中区大手町の平和記念公園に建立されている広島県木材統制株式会社慰霊碑です。
現在の原爆ドームは、(第二次大戦時国の木材統制機関であった)広島県地方木材株式会社の本社として職員260名の本拠地でした。
昭和20年8月6日午前8時15分至近上空に原爆投下され役職員100余名がドーム内外に於いて被爆殉職されたそうです。
(裕編集の)広島県地方木材統制㈱慰霊碑
広島ぶらり散歩「平和記念公園」編
現在の原爆ドームは、(第二次大戦時国の木材統制機関であった)広島県地方木材株式会社の本社として職員260名の本拠地でした。
昭和20年8月6日午前8時15分至近上空に原爆投下され役職員100余名がドーム内外に於いて被爆殉職されたそうです。
(裕編集の)広島県地方木材統制㈱慰霊碑
広島ぶらり散歩「平和記念公園」編
1月17日(安芸区のわが家付近)天候 :はれ
曇り空です。天気予報は大雪警報を
出しているのですが...
さて、御題よりそれますが、文中にあった
原爆ドーム。どうも痛みがかなりのようで、
今後どのように維持するかが問題となっ
ているとのことですよね。外観に影響が
出ないようにとするか、恒久的保存を優
先するか悩ましいところです。
大正4年広島県物産陳列館として開館してから、
ことし百年目をむかえる(現在の一般的呼称)原爆ドームです。
被爆70年ことし、云われるように被爆百年に向けて耐震補強のあり方を広島市は検討しているようです。
2013年の調査で震度6に耐えることが出来ないであろうところがあることがわかったそうです。
http://masuda901.web.fc2.com/page2ay90g.html
免震装置(ゴム)を基礎下に入れる工法が現在考えられる一番いい工法と建築屋の端くれだったわたしは思いますが、
原爆で多くの方々が亡くなったこの地を掘り返し施工することに対し、慰霊の場であるから許せないという感情を持った多くの被爆者の方々を無視できないう考えを押し通して施工は出来ないと被爆したお袋の子であるわたしは思ってもいます。
地震で壊滅した原爆ドームがあるとすれば、
それはそれで、原爆ドームがもつ反核反戦の歴史的役割を終える時ではないのかと、
いまの反核反戦を忘れつつある日本を表しているのかもしれません。
そんなことをわたしは思っていますが。