イエスは“汝の信ずる如く汝に成る”ということを教えたのだった。
イエスが教えたこのことは、
「信」があれば
その「信」のごとく願いが叶う、
ということである。
このことは実相というものは
創造の神が完全世界のみを造り給うたという「実相世界」への、
強い「信」があって実現することを意味する。
それであるから吾々に大事なことは、
「神の国」への「信」と「観」である。
神への信仰が奇蹟を生むのである。
ただ「信」じただ「観」じるのみである。
(参考 奇蹟の時は今 J.E.アディントン 谷口雅春訳)日本教文社
【イエスは百卒の長(おさ)に向って「汝の信ずる如く汝に成れ」といい給うたのであった。そして盲の人に対しては「汝、このことを私が成し得ると信ずるや」と問いを発して尋ねられている。またイエスは自分の言葉の力によって無花果(いちじく)の樹を枯らした後、次のように言い給うたのであった。「汝ら祈りて何事にても求むるとき、それを受けたりと信ぜよ。汝はそれを得ん」(『マタイ伝』第8章13節、第9章28節、第21章22節】
参考マタイ伝
8-13それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、僕はいやされた。
9-28そしてイエスが家にはいられると、盲人たちがみもとにきたので、彼らに「わたしにそれができると信じるか」と言われた。彼らは言った、「主よ、信じます」。
21-22それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、僕はいやされた。