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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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名越邸跡を探しつつ上町の散策にー(2)重富島津家屋敷跡

2021-09-22 18:46:51 | 上町散策 2008年1月

今日もご訪問ありがとうございます

秋分の日も間近、朝夕はいくらか過ごしやすくなってきましたね

 

さて、2008年の上町散策の続きです。(画像は全て2008年1月23日撮影

名越邸跡を探しつつ上町の散策にー(1)』の最後に「左源太の遠島処分」とあるのは、

嘉永三年(1850年)の「嘉永朋党事件」、いわゆる島津家のお家騒動で「お由羅騒動」ともいわれるものです。

あまり大きな声で言いたくはないのですが(汗)、左源太の別邸(野屋敷)が密談の舞台となったというもの。

左源太は屋敷を貸したものの連判状に署名しなかったこともあり、遠島処分で済んだのだろう

ということだそうですが、それだけじゃない複雑な事情もありそうです。

 

それはともかく、大龍小学校の前を通り、「名越家」の角まで来た私たち親子  

この角地も屋敷があった場所なのだろうか?と手がかりもなくウロウロ(怪しまれなかったか知らん?

 

なんとか屋敷跡らしき名残を見つけたいと、

少し周りを散策してみることにして、先ずは国道10号線方向に下って行きました。

  ↓奥がスタート地点の角で、しばらく下って振り返ったところです。

 

国道10号線まで出ずに、最初の角を曲がってみました。

少し古い石垣を見ると、「いつ頃のものだろう??」などと思ってついつい撮影 

しばらく行くと、お寺さんがありました。 

「西本願寺上町出張所」でした。

 

親鸞聖人の像があり、恥ずかしながら「西本願寺は親鸞聖人と関係あるんだな」と

この時、初めて認識 

 

道なりに進み、元の通り(古地図に「小坂」と書かれたあたり)に向かうことに。

空き地の向こうは、大龍小学校から伸びる通りです。

 

路地を曲がって通りに出ると、「卸口小路」と表示がありました。振り仮名はハッキリしませんが「おろっしゅっ」かな?

   

 

通りに出て向かいを見ると、重富島津家の屋敷跡です。

 

 

ここから元の「名越家」角に戻るか迷いましたが、それとももう少し散策を続けてみることに。

 また次回に続きます


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