ブログ・クロウキョウ

文京の働く愉快な仲間たち

>白骨の章

2011年07月20日 17時49分20秒 | おくやみ
 亡くなった方を偲ぶ文京区労協のやすらぎコンサートは、今年は
4月1日、新協印刷㈱の地下多目的スペースで行いました。
 故伊関秀雄さんは、第1回コンサートから7年連続でご出席いただき
伊関さんとは宗派が違う浄土真宗の「白骨の章」をほぼ毎回、聴いて
いただきました。
 人の一生というものは、どうなるか、本当にわからないものですが
一日一日を悔いなく生きることが、大切であることを思い、
「白骨の章」全文を転載させていただきます。
 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、
合掌 


>夫(それ)人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、
おほよそはかなきものは、この世の始中終(しちゅうじゅう)。
>まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。
されば、いまだ万歳の人身をうけたりというふ事をきかず。
 一生すぎやすし、いまにいたりてたれか百年の形体(ぎょうたい)を
たもつべきや。
 我やさき人やさき、けふともしらずあすともしらず、
おくれさきだつ人はもとのしづく、すゑの露よりもしげしといへり。
 されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり。

> すでに無常の風きたりぬれば、すなはち二つの眼(まなこ)たちまちに閉じ、
一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、
桃李のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属あつまりて、
嘆き悲しめども更にその甲斐あるべからず。

> さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて、
夜半(よわ)の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
 あはれといふも中々愚かなり。されば、人間のはかなき事は、
老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、
阿弥陀仏をふかく頼みまいらせて、念仏まうすべきなり。
>あなかしこあなかしこ。