礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

コラムと名言その3、明日は休みます。

2012-05-25 06:01:24 | 日記

今日のコラム 2012・5・25

◎首なし事件と古畑種基
 高校生のころ、正木ひろしの『弁護士―私の人生を変えた首なし事件―』(講談社現代新書、一九六四)という本を読み、えらく感動した。
 この「首なし事件」というのは、戦中の一九四四年に茨城県で発生した事件で、取調べ中の被疑者が巡査部長によって撲殺された事件である。警察はこれを、動脈硬化性脳出血による急死として処理しようとしたが、これを聞いて義憤にかられた弁護士の正木ひろし(ひろしはペンネームで、本名では、日の下に大と書く漢字)は、墓地に赴いて遺体から頭部を切断し、東京帝国大学法医学教室に持ち込んだ。同教室の古畑種基教授が、これを「外傷による他殺」と鑑定したため、正木は撲殺した巡査部長、死亡診断書を書いた医師、および司法解剖を担当した警察医の三名を告発した。古畑種基と東京帝大法医学教室が改めて遺体を発掘したところ、首がなかったので(当然だが)、「首なし事件」と呼ばれるようになったという。
 その後、医師二名は不起訴となったが、巡査部長は特別公務員暴行陵虐致死罪を問われた。戦中戦後の混乱の中で、裁判は長期化したが、一九五五年に、巡査部長の有罪(懲役三年)が確定した。
正木ひろし『弁護士』は、この事件の一部始終を、迫力のある文章で再現したものであった。これを読んだ高校生の私は、警察官や憲兵による拷問が猛威を揮っていた戦時下、堂々と権力に対峙した正木弁護士の勇気と行動力に驚き、圧倒された。
 また、法医学者の古畑種基が、出所不明の首の鑑定を拒否せず、中立にして学問的な立場から鑑定をおこない、「正木君、これはなぐり殺されたものだよ」と断定したことも印象に残った。学者というのは、こうあらねばならないと感心し、納得した。なお、その当時、高校生の私でも、古畑種基の名前ぐらいは知っていた。古畑の著書である『法医学の話』(岩波新書、一九五八)は、正木ひろし『弁護士』よりも前に、拾い読みしていたと思う。『血液型の話』(岩波新書、一九六二)は、まだ読んでいなかったが、古畑種基が血液型学の権威であることは十分に承知していた。
 その後、正木の『弁護士』が映画化されたという話を聞き、さっそく映画館に向かった。守谷司郎監督の『首』(東宝、一九六八)、モノクロ作品である。このとき私は、大学生になっていた。
 すでに記憶は薄れかけているが、正木ひろし役として小林桂樹が熱演し、古畑種基役として佐々木孝丸が重厚な演技を見せていたことは覚えている。今、インターネット情報によって、この映画の配役を確認すると、「東京大学雇員」に大久保正信とある。正木とともに現地に赴き、ノコギリを使って首を切断したのは、この雇員であった。
 また、往年の名優・三津田健が「南(東京大学教授)」役で登場している。この「南」というのは、西成甫〈セイホ〉東京帝大教授の劇中名と思われる。
 西成甫は、正木ひろしの知人で、解剖学の権威として知られていた。正木に「首だけ持ってくればいいではないか」と提案し、雇員まで紹介したのは、この西である。後日、正木が「首」を持って再訪した際、「古畑君、ここに正木弁護士が生首を持ってきたが、いまそちらに回すから、ちょっと見てやってくれたまえ」と電話してくれたのも西であった(古畑が出所不明の首の鑑定に応じたのは、西の紹介があったからだろう)。ちなみに、古畑種基は、映画の中では、「福畑(東京大学教授)」となっている。

今日の名言 2012・5・25

◎汚穢屋になりたい
 三島由紀夫の言葉。ただしこれは、自伝的小説『仮面の告白』の中で、主人公が、幼少時に切実に感じたことになっている。汚穢屋はオワイヤと読み、糞尿汲み取り人の意。なお、幼少時の三島は、東京の四谷に住んでいた。当時、四谷にやってきていた汚穢屋とは、世田谷・調布・川崎あたりから、荷車にコエオケと野菜(野菜は、糞尿の代価とされた)を積んでやってきた農民だった推定される。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする