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ボイボイ日記・ダバオリターンズ

南国フィリピン南部の街ダバオで
はっぴぃな定年ライフを満喫する為の生活情報発信

からし菜

2013年07月09日 | 海外ロングステイ

南国暮らしを15年近くも続けていますが、生まれ育った国が日本ということで、こと食生活に関しては日常的に和食を口にしています。
幸いなことにここダバオは新鮮な野菜や魚介類が豊富なことから、和食作りの食材探しには余り困りません。
時々「お茶漬け」に「漬物」で、あっさりした食事をしたくなりますが、そんな時にはこの「からし菜漬け」の登場です。
ダバオに長く住んで居る日本人の方でも意外とご存知ない方が居ますが、ダバオの市場へ行くと「からし菜」が手に入ります。
からし菜は英語で<Mustards>と呼ばれるアブラナ科アブラナ属の越年草だそうです。
「からし菜」は野菜として栽培されていて、葉茎は油炒めやおひたし、漬物などに利用されています。
高菜やザーサイ(搾菜)は、からし菜の変種で、沖縄県ではシマナー(島菜)と呼ばれています。
シマナー(島菜)は、からし菜の一種で、塩漬けしたものをチキナーと呼んでいるそうです。
沖縄では最も一般的な葉野菜で、炒めたりして、よく食べられていますが、フィリピンの人たちも沖縄の人と同じように炒めて食べているそうです。

          

からし菜の種子は辛子(和辛子)の原料となり、「オリエンタルマスタード」とも呼ばれています。
マスタード(洋辛子)の原料として利用されるシロガラシは、同じアブラナ科の別種ですが、アブラナやカブなど、アブラナ科の植物は辛味成分であるアリルイソチオシアネートの配糖体のグルコシノレート(glucosinolate)という成分を持ち、種子は品種によって差がありますが、いずれも油や辛味を持っています。
私がAGDAO市場で「からし菜」を見付けたのは偶然のことで、小さな屋台で野菜を売っているおばさんが、「マスタード!」と、この野菜を売り込んでいたのでした。
「マスタード」は「辛子」の意味なので、『ひょっとして?』と思って一束試しに買ってみたのが始まりでした。
しかし、この「からし菜」は市内のスーパーマーケットの野菜売り場で売られているのを見たことが無く、AGDAO市場まで行かないと入手出来ません。
写真の「からし菜」は一束25ペソ(約58円)です。
「からし菜漬け」を作るには、洗ってからさっと熱湯をかけて水気を絞ってから塩で揉んで、30分程で漬かるそうですが、我が家には日本から持ち込んだ「簡易漬物器」があるので、それを利用すると半日で出来上がります。
中央の写真のように少し長めに切って食べると、懐かしい「野沢菜」の味を思い出します。


マークス&スペンサー

2013年07月02日 | 海外ロングステイ

ダバオに先日とてつもなく大きなストアが開店しました。
その名は「マークス&スペンサー」(Marks & Spencer)で、SM Lanangプレミアムモール1階にオープンしたストアの売り場面積は1,500平米で、アジアでは二番目となる大きなM&Sストアです。
因みにアジアナンバーワンのM&Sストアはシンガポールにあります。
これも順調な経済成長を遂げているフィリピンを象徴するような印象です。
フィリピンは人口が9,689万人と多く、そのうち日本の人口を追い越すでしょう。
その上毎年100万人もの若い人が労働市場に入ってくると言われていますから、高齢化社会を真っしぐらに進んでいる日本にとっては羨ましい話だと思います。
フィリピンの2013年第1四半期の経済成長率は7.8%と中国の7.7%を凌ぐ勢いです。
製造業が9.7%伸びていて、輸出向けより、国内の食品や家電、通信機器向けの需要が旺盛なのが背景にあって、国内消費と国内投資が経済を引っ張っているそうです。
そしてフィリピンは、政策金利低下の余地もあり、成長見通しが続きそうです。
マークス&スペンサー(Marks & Spencer、略称:M&S)は、プライベートブランドの衣料品・靴・ギフト商品・家庭用雑貨・食品などを販売するイギリスの小売事業者です。
イギリス国内に760店以上を展開するほか、約30カ国に420店のフランチャイズ店を持っていて、従業員数は英国内だけで約6万3,000人、海外を合わせると約8万人にも上ります。
グループ全体の売上高は80億ポンド(約1.5兆円)を超えています。

              

ロシア帝国から来た元難民でポーランド系ユダヤ人露天商のマイケル・マークスと、イギリス人のトム・スペンサーの2人が 1894年にリーズの街に開業したのが始まりです。
1905年にスペンサーが、1907年にはマークスが相次いで死去しましたが、その後も発展を続け、1926年には株式会社となり、1930年に本店をロンドン・マーブルアーチに開きました。
Marks & Spencerは早い段階からICタグを取り入れた商品管理を行っていて、下げ札式の電子タグを利用して、商品が売れたらその場でタグを切り取り、このICタグを利用することによって今どのような品物が売れているのかを豊富なバリエーションの中から把握しているのです。
去る6月14日のオープニング当日は、正面入り口のショーウインドウに6人の男女の人間マネキンを置いて注目を浴びていました。
衣料品は洗練されたオリジナルデザインの商品が豊富で、食品コーナーでは美味しそうな輸入クッキーやチョコレートがところ狭しと並んでいました。
肌着の売り場には常時冬物の「防寒肌着」があるので、冬場の日本への一時帰国の時には助かります。
    


マヨネーズの話

2013年06月25日 | 海外ロングステイ

自分は子供の頃からのマヨネーズ好きです。
日本のトップブランドのキューピーマヨネーズが誕生したのは1925年のことで、その後戦争の為製造は一時中断しましたが1948年にマヨネーズの生産を再開し、その年の出荷量は24トンだったそうです。
生まれて初めてマヨネーズを口にしたのは小学生の時なので、多分キューピーが生産を再開して間もなくの頃だったのでしょう。
あの滑らかな食感と味、香りに魅せられて数十年が過ぎました。
最近の日本では「マヨラー」という言葉があって、マヨネーズを好物とする人を指す新語だそうです。
さしずめ私は「マヨラー」の走りだったのかも知れません。
今ではマヨネーズはサラダ以外にも様々な食品に混ぜたり、かけたりして愛用者が増えています。
ご飯、ピラフ、チャーハン、カレーライス、冷やし中華、カップラーメン、焼きそば、お好み焼き、たこ焼き、うどん、きしめん、そうめんつゆ、冷や麦つゆ、ざるそばつゆ、刺身、寿司、各種丼物、パン、洋菓子、コンビーフ、ツナ(ツナマヨ)、納豆、などなど列挙したらキリがなくなる程です。
私のマヨネーズ使用のユニークな方法は「鮭の塩焼き」をマヨネーズで食べることです。
この方法は私が10代の頃からやっているので年期が入った食べ方でもあります。
鮭の塩焼きを醤油やおろし大根無しでマヨネーズを付けて食べる単純な方法ですが、これがなかなかイケるのです。
マヨネーズ(Mayonnaise)はフランス語ですが、語源に関しては多くの説があるようです。
地名由来とするものだけでも、メノルカ島のマオン、マヨルカ島などいくつもの説が存在するそうです。
マオン説では、18世紀半ばに小説三銃士でも知られるフランス宰相、リシュリューの甥の息子ルイ・フランソワ・アルマン・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシが七年戦争の際に名付けたとされているそうで、テレビ番組、『世界ウルルン滞在記』ではマヨルカ島がマヨネーズの語源として紹介されていました。
日本では昭和30年代以降、キユーピー以外にもマヨネーズ製造へ参入するメーカーが現れたり、撤退したメーカーもありましたが、味の素は卵黄タイプのものを発売していたキユーピーに対抗して「全卵タイプ」のマヨネーズを1968年に発売し、その後の日本のマヨネーズ市場が拡大する結果となりました。
2010年の日本のマヨネーズの年間消費量は約20万トンで、日本人1人当あたりに換算すると約1.6キログラムにも達するそうです。
           
ダバオのスーパーマーケットに行くと「マヨネーズ」の種類が多く驚かされますが、残念ながらどのブランドもキューピーマヨネーズとは程遠い味です。
甘みが強かったり、酸味が足らなかったり、色々試してみたものの、どれもキューピーマヨネーズの味に慣れ親しんだ私の味覚を満足させてくれません。
そんなことから日本から直輸入されたかなり高価なキューピーマヨネーズを買うことになるのですが、こちらでは日本で1本250円程度で入手出来る500g入りのマヨネーズが280ペソ(約625円)します。
そんな中Gaisanoショッピングモールのスーパーで見付けたのがベトナム産の「キューピーマヨネーズ」です。(トップ写真)
パッケージは日本製と良く似ていて、味も日本製品と変わらぬ美味しさなのです。
そして気になる価格も150ペソ(約335円)とフィリピン国内でライセンス生産されたアメリカブランドのマヨネーズと同じような値段で販売されているのです。
キューピーマヨネーズは日本国内ではこのベトナムの他にもアメリカ、中国、マレーシア、タイなどの国々で製造販売されているようです。
    


フィリピンの正装「バロン・タガログ」

2013年06月18日 | 海外ロングステイ

正装とは冠婚葬祭や式典など公の場で着る敬意や謙譲の意を表現する衣服のことで、何が正装に当たるかは文化や状況によって異なります。
一般的には19世紀頃のヨーロッパで確立した服飾意識が世界的に通用するとされていますが、民族固有の民族衣装のうち礼式にかなったものを着れば他民族の場に於いても「礼装」になるという認識が現在では広く共有されています。
ハワイでアロハシャツはオフィスやレストランなどでも着用されるだけでなく、式典や冠婚葬祭でも着用が許される「ハワイにおける男性の正装」として認知されるようになって、現在では単なるリゾートウェアというよりは、むしろハワイの民族衣装のように扱われているそうです。
「黒紋付」は、世界にも誇れる日本の民族衣装で、時代を超えた日本の「正装」です。
現在は男女を問わずブラックフォーマルと称する洋装を、正装として慶弔双方に用いることが日本では一般化されていますが、これは日本においてはあくまで略礼装で、正装には成り得ない存在で、日本の正装は各家に伝わる家紋を染め抜いた黒紋付が「正装」です。
「バロン・タガログ」(Barong Tagalog)はフィリピンで男性が正装として用いる上着で、バナナの葉やパイナップルの葉の繊維を絽のような薄手の織物にして、プルオーバー型の長袖シャツです。
両サイドにスリットが入り、胸の部分を中心に刺繍が施されていて、ズボンからシャツの裾を出して着る礼装です。

                      

バロンはスペイン統治下の平民用の服だったそうですが、バロンをフィリピンの礼服と宣言したのがコモンウェルス発足時(1935年)のマニュエル・ケソン大統領の時からだったそうなので、ピーニャ(パイナップル)の葉から作られたバロンはフィリピン共和国の歴史とも言えるのです。
そして1975年には当時の大統領、フェルナンド・マルコスが7月5日~11日を「バロン・タガログウィーク」と設定し、国の礼服としての確立を図りました。
そして今では結婚式や国の公式の会見などの衣装は全てバロンになっていて、「バロン・タガログ」はフィリピンの民族衣装として多くの人々に知られるようになりました。
去る6月9日の第115回フィリピン独立記念日の行事の一環として、『バロン・タガログへの情熱』と題した展示会がSM Lanangプレミアムモールの1階アトリウムで開催されました。

                

                

この展示会ではダバオ生まれの著名な建築家、Michael Ebro Dakudao氏が所有する美しいバロンの数々が披露されました。
Dakudao氏は東京大学の工学部、建築学科に留学経験もあり、学位を取得していて、現在はMindanao Times紙のコラムニストとしても活躍中です。
彼のバロンコレクションはユニークなデザインに特徴があって、バロンの生地素材もバラエティに富んでいます。
特に孔雀の羽根をあしらった手描きのバロンの美しさには目を見張るものがあります。




第115回独立記念日

2013年06月11日 | 海外ロングステイ

明日6月12日は第115回目のフィリピン独立記念日です。
歴史年表上ではフィリピンが独立を宣言したのは戦後、1946年7月4日となっていますが、フィリピン国民にとって「フィリピンの独立記念日」は「6月12日」で、政府もこの日を祝日に定めて毎年記念行事を行っています。
1898年4月米西戦争が勃発し、翌5月にアメリカはマニラ湾の海戦に勝利しフィリピン支配のスタートを切りました。
その1年前、スペインに対する武装蜂起によって革命政府を樹立していたエミリオ・アギナルド将軍が亡命先の香港から帰国して、1898年6月12日にカビテ州カウィトでフィリピンの独立を宣言し、自らフィリピン共和国初代大統領に就任したのです。
米西戦争後のパリ講和条約でフィリピンのアメリカ統治が決定し、以後戦後に至るまで米軍政・総督支配と日本軍の占領支配が続きましたが、今日に至るまでフィリピン国民は6月12日をフィリピン共和国の独立記念日として大切にしているのです。
現在の『フィリピン国旗』と『フィリピン国歌』は1898年6月12日の独立記念日に合わせてアギナルド将軍が関係者に依頼して作らせたものです。
明日の115回目のフィリピン独立記念日を前に、「レゴ」で作った巨大フィリピン全土の地図がSM Lanangプレミアムモールのアトリウムで披露されています。

              

レゴ (LEGO) はデンマークの玩具会社が1934年に「よく遊べ」を意味するデンマーク語 "leg godt" から社名を LEGO として始まりました。
現在のレゴ社の製品は、洗練されたシステムを持つプラスチック製の上質な組み立てブロックですが、同社は創業当時は家具店でした。
レゴ社の歴史は、デンマークのビルンにオーレ・キアク・クリスチャンセンが作った木工所から始まり、家族経営の創造的なこの会社は、後に世界中で人気の玩具会社へと成長を遂げたのです。
レゴブロックは1962年から貿易商社の朝日通商が窓口となって日本市場にも導入されました。
しかし当初は都市部のデパートや、大きな玩具店などにしか出回ることがなかった上、その価格も当時で数百円から数千円と非常に高価で、裕福な家庭の親が買い与える知育玩具というイメージが強かったようです。
その後レゴブロックが広く知れ渡るにつれ、似たアイデアのものや、寸法まで同一の商品が1960年代を中心に日本市場にも出回り、このうち特に有名なものは河田のダイヤブロックと任天堂のN&Bブロックでした。
ダイヤブロックは「複数の突起を持った表側とこれをはめ込む裏側のある直方体形状」という構造はレゴと似ていましたが、規格寸法は別物でした。
N&Bブロックは基本となる直方体の形状と寸法がレゴブロックと寸分たがわず、訴訟にもなった経緯があります。

              

SM Lanangプレミアムに展示されているレゴで作った巨大フィリピン地図は地元のToy Kingdomの提供によるもので、フィリピン航空、パークイン・ホテルなどの協賛の下に実現しました。
3Dで作られたこの巨大地図はモールの2階、3階から見ると全体像が良く分かります。
ダバオのあるミンダナオ島の地図には「カダヤワン祭り」や「フィリピン・イーグル」も作られていて、そのキメ細かな作業に感動を覚えました。
今月30日までこのレゴで作った巨大地図は展示されます。
地図の隣のスペースには子供たちが自由にレゴで遊べるプレイグランドも併設されています。

    


フレンチレストラン「クラウデス」

2013年06月04日 | 海外ロングステイ

ダバオには地元の美味しいフィリピン料理の他に、様々な国の料理がいただけるレストランが沢山あります。
イタリア料理、スペイン料理、中華料理、韓国料理、日本料理などなどバラエティに富んだ料理がいつでも食べれて、どの料理もダバオ産の魚介類を多く使った料理に特長があります。
そんな数あるレストランの中で忘れてはいけない「フランス料理」レストランもしっかりとダバオに根付いています。
中世の頃フランスで食べられていた「フランス料理」は、食材を焼いて大皿に乗せ、手づかみで食事をするという非常にシンプルなものだったそうですが、現在のフランス料理の原形は、ルネサンス期に当時のフランス国王、アンリ2世と結婚したイタリア人のカトリーヌ・ド・メディシスとその専属料理人によってイタリアからもたらされたと言われています。
当初は粗野であったフランス料理に変革をもたらし、ブルボン王朝の最盛期に発達しました。
フランス料理の日本への移入は明治維新の際に行われたそうで、日本国外の来賓への接待としてフランス料理が使用されるようになったのは1873年からだそうです。
そして1872年(明治5年)に現在も営業する日本最古の西洋料理店とされる築地精養軒が開業しました。
それ以来、フランス料理は大正、昭和とさらに発展を遂げて、今日のような不動の地位を占めることとなりました。
そして、フランス人が磨き上げたこの優れた料理は諸外国にも広まって行き、今では中国料理と共に世界中の人が賞味する料理となったのです。
ダバオにある唯一のフランス料理店の名は「クラウデス」(Claude's - Le Cafe de Ville)で、フランス人オーナーシェフのClaudさんの名前から名付けられました。

         

1929年当時のコロニアル風の家を改造して作られたこのレストラン、お店の雰囲気はダバオ・ナンバーワンと言っても過言ではありません。
オーナーのClaudさんは今はキッチンを出て、レストラン・マネージャーとしてお客さまにフレンドリーな対応をこまめにしています。
このClaud氏はダバオ在住暦が約30年と言う大ベテランで、ダバオでの料理人としての経験も豊富で、パールファーム・ビーチリゾートでのレストランマネージャーやWaterfront Insularホテルのジェネラル・マネージャーの経験もあります。
また、20年程前には東京の「京王プラザホテル」から招かれて、パティシエの指導を1週間ほどして、オリジナルの「サムライ・クレープ」を置き土産にされたと聞きます。
Claude'sでのフレンチは、新鮮なダバオ湾で獲れた魚介類を巧みに取り入れながら、オリジナルの美味しい料理がいただけます。
フランスから直輸入された「生牡蠣」や「フォアグラ」もあって、値段は高いですが、お金ではなかなか買うことが出来ない「至福のひととき」を味わうことが出来ます。
フランス産ワインも豊富で、デザートも他では滅多に味わうことが出来ないフレッシュな苺を使った一品も楽しめます。
ディナーの際には予約をお忘れなく。

Claude's Le Cafe de Ville
The Oboza Heritage House
143 Rizal Street, Davao City
Tel: 222 4287 or 227 9405

  


犬のファッションショー

2013年05月28日 | 海外ロングステイ

ペットブームからドッグファッションがブームとなっていて最近は定着してきた感があります。
日本のWebサイトを見ても、ネット通販でペット用の服が沢山販売されていて、最近では犬用のカツラまであるそうです。
犬に服を着せることについては賛否両論ありそうですが、飼い主の愛犬に対する気持ちが自然に行動に現れたのでしょう。
我が家のロックには未だ服を着せたことはなく、ロックのお洒落はせいぜい「首輪」くらいです。
ロックは真っ黒な身体なので、もし服を着せるとすればオレンジ色のベストあたりが似合いそうではありますが・・・。
先日、ご近所にあるSM Lanangプレミアムショッピングモールへ夕方出かけたところ、噴水広場で「The Pet PROJECT RUNWAY」というイベントが開催されていました。

         
         

これは犬たちがランウェイを歩くファッションショーで、アメリカのニューヨークが発祥のイベントです。
可愛らしい服や小道具を身にまとった愛犬たちが飼い主と共に出番を待っていました。
小型犬が多い感じでしたが、一緒にランウエイを歩く飼い主たちもかなりのファッションでキメていましたが、このイベントはあくまでも犬たちの「美」を競うもので、飼い主たちのファッションは加点されません。
犬好きな私は目敏く「シベリアンハスキー」の子犬を見付け、飼い主さんの了解を得てから触らせて貰いました。
余りの可愛さに家に連れてロックと一緒に遊ばせたい衝動に駆られてしまいました。
犬たちのファッションショーを見ていると、ダバオの人たちの日頃の精神的な「余裕」を垣間見ることが出来て、嬉しい気分になれた一日でした。

  


SMボウリングセンター、オープン

2013年05月21日 | 海外ロングステイ

ダバオに新しいボウリング場が先日SM Lanangプレミアム2階にオープンしました。
これまではエコランドのNCCCモールまで出かけないと本格的なボウリングは出来なかったので、市内中心から東側に住んでいる我々にとっては大変有り難いことです。
ボウリングの始まりは倒すピンを災いや悪魔に見立てて、それを沢山倒すことが出来たならば、その災いなどから逃れることが出来るという一種の宗教儀式だったそうです。
その歴史は古く、紀元前5000年頃の古代エジプトの墓から木で出来たボールとピンが発掘された事から、その頃からボウリングに似たようなものがあったとされています。
しかし倒すピンの数やそれに応じた並べ方も場所や地域によってさまざまだったようで、中世ドイツのマルティン・ルターが倒すピンを9本にして、並べ方もひし形に統一していったことが近代ボウリングのルールの原型になっていったと考えられています。
9本という決められた数のピンを倒すという行為は、やがて「ナインピンズ・ボウリング」という一つのスポーツとして派生し、宗教家の間では人気のあるスポーツとして栄えました。
このことから宗教革命家と知られるルターは、現在のボウリングの基本的なルールを統一した功労者でもあるそうです。

        

17世紀になると多数の宗教家(清教徒)たちがアメリカに移住した事で、アメリカでもボウリングが盛んになり、アメリカでは更にボウリングを面白くするためにピンの数を10本に増やし、並べ方も正三角形に変化していったのが現代のボウリング、「テンピンズ・ボウリング」だとされています。
日本には1861年6月22日に長崎の大浦居留地に初めてのボウリング場「インターナショナル・ボウリング・サロン」が開設されました。
これを記念して現在6月22日はボウリングの日とされていて、その日限定で割引サービス等をやっているボウリング場もあるとか。
また当時、坂本龍馬が長崎に居留していた英国人貿易商グラバーと交流があったことから、日本ボウリング資料館の開館を報じるボウリングマガジン誌には、龍馬が日本人初のボウリングプレイヤーであるかもしれないという願望を含んだ記事が掲載されたそうですが、そのような事実があったという確たる証拠が存在しているわけではないそうです。
この度オープンしたSMボウリングセンタ-は16レーンのモダンなインテリアのボウリング場で、LEDテレビモニター、全自動スコア表示などを備えています。
ボウリング場のエリア内にはビリヤード、カラオケルームもあって、ファミリーで楽しめる工夫も凝らされています。

参考:ボウリングゲーム代金
   1ゲーム、 90ペソ
   貸し靴代 30ペソ

    


アポ山登山24時間耐久レース

2013年05月14日 | 海外ロングステイ

日本を代表する山は言わずと知れた「富士山」で、標高3,776mの優美な風貌は日本国内のみならず海外でも日本の象徴として広く知られています。
山梨、静岡両県が世界文化遺産登録を目指している富士山は、登録に相応しいかを調べていた国際記念物遺跡会議「イコモス」が、つい先日ユネスコに対して登録するよう勧告をしたことで。地元では喜びに沸いているようです。
一方、フィリピンを代表する最高峰の山はダバオ市の西南にあるアポ山で、その標高は2,954mあります。
アポ山はその昔北側に隣接しているタロモ山と同じ一つの火山だったそうで、噴火によって頂上部を失い、更にその後の噴火によって別々の火山になったと考えられていて、有史以降現在に至るまで噴火の記録はありません。
「アポ」と言う名前は「祖先」という意味があるそうです。
その標高2,954mの頂上を目指して過酷な「アポ山登山24時間耐久レース」が開催されました。
市の観光協会と、ダバオ市南西の街のサンタ・クルス市の協賛で第3回目となるチャレンジレースが去る4月27日、28日に行われました。

     

ダバオ市の観光事業促進と環境保護をメインテーマに、フィリピンの最高峰を目指しての過酷なレースでした。
メインのチャレンジレースは全長115.3Kmの距離を「マウンテンバイク・47.8Km」、「トレッキング・50Km」、「ランニング・12Km」、「川下り・3.5Km」の4部門に分かれてのレースです。
また、別枠でアポ山の頂上までの往復マラソン部門もあって、通常アポ山に登る場合は上りに一日かけ、翌日下るのが慣わしですが、今回のチャレンジレースでは24時間で山頂までの往復タイムを競うレースも展開されました。

  
  

合計40組の参加チームは、国外からもシンガポール、インドネシア、オーストラリア、香港、ベトナム、そして遠くカナダからのチームも参加しました。
山頂往復登山マラソンでは昨年の優勝者が連覇を目指しましたが、残念ながら今年はピープルズパーク・ランナークラブ所属のRonald DaggangとMario Ecalnerチームがチャンピオンとなり、優勝タイムは12時間22分58でした。
富士山でも毎年「富士登山競争」が7月に行われていて、今年で66回目となるそうです。
これは静岡県側で8月上旬に毎年実施されている富士登山駅伝とは別のレースで、富士登山競走は山梨県富士吉田市役所(標高770m)から吉田口登山道を経由して、富士山頂(ゴールの標高は3,730m)までの延長21kmを一人で駆け登る過酷なレースで、半世紀以上の歴史を誇る大会です。
私も約15年程前に富士山登山にチャレンジして、無事山頂まで辿り着き、山頂から眺めた「ご来光」の美しさに感動を覚えたことを思い出しています。

<参考映像:昨年のレースの模様>
http://www.youtube.com/watch?v=8S5x-nz2KlY


 


ココナツオイルの薦め

2013年05月07日 | 海外ロングステイ

「油」と言えばダイエットの大敵で、ダイエット中の人は揚げ物を避けたり、ドレッシングもノンオイル・ドレッシングに変えたり、オイルを極力避ける食生活を目指しますが、むしろ積極的に取り入れたい油があるそうです。
それが「ココナツオイル」です。
ココナツオイルは飽和脂肪酸の中でも「中鎖脂肪酸」に分類されるため過剰摂取で健康を害したり、肥満になる飽和脂肪酸とは別物なのです。
ココナツオイルの原料は熱帯地方に繁殖するココヤシで、紫外線を燦々と浴びて育つココヤシから摂れるココナツオイルはオリーブオイル以上に酸化しにくいと言われています。
ココナッツオイルは固体の「飽和脂肪酸」で、飽和脂肪酸には動物性のバター、ラード、牛脂などや、植物性のココナッツオイル、パーム油などがあります。
また飽和脂肪酸はすでに安定した形なので「トランス脂肪酸」は生じません。
飽和脂肪酸には長鎖型と中間鎖型があって、ココナッツオイルは動物性のものとは異なる無害な「中鎖脂肪酸」です。
ココナッツオイルの中鎖脂肪酸には幾つかの勝れた働きがあります。

           

1 消化吸収が速く直接肝臓に運ばれ、素早く分解されてエネルギーとなるため体脂肪になり難い性質です。
2 蓄積した体脂肪まで一緒に燃やす性質があるので新陳代謝を促進します。
3 善玉菌、悪玉菌、コレステロール値の改善を図ります。
4 体温を上げます。
5 甲状腺機能低下の病気にも適切です。
6 プリル酸、カプリン酸、ラウリン酸を含み、ウイルス、バクテリア、細菌に対して抗菌作用があります。
7 油の中では最も安定しており、酸化に耐える性質を持ち、他のオイルより良く熱に耐えます。
8 消化能力は体に優しく、ビタミンEも豊富に含まれています。

その昔、ココナッツオイルは飽和脂肪酸ということで悪者扱いされていました。
しかしその後研究が進み、ココナッツオイルの良さが判り始めたそうです。
ココナッツオイルを薦める理由には以下の事柄があります。

1 ココナッツオイルはエキストラヴァージンオリーブオイルより安価です。
2 揚げ物と炒め物の調理温度をほとんど気にせずに使えます。
3 ココナッツオイルもエキストラヴァージンオリーブオイルも冷蔵庫に入れると固まりますが、どちらも口広の瓶に移し変えれば削って使えます。
4 冷蔵庫保存したまま使えますから、開封したあとの油の品質や温度管理の必要がありません。
5.香りが強くないので、他の油と併用しても香りによるバッテイングがありません。

そしてココナッツオイルは食用以外にも利用出来る勝れものオイルです。
スキンケアとヘアケアにも使え、早く肌に吸収されて、保湿効果も期待出来ます。
アトピーや乾癬にも大変効果があるとの報告もあり、髪にも使え、フケ症にも効果抜群だそうです。


ABBAMANIA(アバマニア)

2013年04月30日 | 海外ロングステイ

ABBAは世界的に知られるスウェーデンのミュージシャン男女4人グループで、1970年代半ばから1980年代初頭にかけて活躍した「ポップ・ミュージックの完成者」と呼ばれています。
マドンナやレディー・ガガなど多くのアーティストがABBAの影響を受けたと語っていて、特にヨーロッパやオーストラリアでの人気は凄まじいものがあり、シングルとアルバムの総売り上げは3億7,000万枚を超え、世界で最も売れたアーティストにも名を連ねていて2010年にはロックの殿堂入りを果たしました。
1976年に「ダンシング・クイーン」が全世界的にヒットした後、「ザッツ・ミー」や「テイク・ア・チャンス」「きらめきの序曲」「チキチータ」「ザ・ウィナー」など、1983年に突然活動を停止するまで世界的なヒット曲を連発しました。
またABBAの代表曲を網羅したミュージカル『マンマ・ミーア! 』は、ロンドンでの初演以来世界各地でロングラン公演を続けていて、日本でも劇団四季が四季版『マンマ・ミーア!』を上演していて、2008年には映画化もされました。
そして1992年にアバのリバイバル・ブームが始まり、そのきっかけを作ったのが、イギリスのニュー・ウェーブ系バンドErasureによるミニ・アルバム“Abba-esque”だった事はよく知られていて、それ以来有名無名を問わず実に数多くのアーティストがアバのヒット曲をカバーして来ました。
そうした中で、特に異常な盛り上がりを見せたのがアバの曲ばかりを専門にカバーするトリビュート・バンドの存在です。

                   

現在、世界中で活躍しているアバのトリビュート・バンドの数は40とも50とも言われていて、正確には把握できてはいないようですが、その数はビートルズにも匹敵するとさえ言われています。
そのABBAのトリビュートバンドのひとつ「ABBAMANIA」が先日SM Lanangプレミアム3階のSMXコンベンションホールで一夜だけライブコンサートを行いました。
イギリスからやって来た「ABBAMANIA」はヨーロッパでは広く知られたABBAのトリビュートバンドで、そのクオリテーの高さはなかなかのものでした。

            

彼らのライブはこれまでスコットランド、ベルギー、フランス、アイルランド、ドイツ、ポーランドなどのヨーロッパの国々を中心にコンサートツアーを行っていて、今回のダバオ公演がアジアでの初めての公演でした。
SMXコンベンションホールに用意された客席約3,000席は満席で、ABBA世代の年齢層を中心に、若い人の姿もかなりあって、2,500ペソ、1,500ペソ、1,000ペソ、600ペソの入場料金は決して安い設定ではないにも拘わらず、超満員の盛況振りに驚きました。
最後に歌った「ダンシング・クイーン」では舞台と客席が一体になったような盛り上がりでした。

ABBAMANIA公式Webサイト(英語)
http://www.abbamania.co.uk/


ペッパー・ランチ

2013年04月23日 | 海外ロングステイ

ダバオ市内の老舗のショッピング・モールのひとつ、Gaisano Mall4階の「The Peak」にまたまた新しいレストランがオープンしました。
その名も「ぺッパー・ランチ」。
アメリカ生まれのレストランだと思ったところ、日本生まれのお店でした。
ペッパーランチの特長は、約300℃に加熱された鉄板でお客自身がステーキ肉を焼き上げるスタイルのファストフード・ステーキレストランです。
1994年に神奈川県の大船で1号店をオープンさせた「ペッパー・ランチ」は日本国内では直営とフランチャイズ両方でチェーン展開していて最近はフードコート型店舗による出店が拡大していて150店舗以上が営業中です。
また海外にも積極的に展開していて、2003年に韓国、ソウルに第一号店をオープンした後、台湾、中国、香港、シンガポール、インドネシア、オーストラリア、香港、タイ、フィリピン、マレーシアの各地に出店し、拡大を続けています。

          

メニューは「ビーフ・ペッパーライス」、「テリヤキ・ビーフ・ペッパーライス目玉焼き付」、「ペッパーステーキ」が代表メニューで、ペッパーランチ最大の特長は、約300℃に加熱された熱々の鉄板でお客自身が豪快にステーキ肉を焼き上げるスタイルです。
テーブルに運ばれたビーフ・ペッパーランチの肉はレアな状態ですが、肉を真ん中のライスに混ぜ込むようにかき混ぜれば、ジュージューと美味しそうな音の後に目の前で熱々の料理が完成します。
入口に入るや「いらっしゃいませ!」と日本語で明るい出迎えを受け、ペッパー・ランチが日本生まれのレストランだという演出も好感が持てます。
美味しさはもちろん、目の前でジュージューと音を立てながらステーキが焼き上がる興奮と感動がフィリピンの人たちにも受け、オリジナルのステーキバターとステーキソースの味もなかなかです。

<参考価格>
ビーフ・ペッパーライス   198ペソ
ビーフ・ヤキニク       280ペソ
ペッパー・ステーキ     579ペソ
テリヤキ・ビーフ・ペッパーライス(目玉焼き付き)  245ペソ

      


 


両替商

2013年04月16日 | 海外ロングステイ

数年前までダバオ市内で「両替」と言えば即「Aldevinco Shopping Center」(通称アルデビンコ)という定番の場所がありました。
アルデビンコはイスラム系の方々がショッピングセンターの中でところ狭しと店を構えています。
数十件のテナントの入った一階建ての建物で、どの店も「バティック」などの民芸品や衣料品などのギフト商品の販売が主ですが、殆どの店が「両替商」を兼ねています。 
両替の時には数軒の店を廻ってレートの確認をして両替していた懐かしい思い出があります。
マルコポーロホテルの直ぐ向い側にあるショッピングセンターなので、市内の中心部にあってロケーションも良いし、両替のレートは店によって多少の違いはありますが、ダバオに滞在されたことのある日本からのツーリストは必ず一度は足を運ぶ場所としても有名です。

         

その「両替商」が最近少しづつ変わって来ました。
両替=アルデビンコ神話が崩れ始めています。
BajadaにあるAbreezaショッピングモール内と、ダバオ市水道局の直ぐ近くにあるロビンソン・スーパーマーケット内にある「両替商」のレートがアルデビンコと同じか、時には良い時があることが判り、特にLanang地区に住んでいる日本人はわざわざアルデビンコまで行かずに近場で両替が出来るのです。
どちらもロビンソン系の店で、直ぐ近くのSM Lanangプレミアムの中の両替はレートが悪くお薦め出来ません。
ロビンソングループがどうのような経緯で両替商を始めたのかは定かではありませんが、近場にレートの良い両替商があって助かります。
但し、ロビンソン系の両替商では外貨を「売る」だけで、外貨を「買う」ことは出来ません。
海外旅行などで「円」や「USドル」、「シンガポールドル」、「タイバーツ」などが必要な時には、やはり冒頭のアルデビンコまで行かないと外貨の購入は出来ません。


本格派イタリアン<ラ・トスカーナ>

2013年04月09日 | 海外ロングステイ

2002年にイタリアを旅した時に印象に残っていることはイタリア人はよく食べる国民であるということでした。
レストランでのフルコースでは、先ず食前酒で胃を適度に刺激し、アンティパスト(前菜)、プリモ・ピアット(一番目の料理)で、スープあるいはパスタ類、またはリゾットが出ます。
セコンド・ピアット(二番目の料理)で、肉や魚のメイン料理が出て、それに取り合わせの野菜料理や野菜サラダ、そしてチーズ、デザート、果物、コーヒー、食後酒と続きます。
食事中はパンとワインが最初から最後までついていて、料理のボリュームにさすがの私も少したじろいだ程でした。
イタリアは地中海世界の中心に位置していることから様々な文化が渡来し融合した、言わば「るつぼ」のような国で、古代ではエトルリア、ギリシア、ローマ、中世ではビザンティン、アラブなど多様な文化がイタリア各地で栄えました。
その為イタリアの料理文化は歴史が古く、内容も多様です。
中でもローマ人は美味求真の民で、ケーナとよばれる夕べの宴には贅を尽くす民族だったそうで、9世紀には優れた農業技術をもつアラビア人がシチリア島を支配して、稲、サトウキビ、サフランなどの栽培法を伝えたと言われています。
日本では「イタリアン」「イタ飯」などの呼び名で親しまれているイタリア料理は、ダバオでも人気のある外国料理で、市内にはイタリアレストランが沢山あります。
数あるイタリア料理の店でお薦めなのが<La Toscana Italian Bar & Restaurant>です。
オーナーシェフのPieroさんはイタリアから12年程前にダバオにやって来てこのレストランを開き現在に至っているので、ダバオでは老舗のレストランと言えます。

                  

                  

店内に一歩入った瞬間にイタリアンな温かい雰囲気に包まれるラ・トスカーナは、料理は勿論のこと、テーブルやインテリアにも本格的な味わいを感じさせてくれます。
ラ・トスカーナのメニューは全て写真付きなところも温かさが感じられます。
スープやサラダの種類も豊富で料理選びに目移りしてしまうほどで、自家製パスタも絶品ですが、特にお薦めするのが「ピザ」です。
ピザ生地が薄く、カリっと焼き上がって出て来るので、ここではイタリア人のようにかなりの種類の料理が食べられるのも嬉しいことです。

<参考価格>
イタリアン・ミックス・コールドカット(前菜・4人前) 440ペソ
パスタ・プッタネスカ 320ペソ
ピザ・カプリシオサ 320ペソ
きのこリゾット 280ペソ
イタリアンワインRosso Toscana Frubesco 750ペソ(フルボトル)

La Toscana
住所:Quirino Ave., Davao City (Banco de Oro隣)
      ダバオドクターズ病院の斜め向かい、大通り沿い
営業時間:月曜日~土曜日 11:00am~10:30pm
電話: 082-305-6556


祝開業!パークインホテル

2013年04月02日 | 海外ロングステイ

ダバオに新しいホテルが開業しました。
その名も「Park Inn by Radison」、パークインホテルです。
パークインホテルグループはアメリカ、カナダ、ヨーロッパ、中近東、アフリカ、ブラジルなどの国々で140ものホテル事業を展開していて、ここ数年の間に急成長を遂げているホテルチェーンです。
そのパークインホテルがこの度フィリピンに初登場して、その第1号が先日ダバオ市内のSM Lanangプレミアムに隣接した場所にオープンしました。
パークインホテルをダバオに招致、開業したのはSMホールディングで、この先5年以内にフィリピン国内に5つのパークインホテルの設置を計画しているそうです。
ダバオではつい先日老舗のアポビューホテルが開業65周年を祝ったばかりで、アポビューホテルは65年の間に何度かリノベーションをしているものの建物自体かなり古くなっています。
一方、市内一高層のマルコポーロホテルはロケーションも良く、シティホテルとしての存在感を保ち続けているものの、客室に入ってみるとやはりあちこちに老朽化も目立ちます。
もひとつのダバオを代表するホテル、ウオーターフロント・インスラー・ホテルは市内中心地から少し外れていますが、海に面している為よりリゾートホテル感をアピールしながら健在振りを発揮しています。

                

                
この度新規オープンしたパークインホテル・ダバオは8階建てで、スタンダードルーム198室、ジュニアスイートルーム6室がある四つ星ホテルです。
上記の3つの老舗ホテルと比べて空港から一番近い場所にあるホテルです。
ホテルの玄関を出ると直ぐ目の前がSM Lanangプレミアム・ショッピングモールで、近くのDamosaへも徒歩圏内なので、ロケーションは最高と言えます。
ホテルにはスイミングプール、ジム&フィットネスセンターもあり、会議室は4部屋あって、それぞれ最大45名が収容出来ます。
そして一階ロビーにはレストランとBARもあって、ビジネスにも観光にも、どちらの目的のお客さまも満足されることでしょう。
パークインホテルダバオでは現在開業記念50%オフのサービスを実施中で、このサービスは今年の6月まで適用されます。
詳細は下記Webサイトで確認して下さい。
http://www.parkinn.com/hotel-davao