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本当に自分を救う正しい教えは「実相独在」の教え一つである

2021-03-03 12:29:36 | 日記
一旦世界最高の真理に触れながら、
途中からそこから反れて行く人がいるというのは、
本当に残念なことなのである。
本当に自分を救う正しい教えは「実相独在」の教え一つであり、
まざりもののない純粋なものであるから、
此れでもって自分を救い、
世界を救うべきなのである。

(正法眼蔵を読む 礼拝得髄の巻  谷口清超)
<逃げ出すな>
 今大宋国の実情を見ると、久しく練成や修行を積んだような僧侶達が、いたずらに海の砂の数を数えるような細かな詮索をする仏教学者になり下がり、生死の海に漂い流れている者が沢山いる。ところが一方女性でも、正師を尋ねて参学し、悟りの道を修行して、人間天人の導師となった者もいる。又修行僧に餅を売らなかった老婆や、餅を捨てた老婆もある。一方男子の僧侶でも、いたずらに教えの海の砂(いさご)を数えて、真の仏法を夢にも知らぬ者どもがいるのは、実に哀れな話である。

求めたものが現象化する原理①求める事物を観念として宇宙霊に提出②光を通じて「霊」「智慧」「力」によって現象化して表現③これは「本体実在」宇宙霊の現象顕現である

2021-03-03 11:37:56 | 日記
(心と運命 谷口雅春)
要約します。
<求めたものが現象化する原理>
・宇宙霊の指導を求めるには、先ず吾等は求める事物を観念として宇宙霊に提出する。
・宇宙の心に提出された観念は光である「霊」「智慧」「力」によって現象として表現される。
・これは「本体実在」宇宙霊の現象顕現である。
【宇宙霊の指導を仰ぎ、全智なるものより嚮導せられんと欲するところの個人の心は写真機のフィルムに比せらるべきものである。写真機のフィルムは雑多の他の印象を出来るだけ避けて、求むる印象のみをその上に感光せんとして焦点を合わすのである。レンズは此の一つの目的とする印象にのみ心を集注して、全能なるものの指導を仰がんとするために心の窓を開閉して、欲する景色にのみフィルムを晒(さら)すところの選択作用に比せらるべきものである。ここに於いてさえ、吾等は「選択」作用を許されているのである。即ち吾等は「何」に就いて指導を受くべきかの其の「何」を選択することが出来るのである。次にレンズが向けられたところの景色は、「観念の世界」に形成せられた心象即ち「宇宙の心」の中に形成せられた「観念」に比せらるべきものである。また光は「霊」「智慧」「力」に比せらるべきものである。指導の智慧は光を通じて来たるのである。光は凡ての本質であり源である。それは現象相に移行しつつあるところの「本体実在」即ち顕現しつつあるところの宇宙霊であるのである。】



因果超越とか実相超入とか云ったって、突然ではなく、徐々になることも多い。「真理は汝を自由ならしめん」である。安心して修行しよう!

2021-03-03 11:03:46 | 日記
<因果超越とか実相超入とか云ったって、突然ではなく、徐々になることも多い。「真理は汝を自由ならしめん」である。安心して修行しよう!>
私たちが因果を超越し、
現象的にある困難な諸条件を超越して
安心感・安全感をもって生活できるためには、
この現象の世が“実相世界”(神の国)であるという確信が
出来ればよいのである。
つまり視えない完全世界(実相金剛身)であると、
思い切れればよいのである。
この観念形成には修行が要る。
そのために私たちは、
聖経『四部経』の徹底読み、
『生命の実相』『真理』の読書、
そして神想観を間断なく行うのではないか。
やがて此の世は根底に
神の理念であり視えない「神の国」が厳然と存在していると、
確信できるようになる。
それは三正行の必然としてそうなる。
その時には現象のいろんな出来事に引きずられない心の状態になる。
これが因果超越の状態だ。
要は「現象なし実相が独在する」ということを
本当にそうだ、と思えちゃえばいいだけです。
だから因果超越とか実相超入とか云ったって、
或る日突然そうなったという人もいるにはいるが、
徐々になっていく場合もある。
私の場合は後者である。「
「真理は汝を自由ならしめん」である。
誰だって方法をもって実行すれば
因果超越は可能だ。

宇宙霊の指導を仰ぐとは、言い換えれば直観力を利用することであり、欲する事物の心象を心に描き、「全智なる者」より智慧を授けてもらえばよいのである。

2021-03-03 10:35:57 | 日記
宇宙霊の指導を仰ぐ方法について
ホルムスは次の如く教示している。
(心と運命 谷口雅春)
<宇宙霊の指導を仰ぐとは、言い換えれば直観力を利用することであり、欲する事物の心象を心に描き、「全智なる者」より智慧を授けてもらえばよいのである。>
【宇宙霊の指導を仰ぐとは、言い換えれば直観力を利用することである。吾等は「全智なる者」に導かるべく精神を統一して心の静穏を維持する。この時吾等は欲する事物の心象を心に描かねばならない。併し、吾等が指導を仰ぐ事物につき、「全智なる者」より智慧を授けられる方法は頗(すこぶ)る簡単である。吾等は宇宙霊の活動の方向を定めようと欲するには及ばない。唯与えられる観念を受けようと欲すれば好いのである。】
<吾等の現在の難境突破の血路を知るものは神の叡智であり、その血路は既に開かれているのである。>
【それ故に、若し吾等が現在の難境を突破しようと思うならば、吾等の血路は既に一方に開かれているのである。その血路を知る者は神の叡智であることを知らねばならない。若し又吾等が或る事物を如何にすれば果たし得るか、或る事物を如何にすれば此処に実現し得るかを知らないにしても、宇宙霊は「創造を司(つかさど)る心」として、また「無限の智慧」として既にそれを知り給うのである。あらゆる方策は此の「無限の智慧」より出づるのである。】