マチンガのノート

読書、映画の感想など  

「ドグマ人類学総説―西洋のドグマ的諸問題」 ピエール・ルジャンドル

2013-05-26 22:17:07 | 日記
さっと読んだだけなのだが、
西洋での大きな発明品には、その法制度があり、
12世紀頃から、神学と法学が分かれていったそうだ。

確かに、所有権などが確立しないと、資金を集めて
香辛料を買い付けに行こうと計画しても、
王族、教会などから、横取りされそうなら、
実行することが減りそうだ。

イスラム世界では、宗教、法、生活が分かれていないから、
数学、天文学などで進んでいた時期もあったのだが、
社会が発展しない要因として、働いたのだろうか?

ちなみに、日本に西洋の法体系が
取り入れられるときに、
ヨーロッパの言語では、仏語では、

droit:法規範ー権利
 
loi:掟、一般的な法

が有るのだが、両方とも、「法」という
訳語に当てはめたそうだ。

その様な事が、日本の、「空気を読んで」恣意的に法を
運用する、本音と建て前、権利意識の低さなど
「ブラック企業」の元につながるのではないだろうか?

「夜と霧」 ヴィクトール・フランクル

2013-05-19 01:07:56 | 日記
ヴィクトール・フランクが日本に来た際に、
日本を案内するのを、当時、名古屋市立大学医学部におられた
山中康裕医師が担当されたそうだが、いっしょにいて、やかましくてかなわない、
とてもしぶといと感じられたそうだ。
だからこそ、フランクルは、ナチスの強制収容所を
生き伸びれたのだろうが、山中医師の患者さん達は、
それが出来ないから病んでいて、そのため、、
自分にはフランクルのやり方はできないと思われたそうだ。(「症例:寂しい女」他)
フランクルのその様なパーソナリティは、生まれつきの性質や
成育歴の他に、ある意味で強制収容所で洗脳されて、適応したものでは
ないだろうか?
生き伸びるために、選択の余地がなく身についた性質は
元に戻すのは大変困難なのではないだろうか?

「アウシュヴィッツの〈回教徒〉」 柿本昭人著 その2

2013-05-11 00:57:31 | 日記
西洋、キリスト教などの物の見方として、 「理性の有る者が人間であり、無いものは人間以下である」 という捉え方があるので、強制収容所の<回教徒>の方々のように 誰かが食べ物を落としたら、何も見ずにそれを拾って食べようとする というのは、「理性がない」とのことでで、「人間ではない」 だから「生きる価値がない」との見方になるのではないか。 欧米の霊長類研究者などでも、「猿に意識はあるのか?」 などと言うそうだ。 猿でも犬でも、心があると何となく思う日本人とは 物の捉え方がかなり根本的に違うようだ。 最近、なんでも「カワイイ」と言う人について、 「他に言葉を知らないのか?」と言う人もいるが 猿でも犬でも人間でも「カワイイ」と言うのは 異民族に侵略、支配される事がなかった、恵まれた歴史の 日本だからこそではないのだろうか? また、生理的にカワイイと感じるものを「カワイイ」 と言うのは、言葉の領域での、「新規蒔き直し」 (「治療論から見た退行」マイケル・バリント) が生じているのではないのだろうか? 日本のシベリア抑留者は、全体として死亡率が1割程度だったので 生き残った方々は、「あの時、助けられなくて残念だった」 「自分などが生き残って申し訳ない」など思えるが、 ナチスの強制収容所などのように、死亡率が9割を超えるような 所にいた方々は、その様な事を思えないくらい苦しい状態が 解放後も続いているのではないだろうか?