<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

まつろわぬ青春の日の行方(2) <プール>

2017-03-15 08:24:41 | 「学生時代」
 五月の連休明けのことです。正午になると出浦先生が言いました。「プールに行くぞ。」
水着がないというと自分のを貸してやるから行こうといいます。殆ど同時に実験室のドアが勢いよく開き、「今日は行くんやろ!」と白衣姿の津田先生。すると、後ろで「よし、行こ!」と助教授の駒井先生が立ち上がり、私はもう抜けられなくなりました。当然のことながら,私はダイエーの温水プールに車で行くのだろうと思いました。ところが研究室のある建物を出ると、みんなは楽しそうに話しながら学内を歩いていくばかりです。私はどこに車が止めてあるのかと思いながら後に付いていきましたが、着いた所は学内のプールです。もちろん屋外で、50mプールの水面は青空を映してピリッと張りつめています。100%、冗談だろうと思いました。ところが、みんなはさっと服を脱ぎ捨てるといきなり飛び込んで、そのままクロールで泳いでいきました。
 無茶苦茶な話です。夏でも泳ぐ前には準備運動をするものだ。私は一人、放っておかれた形になりました。仕方なくプールサイドで手首や足首を回したり、膝の屈伸をしたりしていましたが、みんながターンをして戻ってくるのを見ているとどう考えてもこれはあべこべだと思いました。仕方なく足先をちょっとプールに浸けると、その冷たいこと。そうは言っても今さら止めるわけにはいかないので、ぱちゃぱちゃと体に水をかけるともう後には引けなくなりました。

 私は、クロールはできませんでした。基本的に、泳ぐのは海だったからです。そして、泳ぐ目的は、魚を突いたり、貝を取ったりすることで、それを浜で焼いて食べるというのが「泳ぎに行く」ということでした。そこで役に立つのは平泳ぎと潜りだけです。その季節も7月から盆までで、そもそも暑いから泳ぎに行くのであって暑くもないのに泳ぐ必要はありません。
中学生のとき学校にプールができて「水泳の授業」というものがありましたが、それは笛が鳴ったら一斉にプールに入り、次の笛では一斉に上がるだけ。結局、プールというのは泳げないものが溺れないための施設だと思っていました。目は痛いし、消毒の臭いはするし、おまけに、水が冷たくて上がりたくても笛が鳴るまで上がってはいけないときています。だいたい、魚もいないプールで泳ぎたいと思ったことはありませんでした。

 私は泳ぎ出しましたが、もちろん、平泳ぎです。出浦先生は派手に波しぶきを立てながら豪快に泳いでいきます。駒井先生は短いストロークで軽快な泳ぎです。津田先生はちゃぽんちゃぽんという音を立てながらのかわいい泳ぎ方でした。泳ぎにも性格が出るようで、なるほどなあと思いました。そして、500m泳ぐとプールを上がって昼食というのがいつものパターンのようでした。
 一月ほど経った頃、私もクロールがしてみたくなりました。見様見真似でやってみましたが、手足をばたばたしているだけで溺れているのと変わりません。息ができないのです。「これを付ければ泳ぎやすい」といって出浦先生が自分のゴーグルを貸してくれました。そんなものをするのは初めてでしたが、付けてみるとこれはいいと思いました。「よし」と思ってクロール始めましたが、何も目に入りません。何かが手に当ったので向こう側に着いたか、やはり、クロールは速いなあ、そう思って足を着くと、そこはプールサイドだったのです。つまり、大きく曲がり、7mくらい進んでプールサイドにぶつかっただけでした。
 この機会にクロールをマスターしようと思いました。それには先ずバタ足からだと言います。プールにはビート板があったのでそれで練習すればいいと教えてくれました。私はそんな小学生のようなまねはしたくなかったのですが、教えてもらう以上、言われたことはしなければなりません。ビート板をつかんでプールサイドを蹴るとすーっと体が進んでいい感じでした。止まりかけたところでバタ足を始めたのですが全く前に進みません。そして、すぐに足が疲れてきて続けられなくなりました。こんなことはありえないと思いました。足をばたばたすれば進むものを思っていたので、そこに技術があるなどとは考えたこともなかったのです。それでもう一度やってみたのですが、今度は後ろに進んでいるということがわかりました。
 「下駄をはいとるからや」ということでしたが私にはその意味がわかりませんでした。研究室に戻って、元水泳部だったという院生にその話をしました。彼は自分の足の甲を見せて、「ここを後ろに反らすことができんだらバタ足はできん」と教えてくれました。彼はそれができません。それで平泳ぎをやったということでした。私は僅かに反らせることができました。すると院生は「それならクロール、できるわ」と言ってくれたのでまたチャレンジする気になりました。
 バタ足の次は腕のストロークです。それにはビート板を股に挟んで練習します。頭が沈んで息がしにくいので何度か水を飲みましたが、少し慣れると体がぐんぐん前に進みます。足がなければこんなに速く進むものなのかということを知り、気分は浮き立ちました。バタ足の練習をし、ストロークも練習をし、これで大丈夫だろうとビート板を外したとたん、体が深く沈んで溺れそうになりました。全く息ができません。それで大切なことは足と手のタイミングと、それに合わせた体のローリング、それによって呼吸のリズムをつくり出すことだということがわかりました。各要素は問題ないのに組み合わせたとたんに組織全体が崩れていくというのは世間ではよくあることだというのもうなずけます。
 それでも何とかクロールはできるようになりました。ドルフィンキックも練習してバタフライのまねごとも覚えました。ただ、背泳ぎだけはどうもする気になれませんでした。海で泳いでいた私には、だいたい、「前を見ないで進む」というのは感覚的に違和感があるからです。これは普通、後ろを向いて歩かないのと同じです。まあ、ここまでやればいいだろうと思ったのですが9月になってもプール通いは終わりません。水はだんだん冷たくなってきて気分は水に入りたくなくなってきています。
 10月になりました。水面は空を映して青く澄み、秋の色をしています。水泳部も練習を終えました。冗談じゃないと思いました。心の中に徐々に不安が募ります。いったいいつまで泳ぐのか。それが問題です。この人たちはまともじゃないと思いました。考えてみれば、5月の連休明けに泳ぐことからして常軌を逸しています。しかも、この冷たい水の中に準備運動もせずに飛び込むのです。私が準備運動をした方がいいのではというと、ここまで歩いてきたのが準備運動だといいます。「年寄の冷や水」だと楽しそうに話す助教授は50代半ばです。抜けられないことを悟った私は覚悟を決めるしかありませんでした。
 ついに11月に突入しました。泳ぎだすとその瞬間に息が詰まりそうになりました。肺の中に冷たい空気が入るためか、呼吸のたびに肺の中がペパーミント入りのタバコを吸ったような感じになります。泳いでも体温が上がらず、関節がギシギシ動く感じで、手と足のタイミングが合いません。水から上がった後の風の冷たさは「因幡の白ウサギ」の気分。もうだめだと思いました。そして「そろそろ終わりにしようか」という声を聞いたのは11月も10日を過ぎた頃でした。

 大学を卒業して田舎に帰ってからは主に川で泳いでいます。しかし、機会があればプールでも泳ぐようになりました。そしてクロールができるようになって平泳ぎは楽な泳ぎ方ではないことを知りました。平泳ぎでは首を上げていなければなりません。頭はかなり重いのです。その点、クロールでは頭は水に浸かっているので浮力が働いて、その分だけ首への負担は軽くなります。ゴーグルを使うようになってからは平泳ぎでも顔を水に浸けて泳ぐようになりました。そうすれば川の底の景色や生き物を見て楽しむことができます。そうなると底の線を見て泳ぐプールより自然の川や海の方がずっと良くなります。とはいっても川や海で泳ぐのは夏の間だけですが…。

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