マチンガのノート

読書、映画の感想など  

ことばと知に基づいた臨床実践 :河野一紀

2017-10-29 10:04:18 | 日記
著者の指摘するように、近年の傾向として、人を数値化して扱うことが多い。
正常、異常ではなく、標準からどれくらい外れているか、ということで、
人を差別しないかのような印象を与えるが、みなが自分は標準かどうか、
どれくらい標準から外れているかを気にするようになる。
そして数値として人を扱い、操作可能なものとしてみる。
そこには個別の歴史性も固有性も特異性もない。
そのような見方では、人間は単に刺激に反応するモノでしかなくなる。
公共政策や予算配分と相性はいいが、そのように人をモノとして見るということ、
「生産性のない人はガス室へ」という発想は、かなり近くにあるのだろう。

発達障害の時代とラカン派精神分析  上尾 真道 、 牧瀬 英幹 他

2017-10-13 10:57:54 | 日記
第6章 言語に棲まうものと知
     デビリテから発達障害へ   河野一紀

 精神薄弱(デビリテ:塊になったもの)に関して、
様々な疾患などの影響から、母親から身体的レベルで分離しておらず、
そのため他者の意思や欲望への問いが成り立たないことなどもあり、
周囲へ従順だったりすることがあるとのこと。

 このことから発達障害について考えるとどうだろうか?
主体の弱さ、あいまいさのため、他者の意思や欲望への問いかけが成り立ちにくい、
そのため、何かで読んだりして知った事に関して、近くの他者が何か言っていても、
それは聞こえていても注意が向かない、現在行っていることに反映されにくい、
などの融通の利かなさというようになるのではないだろうか?