「神は人間が心の波を起こした通りに其の波の姿を実現させてくれる所の力である。」
と下記に記されているが、
この真理は過去の自分を顧みて恐ろしいまでに真実だと感じるようになった。
でも逆にいえば、
人間は“神の子”であるとさとれば、
神の国に相応わしい善きものが続々と流れ入るのであって、
本当に素晴らしい状態が続出するようになるのである。
(参考 祈りの科学 谷口雅春)
【祈りが叶えられるためには、世界のありとしあらゆるものは人間に於いて最高に自己実現している所の神が、自己自身の創造を享受せんが為に人間が喜びうけてそれを楽しまんがために造られたものであるということを知らなければならないのである。この事は法華経の如来壽量品の自我偈に「諸々の堂閣種々の宝もて荘厳せり。宝樹華果多くして衆生の遊楽する所なり、諸天天鼓を打ち諸々の伎楽を奏す・・・」云々とあるのを見ても明らかであり、旧約聖書の「創世記」にアダムとイヴとがおかれたるエデンの楽園の世界を見ても明らかであるのである。神は宇宙に充満せるラジオの波の如き存在であって吾々が波長を起こした通りのものを感受してこの世界に実現するのであるから、もし吾々が神を以って、与えることを惜しむ所の存在であると信ずるならば、即ち「豊かには与えられないのである」という信念の波を自分に起こせば、その心の波が具象化して、自分に於ける供給状態は貧しく現われてくるのである。だから吾々はまず神が無限の智慧であり愛であり生命であり、無限の供給であって何を求めてももしこちらが波長を合わしさえすればそれは直ちに与えられるものであるということを知らなければならないのである。即ち神は吾々の周囲をとりまき、一切のものの中に存在まします所の真実在であるから、人間が心の波を起こした通りに其の波の姿を実現させてくれる所の力であるということを知らねばならないのである。】