礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「小学校中退」の植物学者・牧野富太郎の教養と文体

2012-10-18 04:53:38 | 日記

◎「小学校中退」の植物学者・牧野富太郎の教養と文体

 牧野富太郎(一八六二~一九五六)の学歴は小学校中退であるが、学問の経験がなかったわけではない。寺子屋で学び、漢学の名教館〈メイコウカン〉で学んでいる。長尾長、矢野矢という二人の先生から、英語も学んでいる。いずれも、明治初年に、郷里の高知県高岡郡佐川〈サカワ〉村(今日の佐川町)で受けた教育である。
 というわけで、牧野は、相当の教養の持ち主だった。そのことは、彼の文章を少し読めば、容易に看取できるところである。
 牧野は一九一三年(大正二)に出した『植物学講義』第三巻「植物採集標品製作并整理貯蔵法」(大日本博物学会)の第一章「植物乾腊〈カンセキ〉標品ノ価値」第一節「植物研究法」の中で、次のようなことを述べている。

……科学的とは科学らしくとの事で、学術的とは学術らしくとの事である。茲〈ココ〉で文字上の話をすることは、少しく岐路に入るの感があるけれども、此の的〈マト〉と云ふ字に就きて思付いた事を述べて見る。元来此の的と云ふ字は、白と勺との合体文字で、白は白色の意味、勺は氷や酒などを汲む「ひしやく」の事である。而して〈シカシテ〉的の意味は、明白と云ふ様な意味で、是を射的などの「まと」の事にするのも、遠隔の処より明白に見える事から来て居るので、其の明白と云ふ意味のあるのは、的確と云ふ熟字によりて知る事が出来る。実に是れ「間違ない」と云ふ意味にて、「明かに左様である」と云ふ語である。所がこれが「科学的」とか云ふ場合の如く、「らしき」と云ふ意味に使用されることは、少しく当を得ぬやうではあるが、又是には相当の変遷がある。即ち支那にては、的を「てい」との様に読むので、其の音が底に通じるため、宋の時代に的を底に代用された。底には到達する意味もあり、また是ばかりと云ふ如き意味もあるから、或る言葉の意味に制限を与える時、使用されたのであらうと思はれる。併し〈シカシ〉現代の支那人が我的〈ヲテイ〉・他的〈タテイ〉と言ふのは、「我らしき」、「他らしき」との意味ではなく、「私のもの」、「彼のもの」と云ふ事である。文字とか言葉とか云ふものは、時勢に従つて其の意味や使用法に変遷を生ずるものであるが、此の変遷を歴史上の変遷とでも言はうならば、此の他に地理上の変遷も亦あるべきである。却説〔さて〕、科学的とは、真理を重んじ、自然の法則に準じて、万般の現象を処理する様になすの義にて、之に反したること、例へば趣味を重んずるもの、利生〈リショウ〉を主眼となすもの等は、概括して非科学的と云ふ言葉を以て区別するのである。

 原文はカタカナ文だが、ひらがな文に直した。文中、「氷や酒」とあるのは、「水や酒」の誤植ではないかと思われるが、原文のままにしてある。
 それにしても、たいした教養である。こうした教養の基礎となっていたのは、やはり幼少期に、郷里の名教館で学んだ漢学であろう。
 ここで牧野が述べていることが妥当なのか否かは、私には判断できない。しかし、専門外にもかかわらず、臆せず、漢字について論じているところがすごい。牧野が述べていることは、「受け売り」だけではないことにも注目したい。「のであらうと思はれる」という部分では、あきらかに「自説」を提示している。
 さらに、文章が非常に論理的かつ明晰である。しかも適度にくだけた文体を用いている。こうした文章を書くことができた牧野は、やはり優れた学者であり、相当の教養人であり、かなりの苦労人だったように思う。

今日の名言 2012・10・18

◎佐川山分学者あり

 土佐の佐川〈サカワ〉について、地元で言われた言葉。佐川は昔から儒者を輩出してきたため、こう言われていたという。「山分」は、山がたくさんあるところの意という。読みは〈ヤマワケ〉であろう。牧野富太郎『牧野富太郎自叙伝』(長嶋書房、一九五六)より。

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