行ったが良いよ」と教えてくれた所だった。
広い田舎の畑の真ん中に近代的な建物が突然現れる、そんな感じだった。



中に入ると庭の素晴らしさはすぐに目に入った。
雑草一つ無い完ぺきな枯山水の日本庭園に案内を聞きながら見とれてしまった。
奥にある山々もこの庭園の一つであるかのように立体感のある風景があった。
目で見る限る電柱や家などの構造物は奥の山を含め一切見当たらない。



日本庭園を後にして美術館に入った。
実は庭がメインと思っていたのだが、横山大観の絵を観て(それも70歳すぎの絵)感動してしまった。
ほかにもいろいろを展示はあったが大観の富士には威厳があり何とも言えない感動を覚えてしまった。
足立美術館を出て(あとはどうでもよくなってしまった)ナビに境港を入れた。
ミーハー的な「水木ロード」なる所に行ってみることにしたのだ。
境港市に入ると奥の山の頂上に丸い物体が見える。
その前には大きな橋が架かっていた。
境水道に面する所に駐車場らしき所があったのでそこにクルマを置き「水木ロード」に行ってみた。



商店街はちょうど工事中だったが、多くの外国人観光客で賑わっていた。
福岡のようにアジア系ではなく白人に人気があるようだ。



皆さんキャラクターの前で写真を撮っていた。
日本のアニメがそんなに人気があるのかとこの現実を見る限りそうなのだろう。



境水道にかかる大橋を渡って「由志園」を目指す。
両側は海という真っ直ぐに伸びた道を進むと小さな島らしき所に着いた。
由志園はすぐに見つかった。



中に入るとここも外国観光客で一杯だった。
5月の牡丹はベストシーズンといわれるだけあって園内には無数の牡丹が咲いていた。



その花の大きさにもびっくりしたが色もさまざまで品種もかなりあるようだ。
もう少しすれば「三万輪の池泉牡丹」といわれる光景が見られるのだがまだ早いようだった。
もうすでに昼は過ぎていて時間に追われていた。
昼食も無しに次を目指した。

山陰の旅 

2018-04-24 20:49:49 | 旅行
振替休日もあり天気を見て月曜日に休みを取った。
予定をあれやこれやと考えていたが急きょ変更になった。
せっかくの3連休をどうしようかと思ったが、金曜日の午後からネットで山陰地方のホテルを探してみた。
いろいろと見つかったがどうせクルマで出かけるので都市型のホテルより少し都会から離れた場所が良いだろうと探していると安いホテルが見つかったのですぐに予約した。
当日は朝7時に自宅を出た。
萩・津和野までは前回行ったので、高速で美祢東ICから萩を目指す道を選んだ。
山陰の海岸線は前回の長門から萩までの道のりで感動的な風景が続いていたので、今回もかなり期待していた。
中国道の美祢東からは自動車専用道路(途中までだった)が整備されていたので萩までは割とスムースに進む。
山口県の山深い割と標高に高いところを進み、眼下には民家が密集した町がいくつも現れては消えていく。
山陰地方で良く見られる茶色(オレンジ色に近いかな)の石州瓦屋根が点在していた。
標高が高いのだろうか北海道などで良く見られるスノーポールが道沿いに建っていて、冬の日本海の豪雪を想像させられる。
萩の街に入り国道191に入る。



海岸線に入ると目を見張らんばかりの日本海が広がっていた。
何度もクルマを止めカメラを持っては写真を撮った。
阿武町の海岸線はまるで波打ち際を沿って道が進み、反対側は高い山がすぐそこまで迫っている。
国道と山陰本線がその細いところを並んで進む。



雲一つない天気で、波も無く、海はコバルトブルーのグラデーションがこれが日本なのかと思わんばかりの綺麗さだった。
セブのオランゴ島でみたあの海と遜色ない風景がある。
しばらくその風景を眺めていたいがそうもいかない、先を進んだ。
しかしその風景はクルマを進めながらも途切れる事はなかった。
いよいよ島根県に入り、益田市、浜田市と進む。
道の駅が結構あり、その一つで遅めの昼食をとった。
浜田市からは山陰道(自動車専用道路)が出来ていて、大きく円を描きながら専用道に入る。
まだ出来たばかりなのかきれいな道で、今度は新緑の緑がきれいだった。
山陰道もまだ工事中でいったんは一般道に戻り再び専用道に入るといった感じで、ナビには出ていない道もあった。
江津で結構大きな川(江の川)を渡り、浅利、石見、大田と進みいよいよ出雲市に入った。
時間的にはまだ余裕があったので目的地の一つだった出雲大社に向かった。
海岸線から右の折れて駐車場はすぐに目に入った。



当然初めて来たので神楽殿のしめ縄の大きさにはただただ驚くばかりだった。



最初はここが本殿だと思ったが奥に進むと本殿と拝殿があり当然参拝をする。
参道は真っ直ぐに伸びていて大きな松が勢溜まで続いていた。



勢溜の鳥居からは門前町というのかな神門通りが遠くまで続いていた。
広大な敷地とかつては全国から参拝客が来ていたのだろうと思わせる(今でもそうか)雰囲気と歴史がひしひしと感じられた。
縁結びの神様として有名なのだが<さきみたま(幸魂)くしみたま(奇魂)まもりたまえ さきはえたまえ>の唱えの言葉が石碑に刻んでありそれが何故か残った。
八雲が出(いずる)といわれる出雲の町に雲一つない晴天の日に来てしまった。
さすがに疲れが出てきたのでホテルに向かった。

熊本に勇気と希望をありがとう

2018-04-15 21:07:49 | ゴルフ
最終ホールのティーショットが池の手前で止まった。
なんとか池に入らずセカンドをグリーンに乗せてファーストパットがカップのふちに止まった。
最後のパットまでひやひやものだった。
前日の首位はネットで知っていた。
そして午後の速報でハーフ終了時点でスコアを落とし1打差まで詰め寄られていた。
午後からのテレビ中継を見て、これまたびっくりだった。
何と永久シードの片山と選手会長で今年から国内ツアーに戻ってきた石川と同じ組だった。
これはプレッシャーで大変だと思ってヒヤヒヤで見ていた。
ゴルフにはまったく興味の無い妻も固唾を飲んでみていた。
「亜斗夢君は花粉症もあるもんね」
マスクかけた彼を見ての言葉だった。
難病は小学校時代からもあったようで花粉症もあるとは知らなかった。



プロゴルフも今はあまり人気がいまいちのようで特に男子プロのテレビ中継は少なくなってきているように思う。
それに比べ女子プロは人気のようで、特に熊本出身の女子プロは賞金王も含めかなりの有名プロを出している。
それに比べ男子プロはほとんど上位に顔を出すプロはいなかった。
去年からゴルフが少し復活した私だが以前から重永亜斗夢の結果はチェックしていた。
近年は上位に名前が出てくるようになり、何時かの試合では悪天候で4日間の試合が縮小されはしたが2位か3位だったこともあった。
そんな中、3日目を終わり首位にたっていたのだからすごい事ではないか。
それに今季ツアーの開幕戦だったし、あの石川遼とのトップ争いだった。



妻も重永亜斗夢君の事は娘が小学校の時同じクラスだったので良く覚えているようで、特にお母さんとも仲が良かったようだったが本人も良く知っているようだ。



優勝が決まった瞬間に両手をあげて喜んでいた。
ちょうど熊本地震から2年目の日に、熊本に勇気と希望をプレゼントしてくれたようだ。
今後も彼の活躍を応援したいと思う。

デコ

2018-04-09 20:18:14 | 公園の犬達
昼の警固公園を歩いているとかわいいポメを見つけた。
近づくと愛嬌をふりまいて寄ってきた。
飼い主はちょっとオタクっぽい若い男性だった。
最初は話しにくそうな人かな、と思ったら以外に明るい性格の人のようで、すぐに話が弾んでしまった。
博多に出てきて一人暮らしをしているようで、仕事も自宅でしていると言っていた。
何の仕事をしているのか、などと突っ込んだらこれは人様の話になるので辞めにした。



「2歳になるメスです」
そういえばまだ幼さも残っているし、落ち着きもない。
写真を撮りたいと申し出ると二つ返事で許可が出た。
腰をおろしリックから一眼を取り出した。
ファインダーを覗き、動作(表情)を追いかけるのだなかなかジッとしていない。
ポメの割には少し小柄で一回り小さい。
まだ幼いからかもしれないし、そういう犬種なのかもしれない。
「最初は全然犬には興味なかったんですが、飼いだしてから愛着が出てきました」
と言う。
一人暮らしには良い相手なのだろう、おまけに一日中家で仕事をしているのだから四六時中一緒というわけだ。
「今では良い相棒ですよ」
などと言っていた。
ポメは泣き声がうるさい(経験から)と言ってはみたが、そうではないようだ。



たしかに相手をしているときも泣き声一つ聞かなかった。
我がクーとはオスメスの違いはあるが随分と違うものだ。
犬にも性格があるのだろう。
福岡に来ても公園などで良く犬を見かける。
どの飼い犬もおしゃれで飼い主のアクセサリーのようなものだ。
でもこの二人(?)はそんな感じではなかった。
しかし良く考えると、我がマンションはペット禁止になっている。
エレベータの中には禁止事項が貼ってあり、たとえ一時的(預かり)であっても見つかり次第、即退去とある。
かなり厳しくなっている。
たしかに物件を見て回った時にはペット許可の物件もあった。
壁紙や床が特殊になっているのだろう、少し特殊な感じがしたものだ。
そして普通の物件より高かったような気がする。
この青年とデコちゃんはどんなマンション(いやいや一軒家かもしれない)に住んでいるのだろう。
また会う事があったら今度こそ聞いてみよう。

福岡のサクラ風情

2018-04-03 22:06:05 | 桜前線
桜の時期に原鶴温泉に行った。
つぶれた旅館などもありゴースト化した温泉街だった。
入った旅館(ホテル)も天皇陛下が宿泊された格のある旅館だったが、温泉は一昔前の作りでタイルなども昔風の作りだった。
ジャングル温泉のうたい文句だったがカルキの臭いが強く、本当にかけ流しなのかと少々がっかりした。
筑後川沿いの公園は桜が満開で近所の人たちが花見を楽しんでいた。



川の中では豪雨の影響かはわからないがショベルカーとダンプがひっきりなしに土砂を運んでいた。
一方、舞鶴公園の広場(昔の平和台野球場跡地)には様々な出店(食ブース)が出来、多くの人で賑わっていた。
花見というより春の大行楽大会のような雰囲気だった。
これはこれはと遠慮がちに大濠公園を抜け西公園に行ってみた。
さすがに重いカメラを担いではへたってしまい、鳥居の先までは行く気力がなかった。



家人にあとは任せ、鳥居の横の石垣に座り通り行く人たちの観察だった。
こんなところにも外国人が多い。
和服を来たお隣の国のおじょうさんたちが自撮カメラで写真を撮っていた。
街中は今や中国人観光客より韓国人観光客が多い。
外国人にとって日本の桜や花見という文化はどのように映っているのだろう。
まあ桜も日本観光の目玉の一つになっているのだろう。
櫛田神社にも行った。
ここにはハワイの日系人たちがお参りに来ていた。





キャナルの那珂川沿いにはチュリーップが咲き、桜の周りには外国人たちが珍しそうに写真を撮っていた。
熊本とは一味違う福岡の桜の季節だ。
2年目の福岡の生活もそんな外国人たちと変わらない感じの桜の季節だった。

4月のさくら

2018-04-01 20:43:47 | 桜前線
この一週間もいろいろな事がありながらついついと過ぎてしまった。
気がつけば暦は変わって4月に入っている。
桜もその間に満開になり散り始めていた。
3月29日は母の命日だった。
あれから5年が過ぎ、というかもう5年も経つのかと不思議な感覚になる。
今年の桜は例年より早いとニュースで聞く。
しかし母が亡くなった年のその日はすでに桜は散っていた、いやいや、母の葬儀の日には散っていたことを覚えている。
あわただしかった日々だったが、葬儀後に初七日まで済ませたので間違いないようだ。
そしてもう一つ、母の3回目の命日の日に博多の街にやってきた事だ。
そんなことを考えながらこの一週間は過ぎて行った。
土曜出社もしなくて良くなり、久しぶりに土日の連休だった。
狭いマンションにいるのはとてつもなく息苦しく、休みのたびにどこそこに出かけている。
日曜日の今日はさすがに遠出はしたくなかったので近場の動植物園に出かけた。
午前10時にはすでに駐車場はどこも満杯で、クルマで出かけたことを悔いた。
どこに行こうかと思ったが、迷わず行ってみたいところが出てきた。
ふたたび自宅近くまで引き換えし、空港通りを突っ切って駕与丁に向かった。
ここもすでに公園の駐車場はすでに満杯だったが隣にある役所の駐車場が空いていたのでそこに駐車することが出来た。



大きな池の周りには桜並木が並んでいて綺麗だった。
それに引かれてか多くの人たちが花見を楽しんでいた。
実は桜(花見)も今回が初めてではなく、舞鶴公園にも出かけてみたが、こちらもあまりの人ごみに花を楽しむという雰囲気ではなかった。
ただ人が集まる所に輪をかけて人が集まる、福岡に限った事ではないのだろうがそんな光景がいやになり早々にやめにして帰ったのだ。



駕与丁公園も同じで狭い場所にテント(タープかな)を張り、広い公園であってもたかが一坪くらいの場所に超過密の人口密集地を作っていた。



人が集まる所とそうでないところと極端にわかれる、そういう習性をなぜだろうと考えさせられるのだ。
まあそんなことはどうでも良いのだけど、ようはあまり感激というものがなかったという事だ。



ある作家(ヘッセ)が<人の幸福とは、美しいものを美しいと感ずることができる事だ>みたいな事を言っていた。
だから人は夕日を見て感動したり、美しい音楽を聴いて感動することもできる。
桜を見てもあまり感動が無いという事は、今の私は幸福(豊か)ではないのだろうか?
そうかもしれないな・・・。