東区二葉の里に鎮座の鶴羽根神社でみた、被爆した石造物たち
被爆樹木に目がいっていましたが、
1945(昭和20)年8月6日以前に建立だったら被爆している・・・そんな当然のことを考えていませんでした。
太鼓橋、石灯篭などもよく見ることもなかったのです。
みるといろいろわかってくるとともにわからないことがわかると、
(昭和天皇の)御大典記念碑に刻まれた山口町(紙屋町附近と聞いていましたが何処かなと?・・・)
ぼんやりみていた彰徳碑、
1920(大正9)年11月建立ということ、
碑文を見ると、保田八十吉氏のものと、第百四十六國立銀行、廣島銀行の頭取をされたようで、高額納税者がなれた貴族院議員をされたようで、撰文の股野琢(書家1838-1921)氏は高名な漢文学者だったようです。
そして何よりぼんやり散漫なわたしがと改めて思う迂闊さ、
石灯籠の笠の先が(原爆で)欠けたものと思われることを。
鶴羽根神社・被爆した石造物
裕がみてきた被爆構築物一覧
被爆樹木に目がいっていましたが、
1945(昭和20)年8月6日以前に建立だったら被爆している・・・そんな当然のことを考えていませんでした。
太鼓橋、石灯篭などもよく見ることもなかったのです。
みるといろいろわかってくるとともにわからないことがわかると、
(昭和天皇の)御大典記念碑に刻まれた山口町(紙屋町附近と聞いていましたが何処かなと?・・・)
ぼんやりみていた彰徳碑、
1920(大正9)年11月建立ということ、
碑文を見ると、保田八十吉氏のものと、第百四十六國立銀行、廣島銀行の頭取をされたようで、高額納税者がなれた貴族院議員をされたようで、撰文の股野琢(書家1838-1921)氏は高名な漢文学者だったようです。
そして何よりぼんやり散漫なわたしがと改めて思う迂闊さ、
石灯籠の笠の先が(原爆で)欠けたものと思われることを。
鶴羽根神社・被爆した石造物
裕がみてきた被爆構築物一覧