打越通信

日記ふういろいろ

休日の散歩

2016-10-31 20:15:40 | 日記ふう
休みの日、何もすることが無い。
無いわけではないのだが、まだ今の生活に慣れていないのかもしれない。
とりあえず散歩に出ようと思うがビルとビルの間に挟まれた場所なので、出てもあまり変わり映えしない風景に飽きてしまう。
それでも今までの生活のパターンというか散歩は日課になっている。
街中に出てあちこち歩いてみても同じ風景、同じ雰囲気と匂いが続く。
アパートでゆっくりしようと思うが狭い部屋に閉塞感さえ感じてしまう。
パソコンを開いても、撮り溜めたテレビを見るのも、まして本を開くのもすべてが億劫になってしまう。



仕方なく街中を散歩する。
最初は街の風景も物珍しく感じたが、所詮は人工物なので飽きてしまう。



同じ風景が続く中、散歩をしてもこれまた苦痛となってくる。



2,3時間散歩をしてアパートに戻る。
しかし、それでも落ち着かない。



クルマでどこかドライブでもしようと思うが行き先がない。
ちょっと遠出をすれば長崎や北九州などにも行けるのだが、それはやはりちょっとした時間と計画とお金がいる。
ふらりと気分転換的な場所がないのだ。
今の生活は快適なものではあるけれど、決して豊かな生活とは言えない。
豊かなものを求めすぎているのかも知れない。



そんなことを考えながら街中をブラりと散歩をしている。

福岡の食

2016-10-28 22:06:57 | 食事
朝からパンを食べる。
ベーコンエッグに食パンだったり、近くのパン屋さんから買ってきたパンダ(いやいやパンだ)。
ちょっと前までは、朝飯はご飯とみそ汁、それに納豆か干物と決まっていた。
それが今ではベーコンエッグにパンでないと調子が出ないようになってしまった。
ベーコンもうすぺらなやつではなく、厚切りのやつだ。
水はさすがに水道水は全く飲まない。
ミネラルウォーターを大量に買い置きしている。
といっても、今はほとんど水を飲むことはない。
朝から缶コーヒーを1本とドリップしたコーヒーだけで良い。
会社でも缶コーヒーを1本買ってそれですんでいる。
あとは仕事から帰ってからのノンアル、それだけだ。
近頃、休みになるたび昼食にお出かけするところがある。
福岡に来て昼食は弁当になったので昼を外で摂ることはほとんどなくなった。
前いた会社も近くではあるが、弁当になりそこまで歩いて食いに行くこともなくなった。
駅近くなので食事処は山のようにあるが、ほとんど外には出ない。
仕事を終えて、腕を引かれて夜の街もたまに付き合うが、あまりうまいものは存在しないようだ。
近頃、休みになると出かけるところがある。
歩いてでも行けそうなのだが、そうね30分くらいかかる。
それでクルマで出かけるのだが、まだ博多の道もあまりよくわからない。
渡辺通りを通らなければならないのでちょっと時間がかかる。
しかし駐車場も1時間は無料だし、超えてもそんな高い料金は取られない。
長浜というのだろうか、親富孝通りの先あたりになるのかな、魚市場の中にある「福岡市中央卸売市場鮮魚市場」と長ったらしい名前のところだ。
福岡は確かに魚が新鮮でうまい。



近くのスーパーで買ってきた魚も確かにうまい。
しかしここに来ればさらに新鮮な魚がいただける。
天神や博多駅近くのちょっとした人気店の2割から3割ほど(いや5割かな)安い値段で食べられる。
会館の1階に数店が営業をしていて、海鮮丼が650円で食べられるお店などは長蛇の列ができている。



回転寿司もあるがここも行列に並ぶ必要がある。
ネタもさすが新鮮で全国チェーン店の100円すしとは随分と違う。



全皿100円ではないが、それだけネタは新鮮でちょっとした回らない寿司屋程度のうまさだ。




妻と「ここを食い尽くそう」を合言葉に毎週のように出かけている。
ブリやタイはもちろんのこと、イカやフグといったところも割安な値段でいただける。



しばらくは福岡の食にはまりそうで毎週が楽しみになっている。
うどんやラーメンは今のところ後回しになっている

福岡空港近くにて

2016-10-24 21:17:00 | 写真投稿
買い物に行った帰り、空港通りから脇道に入った。
妻がクルマの真上を降りていく飛行機に感動していた。
脇道に入ると道の脇にクルマが数台停まっていた。
クルマとクルマの間にクルマを停め外に出る。
数分ごとに大きな飛行機、小さなプロペラ機など次々に降りてくる。



遠くに飛行機のライトが見えたと思ったらアッという間に頭のすぐ上を通り過ぎていく。



一眼レフを持っているオヤジの所に行き撮った写真を見せてもらった。
「なかなか難しいですね」
と声をかけると。
「天気がねえ、連写がうまくいかない」
などと言っていたが、見事な写真が一杯出てきた。
どうも連写をかけても曇り空で早いシャッターが切れないという。
でもね、晴れていたら今度は逆行を機にしなくてはならないのか、と思ったが言わなかった。
飛行機が降りてくる真下に行ったが、飛行機の腹の部分だけしか映っていない。
真下からちょっと脇にそれたほうが良いのかも知れない。
妻はケータイを取り出して映していた。
なかなかいい写真を撮るものだ。
そうか、あのオヤジが言っていたように連写なのだ。
コンデジの連写をセットして撮ってみたがあまりに近くてどうしようもなかった。
上を向いての写真はくたびれる。
アッと思った瞬間にコンデジを落としてしまった。
電源を入れてみたが電源は入る。
しかしレンズが引っ込んだまま出てこない。
しまいには「レンズエラー」と液晶に出たまま電源が落ちてしまう。
このコンデジも福岡に来てから買ったのもだ。
前のは志賀島の砂浜で水面すれすれから撮っていて波をかぶってダメになった。
わずか6か月くらいしか使わなかったがしょうがない。
カードを取り出してパソコンで写真を見たが、あまりパッとしない。



gifに焼いてアニメーションにしてみた。
これだったらビデオのほうが良いか!

今度はぜひ一眼レフで挑戦しようと思っている。

秋風

2016-10-23 21:17:00 | 写真投稿
二日の休み、日ごろの疲れからだろうかゆっくりと起床して十分な休養を取った。
昼ごろになり気に入っている所が出来き、妻と二人で昼食を食べに出かける。
その事はまた別の機会にするとして、昼食の後はブラブラと散歩したり、妻の買い物に付き合って天神や博多駅方面に出かけたりしている。
落下でコンデジが再び壊れてしまい、レンズが出なくなってしまった。
中古屋に行き安いコンデジを再び買った。
もうこれで何台になるのだろう。
今まではCANONを意識的に買っていたが、今回はFUJIFULMにしてみた。
画像が少し暗い感じに仕上がるがレタッチで修正している。
秋も深まりさすが半袖では寒くなり、前回買ったジャケットを羽織って街中に出た。



華やかな大通りに近代的なビルが乱立する中、ちょっと裏道に入ると昔風の長屋のような建物がひしめき合ったところがある。
バーや食堂などがひしめき合う昔風の風景が残っている。
大通りを駅に向かって歩いているとホテルの前に小僧のモニュメントがある。



こんなの普通に歩いていると気づきもしないだろう。



小僧の像が垣根が通路で切れるとその小僧の像も二つに分かれて立っていた。
博多の街にはこんな気の利いたモニュメントがあちらこちらにあるようだ。
駅前に来るとクリスマスの飾りつけが始まっていた。



巨大なツリーを組み立て、その周りや駅のエントランスにはイルミネーションの飾りつけをしていた。
そういえばもう10月も下旬に入るのだ。
商業施設ではハロウィン商戦真っ最中で、かぼちゃのお化けや仮想やコスプレ用の商品が並ぶ。
妻の買い物でくたくたになり、駅前の立ち飲み居酒屋に入った。
まだ4時を少し過ぎた時間だったが、店内は若い女の子たちや仕事を終えたオヤジたちで結構にぎわっていた。
のどが渇いたと言って生ビールをおいしそうに飲む妻に付き合って、ノンアルで立ち向かう。



軽いつまみを何品か頼んで妻はウイスキーのロックに突入しやがった。
こちらも負けずに2本目に突入した。
ほろ酔い気分(妻ですよ)で店を出た。
二人で2600円、安いものだ。
隣のヨドバシに行き、妻用のイヤホンとセパレターを買った。
ウォークマンにセパレターとイヤホンを2本差して、ショパンのピアノ協奏曲1番を聞きながら、夕暮れの少し冷たい秋風が吹く中、アパートまで歩いた。

アレルギー

2016-10-22 22:45:12 | 日記ふう
秋が深まり、日が暮れるのも早くなったものだ。
朝はいつのも通勤道を歩いて行く。
子供たちの通学と重なるようで交差点には旗振りのおじさんやお母さんたちが立っていて、明るい朝の挨拶の声が響く。
仕事を終えビルを出るとも外は夜の街に変わっている。
ビルの谷間の薄暗い裏道を自宅に向かうのも何か物寂しさを感じる。
それで割と大きな大通りで自宅に向かう。
昼間と違いそこには夜の街の顔がある。
異様に明るいビルがある。



昼間はほとんど目立たないビルだが、夜になると煌々と輝いているビルがある。
大通りから裏道に入ると、異様とも思われる明るさでそのビルが建っている。
いったい何のためにそんな明るさなのか意味は分からない。



近くのスーパーも夜になるとどことなくオシャレな感じになる。
昼間と違った風景に新鮮さを感じる。
福岡に来て半年が過ぎた。
特に変わったことはないのだが、このごろアレルギーが頻繁に出るようになった。
もともとアレルギー体質で年に数回、蕁麻疹が出るようなことがあった。
しかし昨日もそうだったが、クシャミと鼻水が出てどうしようもない事が月に2回くらい起こるようになった。
さすがに昨日はひどくて、前に座る女性からアレルギーの薬を分けてもらった。
彼女もアレルギーがあるようで分けてもらうのは今回が初めてではない。
これまでは薬で良くなっていたのだが、昼すぎてもクシャミと鼻水は止まらなかった。
彼女が病院に行ったほうが良いというので会社を抜け出して近くの病院に行った。
通勤していたころ体調が良くなく、会社で下痢と嘔吐に苦しんで、早退をして駆け込んだ病院だった。
初診だったが、いきなり生まれて初めて点滴とやらを受けた病院だった。
診察室に入ると、あの若い男の先生だった。
カルテが残っていたようで、あの点滴の後、体調を崩し入院したこと、今は回復しつつあるが転居でかかりつけの病院に行けていないことなどを話した。
採決や検尿を受け、かかりつけの病院がするべき回復しつつある事を理解してくれたようで処方をくれた。
アレルギーの薬も処方してくれた。
熊本に帰省する時に何度かかかりつけには行っていた。
経過は順調だが、肝臓の精密検査(エコーやCT)をそろそろしないといけない時期ではある。
食欲もあり、体重も随分と復活してきている。
体調もすこぶる良くなってきて随分と健康を実感している。
しかしなんでこんなに頻繁にアレルギーが出るのか不安を感じる。
抵抗力が落ちてきているのか、何かに原因があるのか、特定はできていない。



つい最近、SNSで知り合いの人が癌を公表していた。
知人(血、地、知)のうち地に当てはまる人だ。
年は一回りほど上の人だがスポーツマンで気力も充実していた人だ。
タバコも吸わない人が肺癌と戦っている。
健康に気を付けようと言うが、いったい何をどうすればよいのか、わかったようで、実はわかっていないのだ。

ディスク交換

2016-10-18 21:53:13 | パソコン
コンデジはいつも3000円から5000円の中古ばかり買っている。
落としたり水没したり、壊れてはリサイクルショップや中古パソコン屋に飛び込んで購入する。
常に携帯するものだから壊れて当然の意識がある。
今のコンデジもすでに10台目くらいになるのかもしれない。
ケータイやスマホがあるではないか、との意見もあるが、そこだけは何故かこだわりなのだろう。
だから今でも外に出るたびに、コンデジにウォークマンにケータイの3セット、たまに旅行に出るときはそれにノートパソコンとタブレットが加わることになる。
ホント、スマホひとつ持てばすむものを、変なこだわりかも知れない。
パソコンはもう5,6年前になるのか中古で2万円くらいで購入したパソコンだ。
旅行や通勤で常に携帯していた小さなThinkPadのパソコンだ。
IBMがパソコン事業から撤退しLenovoに変わった頃の製品だと思う。
なかなか良いパソコンで持ち運びにも軽くてバッテリーもいまだに1時間くらいは使用に耐えられる。
発売当時はかなり高いパソコンだったようだ。
新幹線通勤していたころ、帰りはこいつを開いて文書を入力していたものだ。
近頃、無線LANが途切れがちになり、もうそろそろXPだし買い替えかなと思っていた。
そんな折に中古パソコン屋で激安のハードディスクを売っていた。
確かに今のでは容量も少ないし、250GBくらいのジャンクがあったので買った。
ダメ元でも良いような値段だったからだ。



さっそくパソコンのねじを回し解体にかかった。
何とか数本のネジをとり中を開けてみた。
なんのことはない、ハードディスクは解体しなくてもすぐに取り出すことができた。



XPのインストールしてあるディスクを取り外し、新しいディスクと交換した。
Windows7をインストールして電源を立ち上げる。
何とかWinndows7が無事に立ち上がった。
立ち上がりながら新しいハードウエア環境を見つけたようで自動でインストールしながらもなんとか立ち上がった。
翌日はさすがにメモリーが1GBではきついと思い中古ショップに向かった。



1GBのメモリーを2枚、2000円ちょっとで購入して差し替えた。
アプリケーションソフトのインストールなどで半日ばかりかかったが、何とか使える状態になった。
無線LANの調子もいまのところ良いようだ。
ネジひとつでXPのハードディスクと交換すれば昔の状態にも戻れる。
データ移行は外付けハードディスクで行うとして、古い古いパソコンが再び新しいWindowsで生き返ったのだ。
もうしばらくはこれで我慢しよう。
どうせネットを見るかこうしてブログを書くためのパソコンなのだから。
ウイルス対策もしていないし、ジャンク品のハードディスクなのでいつ壊れるかもしれない。
その時はハードディスクを差し替えれば一昔に再び戻れるのだ。

私の熊本地震

2016-10-15 20:58:27 | 写真投稿
デジカメの撮影履歴を見ると熊本地震の頃の写真がたくさん残っている。
パソコンに転送して削除してしまえば良いものを、いまだにデジカメのカードの中に入っている。
写真を撮り、デジカメを開くたびにその映像が目に入る。
暗い思い出が頭に蘇り、気持ち的に落ち込んでしまう。
熊本地震から半年が過ぎ、あの頃の写真を改めて見直してみた。
最初の地震の時(確かNHKのニュースウォッチ9の番組中)にケータイの緊急速報が流れた。
その数秒後、ゆっくりとマンションが揺らいだ。
見ていた番組で「熊本地方でかなり強い地震があった模様です」とアナウンスが流れた。
しばらくしてテレビでは熊本市内の様子が出て、それからは地震の内容にニュースは変わった。
息子たちに連絡を入れるが連絡が取れなかった。
しばらくして娘から連絡があり無事が確認できた。
翌日は通常通り出勤して、夕方から熊本に向かうつもりでいた。
しかし息子たちから暗くなるので明朝から来るようにと言われ、そのまま眠りについた。
夜中の1時半頃、強い地震で眠りから飛び起きた。
すぐに息子たちに連絡を入れ、テレビをつけた。
やっと連絡が取れ無事を確認したが眠れなかった。
朝4時半頃だったかアパートを出て熊本に向かった。
博多の街は何もなかったような雰囲気でいつもの姿だった。
都市高速も九州自動車道も交通止めで国道を使って熊本に向かった。
熊本市内に近づくにつれクルマが多く、大渋滞だった。
自宅は外見からは異常がないように見えた。
室内は息子の嫁がきれいに片づけた後だった。
しかし2台あったテレビが倒れて液晶部分が壊れていた。



北熊本駅近くに地割れが走る。


断層は坪井川遊水公園を走りここへ。


さらに続く。



電気は開通していたが、水道とガスが止まっていた。
食料も飲料水もコンビニやスーパーにはほとんど無い状態だったので、その日は調達のためいったん福岡に戻った。
翌日も朝早くから調達した食料品や飲料水、家電(テレビやラジオ、懐中電灯)などを持って熊本に向かった。
余震が続いていた。
座っているとコップの水が常に揺れていた。
震度5程度の強い余震も何回かありそのたびに恐怖が募る。
それから1ヶ月間は休みのたびに帰省し、水や食料品を福岡から届けるのが私たちの役目のようなことになっていた。


地震から一週間後の熊本城。









熊本城や市内にカメラを持って出かけたが、光景を見るたび現実を重い知らされた。
しかし内心は淡々としていた。
「あっけないものだ」そんな感情だった。
現実を見せられても実感としてまだ把握できない状態だったのだろう。
両親を亡くした時のように、現実と向き合っているのだが感情がまだ追いついていない、そんな状況だった。
2ヶ月が過ぎ、3ヶ月が過ぎだんだんと事の大きさが実感としてわいてきた。
家は特に大きな被害はなかったが、グランドピアノが数センチ動いていた。
ピアノが動き、壁や柱をつぶしてしまう事を恐れていたが、そこまではなかった。
家の床下の潜ってみた。



コンクリートの土台の真ん中にあるはずの柱が、横にづれていた。
道路に面したブロックが一部剥げ落ちていた。
我が家の損害はその程度で済んだが多くは何かと被害が出ていた。







熊本城下の街は軒並み被害が出ていて、黄色の紙や赤い紙が張り出されていた。
昔事務所があった古町では断層が走ったところは全壊の家があったり、コンクリートの建物でも亀裂が走り、窓ガラスが粉々に飛び散っていたりしていた。
よく行っていた定食屋も建物自体が傾いて赤紙が張ってあった。
散散な光景だった。



そして救援に向かう全国からの消防車、救急車などの緊急車両の長い列を見たとき、事の大きさを実感したものだった。
あれから半年が過ぎた。
母の命日(3月29日)に福岡に引っ越した。
4月10日に私たちが住んでいた家に息子夫婦が引っ越してきた。
忘れられないその日は、それから数日後の事だった。

平凡な日々

2016-10-12 20:30:07 | 日記ふう
ここ数日、急激に寒くなった。
肌着だけで過ごしていた夜も長袖のパジャマに変わり、布団まで登場してしまった。
会社へは今のところまだ半袖シャツだが、背広の上着を着て出かけている。
10月も上旬が過ぎ衣替えの季節のようだが、そろそろ長袖シャツにネクタイ、冬用の背広に替えるべきなのだろう。
仕事の方はあいも変わらず雑用に振り回されている。
精神的にはかなり余裕も出てきて、新しくシステムを組まないとこの雑用からの脱出は出来ないのではないかと考えるまでになってきた。
しかし集中するたびに雑用が襲ってきて、その都度中断する。
中断からの復活(モチベーション)はかなり難しい。
時間をかけ集中モードに入ると、再び中断なのだから先には進まない。
しまいにはいやになって、ハイ、今日はここまでと時間切れになる。
会社が入るビルを出るとさすがに日の暮れるのも早くなっている。
空には半月が出て少し冷たい風が吹いてくる。
てくてくと薄くらい道をアパートに戻る。
夕食を食ってテレビでもと思ってスイッチを入れる。
クライマックスシリーズなどというわけのわからない試合があっている。
何もする気がせずそのまま眠りに着く。
すると朝が来て再び仕事に出かけ、とこんな日々だ。
これで良いのか、と思うのだがほかに良い考えは無い。
日本には四季がある。
冬になれば何かが変わる。
何かと変化を懐かしく思う季節なのかもしれない。

13回忌と結婚一周年

2016-10-11 20:51:44 | 日記ふう
10月10日といえば晴れの特異日と思っていたがそうでは無いそうで、東京オリンピックの開会式が50数年前に行われた日、という事は皆が知っている(はずだ)。
前日の雨がうそのように晴れわたり、朝8時半前に博多のアパートを出た。
市内でちょっとまごまごと迷ってしまった。
熊本への道とは違う、と勘違いに気づいたときには都市高速の高架をくぐったあとだった。
ぐるぐると今宿、糸島への道へ出て、トイレ休憩のあと妻に運転を代わった。
あとは妻がナビに行き先を入れ運転を代わり、私は助手席でいびきをかいて寝ていた(妻が言う)そうで、気がついた時は伊万里だった。
そこで再び運転を代わり、国見道路から世知原を抜け妻の実家に着いた。
正確には実家に着く前に妻の両親が眠るお墓にお参りした。
義理の父の法事は正午に始まった。
もう13回忌を数える。
早いものだ、もう12年の歳月が流れた。
あの日、私たちは私の実家がある熊本県の南にある実家に帰省していた。
紅葉にはまだ早いかもしれないが、と思いながら五家荘をクルマでまわり、実家に到着したときに訃報が入った。
県南の実家から慌てて妻の実家に急きょ移動した事を思い出す。
無表情だった妻の顔に涙が落ちるのを見た事を鮮明に覚えている。
あれから12年、干支が一回転してしまった。
法事のあと場所を移して会食があった。
久しぶりに会う親族とも近況の挨拶で忙しかった。
皆さんそれぞれで、良い意味で変化があっていた。
帰り道、義理の兄(長兄)の親友の方を伊万里までお送りした。
酒を断っているので、その方のクルマを私が運転し妻があとを追う、そんな感じだ。
佐世保から伊万里までは1時間くらいかな。
立派な家だった。
奥さんはとても面白い方(以前にもお付き合いはある)でちょっとのつもりが1時間以上お付き合いした。
しかし話の内容は、2世帯で建てた家だったが子供たちは出て行ってしまったようで、なんともい切ない内容だった。
終の棲家がこんな結末、やはり同居というのは難しいのだろうかと考えさせられる話だった。

西九州自動車道から都市高速に乗った。
息子達が泊りがけで博多に来ていたので帰りを急いだ。
夜のトバリが降り、福岡タワーやヤフオクドームの葉横を高速は通る。
ここからは福岡が誇る夜景がとても綺麗だった(残念ながら写真は無い)。
息子達とはちょうど時間が合い、アパートを出て近くの居酒屋に繰り出した。
そのあと息子夫婦を中洲まで送り、息子夫婦は同じ敷地の棟が違うマンションの娘の部屋に泊まった。
翌日は息子夫婦の1回目の結婚記念日だった。



ゆっくり目に起きて、長浜にある福岡市鮮魚市場市場会館に向った。
新鮮な魚料理の昼食を4人で頂いた。
新鮮な魚が安い料金(1000円前後)で頂ける。



イカの海鮮丼とイカの天ぷら定食。



鯛の煮付け定食など、メニューも豊富で美味くて安い。
当然、行列に並ばなければならないが・・・。
昼食を終え我が家に戻り、しばし会話に盛り上がり、新婚2年目を迎えた息子夫婦は午後3時過ぎに我が家の熊本に戻って行った。

連休初日

2016-10-08 22:33:11 | 日記ふう
夜寝付けない。
しかし朝は6時前には目が覚める。
少し睡眠不足で3連休の初日は始まった。
明日は予定があり今日と明後日は予定が無い。
3連休の真ん中に行事が挟まるとこんなことになるからたまらない。
朝飯を食ってしばらく考えた。
着替えながら長崎に行こうかと思った。
今、長崎ではくんちが始まった。
列車で行くも良いし、クルマで出かけるのも良い。
ビジネスホテルでも取って一泊でそのまま次の日の行事に出れば良いではないか。
と妻に思い切ってご相談申し上げた。
「雨だよ!今日は・・・」
一言でしぼんでしまった。
まあ判断が早いので、午前中は録画で溜まっている映画など観て過ごした。



昼前からちょっとした用事があり天神まで出かけた。
歩くこと15分、天神界隈のある場所に来たが正確な場所がわからない。
ネットで調べてきたが確かこのあたりだった。
しかたなくケータイを取り出してネット検索(ケータイでも出来るんだ)をかける。
今いるところの裏道にそのビルはあった。



先日から電話で連絡を取っている人を呼んでもらい、妻が対応した。
旅行の日程や乗換えなど妻の疑問にある程度は答えてくれた。
しかしなかなか色よい返事が無いので結論はしないことにした。
ビルを出ると雨がパラパラ振り出した。
天神界隈には多くの人が行きかっていた。
連休でも街中には人が溢れているものだ、そんな事を妻に言うと。
「連休だからよ!」
とこれまた一言で疑問は解決した。



昼飯を食いにいつもの食堂に行く。
人気店なので長い行列が出来ていた。
行列に並ぶ習慣が無いので、違う店に行ってみた。
そこは2名ほど先客がいたが並ぶことにした。
まったく昼飯を食うのにも行列かと思ったが、こうでもしなければ昼食にありつけない。
席に通され食事をする。
となりは夫婦らしき中国の方だった。
まあ、そんな事にも今は驚きも無い。
昼食をしてしばらくブラブラとデパ地下の食品売り場を歩く。
それが長い、かなりの距離にびっしりと食品が並ぶ。
供給量もすごいが購買力も凄いのだろう。
やはりお金が無いとこの街では生活できないのかもしれない。



そんな事を思いながらてくてくとアパートに帰った。


台風一過

2016-10-06 20:38:18 | 日記ふう
毎週のように台風に振り回されているような気がする。
今回の台風(18号)も沖縄本島地方では特別警報が出て、NHKのアナウンサーが声を張り上げていた。
熊本地震の時の経験があるのでこれは大変なことになる、瞬間的にそんな気がした。
進路予想では福岡直撃だったが、思ったより北よりのコースをたどり大した被害はなかった。
台風の前日は何かと現場との連絡が頻繁になり、午後からはほとんど電話対応に追われた。
月末の締め処理だったが、作業はそのたびに中断という有様でほとんど進まなかった。



ちょっと遅めに帰宅して、背広を脱ぎ着替えているとズボンのポケットからするリと何かが落ちた。
ケータイはいつもリックのポケットにしまっているのだが、もう一つケータイが出てきたのだ。
時計を見るとすでに7時は過ぎていた。
会社の社内連絡用に事務所に置いてあるケータイを持ち帰ってしまったのだ。
そういえば会社のケータイがなるたびに、私が自分のポケットから取り出し電話に出るので、女の子たちが笑っていたのを思い出した。
電話連絡が多かったのでトイレに行くとき、休憩時間も持ち歩いていたのだ。
そんな流れでついつい・・・。
台風時はJRや地下鉄が止まった場合のことを考え、早出の当番を変え私が出るようにしている。



持ち帰ったのはしょうがないととして、明日朝の台風で社内連絡はたぶんこの電話にかかるのだろう、そう思うとなかなか寝付けない。
結局、あまり睡眠もとれず、翌朝は7時前には会社に出た。
雨は降っていたが風はそんなに吹かず、あまり濡れもせず出社した。
しれっとケータイを取り出していつもあるべき所に収めなんとか事なきを得た。
それまで一度もならなかったケータイがなった。
昨日の続きの話だった。



台風も大した被害はなかったようで、一夜明け、今日は朝から台風一過の晴れだった。
しかし睡眠不足ですっかり生活のリズムは狂ってしまった。

半年の歳月

2016-10-03 21:41:18 | 日記ふう
ずいぶん長いこと自宅に帰っていない、そんな気がする。
久しぶりに自宅に戻ってきた。
高台から降りる道から市内が見える。
震災から半年近くが経ったが、いまだブルーシートを被った家がちらほら見える。
クルマを降りるなり真夏のような暑さが迎えてくれた。
自宅への階段を登り、庭に出る。
芝生がずいぶんと伸び、庭木も枝が空に向って伸びていた。
自宅に帰ると、狭い博多のマンションとは違い、広さが迎えてくれる。
別に変わった様子もなく、息子夫婦も綺麗に住んでいるようだ。
家に着くなり、庭に出て芝生に生えた草取りが始まる。
熊本を出るとき一本の木(枯れ木)を一本切った。
切った場所に芝生が元気に広がろうとしている。
そこだけが上に葉っぱを伸ばし活き活きとしてる。
息子達も庭仕事はまったく手付かずのようで、裏庭は膝近くまで夏草が伸びていた。



結局、家の周りの草取りと庭木の剪定に丸一日近くかかってしまった。
おまけに日差しが強い残暑厳しい中だった。
市内にもちっと出てみたが、一階部分がつぶれてしまったマンションもまだ手がつけられないようでそのままの姿でいた。
取り壊すにも住民の同意が必要だとかで、なかなかそのあたりが進んでいないのだろう。
しかしそのまま放置するのも、次の強い揺れが何時起きるかわからないので危険が一杯だ。
熊本城もまだまだ復興という段階では無いようで、崩れ落ちた石がそのままの状態だった。
しかし観光客もいるようで、崩れ落ちた石垣を記念に写真を撮っている様子も見えた。
それでもいいのかもしれないと思った。
崩れた石垣を見て、地震のすごさを感じてもらう、そして復興していく熊本城を見てもらうのも一つの方法かも知れない。



自宅近くの土砂崩れがあった場所も、緊急の工事があっているようで、巨大な土嚢が積まれていた。



となりの神社も地震の影響で鳥居は真っ二つに割れ、階段にも亀裂が走り、石の灯篭も崩れたままになっていた。
まだまだ時間が必要なのだろう。



土砂崩れを起こした台地の上には新しく商業施設がオープンしていた。
つい最近にオープンしたようで多くの客で賑わっていた。
いつも行くスーパーはおかげで人影も少なく、弱肉強食を肌で感じた。
親友のジローさんとも話をしたかったが、老人会の秋刀魚焼きや、打越神社のしめ縄作りなどで忙しいと聞いた。
去年まで一生懸命にやってきた事も、今では遠くから眺める状況になってしまった。
博多に来て半年が過ぎた。
長いようでも短い感じはありふれた言葉だが、色々な事がありすぎて、その変化を唖然としているだけのようだ。
まだ、今を語るには歳月がかかる。
復興と同じだ。