一見物質的満足を求めているかのように見える人も、その奥には人間らしい生活を、人間らしい愛と同情と賞讃とを求めているのであり、そして結局は魂の進歩することをこそ求めているのである。
実相ならざる思い、即ち迷い心というものは、本来存在していないのであるから、どんなに迷っているみたいに見えていても、本当は迷っていないとする人間観は、「実相」に立脚した真の人間観である。
実相は「善のみの世界」であるから、この世界観に立たない限り世の中は良くならないのだ。
吾等が求めるもののを叶えていただくという立場に立てば、実相の世界(御心の天になる世界―神の国)にすでに成就せる所のものであれば叶えられるというのが、真理である。
(祈りの科学 谷口雅春)
【以上の実例によってわかったように吾々は真に何を求むるかを本当に知らなければならないのである。そして吾々の求めるものは結局は他のものではなくしてもっと内的なものを本当は求めているのであるということがわかるのである。金を求めるものも、実は真に金を求めているのではなく、人間らしい生活を、人間らしい愛と同情と賞讃とを求めているのであり、そして結局は魂の進歩することをこそ求めていることがわかるのである。豊かなる生活、愛と同情と讃歎と、そして魂の喜びにみちた進歩と・・・これらは実相の世界(御心の天になる世界―神の国)にすでに成就せる所のものであるのである。事すでに成れりであるのである。吾々は唯、それに波長を合わせればいいのである。「神の国と神の義を求めよ、其の余のものは汝らに加えらるべし」であるのである。吾々が真に求むべきものを知り、その求むべきものを真に魂の世界に於いて波長を合わす時には形の世界に於いてはそれ自(おのず)から成就することになるのである。】
「すべての人は実は実相を求めている」と知り、その信念で行動するということは、難しい生き方だが、ここに至って初めてその人の生き方が本物となるのだ。