私は自分が青年時代、
何という低いレベルの思考の持主かと、
本当に思っていて、
それが嫌になっていたのでした。
中学生の時から
意気地のない弱い人間であり、
おまけに利己的な人間であったのです。
そんな人間の私に
容赦なく
仕組まれていた人生が七難八苦でありました。
あまり具体的に書きたくありませんが、
最初の試練は神経症にかかったことです。
これは精神の疾患ではないから、
頭がおかしくなったわけではありません。
でも最初の試練でありました。
私は人生苦というものは、
自分の心が招いた迷い心の産物だという真理を
よく心得ています。
でも過去の業が次から次へと自壊作用として訪れる人生は、
きびしいものがありまして、
その都度心の生長によって乗り越えて行くという、
性質のものであります。
ですので私の人生は向上を目指す以外に方法はなく、
結果的に
逆境から学ぶという人生になったのでした。
ただ逆境というものは、
自分の不徳が招いたものなので、
恥ずかしい事態であるのは明らかであります。
よくない人間だったから逆境を招いたわけで、
人に苦しい思いをさせた結果、
後で作用反作用の法則で、
自分が苦しんだのでした。
ただそれでも今までの人生を通して一貫して言えることは
「神にいつでも守られていた」
という事実でありました。
いろいろな試練を乗り越えるために
自分から積極的に防護策をとりました。
ざっとこんなことをしました。
・坐禅
・坂東札所巡り(打ち止め2回)、秩父札所巡り
・道徳科学(モラロジー)への参加
・谷口雅春哲学・人類光明化運動
考えてみると、
私の人生は前々の世からの自壊作用の連続展開であり、
それに対処するに、
信仰の深化で乗り切って今まで来ている、
ということであります。