マチンガのノート

読書、映画の感想など  

オレオレ詐欺と発達障害 「ひとがひとをわかるということー間主観性と相互主体性」鯨岡峻

2015-01-26 00:08:12 | 日記
先進国の中で、発達障害が最も問題になっているのは日本、というのを
何かで聞いたのだが、オレオレ詐欺で、電話で相手にとって大事な人が
「事故に遭った」「車で妊婦を引いて流産させた」などと言って、
相手を騙して金銭を得ようとする犯罪が多くなっている経済社会的状況と、
相手の意図が読めない、うまく伝わらない発達障害の問題は
深いところで関わっていると思う。
データやエビデンスは取れないだろうが、通底している思う。
日本は欧米と比べて農村的で、人に気を遣う、迷惑を掛けないようにする
というのが、なんとなく成立していると言われているが、
その様な一種の相互主観的な部分は
 
 1.間身体的な次元
   相手が転びそうになったら反射的に支える、物を落としそうになったら
   一緒に受けとめる
 2.相互意図的な次元
   相手の意図がなんとなく伝わる
   こちらの意図もなんとなく伝わる
 3.相互情動的な次元
   相手の情動が解る
   こちらの情動も伝わる
 4.相互理解の次元
   相手の話すことが共感的に解る
   こちらの話すことも共感的に解る

という所から成り立っているので、
(「ひとがひとをわかるということー間主観性と相互主体性」鯨岡峻)
相手の情動、意図をコントロールして金銭を得ようという犯罪が多くなるにつれ
なんとなく成立している、人に気を遣う、迷惑を掛けないようにするという所は
どんどん壊れて、疑心暗鬼の社会になって行くのではないだろうか?



トラウマ (岩波新書) 宮地尚子

2015-01-07 00:26:04 | 日記
著者によると、本人が「~がトラウマになっていて」と言えるのは
トラウマではないとの事だ。
本人が言語化出来ないほど、本人に侵襲的、破壊的なまま留まっていて、
凍り付いているものが臨床家から見たトラウマとの事だ。
ハリウッド映画なので、主人公が過去の出来事が原因で何かをできず、
同僚などを死なせてしまい、自責の念に駆られながら、
物語の最後でそれを克服して、事件などを解決するなどの映画がよくあるが、
その様な物語などでは、原因は本人のメンタルな問題に還元されてしまい、
様々な事の、社会的背景、歴史的背景などを無視することで、
観客は社会的に何もせず、主人公を映画の鑑賞中に心の中で
応援するだけで済むことになる。
実際のトラウマ的な出来事、震災、差別、犯罪、紛争、などは、
周囲の人の生活、歴史観、更に社会の在り方にまで関わっている。
それらの社会全体の在り方から切り離して「トラウマ」のみを
扱う事自体が不可能だろう。




明日の空のむこうに   ドロタ・ケンジェジャフスカ監督

2015-01-03 00:57:24 | 日記
ロシアのストリートチルドレンの話。
最初は、古ぼけた駅舎や、馬車などが出てくるため、
1930年代の話だろうかと思う。
ストーリーが進むにつれ、ペットボトルや携帯電話などが出てきて
現代の話だと分かってくる。
駅舎で暮らす6歳から12歳くらいの3人の子供たちは、国境を越えればましな暮らしがあるのではと
とにかく南へ向かい、夜間に国境を越えようとする。
苦労の末、何とか国境は越えるのだが、駆け込んだ先のポーランドの田舎の村の
いかにも冴えない中年太りの警察署長が上部に電話すると、
本人が「亡命」を希望すると言わなければ、
ロシアに引き渡す規則だと言われて、とても哀しそうにする。
3人に、そんな言葉を知っている年齢の子供はいない。
ポーランドの村の子供は、貧しいロシアの子どもということで馬鹿にして囃し立てる。
現代にいたるまでの、ロシアとポーランドの関係が、子供にまで及んでいるのだろう。
囃し立てる子供の妹の、いちばん小さい5歳くらいの少女は、警察署まで
パンをあげるために持ってくる。
署長にしても、国境の向こうには、飢えた子供たちが大勢居る事は知っていても
実際に目の前にいると、出来れば何とか助けたくなるのだろう。
国によって、こんなに子供の暮らしが酷くていいのだろうかと考えさせられる。
最後の3人の無邪気な明るさがいくらかの救いだった。
全体に映像が美しい映画だった。
この映画のレヴューで、子供に煙草を吸わせるシーンがあるのはけしからん、
と書いている方がいるが、それどころの話じゃないだろう、と思った。