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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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いづろの和田屋のおすみ殿

2020-05-30 02:17:11 | 『都見物日記』番外編

『都見物日記』4月19日に「和田屋のすみばば」とあります。→「4月19日 讃州多度津〜金比羅様へ」

そして4月22日に↓「石燈籠(いづろ)和田屋 母おすみ殿」とあります。

「4月22日 大坂の宿屋・増元泊、西村時彦様と道頓堀の芝居見物へ」

 

わかったんです 「いづろ和田屋」というのが「呉服店」だということが

 

昨日(というか、先ほどAM2時前)「5月26日 神戸最後の夜に・・・」を書いている時に

「納屋町」か「納屋通り」か、当時の町名を知りたくて

唐鎌祐祥(やすよし)先生の『昔の鹿児島 ー かごしま 新聞 こぼれ話 ー』

(南日本新聞開発センター 2008年発行)をパラパラめくっていたら、

「祗園祭は休日だった」というタイトルのところに明治30年7月14日の鹿児島新聞の記事紹介と共に、

 ほかに石燈籠(いづろ)通りの「和田呉服店」は反物で「道成寺安珍鐘入りの場」の人形をつくり店先を飾りつけた(p.27)

とあったのです

そう!いづろ和田屋の母おすみ殿は、呉服屋の方だったのです〜!!(きっとそう、そうだわ!)

ありがとうございます!唐鎌先生 

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