ブログ・クロウキョウ

文京の働く愉快な仲間たち

ご供養

2014年05月29日 21時56分07秒 | おくやみ
 区労協事務所でお経をあげさていただきました。加盟組合の役員さんが区労協の「法事」でもある4月の「やすらぎコンサート」に参列できなかったので、死んだ猫の供養をしてくれと言う申し出があったので、即席の仏壇を作り「南無阿弥陀仏」を唱え、ご供養させていただきました。
 生きとし、生きるものは、誰であっても平等に供養されなければなりません。
年老いて、傷ついた野良猫さんを助け、臨終を見届けた役員さんの家族は、本当にいいことしましたね。
 そのうえ、お供え物まで持って、供養してくれという申し出に嬉しくもあり、仏花も添えさせていただきました。
 ナミアミダブツ、ナミアミダブツ、
 合掌

コンサート

2014年04月07日 15時40分51秒 | おくやみ
 4月3日(木)夜、第10回やすらぎコンサートが開かれました。
降りしきる雨の中、15名の方が参加いただきました。
 定刻通り、読経に始まり、ギターリスト柳真一郎さんのミニコンサート。


 祭壇には、遺影やお供え物が飾られました。良く10年も続いたものですね。
 主催者は、これを一区切りにしたいと思っていたのですが。


 ギター演奏の後は、高田元区労協副議長の発声で献杯し、供養の宴。
 最後に、4年連続参加の全印総連委員長の是村さんが締めの挨拶され
「来年も、続けてほしい。」といわれましたので、一人でも希望する方が
いらっしゃるかぎり、続けなければならないかなと思っています。

やすらぎコンサート

2013年04月08日 12時49分36秒 | おくやみ
 4月4日(木)夜、第9回やすらぎコンサートが文京区民センターで
開かれ、過去最高の25名の方が参加されました。
 とにかくこの催しは参加されるまでは、どこから誰が来るかわからない
集いでしたが、だんだん定着して、亡くなった方を偲ぶとても
真面目な集いになってきております。
 これまでになくなった方やこの1年なくなった方の写真や書物を飾り
お米やお酒、作物など思い思いのお供えも上がり、人が揃ったところで
セレモニーとしての読経とミニコンサート。
 故人となられた伊関さん(元土建委員長)佐野さん(元新協印刷会長)、内海さん(全都一般代表委員)、みんな笑っておられるかもしれませんね。
 昨年亡くなった小学館の間島さんは、戸惑い気味に「よけいな事をしてくれて。」と文句いわれているかもしれませんね。
 しかし、私たちが、かって、お世話になった故人を偲びたいという気持ちがあるかぎり
一年に一度くらいは思い出させていただきたいですね。
 来年は10回目の節目の年になるので、お世話になった方々をもっと掘り起こし
手を合わせて感謝したいものですね。合掌。

供養の宴

2013年04月07日 06時43分30秒 | おくやみ
 4月4日(木)夜、第9回やすらぎコンサートを無事終え、第二部として供養の宴が同じ会場で開かれました。
 宴席には、テーブルに乗り切れないほどのお料理のかずかず。年々、内容が良くなっていくようですね。これがすべて仕出し屋さんではなく湯本弘美料理長の手作りだからすごいですね。

 第一回目から参加されている伊関一家の皆さんは、今年も、ご両親の遺影を持って参加されました。
 右端、青年劇場の秋山亜紀子さんも第1回目からお手伝いいただいている貴重な存在です。
 左端のわらび座三上さんは、ここ三年連続参加で、観劇ファンを掘り起こしています。「遠野物語」に続けて「ブッダ」を宣伝しています。
 この日は、前進座からも若手俳優の忠村臣弥さんと営業の村嶋さんが参加しました。


 全都一般印刷労組会議の役員の皆さんは、たくさんのお供え物を持って
故内海代表委員の遺影とともに6名の方が参加されました。
 来年もぜひやってほしいとの要望がでました。来年は、区民センターの耐震改修工事で
会場を変えなければならないようです。


 参加者全員が一言づつスピーチされたあと、柳さんと村嶋さんの演奏に合わせて
中島みゆきの「時代」を合唱。これもなかなか聴かせてくれますね。
全都一般代表委員の石原さんも、気持ちよさそうに歌い始めました。

 お帰りには、郡山市在住の昆さん(元副議長)が送って下さった
お米を小分けしてもらい、お土産にさせていただきました。
 初参加の全印総連東京地連の白石副委員長も、昆さんが作ったお米を
しみじみと見つめておられました。

おつかれさま

2012年10月28日 23時13分00秒 | おくやみ

 10月26日の午後、所沢市で国民救援会所沢支部と所沢マスコミ9条の会の主催で地域的な「間島弘さん(小学館OB)を偲ぶ会」が開かれました。
 世話人の一人であった岩波書店の佐藤俊広さんから声がかかり、リーダーズダイジェスト労働争議の「支える会」の初代事務局長としてご尽力いただいた関係で参加させていただきました。
 ほとんどの方が、ご高齢でマスコミOB以外は知ってる人は、おりませんでしたが、定年退職後、地域の学習会や9条の会の宣伝活動で活躍されている姿をDVDで拝見させていただきました。

昆さんからのメール

2012年08月27日 16時34分29秒 | おくやみ
 ブログ・クロウキョウをみた福島県郡山市に在住の区労協元副議長の昆さんから
お悔やみのメールが届いたのでご紹介します。

 >間島 弘さんの死を悼む

 間島 弘さんの訃報を文京区労協のブログで知りました。体調を崩したという話も聞いていませんでしたので本当に驚きました。間島さんとの出会いは三十数年前の共同印刷労働組合の分裂の時でした。新生全印総連共同印刷労組を立ち上げ、連日、門前での宣伝活動を行っていました。出版労連の仲間も支援に駆けつけていただきました。その中に間島さんの姿があり、次のように励ましてくれました。
 「会社からの不当な攻撃があったら小学館(間島)の名前を出していい。すぐに抗議に行く」というものでした。小学館は講談社と並ぶ共同印刷の重要得意先でしたので、この励ましは私たちを大いに勇気づけるものでした。
 後年、三晃印刷争議支援の会議でご一緒しましたが真摯な姿勢は変わりありませんでした。3年前、共同印刷を定年退職してからはお会いする機会もありませんでしたが、国民救援会や9条の会で活躍のことと思っていました。
 心より哀悼の誠を捧げます。
                福島県郡山市  昆 徳郎

>新聞を読んでいたら、ロシア文学者の亀山郁夫さんの文章が目にとまりました。
ロシアでは亡くなった人を思いながら、酒を酌み交わす時間を大切にする習慣がある。
「記憶を介して死者と一体となろう。歴史をつないでいこう」
 やすらぎコンサートは正しくこのことを地で行っています。近山氏(区労協元常任幹事)の写真もいつも掲げてくださってありがとうございます。ただ、共同印刷のメンバーの参加がないのは何とも寂しい限りです。来年は伝通院近くに住んでいるYさんに参加をお願いしてみます。彼は近山氏の先輩にあたり印刷出版OB会事務局長であり、小石川3丁目の民生委員と文京区の選挙管理委員も勤めています。3月の東洋大での集会にも参加しているのが写真に写っていました。(昆)


神保町の

2012年08月19日 13時52分15秒 | おくやみ
 18日の土曜日の午後、家に帰るとハガキが届いていました。
元出版労連副委員長・書記長として活躍された間島弘さん(元小学館労組)の奥様からのものでした。
 内容を抜粋して紹介させていただきます。

>病気、加療中でしたが、7月30日に永眠いたしました。
故人の遺志により、葬儀は家族葬で見送りました。
幼少のころの「本づくりを仕事にしたい」という希望を叶え、
多くの友人・知人に恵まれた悔いのない73年の一生でした。

 実は、16日、金曜日の午後、千代田区労協に行く用事があり、その帰りに神保町の岩波書店により、間島さんとも親しかった佐藤俊広さん(所沢マスコミ9条の会事務局長)を訪ね、いろいろと様子を聞いたところでした。
 間島さんは、小学館を定年退職後も、角川文化振興財団争議や光文社過労死労災認定闘争などの勝利解決に尽力され、どちらも文京区内にあったので、区労協との関わりも持つこと出来ました。
 区労協50周年集いや昆元副議長のねぎらう会などにもご出席いただきました。
 その後、国民救援会や所沢マスコミ9条の会で活動を続けておられ、最近では今年3月末に開かれた角川争議解決10周年パーティーで、お会いしたのが最後となりました。
その際、「医者には、余命○○と言われているが、それより一日でも長く生きる。」と言われていました。
 今となっては、何のねぎらいの言葉も言えなかったことが悔やまれてなりません。

 お盆休みに、家のベランダを掃除して、そこに胡蝶蘭を置いてみました。
リーダイ争議以来、お世話になった間島さんのご逝去に際し、
心からお悔やみ申しあげます。

ひまわり

2012年08月10日 16時47分57秒 | おくやみ
 今朝、後楽園駅の改札を出たところのガーデニングに、ひまわりが、ひそやかに、そびえ立っているように見え、ちょっと気になりシャッターを押してみました。
 その日の午後、20年前、争議団時代の仲間から訃報の知らせが入りました。
 密葬の関係で、今の時点で想い出を詳しく書き込むことはできませんが、労働争議のなかで、支える会を作るさい、大変お世話になっただけに、その思いはひとしおです。
 1987年10月の文書の中に、「支える会」について次のような記述を見つけました。
>「人間的で血のかよった、心と心を寄せあった取り組みを、支える会の基本としたいと思います。労働運動というよりは、むしろ、国民運動、人間としての運動をめざしたいと思います。」
 支える会のありかたについて、様々な議論をしましたが、そのときのお酒が『民主主義の薬』ということも、学びました。
 ただ残念なことに、お酒をたくさん飲まれた諸先輩方は、健康のための薬には、ならなかったようにも思われます。
 来年4月の区労協的法事でもある「やすらぎコンサート」では、お経についても
門前の小僧の経でなく、もっと修練も積んで、お悔やみしたいと思います。
 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、
 合掌


新しい歴史

2012年04月08日 08時52分42秒 | おくやみ
 東京の中堅印刷会社を中心に構成している全都一般印刷労組会議から
今年も、代表委員の皆さんが、故内海代表委員が逝去されて以来、
毎回、遺影やお供え物をもってご参加いただいてるので
この催しも、今では、単なる思いつきによる、お遊びではなくなって来ました。
 前回から国民救援会東京支部の山崎とも代さんも参加されているので
まさに無名戦士の慰霊祭のようになってきたような気がします。
 このようにして、新しい歴史が創られていくのかもしれませんね。
 ありがたいですね。