マチンガのノート

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曽野綾子氏に関する推論 その2

2017-04-30 05:26:19 | 日記
 曽野綾子氏の短編で、足の不自由な高齢な女性が、以前は土方をしていたので力はある、
という会社重役の男性に庭の眺めのいい場所まで抱き上げて運んでもらい景色を眺める、
というものがあった。
 曽野氏は父親がDV親だったとのことだが、自分や母親などに暴力を振るっていた父親を嫌いになれない、
心的距離を取れない、甘えたくても甘えられない、とのアンビバレントな所が、
その後もあるのだろう。
育った時代も鍛えるためには鉄拳制裁が当たり前で、社会を維持する為との事なら
警察、憲兵などの暴力も当然とされていたのだろう。
さらに海外では敵国に勝つための戦争が行われており、その勝利が国家目標であった。
国を挙げての殺し合いを行っていた時代に育ったため、暴力は良くない、
などとは実感を持っては考えられなかったのだろう。
その為、自分たちに暴力を振るう父親が間違っている、悪い、などとは考えられなかったのだろう。
そのため、その後にDVなどがメディアで取り上げられるようになっても、
自分が不当な目に遭ったとは思えないのであろう。
 現代の若年世代が苦労していても、国を挙げての殺し合いと比べれば
なんということはない、苦しいとか辛いとか思うことは無駄である、
とのことで無関心なのであろう。

曽野綾子氏に関する推論

2017-04-28 01:53:15 | 日記
曽野綾子氏は自ら書いているように実家では父親のDVにさらされ、
育った時代も戦中なので暴力に関して肯定的で、空襲や米軍による占領が在り
社会制度などはいつ崩壊するか解らないという中で育ったので、
様々な社会制度に期待する、こうなればいい、こうなるべきだなどは
考えなかったのではないだろうか?
三浦朱門氏との結婚も、自分が生き延びるため、という面が大きかったのではないだろうか?
そのため現在の現役世代が社会制度はこうあればいい、こうあるべき、
というのは現実の世界、歴史を知らない人達が言っているだけのことで、
考えるのもバカバカしく思えるのではないだろうか?
戦後の左翼も、ソ連はいい国、などと言いつつ、労働組合員の権利は主張しても、
山谷などの非正規労働者を支援しなかったので、
社会を何とか変えようという方向に行かなかったのだろう。
御自身が政府や社会制度に期待できなかったので、自らが途上国で政府や行政が機能していない所に
支援活動を続けてきたのではないのではなかろうか?
政府や社会制度に期待できないので、カトリックとしてキリスト教の神に漠然と期待するしか
無かったのではないのだろうか?