gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

人間の「まことなる願い」を知るためには、神と相対して神の願いを聴く必要がある。信仰というものは「神と神の子の一対一関係」に入ることなのである。

2021-03-28 11:25:06 | 日記
現象の心が願っていることは、必ずしも実相の心が願っていることと同じとは限らない。現象心の判断は「我の心」に左右されるからである。
ただ下記の女性の場合は、マン女子に指導を受けて、神の願いを知ることになったのである。
(祈りの科学 谷口雅春)
【そこで私の注釈をちょっと挿ませて頂く。神さまの目から見たならば、彼女に対して家を買うための三千ドルを与えるか与えないかは問題ではなかったのである。神さまは彼女を神自身の自己顕現として彼女をして霊の法則を理解せしめ、彼女に於いて神の愛を実現する所の道を知らしめる事が一層必要であったのである。「霊の法則」そして「愛の法則」とは「与えれば与えられるの法則」である。彼女にとって必要だったのは、三千ドルを叔母から与えられることではなかったのである。叔母に対して・・・それを契機としてすべての人に対して・・・愛を与えることが如何に尊いかを彼女に知らしめることが神の御心であったのである。最初彼女は、「叔母が自分に三千ドルを家を買う代金として与えてくれる気持になるように叔母の心を変化せしむるように祈って欲しい」というのが表面的な願いであった。然しそれは表面の願いであって、まことの願いではなかったのである。何も叔母の心を変化せしめる必要はなかったのである。自分の「与えずして求める心」を変化することこそ彼女の「まことの願い」であった筈である。真に彼女が祈るべき事は、「神よ与え給え」と祈ることではなく、「神よ如何に既に与えられているものに感謝すべきかを教え給え。そして如何に愛を人々に与うべきかを教え給え」という祈りでなければならなかったのである。この祈りが本当に成就した時、自然に無限の供給は流れ入るのであって、吾々の周囲を変化する必要もなければ、他の人の心を変化する必要もないのである。唯自分が如何に変るかということが必要なのである。】
人間の「まことなる願い」を知るためには、神と相対してみ心を聴く祈りが必要なのである。

吾等の求めるものは、実相の世界(御心の天になる世界―神の国)にすでに成就せる所のものである必要があるのである。

2021-03-28 10:55:45 | 日記
一見物質的満足を求めているかのように見える人も、その奥には人間らしい生活を、人間らしい愛と同情と賞讃とを求めているのであり、そして結局は魂の進歩することをこそ求めているのである。
実相ならざる思い、即ち迷い心というものは、本来存在していないのであるから、どんなに迷っているみたいに見えていても、本当は迷っていないとする人間観は、「実相」に立脚した真の人間観である。
実相は「善のみの世界」であるから、この世界観に立たない限り世の中は良くならないのだ。
吾等が求めるもののを叶えていただくという立場に立てば、実相の世界(御心の天になる世界―神の国)にすでに成就せる所のものであれば叶えられるというのが、真理である。
(祈りの科学 谷口雅春)
【以上の実例によってわかったように吾々は真に何を求むるかを本当に知らなければならないのである。そして吾々の求めるものは結局は他のものではなくしてもっと内的なものを本当は求めているのであるということがわかるのである。金を求めるものも、実は真に金を求めているのではなく、人間らしい生活を、人間らしい愛と同情と賞讃とを求めているのであり、そして結局は魂の進歩することをこそ求めていることがわかるのである。豊かなる生活、愛と同情と讃歎と、そして魂の喜びにみちた進歩と・・・これらは実相の世界(御心の天になる世界―神の国)にすでに成就せる所のものであるのである。事すでに成れりであるのである。吾々は唯、それに波長を合わせればいいのである。「神の国と神の義を求めよ、其の余のものは汝らに加えらるべし」であるのである。吾々が真に求むべきものを知り、その求むべきものを真に魂の世界に於いて波長を合わす時には形の世界に於いてはそれ自(おのず)から成就することになるのである。】
「すべての人は実は実相を求めている」と知り、その信念で行動するということは、難しい生き方だが、ここに至って初めてその人の生き方が本物となるのだ。