♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

被爆者の森:高知県の木

2006年08月25日 08時39分05秒 | 被爆樹木たち
全国四十七都道府県に在住する被爆者が「ふたたび被爆者をつくらない。」との願いを、各地の県木に託してつくられた森に植樹された代木のシラカシ。

『県木 ヤナセスギ
安芸郡馬路村(うまじむら)魚梁瀬(やなせ)を中心に自生している杉をヤナセスギと呼び、吉野杉・秋田杉とともに日本を代表する杉の一つです。昭和41年9月12日制定』だそうです。

被爆者の森
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(比治山橋東詰南側)道標

2006年08月24日 10時12分29秒 | 被爆建造物等
1921(大正10)年12月建立の道標

爆心地から≒1780m

道標から廣島驛などへの距離が刻み込まれています。

(戦後か?)削られた文字があります、
××本門・・・広島城か?遊廓があった地名か?削られた文字はわたしにはわかりませんが。

宇品港御幸松の『宇品港御』まで切込みが残っていますのでそこまで削る予定だったのでしょう、
宇品には明治天皇、大正天皇の行幸記念として松が植樹されていましたがGHQに目をつけられるとでも考えたのでしょうか?これもよくわかりませんが。

(比治山橋東詰南側)道標


現在の御幸松公園
広島東照宮・紀元二千六百年記念碑
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被爆者の森:愛媛県の木

2006年08月24日 07時35分44秒 | 被爆樹木たち
全国四十七都道府県に在住する被爆者が「ふたたび被爆者をつくらない。」との願いを、各地の県木に託してつくられた森に植樹されたクロマツ。

『県の木 まつ 昭和41年9月9日制定
「あかまつ」「くろまつ」「ごようのまつ」をさします。県下には歴史的にもいわれのある名木が多く、広く県民に親しまれています。』だそうです。


被爆者の森
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鶴羽根神社被爆石造物

2006年08月23日 09時25分49秒 | 被爆建造物等
東区二葉の里に鎮座の鶴羽根神社でみた、被爆した石造物たち
被爆樹木に目がいっていましたが、
1945(昭和20)年8月6日以前に建立だったら被爆している・・・そんな当然のことを考えていませんでした。
太鼓橋、石灯篭などもよく見ることもなかったのです。
みるといろいろわかってくるとともにわからないことがわかると、

(昭和天皇の)御大典記念碑に刻まれた山口町(紙屋町附近と聞いていましたが何処かなと?・・・)

 ぼんやりみていた彰徳碑、
1920(大正9)年11月建立ということ、 
碑文を見ると、保田八十吉氏のものと、第百四十六國立銀行、廣島銀行の頭取をされたようで、高額納税者がなれた貴族院議員をされたようで、撰文の股野琢(書家1838-1921)氏は高名な漢文学者だったようです。

そして何よりぼんやり散漫なわたしがと改めて思う迂闊さ、
石灯籠の笠の先が(原爆で)欠けたものと思われることを。

鶴羽根神社・被爆した石造物


裕がみてきた被爆構築物一覧
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被爆者の森:香川県の木

2006年08月23日 07時22分20秒 | 被爆樹木たち
全国四十七都道府県に在住する被爆者が「ふたたび被爆者をつくらない。」との願いを、各地の県木に託してつくられた森に植樹されたオリーブ。

『県花・県木[オリーブ]
モクセイ科の常緑樹で、初夏に白い小さな花をつけます。ヨーロッパでは、平和と充実の象徴。県花としては、昭和29年のNHK開局記念番組で発表。県木としては、緑化運動のなかで県民から公募して、昭和41年9月10日に選定されました。』だそうです。



被爆者の森
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山縣豊太郎・像

2006年08月22日 15時28分25秒 | 各種記念碑等
『1919(大正8)年5月5日東京遷都50周年祝賀行事の日、
愛機鶴羽2号に搭乗、大観衆の見上げる上野上空に見事宙返りを敢行、
日本航空史に輝く「民間人初の宙返り」を達成した。
1920(大正9)年8月千葉県上空で連続宙返りを実行中、右上翼が空中分解、キリモミ墜落し、惜しまれる22歳の若き生命を空に殉じた。』

(鶴羽根神社境内建立)山縣豊太郎像


広島ゆかりの人たち
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被爆者の森:徳島県の木

2006年08月22日 06時50分36秒 | 被爆樹木たち
全国四十七都道府県に在住する被爆者が「ふたたび被爆者をつくらない。」との願いを、各地の県木に託してつくられた森に植樹されたヤマモモ。

『県の木「やまもも」
阿波藩時代には御禁木として保護され、やせ地でも生育し、肥料木として山林に植えられたこともあります。
徳島のヤマモモは果実として有名であり、初夏に赤く熟し、甘ずっぱい味覚は私たちを楽しませてくれます。指定 昭和41年9月13日』だそうです。


被爆者の森
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中区:(円光寺)門信徒戦争原爆犠牲者碑

2006年08月21日 09時30分37秒 | 原爆慰霊碑等
福寿山・圓光寺、浄土真宗大谷派のお寺に建立の『円光寺門信徒戦争原爆犠牲者之碑』

原民喜氏のお墓があります。
この門信徒戦争原爆犠牲者之碑は資料をみていて知ったのでお参りと撮影をさせていただきました。

円光寺門信徒戦争原爆犠牲者之碑


裕の原爆関連慰霊碑・平和祈念関連碑など巡り
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被爆者の森:島根県の木

2006年08月21日 05時27分27秒 | 被爆樹木たち
全国四十七都道府県に在住する被爆者が「ふたたび被爆者をつくらない。」との願いを、各地の県木に託してつくられた森に植樹されたクロマツ。

『島根県を代表する木は「黒松」です。県の木三候補として「黒松、赤松、しらかし」を審査委員会で選び県民より一般応募したところ、黒松が他樹種より応募点数が多く、審査委員会において審議の結果、昭和41年9月10日制定されました。 黒松は、島根県の海岸部から里山地帯に分布し、防風林としてのみならず経済林分としてもその利用度は高く、景勝地、風致林あるいは庭園樹として県民に古くから親しまれ、なじまれてきた男性的な、県を代表する木です。島根県の人工林面積のうち、松の造林は杉に次いで高く、黒松の材質は赤松と大差なく、赤松より樹脂が多いので長命であること、水湿に耐えられることから土木用材としても高く評価されています。永宝年間より、海岸地帯に防風保安林あるいは魚つき保安林として風致を併せ育成し、その機能を果たしており、さらに天然記念物に指定されていた「関の五本松」をはじめ、室町時代からといわれる出雲平野の「築地松」あるいは「松江城の老松」など数多くの名勝、旧跡地になくてはならないものとして旅人の旅情をかきたて、島根の魅力の一つとなっています。』ということだそうです。

被爆者の森
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中区:(中央公園)ハノーバー庭園

2006年08月20日 09時39分33秒 | 公園・緑地等
広義的には中央公園の一角ですが、独逸・ハノーバー市の名前をいただいた庭園です。

広島市の姉妹都市ドイツ連邦共和国ハノーバー市 1983年(昭和58)6月27日(広島市議会承認の日)を記念しての庭園です。
(ハノーバー市には広島園というものがあるそうですが・・・)
いままで何度となくきていたのに日時計が設置されていることは知らなかったのですわたしは・・・

ハノーバー庭園

裕の広島の公園ぶらり散歩一覧
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被爆者の森:鳥取県の木

2006年08月20日 05時00分35秒 | 被爆樹木たち
全国四十七都道府県に在住する被爆者が「ふたたび被爆者をつくらない。」との願いを、各地の県木に託してつくられた森に代木として植樹されたナシノキ。

『県木・ダイセンキャラボク
強く伸びる姿が本県の自然美を代表する、高山に生息するイチイ科の針葉樹。 昭和41年3月30日に県と県緑化推進委員会で選定』が高地に生育することからか代木のナシノキになっています。
わたしは20世紀梨梨の名産地から梨の木が県木かと思ったのですが違いました、
しかし鳥取県に似つかわしいナシノキが代木となっているとおもいました。

被爆者の森
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東区:全国二番目の大きさ

2006年08月19日 14時49分57秒 | 神社寺院等
  説明板をみると
平成12(2000)年8月吉日再建 
饒津神社の向唐門は2番目だそうです、

一番大きな向唐門は何処かな~~

饒津神社の向唐門     饒津神社

裕の広島の神社仏閣ぶらり散歩一覧

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饒津神社復興記念・碑

2006年08月19日 13時33分34秒 | 各種記念碑等
『にぎつじんじゃ』と読みます。

昭和20(1945)年8月6日原子爆弾により神社建築物はすべて灰燼に帰しその後久しく仮社殿のままであった。
昭和57(1982)年広島市の道路計画にもとづいて神社境内地の一部を市に譲渡したのを機に新たに本殿、拝殿、中門、瑞垣、手水舎、社務所、職舎を復興し、昭和59(1984)年6月9日竣工奉祝祭を斎行した。ここに当事業の完成を祝い記念碑を建てる。

原爆の惨禍の中から復興に向けて力強い歩みがあったからこそ、
いまの広島市になったのであろうと思います・・・・

ここ饒津神社で復興記念碑の文章を読みながらそんなことも思い
原爆の傷跡の頁にいっしょに編集しました。

 饒津神社境内に建立されている
原爆の傷跡 と 饒津神社復興記念・碑
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饒津神社・被爆の痕跡

2006年08月19日 11時55分53秒 | 被爆建造物等
原民喜の『夏の花』を読むと泉邸、饒津公園(神社)、東照宮、常盤橋で転覆していた貨物列車などなど・・・わたしのおじさんが書残した『原爆記』と重ねてその悲惨さが・・・

 牛田に住んでいたわたしは初詣でしばしばお参りに行ってはいましたが、録に境内をみることもなかったなと、
ぶらり散歩するといろいろなものが目に留まりました・・
原爆によって傷つきひびが入ったといわれる手水鉢もいままでよくみたことはありませんでした。

 饒津神社境内に残されている
原爆の傷跡 と 復興記念碑
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被爆者の森:広島県の木

2006年08月19日 07時04分00秒 | 被爆樹木たち
全国四十七都道府県に在住する被爆者が「ふたたび被爆者をつくらない。」との願いを、各地の県木に託してつくられた森に植樹されたヤマモミジ。

『県の木・モミジ
モミジは広島県全域に分布し,特別名勝三段峡,名勝帝釈峡,日本三景宮島など名所も数多い ことから,県の木に制定されました。なお、県の花は正式に決められていませんが、県民に なじみ深いモミジを県の花としています。昭和41(1966)年9月12日制定』ということだそうです。

県の木がもみじということはなんとなく聞いて知ってはいましたが、
そのいわれ1966年制定などは今回知りましたわたしは・・・
北海道から南へ・・・やっとわが広島県にやってきました・・・沖縄まではまだまだ

被爆者の森
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