礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

タイマツの火が手に来たらすぐ捨てよ(二宮尊徳)

2013-10-10 05:16:53 | 日記

◎タイマツの火が手に来たらすぐ捨てよ(二宮尊徳)

 今月七日のコラムで紹介したように、福住正兄〈フクズミ・マサエ〉は、日本語の表現について論じ、「話す言葉と書く言葉説話と文章とを一致させなければ、世界の万国に対して恥ずかしいばかりでなく、文明の進化発展を妨げることにもなる」と述べた。ただしこれは、福住の独自な意見というよりは、他人のそういう意見に共感していたに過ぎない。
 福住は、師の二宮尊徳から聞いた訓話を筆記し、それを『二宮翁夜話』(静岡報徳社、一八八四~一八八七)という形でまとめたが、その文章は、いわゆる漢文調であって、二宮尊徳が話していた言葉を、そのまま文字にしたものではない。福住自身には、話す言葉と書く言葉とを一致させようという発想はなかったし、それをおこなう用意も自信もなかったと思う。
 ただし福住は、「なるべく先生の言葉そのままに記して、それにたがわないようにするのを旨としました」とも述べている。福住は「そのまま」と言うのだが、残されているものは、今日の私たちの目から見れば、古い漢文調の文章でしかない。とは言えそこには、師の「肉声」を何とか再現しようとした、福住なりの苦心と工夫があったと見たい。
 福住の『二宮翁夜話』に対しては、「文章が野鄙なのは残念なことです」という苦言があったという(七日のコラム参照)。これは、そうした福住の苦労が無駄でなかったことを意味する。福住は、「尊徳の野卑な語り」を再現することに、ある程度まで成功していたと捉えるべきなのである。
 本日は、『二宮翁夜話』の一部を、福住正兄が筆記した「原文」で紹介する。そのあとに《  》で示したのは、それに対応する現代語訳(拙訳)である。

【十九】翁曰、松明〈タイマツ〉尽て〈ツキテ〉、手に火の近付〈チカヅク〉時は速〈スミヤカ〉に捨べし〈スツベシ〉、火事あり危き〈アヤウキ〉時は荷物は捨て〈ステテ〉逃出〈ニゲダス〉べし、大風〈オオカゼ〉にて船くつがへらんとせば、上荷〈ウワニ〉〔上のほうにある荷物〕を刎べし〈ハネベシ〉。甚しき時は帆柱〈ホバシラ〉をも伐る〈キル〉べし、此〈コノ〉理を知らざるを至愚〈シグ〉といふ
《尊徳先生は、こうおっしゃいました。「タイマツが燃えつきて、火が手に近くなったら、すぐに捨てる。火事がおきて身が危うい時は、荷物を放って逃げる。大風で船がひっくり返りそうになったら、上荷をハネて、海に放りこむんだ。いよいよとなったら、帆柱も切り倒す。こういう当たり前のことを知らない奴のことを、大バカモノっていうんだ」。》

今日の名言 2013・10・10

◎松明尽て、手に火の近付時は速に捨べし

 二宮尊徳が、弟子の福住正兄に語った言葉。〈タイマツツキテ、テニヒノチカヅクトキハスミヤカニスツベシ〉と読む。筆記は、福住正兄。岩波文庫版『二宮翁夜話』の34ページに出てくる。これを川柳風に言い換えれば、「タイマツの、火が手に来たら、すぐ捨てよ」となるか。上記コラム参照。

コメント (1)
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