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マチンガのノート

読書、映画の感想など  

「話の聴き方からみた軽度発達障害」 畑中千紘著 その8

2016-02-25 01:02:33 | 日記

マイケル・バリントは、プレエディパルなところでは、治療者はクライアントに対して、

相手を支える地火風水のように、一次対象として存在することが必要としていた。

(「治療論からみた退行」マイケル・バリント)

人類学では、「自己とは記号から記号への中継点である。自己が記号を受け取り、他なる

自己に対して、新たに何かを表すというプロセスの中に、思考、すなわち生なる思考がある。」

(現代思想:3月臨時増刊号、「『森は考える』を考える」奥野克己P219)

とのことだ。

2者関係以前である発達障害のクライアントに対しては、治療者や治療関係者、治療環境は、

一次対象として存在し、クライアントから見出されて、思考が生まれ発展する素材として

在ることが、必須条件ではないのだろうか?

それによって自己に根ざした思考が発達して、主体が生成し、想像力の無さや、

儀式的行為へのこだわりなどからも、抜け出していくのではないだろうか?