2008年1月23日の散策、画像整理ついでと言ってはなんですが、
記憶の掘り起こしが続いております。
お付き合い頂き、ありがとうございます
前回『名越邸跡を探しつつ上町の散策にー(2)』で重富島津家屋敷跡まで出てきた後、
東に向かいました。(画面、大龍小学校前の縦の通りを下方の「現在地」に向かいます)
ここで、この通りの名前が「南洲門前通り」と判明
↓画像奥が少し高くなっていて辿って来た道。少し下って来ました。
「歴史アメニティ回廊」とあるこの表示は角を曲がったところにあったと思います(曖昧)
そこには上町の歴史を詳しく説明する掲示がありました。
「鹿児島発祥の地・上町(かんまち)」です。鹿児島の発祥の地、なのですね、上町は
南方神社奉納 「恵比寿踊り」(尚古集成館蔵「倭文麻環(しずのおだまき)」より)
「鹿児島五社と三ヶ寺(さんかじ)」
鹿児島五社は「南方(みなかた)神社・八坂神社・稲荷神社・春日神社・若宮神社」
三ヶ寺は「福昌寺・浄光明寺・大龍寺」
次回は「春日神社」方面へ