創造の神は深い深い「愛」の神なのである。
人間に幸福を与えたくて与えたくて仕方がないのである。
「神を愛する」ということは、
この神の愛の真実を“心の底から”知ることである。
(祈りの科学 谷口雅春)
<すべて「手段であるものは「まことなる願い」に遠いものであるのである。>
【すべて「手段であるものは「まことなる願い」に遠いものであるのである。多くの人達はこの婦人と同じように、他の目的を達せんが為にしきりに金を求めているのであるが、「金に対する追求」は決して「まことなる願い」ではあり得ないのである。何故なら実相即ち「まことの世界」に於いては金が存在しないからである。】
<神は人間に対して、その求めるものを与えたくて仕方がないのである。>
【グレン・クラーク教授はこの問題を興味深い童話の形で説明しているのである。たとえばここに或る人が「百万円を吾に与え給え」と神に祈るならば、神は「求めよ、さらば与えられん」とイエスが教えているように、人間に対して、その求めるものを与えたくて仕方がないのであるから、天の使い達を集めて協議会を開かれるのである。そして天の使い達は何れも手分けをして実在の真創造の世界をそのすみずみまでも翔け廻り百万円の紙幣を探し求めるのである。やがて神の前に一同揃って現れて、さた、神に対して申し上げるには、
「吾々共実相世界を翔けめぐり、凡ゆる真に存在するものを探し求めましたけれども、どこにも百万円の紙幣は見つからないのでございます。考えて見まするのに、実相世界では貨幣というものがないのでございますから、百万円どころか未だ一度も一円札すら刷ったことがないのでございます。」と解答したということである。】