マチンガのノート

読書、映画の感想など  

「甘えたくても甘えられない」:小林隆児とオートポイエーシスについて

2018-06-29 23:29:39 | 日記
小林隆児氏は、自閉的子供が、離れると寂しそうにして、近付くと
距離を取ろうとするということを述べているが、子供の内的感覚としては
近付きたくても、治療者、養育者本人の自覚していない内的運動性に対して
圧倒されそうになり、反射的に距離をとるのではないだろうか?
自閉的な人は、内外の境界が曖昧なので(京大心理臨床の著作を参照)
相手の運動性と距離をとれないので、近付くと相手に圧倒されたりして
自分というものが、さらに曖昧になるので、距離をとって
自分を持とう、保とうとしているのではないだろうか。
治療者や養育者は自覚していなくても、内的運動感は働いているので、
そのことを自覚して、抑制し、相手が内的感覚を少しずつ感じて
いくようにすることが、最善の方法ではないだろうか?
山中康裕医師が、治療者と自閉症児が共生的状態を経てから、
自閉症児が治療者へ攻撃性を向け、治療者がそれに耐えることを経てから、
お互いに目が合うようになる、言葉が出てくるというのは、
そのような過程を経ているのではないのだろうか?

システム現象学―オートポイエーシスの第四領域 河本英夫 2

2018-06-26 20:17:03 | 日記
マウスに人間なら片麻痺に相当する脳へのダメージをあたえて離すと、
そのまま四つ足で走り出すのだが、人間なら片方が動かない、
空間認識もないなどになるのは、人間は内的な動きの感覚や重さの感覚、
触覚などと、視覚などの明確な感覚を合わせ、さらには言語とも
合わせて認識、行動するので、動物ならその動物なりの本来の動きしか
できないが、人間はほかの生き物の真似など、様々な動きができる様に
なっているのだろうとのこと。
人間は脳が大きいために、早産のような未熟な状態で産まれてくるので
生後一年位は周囲の世話が必要ということが言われるが、
一年したら動物のように一人で動けるというのとは違い、
周囲の真似をする、自他の分化が始まる、言葉の世界に入り始めるなど、
他の動物とは違ったコースを辿っているのではないだろうか、
ということだろう。