マチンガのノート

読書、映画の感想など  

「ザ・コンサルタント」 ベン・アフレック主演 その2

2017-02-16 00:50:22 | 日記
演出に関して

抽象化能力に限りがあるから、数字などの目に見えてかつ、予測可能なものを好む。
仕事を中断されると法則性と予測可能性が不確実になるから動揺すると言う事なのだろう。
殺し屋に対しては「敵を殺す」というより必要なら「処理する」ために、
軍人の父親から教わったとおりに確実に「処理する」ために
とどめを刺す、頭部を撃つ、ということなのだろう。
ある程度、他者への共感性が育っているから、麻薬カルテルに関して
自分と関係したことのある捜査官に電話で伝える、ということなのだろう。
捜査当局の対応能力に限界があるだろうということで、限定された事柄に関する
情報のみを伝える、とのことなのだろう。
そのためにその情報の受け手である引退を控えた捜査官も、
法律の範囲内でしか動いたことのない若手よりも、必要ならば法律の外側に
出れそうな新人を後釜に据えたのだろう。
そのようなところは「atプラス 30号」で、ラカン派の精神科医である
松本卓也氏の書いている「垂直方向の精神医学から水平方向の精神医学へ」
を連想させる。
すなわち、法や理想を強化するのよりも、自分と関わりのある人を援助することが、
本人にとって治療的ではないのではないかとのことである。
例としてあげられているのは、ヨーゼフ・ブロイアーが治療しようとしていた
アンナ・Oも、作家活動を行ったり、ユダヤ・フェミニズムの活動家として
女性たちや社会的弱者と言った「水平方向の隣人」に向かっていき、
それらの活動の中に、病的痕跡を残すことが無かったとのことだ。
つまり、アンナ・Oの治癒もまた水平方向の活動の中で生じていた可能性が
あるとのことだ。
https://www.amazon.co.jp/at%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B930-%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E5%8D%93%E4%B9%9F%E7%B7%A8%E9%9B%86%E5%8D%94%E5%8A%9B-%E6%9D%BE%E6%9C%AC-%E5%8D%93%E4%B9%9F/dp/4778315480

それにしても、日本での宣伝では、「表の顔は会計士」「裏の顔は殺し屋」
などという内容と違う宣伝をしていたのが残念。
米国版の予告編 
https://www.youtube.com/watch?v=DBfsgcswlYQ

日本版の予告編
https://www.youtube.com/watch?v=6or2Z629qmQ

「弱いロボット」岡田美智男著

2017-02-11 22:43:45 | 日記
ロボットもソーシャルへ

 著者は関西に転勤してきて、日常で周囲で繰り広げられる会話の中の
ボケとツッコミや、電車の中などで、お互いにノリは良いが何について話しているかも
よく解らないのにどんどん軽快に繰り広げられる会話を聞いて、
そのような関わりを引き出すきっかけとなるようなロボットについて
考え始めたそうだ。

ロボットというと、計画されたことを人の手を借りず自律して行動してやる、
人間には困難なことをやるなど「足し算の発想」で考える人は多いが、
逆に周囲の人に関わる気を起こさせたりするような「引き算の発想」により
作られた物はあまり無さそうだとのことだ。
そもそもホンダのASIMOの2足歩行でも、次の一歩がちゃんと地面に受け止められる事を
前提としているから成り立っているので、受け手としての環境が無ければ、
成り立たないとのこと。

そのような前提で著者が作った「む~」という胴体に目だけがある
ロボットを子供達の居る所に置くと、「お家はどこ?」「ねむいのかな?」
などと、子供から世話を焼き出すなどして、相互の拙い会話などでも
子供の側から何とか成立させようとしてきて、様々なソーシャルさを周囲から
引き出すきっかけになるとのこと。
そのように「ソーシャルさ」というのは誰かが設計、計画して
作られるものではなく、受け手があることで引き出されることだそうだ。