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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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皇徳寺跡 2020

2020-06-18 23:04:09 | 歴史探索

前回の予告通り、『皇徳寺跡』を再訪した記録です。

(無駄に写真撮ってる気もする、けど

   ← ☆小さい画面はクリックすると拡大表示されます

 

 

大きな岩の下にあった、首のない小さめの石像。これもおそらく廃仏毀釈の影響。

 

    ← ☆小さい画面はクリックすると拡大表示されます

もう少し進むと崖の下の竹林で薄暗くなっていますが、すぐにひらけて左手に

無外円照和尚、円照の師・峨山禅師の供養塔が並んでいます。

 

 

  ← ☆クリックすると拡大表示されます

更に進むと大きな石塔。「山本親匡(ちかまさ)塔」とあります

   

 

その角の左手奥には‥‥

 

 

 広い空き地に只々雑草が生い茂っていました・・・。

 

     

     

以前、2005年11月に来た時も、この空き地を見て「これが皇徳寺跡か‥‥。」と思って帰ったのだけど、歴代和尚の墓もなく、新聞記事の観音様(石像?)もなかったので、腑に落ちないままでしたが、今回も失敗〜

 

道は更に続いていたものの、空き地の隣は民家だったし、それ以上道の先へ進むという考えも浮かびませんでした。。 

で、今回もここまで。

あまり時間をかけると父も疲れてしまうし、日も暮れかかってきたのでこの地を後にしました。

      

 

 

 

↓仁王像も埋もれ気味です。。。

     

小道を元の場所に戻ると、こんな景色が広がっています。田植え時期なので、水田に水が張ったところに映り込んだ景色も綺麗です♪

画面右の小山は地域の氏神様「黒丸神社」。これも2009年3月8日に訪ねた場所。これもまたブログにアップします。

 

 

「皇徳寺跡」についてはいろんなかたがブログなどに上げておられます。

帰宅後に再度見てみたのですが、「かぶめ」さんという方の記事には歴代和尚のお墓まで辿り着けたことが載っていました

ご紹介しておきますね 

  『 皇徳寺跡 その2(鹿児島市) 』

では、今回はこれまで〜

 


コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (クマタツ1847)
2020-06-19 13:53:53
 こんいちは

 ゆきさんの写真は梅雨時と夕暮れ近い中での寺跡の訪問で深い味わいがありますね。

 私も2回訪ねていますが、墓地まで行き着いていません。だいぶ藪の中を分けいらないとないといけないようなので、虫や爬虫類のいない時期にまた訪ねようと思っています。
https://plaza.rakuten.co.jp/kumatake123/diary/201503240000/
クマタツ1847さんへ (ゆき)
2020-06-19 14:16:48
お久しぶりです。
お読みいただきありがとうございます。
クマタツさんのブログ記事、読んだ上で行ってみたんです。
https://plaza.rakuten.co.jp/kumatake123/diary/201503270000/
が、歴代和尚のお墓の件はすっかり忘れていました〜(苦笑)
父も一緒だったので、あまり時間もかけられないと思い、早々に引き上げました。車も路駐で気になりましたし。(気をつけて停めてはいましたが、道が狭いですからね。)
クマタツさんのブログもまた読ませて頂きますね。
Unknown (クマタツ1847)
2020-06-19 14:23:16
 ゴメンなさい。
間違った日付がコピーされていました。
ゆきさんにアップしていただいた「皇徳寺跡」の2015年3月27日が本命でした。
とんでもないです〜 (ゆき)
2020-06-19 15:24:03
せっかくクマタツさんが書いてくださった記事ですから、ほかの皆さんにも読んで頂きたくてリンクを貼りました♪

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