打越通信

日記ふういろいろ

筑後川昇開橋

2018-08-29 22:13:48 | 写真投稿
脊振山系の山を越え、広い佐賀平野に出る。
畑とクリークがどこまでも続き、所々に集落が点在している。
今では縦に横に舗装された道が整備されていて、どの道を使ってもどの方向に進んでいるのかだいたいわかる。
ナビもこのあたりでは縦横の道ばかりであまり役には立たないようだ。
有明海は遠浅でどこまでが干拓地でどこまでが自然の海岸だったのかわからないが、大昔の人たちはこの広大な平野に、はたして住んでいたのだろうか。
小高い山も無く、木々が集まった森のようなものも無い平地では、さぞ生活するには不憫だったに違いない。
そんな事を思いながら、佐賀の街中からひたすら海岸線に向かってクルマを走らせた。
ナビを確認すると海岸に一番近い国道らしき道があるので大川方面に向かった。
この先は海なのか川なのか堤防らしき道に出た。
公園があり大きな白い像が見える。
駐車場にクルマを止め堤防に出てみると「筑後川昇開橋」だった。
<ああ、あの橋だったのか>と渡ってみることにした。
日差しが強くおまけに逆光だったので岸辺からは小さく見える。



ちょうど老夫婦が散歩されていたので一緒に細い橋をてくてく歩く。
筑後川も河口近くなので川幅はかなり広い。



川の上流を眺めるとちょうど中州の先端が見える。
筑後川の右側が家具で有名な大川の町、反対側が佐賀県になる。
この川のおかげで上流の日田あたりから上質な木材が運ばれ、大川の町で上質な家具になりふたたびこの川で船に乗り江戸や大坂あたりまで船で運ばれて行ったのだろう。
幼稚な頭でそんな事を考える。



そうこうしていると橋はだんだん大きくなって来た。
いやいや歩いているところ自体が橋なのだから、橋の中心部という事になるのだ。
結構高い塔が2本、複雑な構造で建っていた。
逆光だったので更に不気味な感じで見えたのだ。
昇降部分を渡ると操作部屋のような場所があり、おじさんが一人いて
「ああたはカメラを持っとるようだけん、動かしてみようか?」
と言ってスイッチを入れてくれた。
えっと思うほど静かに橋が上がっていく。
電気で動いているようだが金属が擦れ合う音もほとんどしない。
少しずつではあるが確実に上に上がっていく、その間おじさんが一生懸命に橋の説明をしていた。



しかしこちらはそれどころではないが<昭和10年建設><国鉄佐賀線><昭和62年廃線>などの単語が聴こえる。
この橋は鉄道橋だったのだ。
その昔、福岡の高瀬から佐賀までの佐賀線が使っていた鉄道橋だった。
鳥栖経由で乗り換えるよりこの海岸線を使えば距離的に随分と近くなる。
しかしその佐賀線も何故か国鉄からJRに変わると同時に廃線になり・・・という事だ。
海軍だった祖父の元へ祖母は幼い子供をつれこの佐賀線に乗って佐世保に向かったのだろうか。
そんな感傷的な事を思っていると、そういえば我が子が生まれ、クルマを飛ばして佐世保に向かった頃、国道208号線から夕暮れに見た橋はこの橋だったのか、と私にも思い出があったのを思い出したのだ。

娘と待ち合わせ

2018-08-26 22:00:13 | 日記ふう
久しぶりに一週間近く一人の生活になった。
特に困ったことは無かったが(いやいや洗濯だけは困ったのだが)狭いと思っていた部屋も一人だと広く感じた。
生活のリズム自体は変わらないのだが、やっぱり自分勝手な生活スタイルは良い。
一度だけ起床時間が遅くなってしまい、あわやという事があったが、それ以来目覚ましをセットした。
しかし、それ以後目覚まし時計にお世話になるような事はなかった。
一番自由だなと思ったのは就寝時間だ。
寝付きも良くぐっすりと睡眠がとれる事だった。
まあそんなことはどうでも良く、食事だけはどうしても一人では味気ない。
久しぶりに娘にメールを送った。
<今夜食事でもどう?>
するとすぐに返事が返り天神で待ち合わせることになった。
会社を午後4時半に出て駅近くをブラブラして天神行のバスに乗る。
この時間帯に天神に出るのは久しぶりだった。
福ビルのレンタルショップや近くにある本屋で時間を潰す。
ついつい本屋で時間を忘れ立ち読みに時間を割いてしまった。
時計を確かめメールをチェックする。
少し仕事が立て込んでいるようでまだ時間がかかるようだ。
コーヒーショップに入り道端のテラス席で本でも読みながら時間を潰す。
やっと娘が仕事から解放されたようでパルコ前で待ち合わせた。
博多駅近くと違い人が多い。



金曜日の夕方という事もあるのだろうが駅周辺とは比べものにならない。
天神の食事処はあまり知らないので彼女に任せた。
しかし店の前には長蛇の列が出来ていた。
私が知っている店に行ってみたが早々と閉店していた。
天神の長い通りを歩いて、何度か行ったスリランカカレーの店に入った。
この店に夜に来るのは初めてだったが、中に入ってみるとすでに大勢の客で埋まっていた。
テーブルが一つ空いているようでそこに案内された。
同じマンションの棟違いに住んではいるが、朝は食事に毎日のように来ているようだが夜は時間が会わなかったりでたまにしか来ないので会う事も久しぶりとなる。
何を話すでもなく、辛いスープカレーを汗を拭きながら食う。
それでも一人で食う食事とはちょっと違う満足感らしきものがあるのだ。

嫁のパソコン

2018-08-23 21:11:17 | パソコン
朝7時半の出勤になってから夕方は早めに仕事を終える事が出来るようになった。
まだ日も高いしビルの外に出ると蒸し暑くてしょうがない。
ちょっと前まではそんなときは本屋にでも寄り道をして、手当たり次第に立ち読みなどをしていたものだ。
近頃はパソコンショップやすぐ近くあるヨドバシカメラのパソコンコーナーに立ち寄る事が多い。
息子のパソコン(いやいや息子に取られた)も私が使っているレノボのパソコンと入れ替えて持ってきた。
動作が遅くなったパソコンの原因はわかっていたのだが、どうせ再インストールしなければならないのならいろいろとやってみたくなった。
メモリーの増設をなんとかならないかと中古ショップでメモリーを探す。
しかし、いまどきDDR2のメモリーなど置いてないだろうとなと思いながらも何店か探してみると1GBのメモリーが300円から500円程度で売ってあるではないか。
安いものだ、どうせ我が家のパソコンにも使えると思い数枚まとめて買った。
512MBのメモリーを抜いて1GBのメモリーと交換すると合計2GBメモリーでVistaは快適に動作するようになった(当然再インストール済)。
ハードディスクを交換してWindows7を動かしてみるがこちらはVistaより軽い感じで動作する。
最後にこのWindows7をWindows10にアップグレードしてみた。
なんとか動作はするものの微妙に遅い感じがする。
やはりCPUに無理があるのだろうかとタスクマネージャでパフォーマンスを確認するとCPU負荷は100%を振り切っていた。
Windows7に戻しこれで息子に渡してもいいのだがライセンスの問題もあり、やっぱりVistaのハードディスクに差し替えることにした。
このパソコンではこれが限界のようだ。
まあ、どうせ彼の場合は iTunesさえ動けばそれで良いのだ。
しかし息子の嫁からも「このパソコン遅いです」と言われていたっけ。
何か良い中古品は無いかと探すうちに、東芝のdynabookで、i5で240GBのSSD、メモリー4GBというのが2万円台であった。



Windows7だったがこれはなんとかなると思い即購入したのだ。
超薄型でB5より少し大きいが持ち運ぶのには良いのかもしれない。
早速電源を入れwindows10にアップデートしようとした。
あっと思ったが遅かった、クリーンインストールをしてしまったのだ。
おまけにドライブのフォーマットまでかけてしまっていた。
インストール先がエラーでどうにもならない。
イメジーのバックアップもしていなかったので最悪の状態になった。



ネットで購入しようかと思った(安いので)が店頭で買った(約17000円なり)。
初めてOSなるものを手に取った。



箱を開けるとUSBメモリーが丁寧に入れてあった。
こういうのはどうでも良いのだ、ライセンスキーが必要なのだ。
せっかくだからUSBを差し込んでインストールが始まった。
ライセンスキーを叩きこみ無事にたちあがったのだ。
ネットではライセンスキーがバカみたいな値段(安いのは数百円)で売ってあるのだが、どうも胡散臭くて手を出したくない。
まあそれでも正規な形で少し痛手ではあったが格安のパソコンが手に入った。
あとはVistaのパソコンとこのパソコンをレノボのパソコンと交換しなければならない。

モンヴェール農山

2018-08-21 21:00:31 | 食事
実家の隣の法事の時だったか笑顔で話しかけてくる人がいた。
名刺を頂くと豚の似顔絵があったのを覚えている。
話が進んでいくとどうも山の中で牧場レストランをやっている人のようだ。
更に話を進めると当時仕事でお世話になっていた工場のお偉いさんとも知り合いのようで、先輩後輩に仲だという。
工場のお偉いさんが先輩でこの方が後輩だといわれるが、先輩後輩以上の仲のようだった。
一度お隣さん経由で豚の上肉を頂き、豚すきをしていただいた事があり、お隣さんとは親せき関係の人だったのだろうか、そうすると我が家とも親せき関係になる、しかしホントのところはわからない。
ジュンと実家でどこに昼飯を食いに行くか話をしていて、ふとそんな事を思い出した。
ネットで調べると場所はホント山の中だった。
メニューを見るとそんなには高くはなかったので出かけることにした。
ジュンの大きなクルマ(アクセラ)のナビに場所をセットして出かける。
山の中に入って行くのだがどうも何度か通った道だった。
そう今は廃業してしまった水俣国際カントリー(ゴルフ場)への道だった。
ここで前出の工場のコンペが良くあっていた。
ゴルフ場の入り口は閉鎖されていたがそのすぐ先を脇道に入る。
舗装もしていない砂利道を進むがホントにこんなところにレストランとやらがあるのだろうか。
そんな細い山道を進むと牧場らしき雰囲気になってきた。
岩肌に滝が流れる広場が駐車場のようだ。
駐車しているクルマは数台だった。
木で出来た立派な看板が立ててある。



なかなかやるねといった雰囲気で、レストランはログハウス風の大きな丸太を組み合わせたような木のぬくもりのある建物だった。



店内は明るく、広い窓からは牧場の草原が広がっていた。
いやいや故郷の町にこんな素敵なところがあるのかと初めて知ったのだった。
ジャズが流れ、すでに数組のお客さんが席を埋めていた。
私たちがオーダーを出してからも次々とお客が入ってくる。
他のお客さんたちは、ビールやワインが運ばれていくので料理はつまみという感じだ。



隣には食い放題のバベキューが出来るところもあるようで、そちらの方にもお客が埋まっていた。



ジュンはとんかつにしたようで私はポークステーキにした。
飲めるのであればビールが良いのだろうが、それでも冷たい水がおいしかった。
そうそうあの豚の似顔絵のオジサンもいたのだが、それはそれは忙しそうで話しかける雰囲気ではなかった。
こっそりと支払いをして後にしたのだった。

モンヴェール農山

熊本県水俣市長崎552-7
TEL:0966-68-0028 FAX:0966-68-0118
定休日:毎週月曜日

レストラン・ラルジュ
11:00-21:00(19時以降は要予約)

墓参りへ

2018-08-20 21:54:25 | 日記ふう
お盆が過ぎ、とうとう墓参りもせずに短い夏休みも終わった。
長い連休を取れた人たちは週末の連休まで休みという人たちもいたのかも知れない。
私の周りは前半に休む人たちと後半に休みを取る人たちがいてそれぞれだった。
そういう意味では前半に休みを入れ、週末の土日で墓参りに帰ろうと思っていた。
しかし土曜日のほとんどが検査のため病院行となった。
たかが5分の診察のため延々と待たされ、おまけに検査入院のための説明だった。
診察の結果はほとんど問題ないし体調も問題ないと思うのだけど、病院側は強いのだ。
あまり意味がないと思うのだけど検査入院を受け入れざれなくなった。
結局、朝早くから病院に行って午後過ぎまでかかってしまい、その日はそれで終わってしまった。
結局日帰りで行くしかない。
初めての経験になるのかな、博多新水俣の一番安い切符をネットで探してみた。
ネット切符が安いようだが2枚切符というものもあり料金は同じだった。
ただ2枚切符は駅の切符売り場でしか買えないため、当日にバタバタして買うよりもと思い駅に向かった。
博多阪急で親戚への土産を買ってその日は自宅に戻る。
翌日はできるだけ早めに博多駅に行こうと思ったが、ついつい遅くなり9時4分のさくらにぎりぎりで乗り込んだ。
列車はあまり混んではいない、ゆっくりと座れた。
熊本を乗り過ごすというのも何とも不思議な事だけど列車は約一時間で新水俣駅に着く。
自宅に入ろうとしたが実家のカギを持ってくるのを忘れていたのだ。
しかし前日に連絡を入れていたジュンが出て来てくれたのでなんとかなった。
庭は草が茫々としていた。
2か月前の法事の時にきれいに切り込んだのにもうこんなありさまだ。
近所へのあいさつ回りをしたがどこもお留守のようだった。
納骨堂への山道を登る。
お盆過ぎだったので綺麗に掃除してあった。





墓参りの帰り、水田には緑色の稲穂がそして可憐な花が咲いていました。
それから実家の庭の草刈が始まった。
草(イネ科の雑草)の根がびっしりと張っているので耕運機を取り出して再び掘り起こした。
根が深く、何度も何度も掘り起こしたが時間がなかった。



夕方5時過ぎの新幹線に飛び乗って帰った。
帰りはさすがに多くの乗客で、熊本からはデッキに立つ人たちも出ていた。
クルマで片道3時間ちょっとかかる距離も一時間で行けるし運転もしなくて良いので楽ではあるけどもう少し料金を抑えてくれればありがたいものなんだけどね。

熊本は今日も暑かった

2018-08-15 22:41:45 | 熊本の風景
盆休みの4日間は熊本の自宅で過ごした。
直射日光が降り注ぐ中、庭の草取りや芝刈りで過ごした。
庭木も元気いっぱいで特に松が覆い茂っていて、これだけは手のつけようがなかった。
もっと涼しくなってからでないと長時間の作業は無理のようだ。
それでもハナミズキや終わってしまったアジサイなど切り込んだ。
例年より少し遅めだったが百日紅のピンクの花もきれいに咲いていた。
休憩を入れながら、こちらは持ってきたハードディスクから逆にCDを焼いてオーディオで鳴らしながら楽しんだ。
やっぱり自宅は良いもので1泊2日のトンボ帰りとは違い、ゆっくりと過ごすことが出来た。
ジローさん夫婦も元気だった。
息子のテル君も四国から里帰りしていて、一晩だけ食事にお誘いがあった。
ヒトミちゃんの手料理もなかなかなものだった。
私たち夫婦と嫁がお世話になり楽しい時間を過ごした。
そのあとみんなでカラオケに行ったようだったが、私は日中の疲れが出ておつきあいはできなかった。
熊本市内は震災から3年目という事もあり、復旧作業もかなり進んでいた。
通町筋からの熊本城も覆いかぶされていた帽子も取れて一部天守閣も見ることが出来た。



久しぶりに街中に出た。
息子の嫁が勤めているところに出かけてみようとなった。
熊本市内で一番の繁華街の下通りは多くの人で賑わっていた。
今までもちょっとだけ街中に出ることはあったが下通りを歩くのはホントに久しぶりで通りの店も随分と変わっていた。
それでもこれだけの人で賑わっているのにはビックリしたわけだ。
嫁がいるデパートも地震の影響は感じられないほど復活していた。
嫁が言うにはクラシックサロンいうのが出来ていて、立派なリスニングルームと高価なオーディオで音楽が楽しめる場所があると云うのだ。
まあ、それが目的だったわけでそこで一時間ばかり過ごしたわけだ。

それにしても熊本市内の夏は暑い。
火の国熊本や森の都、はたまた水の都と云われるけれど、まるで温泉の上にできた町のようで蒸し暑い。
風もほとんどなく汗が噴き出てくるような暑さだ。
しかしこれが熊本らしいと言えばそうなのだろう。
故郷の熱い夏、熊本は今日も暑かった。

盆休みは帰省

2018-08-13 16:16:14 | 日記ふう
盆休みはクラシックのコンサートから始まった。
いつもの場所のいつもの3階席、ただ今回は中央の正面席だった。
シューベルトの(未完成)ベートベンの5番(運命)そしてまたもやドボルザークの9番(新世界)、小林研一郎指揮の九州交響楽団だった。
この2か月に2回も(新世界)を生で聞くことができるとは思いもよらなかった。
たまたま久留米美術館に行った折にパンフレットで見かけたのが知るきっかけだった。
翌日から熊本に移動した。
帰省ラッシュも考え、筑紫野から佐賀方面に抜け、有明湾岸道路を走った。
途中休憩などを入れ3時間ばかりかかる。
回り道のおかげで渋滞につかまる事はなかったが遠い。
自宅近くの打越公園では夏祭りの準備をしていた。
福岡に出て3年目、つまり打越を離れたのと同じなわけだ。
夕方近くになり爆竹が鳴り夏祭りが始まったようだ。
行ってみると打越町内会のメンバーがいつものように忙しそうに動き回っていた。
司会はテラのオヤジのようでマイクを持って汗をかいていた。
ジローさんにひとみちゃん、グッチに若手の役員も焼きそばやてんぷらなどのバザーでいそがしそう。



今回はフラダンスのメンバーが踊っていた。
ムワッとした暑さの中、ハワイアンが流れ、爽やかなフラの踊りとざわついた町内の祭りとのギャップだった。



人もかなり入っていて賑わっていた。
まあ打越町内会の最大のイベントなので役員も気合が入っているのだ。
町内の方々、打越台団地の方とも話も出来た。
帰省の折もあまり話す機会が無いのでこういうイベントは外に出た人間としてはホントにありがたい。



ここを育っていった若者たちが久しぶりに帰省してくる、そのまま社会人になり結婚して家族で親元に帰省する、そういう人たちが出会う場所と機会を作る意味での夏祭りと聞いていたが、実際自分がそういう立場になってみてその通りだと思った。
役員たちの苦労には感謝しかないが、これも打越町の伝統として残していってほしいものだ。

印象派を追いかけて

2018-08-06 21:47:02 | 日記ふう
暑い中、早良方面から三瀬峠のループ橋を通り長い長いトンネルを抜け三瀬高原に出た。
脊振山系の峠を越えるには那珂川町から吉野ヶ里を抜ける道とこの三瀬峠を越える道、このほかにも峠越えの道はあるのだろうが後は知らない。
新幹線通勤していた頃はこの下の長い長いトンネルを超えて博多まで通勤していたものだ。
佐賀平野に出ると海べり近くまで進みそれから大川経由で久留米に向かった。
高速道路がまだ開通していない頃、この海べりの道を使って佐世保に帰っていた頃を思い出す。
ただ広いだけでどこからどこまでが大川でどこからが柳川かどこまでが佐賀なのかさっぱりわからない場所なのだ。
あとはナビまかせに筑後川沿いを久留米に向かう。
初めて通る道にだんだんと都会に近づく雰囲気が出てきた。
久留米市内に入るが、この久留米という町は道が複雑で方向感覚がいつも狂ってしまう。
川が入り組んでいるためなのだろうか蛇行する道が多いのだ。
何やら賑やかな通りに出たようで街あげての祭りが始まる雰囲気だった。
道の両側には出店が立ち並び、舞台や音響や照明の取り付け作業が進んでいた。
目的地は久留米市美術館だった。
ナビが案内してくれるのだが駐車場がわからない。
図書館の駐車場に着いたがここで良いのか係員に聞くがどうもそうではないようだった。
やっとの思いで駐車場を探し美術館に着いた。
石橋文化センタと久留米市美術館、図書館が一帯になった場所のようだった。
美術館の門に立つとなかは宮殿のように噴水があり、広々とした空間が広がっていた。
昼過ぎだったので美術館に入る前に食事をしようと係りの人に聞いてみた。



カフェのような場所があるのでそこで食事をと入ってみたが、これがなかなか良い所で緑の中のカフェと言って良いような雰囲気のところだった。
大きな窓からは日本庭園のように整備された庭が見える。



池があり鯉がいて周りには木々が植えられていて、緑がキラキラと輝いているようなところだった。



軽めの食事をして庭を一周してみたが、なかなか手入れも行き届いていていろいろな植物が植えられていた。
さて、今回も「印象派」という言葉につられセザンヌにモネ、ルノアールなど石橋コレクションの展示だった。
日本人画家の絵や印象派後の抽象画の展示もあっていたがやはりメインは上記の巨匠たちだ。
絵を見るといってもそう沢山は見ることが出来ない。
一点でも心に残る絵があればいいのだ。
絵画の事は良くはわからないが、絵から受ける感動はあるものでそれなりに得たものはあったと思う。
東京ではフェルメールの展示会があるようで、行きたいが遠い。
今回のように、旅がてらに行くのも良いのかも知れない。