礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

岩波新書旧赤版「刊行の辞」について

2014-05-11 09:18:28 | 日記

◎岩波新書旧赤版「刊行の辞」について

 今月一日のコラムで、「岩波新書の再出発に際して」(一九四九年三月)という文章を紹介した。そのあとついでに、岩波新書旧赤版に付されていた刊行の辞「岩波新書を刊行するに際して」(一九三八年一〇月)を紹介してもよかったのだが、ペンディングにした。というのは、旧赤版に、「刊行の辞」が載ることになったいきさつを書いた文章を読んだ記憶があるものの、それが、どこに載っていたか思い出せなかったからである。
 たまたま昨日、『激動の中で―岩波新書の25年―』(一九六三、岩波書店、非売品)という冊子を手にして、前に読んだのは、この冊子に収録されている「赤版時代―編集者の思い出―」(吉野源三郎執筆)という文章であったことを思い出した。
 少し、引いてみよう。

 初めのころの旧赤版をおもちの方は、たぶん記憶しておられると思いますが、当時の新書の終りに岩波茂雄の署名入りの刊行の辞がついています。その中で岩波は、「吾人は社会の実情を審か〈ツマビラカ〉にせざるも現下政党は健在なりや、官僚は独善の傾きなきか、財界は奉公の精神に欠くるところなきか、また頼みとする武人に高邁なる卓見と一糸乱れざる統制ありや。思想に生きて社会の先覚たるべき学徒が真理を慕うこと果して鹿の渓水を慕うが如きものありや。吾人は非常時における挙国一致国民総動員の現状に少からぬ不安を抱く者である」と言っています。私たちの新しい双書の提案に対して、「よし、やろう」と決断した岩波の心事が、この慨世の言葉によく窺われます。岩波は自分の書いたものを発表する場合には、ほとんど例外なしに、予め誰かに読んでもらってその意見を聞く習いでしたが、このときばかりは、ひそかに独りで執筆し、親しい友人の助言を乞うただけで、全く編集部の目を通さず印刷に回したのでした。なまじ編集部の意見を徴したら、もう少し筆をやわらげろといわれるにきまっているし、この際これだけのことはなんとしてもいっておきたい、と岩波は考えたのだろうと思います。私たちとしては、威勢のいい宣言などは避けて、内容において必要なことをやろうと考えていましたから、この宣言には少々困りましたが、しかし、あの狂暴な言論弾圧の嵐の中で、その激しい風当りを恐れずにこれだけの発言をしたことは、出版者として並々ならぬ勇気と見識がなくてはできることではありません。そして、岩波茂雄にこの勇気と識見とがなかったら、私たちの構想も単なる青写真で終って、岩波新書というものも生まれずにしまったに違いないのです。この岩波茂雄の刊行の辞は、発刊後すぐ右翼の着目するところとなって、彼らの機関紙には激しい攻撃がしきりに掲載されました。

 次回は、「岩波新書を刊行するに際して」の全文を紹介したい。

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