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屈服の許されない試練だらけの人生

2021-03-19 13:56:53 | 日記
私は自分が青年時代、
何という低いレベルの思考の持主かと、
本当に思っていて、
それが嫌になっていたのでした。
中学生の時から
意気地のない弱い人間であり、
おまけに利己的な人間であったのです。
そんな人間の私に
容赦なく
仕組まれていた人生が七難八苦でありました。
あまり具体的に書きたくありませんが、
最初の試練は神経症にかかったことです。
これは精神の疾患ではないから、
頭がおかしくなったわけではありません。
でも最初の試練でありました。
私は人生苦というものは、
自分の心が招いた迷い心の産物だという真理を
よく心得ています。
でも過去の業が次から次へと自壊作用として訪れる人生は、
きびしいものがありまして、
その都度心の生長によって乗り越えて行くという、
性質のものであります。
ですので私の人生は向上を目指す以外に方法はなく、
結果的に
逆境から学ぶという人生になったのでした。
ただ逆境というものは、
自分の不徳が招いたものなので、
恥ずかしい事態であるのは明らかであります。
よくない人間だったから逆境を招いたわけで、
人に苦しい思いをさせた結果、
後で作用反作用の法則で、
自分が苦しんだのでした。
ただそれでも今までの人生を通して一貫して言えることは
「神にいつでも守られていた」
という事実でありました。
いろいろな試練を乗り越えるために
自分から積極的に防護策をとりました。
ざっとこんなことをしました。
・坐禅
・坂東札所巡り(打ち止め2回)、秩父札所巡り
・道徳科学(モラロジー)への参加
・谷口雅春哲学・人類光明化運動
考えてみると、
私の人生は前々の世からの自壊作用の連続展開であり、
それに対処するに、
信仰の深化で乗り切って今まで来ている、
ということであります。

吾々は信仰によって波長を合わしさえすればいいのである。即ち信仰とはすでにあるもの(実相)と同じ波長を自分の心に起こして確認する事である。

2021-03-19 09:55:11 | 日記
欲するものが手に入る素晴らしい真理が以下に語られている。私は早速これをやって行こう。
(祈りの科学 谷口雅春)
【かくて強烈なる信仰は奇蹟を起こすのであるが、「神を信ずる」のと「不幸の存在を信じ」て神に泣きつくのとは根本的に違うのである。多くの人達の祈りがかなえられないのは、彼らが余りにも強く「不幸の存在を信じ」て、神を信ずることの方が稀薄であるからであるのである。ヨガナンダは「人間は神の子であるから泣きついたり懇請したりすることはいらないのであって、神の子である所の吾々はただ神に要求(demand)すればいいのである」といっているのであるが、実は要求する必要もないのである。それはすでに与えられているのである。それはすでに放送局の放送が今現にあるのと同じであって、ただ放送の波が目に見えないにすぎないのと同様である。吾々は信仰によって波長を合わしさえすればいいのである。即ち信仰とはすでにあるもの(実相)と同じ波長を自分の心に起こして確認する事である。「すでにある」と確認する事ができなければ神への堅き信仰ということはできないのである。「すでにある」と信ずることのできるもののみ「すである」実在とぴったり波長を合わす事ができるのである。】

真に欲するものはすでに実在においては与えられているという堅き信仰をもつことができれば、それは既に与えられているので、現象化するのである。

2021-03-19 09:49:29 | 日記
吾々が真に欲するものは既に実在界において与えられているという真理を、確信できると素晴らしいことになるということだ。これは真理を深める以外に方法は無いと思う。
(祈りの科学 谷口雅春)
【しかし肉眼に見えない所の実在界にすでにある所の「吾が求むるもの」を真に堅く「すでに今ここにある」と信ずることは普通の人には中々なし難いのであってここに多くの人達は弱い信仰しかもち得ないのである。そしてすでに与えられているのに、まだ与えられていないかと思う。そして悲しくなり泣きたくなり、求め求めて神に泣きすがるのである。然もその信仰弱き故に、実在無限供給の世界の豊富なる状態を受信することができずして、神も佛もないものかなどと叫ぶにいたるのである。】