何時もこのブログを書くのに参考にさせてもらっている「今日は何の日~毎日が記念日~」(※1)に毎月23日は、「踏切の日」があった。しかし、この記念日の由緒や何時何処が何のために記念日を設置したのか等何も書かれていないし、また、日本記念日協会にも記念日登録が見られない。
ただ、毎月23日が記念日に登録されているのは、「ふ(2)み(3)きり」の語呂合わせからであろうことだけは察しが付く。
記念日の趣旨が何かは知らないが、今日は、記念日にあやかって踏切に関することを書くことにしよう。
踏切は、鉄道と道路法(昭和二十七年法律第百八十号)による道路が平面交差する場所をいい、「踏切道改良促進法」(昭和三十六年十一月七日法律第百九十五号。※2参照)など法律上は踏切道という言葉を使っている。
日本の現行法令(※3:「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」参照)40条では、踏切道は踏切道を通行する人及び自動車等(以下『踏切道通行人等』という。)の安全かつ円滑な通行に配慮したものであり、かつ、第62条の踏切保安設備(踏切警報機と遮断機、または踏切警報機のみ)を設けたものでなければならないとされている。ただし、以前から存在するものについてまでその義務を新たに課したものではない(※4参照)。
踏切には保安設備により第1種から第4種があるが、現在一般的なのは“自動踏切警報機と自動遮断機を設置するか、踏切保安係を配置して、列車が通る際に道路の交通を遮断機によって、通過する全ての列車または車両に対して、道路を遮断するものとなっており、第3種(遮断機はないが踏切警報機が設置されているもの。)は第1種甲に転換され数が減ってきている(種類についてはここ参照)。
それでも最近の鉄道関連の死亡事故は、そのほとんどが踏みきりで起きている。
日本におけるSFの始祖といわれる小説家海野十三はエッセイ(随筆)『恐怖について』で以下のように書いている。(※青空文庫参照)
“私は踏切を通ることが恐しい。うちの近所には、番人の居ない踏切があつて、よく子供が轢き殺され、「魔の踏切」などと新聞に書きたてられたものである。あすこへ行き掛ると、列車が風を切つて飛んできて、目と鼻との間を轟々と行き過ぎることがある。列車が通過してから、その光つてゐるレールを跨ぐときに、何とも名状し難い戰慄を覺える。もしも自分の眼が狂つてゐて、列車が見えないのだつたらどうだらう。かう跨いだ拍子に、自分は轢き殺されてゐるのだ。人間といふものは、死んでも、死んだとは氣がつかないものだといふ話を聞いてゐるので、レールを跨ぎ終へたと思つても安心ならない。こんな風に恐怖をもつて踏切を渡るのは、私一人なのだらうか。”・・・と(※5:青空文庫参照)。
海野だけではないだろう、私が神戸市の都市計画のために今の家に引っ越してくる前の家は、今の家から10分ほど離れたところにある私鉄の駅の前にあった。
その家には終戦後、徳島の疎開先から戻ってきて、私が小学校に入ったころから住んでいたが、同駅から少し離れたところに無人の踏切があり、当時は他にも同じような無人の踏切が沢山あったのになぜかそこだけはしょっちゅう事故が起こるので、近所の人の間では「魔の踏切」と呼ばれていた。そんな場所で、夜の暗闇で青白く光るレールなど見ていると確かに不気味な感じを覚えたものだ。
当駅は、1995(平成7)1月17日(火)に発生した阪神・淡路大震災で倒壊し、戦後栄えていたこの駅周辺は、戦後と同じような焼け野原と化した。だから私の家も、もし今の家へ引越しをしていなければ当然、他の家と同様に震災により倒壊した上火災に会いひどいことになっていただろう。
震災からの復興により、この駅は、今では地下に潜り、地下駅となり市営地下鉄と地下で交差する形になっている。
こうなる前のこの私鉄の駅は、南側はかっての神戸市電の終点で市電がなくなってからは、バスのターミナルとなり大通りには銀行や商店が多く並び私の家もその一角にあった。
駅の反対側(北側)は 戦後市場を中心に発展した繁華な商店街があった。乗降客の多いこの駅は南側、北側それぞれに改札口のある独立した駅舎があり、乗客は、踏切を渡ってそれぞれの改札口から駅に入り電車に乗るようになっていたが、この駅前の繁華な商店街の一部区間には郊外へ行く路線バスが走り、このバスも踏切を渡るし、朝のラッシュ時はいつも多くの踏切を渡る人で混雑をしていた。
また、電車の本数も多いことから、この駅前の踏切には踏切番も常駐していたが、やがて、開かずの踏切となり、乗降客を悩ませた。急ぐものは、無理やり遮断機を押し上げて通ろうとする者もいたりして、トラブルことも多かった。
私も、通勤で毎日、このいったん閉まると何本も電車が通り過ぎるまで開いてくれない開かずの踏切待ちでイライラさせられたものだが、このような踏切問題は、長年の社会問題の一つでもある。
日本では踏み切りというと常に列車優先で、列車が来れば遮断機が道路の通行を遮るもの(遮断機はレールと平行)が殆どだが、日本国外では鉄路が遮断される構造(遮断機は道路と平行)の踏切も多く存在するそうだ。
鉄道発祥の地イギリス(イギリスの鉄道参照)より遅れること40年、明治政府は文明開化の象徴としていち早く鉄道建設に着手、維新の5年後の1872(明治5)年10月14日には新橋~横浜間に、我が国初の鉄道が開通したが、踏切はその頃より存在していた。
当時の土木工事の水準や経済力の成約からやむを得ず道路と鉄道は平面交差で敷設せざるを得ず、結果として多くの踏切が誕生した。以降選挙の度に「我田引鉄」(強引な誘致運動。「我田引水」をもじった言い方。鉄道と政治参照)によって、日本の昭和初期には、今日の鉄道網の原型ができあがり、このことが、今なお踏切問題の遠因となっている。
ただ、鉄道創業当時つまり、明治時代初期の踏み切りは、日本も国外のものと同じ構造で、いつも線路の方に遮断機が降りていたのだそうである。踏み切りのところでは、線路の両側に、汽車に対する危険合図が掲げられ、汽車がやってくると、踏切番が線路上の遮断装置を開いて、現代の踏み切りと同じように、道路の通行を遮断した。この方法が、1887(明治20)年ごろまで続いていたという。
その後、今度は、普段は道路の方に遮断機を下ろしておく、という方法に変わった。通行人が踏み切りにやってくると、踏切番は、道路の遮断機を開き、線路の方を遮断して、線路の遮断装置が閉ざされていることを列車に示す危険合図を掲げた。そして、通行人が渡り終えると、また元の状態に戻して列車を通した。 (※6:「『鉄道なるほど雑学事典』の“草創期の踏切は何と記者の通行を遮断していた!を参照)という。
明治初期の歩行者優先だった踏切はまるで横断歩道のようでうらやましい限りである。
因みに、現在、鉄路が遮断される形態の踏切は、阪神電気鉄道の武庫川信号場(武庫川駅至近)から本線へ出る連絡線上にあるものや、東京地下鉄銀座線の上野検車区入り口付近に設置されているものなどが挙げられる(※7参照。東京地下鉄銀座線上野検車区のものは動画も見ることができる)。ただし、いずれも通過は列車優先である。
鉄道建設や産業の発展に合わせ交通手段の主役が徒歩から急速に鉄道に切り替わってきたことに伴い、鉄道の利便性を求め鉄道路線に沿って市街地が拡大。鉄道が市街地に飲み込まれ、道路も整備され道路と鉄道の平面交差の踏切も増加した。
明治初期の歩行者優先だった踏切が現在の列車優先の踏切に変わったのもこのような経済成長と共にものの考え方そのものが効率重視に変わってきたせいだろう。
戦後の急激な大都市への人口流入に伴い昭和20~30年の間に踏切事故が激増した。
相次ぐ踏切事故を契機として、1952(昭和27)年に新設道路は鉄道と立体交差を原則とする旨道路法(※8)が規定化された。
1961(昭和36)年には、新設道路のみでなく、 既存の平面交差の都市計画道路等についても、 立体交差化の見直しが促進されることとなり、道路と鉄道の立体交差の促進のため、「踏切道改良促進法」(※2)が制定され、道路管理者も鉄道管理者も積極的に踏切除去、保安対策に手を付け、踏切数、踏切事故が急速に減少へ転じた。
しかし、昭和30年代以降高度経済成長を中心に大都市などの都市部に大規模な人口社会移動が発生し、鉄道沿線を中心に都市郊外住宅公団、沿線住宅開発が急速に進み、都市化社会の中で、市街地は急速に外延化(都市が郊外へ移る、拡大すること)した。
そして、市街化の進展や自動車利用の伸びに対応した道路整備も並行して行われたが、結果として、踏切数の増大をもたらし、市街地の外延化やモータりーゼーションの進展に伴い、道路交通量が増大するとともに、鉄道利用者の増大に対応した列車運行本数が増加し、踏切における交通遮断状況がますます深刻化することになった。
1961(昭和36)年の踏切道改良促進法の施行にともない、その結果、国土交通省の調べでは踏切数は、1961(昭和36)年をピークに減少しつづけ、現在(平成21年現在)では、JR(旧国鉄)、民鉄ともピーク時の約半分、合計約 3万4千箇所となり、また、モータリゼーションの進展に伴い、道路と鉄道の立体交差は1975(昭和50)年以降年々増加し、現在では立体交差化率(道路と鉄道の交差箇所数に対する立体交差数の比)は45%を越えているという(※9:の“踏切道の現状”を参照)。
踏切道における事故は、踏切道改良促進法導入後、著しく減少し、1979(昭和54)年以降、踏切事故件数の減少と踏切道の減少が同じような傾向になっている。
しかし、現在でも踏切全体の94%で歩道が未整備(歩道が無いか又は前後区間に比べ狭いもの)となっており、そのうち前後区間に比べ歩道が狭小な踏切だけでも約1,500箇所あるといい、歩行者の滞留や横断時における自動車と歩行者との錯綜がみられ、安全性の向上が課題となっている。
そんな中で、平成21年度の踏切事故は356件発生し、踏切事故による死傷者数は276人にもなっている(※9の“踏切の抱える問題”参照)。
国土交通省では、全国の道路管理者および鉄道事業者の協力のもと、全国の踏切交通実態総点検を実施したところ、緊急に対策の検討が必要な踏切は1,960箇所(平成19年4月あり)、その内訳は以下のようだたそうだ(※10参照)。
①開かずの踏切 : 589箇所、
②自動車と歩行者のボトルネック踏切 : 839箇所 (中・開かずの踏切:538箇所 ・歩行者ボトルネック踏切:301箇所 )
③歩道が狭隘な踏切(開かずの踏切との重複を除く) : 645箇所
ボトルネック踏切とは、通称「開かずの踏切」と呼ばれる踏切などの国土交通省による呼称であり、踏切交通遮断量(自動車1日あたりの交通量×1日あたりの踏切遮断時間)が5万台時/日以上の踏切のことを言い、開かずの踏切とは、ボトルネック踏切のうち、ピーク1時間あたりの遮断時間が40分以上の踏切のことを言うようだ。
用語の○速効対策とは、踏切の歩道拡幅、立体横断施設の整備、遮断時間の短縮を図る賢い踏切の導入など、効果が早期に発現する踏切交通の円滑化、安全性の向上を図る対策のことを、 ○ 抜本対策は、連続立体交差化など、踏切自体を除却することにより、踏切問題を抜本的に解消しなければならない対策を言うようだ(※9の“踏切交通実態総点検”参照)。
こうした調査を踏まえて国土交通省も特に問題が深刻な踏切などへの対応を打ち出してはいるのだが・・・。
2013年の今年、今月(10月)1日にも、午前11時半ごろ横浜市緑区中山町のJR横浜線の鴨居ー中山駅間の川和踏切で線路内にいた男性(74)を助けようとして同区台村町会社員の女性(40)が下り列車にはねられ死亡するといった事故が発生している。
●上掲の画象は、その時の現場の様子である。(2013・10・02朝日新聞朝刊より)
男性は左鎖骨を折るなどの重傷を負ったが命に別条はないという。神奈川県緑警察署によると、男性が下り線の線路上に横たわったまま踏切の遮断機が降下。
先頭で父親の運転する車の助手席に乗って踏切待ちしていた女性は、それを見て、車を降り、踏切に入ってはねられた。
現場を歩いて、踏切待ちをしていた男性(33)は、「『ひかれちゃう』と言いながら、女性は踏切に入った。自分が非常ボタンを押したが、間に合わなかった」と話していた。
父親の話によると、彼女は、踏切内の男性を見て「助けなきゃ」と話し、「ダメだよ、止めろ」と制する父親を振り切って車を降り、踏切に入り、線路上で横ばいになっていた男性のもとにしゃがみ込んで動かそうとしたという。
父親は彼女は「困っている人を放っておけない子だった。助けられた男性には長生きして欲しい」と語り目頭を拭っていたが、人のことなど知らんふりしている人が多くなった今の時代に、こんな優し良い人が、人を助けようとして亡くなってしまったこと非常に残念なことである。彼女のご冥福を心よりお祈りするしかない。
電車待ちしていた男性が助けに入った女性を見てすぐに非常ボタンを押したにもかかわらず電車は急停車が間に合わなかった。テレビ報道などによると電車の運転者側からは見通しの悪い場所の様である。そうなると、踏切がある以上は、このような大事故はなくならないことになる。
助けられた男性は入院中で緑警察では回復を待って踏切内にいた経緯を聞く方針というが、事故があったのは警報器も遮断機もある踏切というから第1種踏切出の意事故ということになる。
男性がどのような事情で踏切内に倒れていたかの詳細は分からないが、亡くなった女性の父親が言っているように助かった命、どうしても長生きしてあげなければ、女性は浮かばれないだろう・・・。
このような踏切内に倒れている人を助けようとして亡くなる事故は、昨年JR高崎線でもあったのを思い出した。詳細は覚えていないので、以下参考の※11:「埼玉県本庄市JR高崎線上町踏切~二人が亡くなった踏切」を参考に書かせてもらう。
それは、昨・2012年11月埼玉県本庄市JR高崎線の上町踏切で、男性(70)と、女性(60)が列車に撥ねられて亡くなった事故であり、列車は高崎発小田原行きの上り特別快速列車(10両編成)だった。
ここの踏切も、警報機、遮断機が設置されている第1種踏切で、また、車両を検知するための障害物検知装置(略して「障検」)と、踏切の異常を運転士に知らせるため、特殊発光器を発光させる非常ボタン(列車非常停止警報装置)が踏切の2か所に設置されていたという。
本庄署では列車の運転士の目撃情報から、女性が男性を助けようとして、下りていた遮断機をくぐって踏切内に入り、事故に巻き込まれたと見ている。同署の調べによると、列車の運転士は走行中、前方で踏切内にしゃがんでいる男性を発見し、ブレーキをかけた。その直後に、女性が遮断機をくぐって男性にかけより、背後から男性の両脇をかかえて線路の外に運び出そうとしていたという。しかし、電車はブレーキが間に合わず、二人を撥ね、二人は亡くなったとしている。ただ、通行人が非常ボタンを押した形跡はないという。
彼女も今回の横浜線で事故にあった女性同様、「困っている人を放っておけない性格」の人であったのだろう。自分が死ぬかもわからなくても困っている人を見たら助け出そうとする行動は、普通の人にはなかなか真似のできないことであるが、河でおぼれかけている人を助けようとして助けようとした人までもが一緒におぼれることが多いのと同様、このような危険な状況を目にしたら誰にでも助けてあげなさいとはなかなか言えないなかなか難しい問題でもある。
ただ、自転車に乗って横断していると、路面が悪く自転車がはずんで荷物を落とすこともある状況らしく、通行者が、そんな荷物などをとりに引き返したりしないよう路面の整備等はきちんとしてもらわなくては困るよね~。
それから、ここの踏切のことではないが、特殊信号発光機は、ボタンを押す以外にも、人(物)にも反応するそうで、心無い沿線住民が、踏切が降りてるのに平気で渡る(しかも複数が)ことから、信号が赤になったり青になったりして、列車乗務員にとって大変なようだ。そして、これにより、列車遅延の原因にもなり、設置を減らそうとしているとも言われている。通行人も交通ルールを守る必要はあるようだ(※12参照)。
それにこのような、警報機や遮断機のある踏切はまだいいが、これらがなにもない踏切(第4種踏切)のあるところはもっと事故が多い。以下参考の※13:【「必要悪?】死亡事故続出の「第4種踏切」、悲しい事情」によると、秩父鉄道には、70キロメートルを超える路線に第4種踏切が99カ所もあり、1999年以降の踏切事故死亡者は14人もいるという(ブログ更新日2013年07月02日)。
人が近付くと音声装置が、踏切であることを注意喚起するが、その時はまだ目の前に列車が近付いているわけではないので、この音声装置に慣れてくると、列車が来ないだろうと渡ってしまいかねない人が多いのだという。このような、第4種踏切は是非改善しないといけないよね~。
国土交通省が問題となる「緊急に対策が検討の必要な踏切」としているものの多くは大都市圏に存在し、東京23区の踏切数だけを見ても、海外の主要都市に比較して圧倒的に多く、パリの約60倍にも達している。
【東京23区と海外の主要都市との踏切数の比較】(※13参照)
東京23区672箇所(平成21年現在)
ニューヨーク 122箇所(平成17年現在)
ロンドン 10か所(平成17年現在)
ベルリン 46か所(平成17年現在)
パリ 11か所(平成21年現在)
急激な都市化や道路交通量の増大に対応した社会資本に追われてきた20世紀、踏切問題は20世紀の負の遺産ともいえる問題であり、早期に解消すべき事項であるが、なかなか、費用を要する問題でもあり、鉄道事業者、道路管理団体(地方公共団体)とも取り組みが消極的な様である。
しかし、踏切問題は、踏切の存する地域住民の生活に大きな影響を及ぼす問題でもあり、問題発生の原因者である鉄道関係者、道路管理者等はもっと積極的に解決に取り組んでもらいたいものだ。こんな不幸な事故を起こさないためにも・・・ね。
参考:
※1:今日は何の日~毎日が記念日~
http://www.nnh.to/
※2:昭和36年法律第195号【改正履歴等】(踏切道改良促進法について)
http://hourei.hounavi.jp/seitei/enkaku/S36/S36HO195.php
※3:鉄道に関する技術上の基準を定める省令
http://www.lawdata.org/law/htmldata/H13/H13F16001000151.html
※4:下級裁判例 平成20(ワ)8 損害賠償請求事件 (PDF) - 裁判所
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090417195030.pdf
※5:青空文庫:作家別作品リスト:No.160作家名: 海野 十三
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person160.html
※6:『鉄道なるほど雑学事典』
http://books.google.co.jp/books?id=dMNPpKB6ct8C&pg=PT136&lpg=PT136&dq=%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%BB%E3%81%A9%E9%9B%91%E5%AD%A6%E4%BA%8B%E5%85%B8&source=bl&ots=rQhqhVtrNL&sig=zam0WtzZkd_N-i_3zZnxfLyYSXY#v=onepage&q=%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%BB%E3%81%A9%E9%9B%91%E5%AD%A6%E4%BA%8B%E5%85%B8&f=false
※7:レイルエンヂニアリング 阪神本線 - 武庫川信号場
http://oomatipalk2.blog91.fc2.com/blog-entry-14.html
※8:道路法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S27/S27HO180.html
※9:国土交通省道路局| 踏切の現状と対策
http://www.mlit.go.jp/road/sisaku/fumikiri/fu_index.html
※10:緊急に対策の検討が必要な踏切箇所一覧(都道府県別)(Adobe PDF)
http://www.mlit.go.jp/common/000233453.pdf#search='%E7%B7%8A%E6%80%A5%E3%81%AB%E5%AF%BE%E7%AD%96%E3%81%8C%E6%A4%9C%E8%A8%8E%E3%81%AE%E5%BF%85%E8%A6%81%E3%81%AA%E8%B8%8F%E5%88%87'
※11:埼玉県本庄市JR高崎線上町踏切~二人が亡くなった踏切
http://tomosibi.blogspot.jp/2013/01/jr.html
※12:踏切非常ボタン(特殊信号発光機)|列車運転士のつぶやき
http://ameblo.jp/918101/entry-11463771882.html
※13:【必要悪?】死亡事故続出の「第4種踏切」、悲しい事情
http://matome.naver.jp/odai/2137272352111380201
※13;社会資本整備関係 参考資料(国際比較) 平成22年11月24日- 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/common/000129516.pdf#search='%E8%B8%8F%E5%88%87%E6%95%B0+%E8%AB%B8%E5%A4%96%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%AF%94%E8%BC%83'
川和踏切のリアルタイム検索結果
http://realtime.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E5%B7%9D%E5%92%8C%E8%B8%8F%E5%88%87
踏切 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B8%8F%E5%88%87
ただ、毎月23日が記念日に登録されているのは、「ふ(2)み(3)きり」の語呂合わせからであろうことだけは察しが付く。
記念日の趣旨が何かは知らないが、今日は、記念日にあやかって踏切に関することを書くことにしよう。
踏切は、鉄道と道路法(昭和二十七年法律第百八十号)による道路が平面交差する場所をいい、「踏切道改良促進法」(昭和三十六年十一月七日法律第百九十五号。※2参照)など法律上は踏切道という言葉を使っている。
日本の現行法令(※3:「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」参照)40条では、踏切道は踏切道を通行する人及び自動車等(以下『踏切道通行人等』という。)の安全かつ円滑な通行に配慮したものであり、かつ、第62条の踏切保安設備(踏切警報機と遮断機、または踏切警報機のみ)を設けたものでなければならないとされている。ただし、以前から存在するものについてまでその義務を新たに課したものではない(※4参照)。
踏切には保安設備により第1種から第4種があるが、現在一般的なのは“自動踏切警報機と自動遮断機を設置するか、踏切保安係を配置して、列車が通る際に道路の交通を遮断機によって、通過する全ての列車または車両に対して、道路を遮断するものとなっており、第3種(遮断機はないが踏切警報機が設置されているもの。)は第1種甲に転換され数が減ってきている(種類についてはここ参照)。
それでも最近の鉄道関連の死亡事故は、そのほとんどが踏みきりで起きている。
日本におけるSFの始祖といわれる小説家海野十三はエッセイ(随筆)『恐怖について』で以下のように書いている。(※青空文庫参照)
“私は踏切を通ることが恐しい。うちの近所には、番人の居ない踏切があつて、よく子供が轢き殺され、「魔の踏切」などと新聞に書きたてられたものである。あすこへ行き掛ると、列車が風を切つて飛んできて、目と鼻との間を轟々と行き過ぎることがある。列車が通過してから、その光つてゐるレールを跨ぐときに、何とも名状し難い戰慄を覺える。もしも自分の眼が狂つてゐて、列車が見えないのだつたらどうだらう。かう跨いだ拍子に、自分は轢き殺されてゐるのだ。人間といふものは、死んでも、死んだとは氣がつかないものだといふ話を聞いてゐるので、レールを跨ぎ終へたと思つても安心ならない。こんな風に恐怖をもつて踏切を渡るのは、私一人なのだらうか。”・・・と(※5:青空文庫参照)。
海野だけではないだろう、私が神戸市の都市計画のために今の家に引っ越してくる前の家は、今の家から10分ほど離れたところにある私鉄の駅の前にあった。
その家には終戦後、徳島の疎開先から戻ってきて、私が小学校に入ったころから住んでいたが、同駅から少し離れたところに無人の踏切があり、当時は他にも同じような無人の踏切が沢山あったのになぜかそこだけはしょっちゅう事故が起こるので、近所の人の間では「魔の踏切」と呼ばれていた。そんな場所で、夜の暗闇で青白く光るレールなど見ていると確かに不気味な感じを覚えたものだ。
当駅は、1995(平成7)1月17日(火)に発生した阪神・淡路大震災で倒壊し、戦後栄えていたこの駅周辺は、戦後と同じような焼け野原と化した。だから私の家も、もし今の家へ引越しをしていなければ当然、他の家と同様に震災により倒壊した上火災に会いひどいことになっていただろう。
震災からの復興により、この駅は、今では地下に潜り、地下駅となり市営地下鉄と地下で交差する形になっている。
こうなる前のこの私鉄の駅は、南側はかっての神戸市電の終点で市電がなくなってからは、バスのターミナルとなり大通りには銀行や商店が多く並び私の家もその一角にあった。
駅の反対側(北側)は 戦後市場を中心に発展した繁華な商店街があった。乗降客の多いこの駅は南側、北側それぞれに改札口のある独立した駅舎があり、乗客は、踏切を渡ってそれぞれの改札口から駅に入り電車に乗るようになっていたが、この駅前の繁華な商店街の一部区間には郊外へ行く路線バスが走り、このバスも踏切を渡るし、朝のラッシュ時はいつも多くの踏切を渡る人で混雑をしていた。
また、電車の本数も多いことから、この駅前の踏切には踏切番も常駐していたが、やがて、開かずの踏切となり、乗降客を悩ませた。急ぐものは、無理やり遮断機を押し上げて通ろうとする者もいたりして、トラブルことも多かった。
私も、通勤で毎日、このいったん閉まると何本も電車が通り過ぎるまで開いてくれない開かずの踏切待ちでイライラさせられたものだが、このような踏切問題は、長年の社会問題の一つでもある。
日本では踏み切りというと常に列車優先で、列車が来れば遮断機が道路の通行を遮るもの(遮断機はレールと平行)が殆どだが、日本国外では鉄路が遮断される構造(遮断機は道路と平行)の踏切も多く存在するそうだ。
鉄道発祥の地イギリス(イギリスの鉄道参照)より遅れること40年、明治政府は文明開化の象徴としていち早く鉄道建設に着手、維新の5年後の1872(明治5)年10月14日には新橋~横浜間に、我が国初の鉄道が開通したが、踏切はその頃より存在していた。
当時の土木工事の水準や経済力の成約からやむを得ず道路と鉄道は平面交差で敷設せざるを得ず、結果として多くの踏切が誕生した。以降選挙の度に「我田引鉄」(強引な誘致運動。「我田引水」をもじった言い方。鉄道と政治参照)によって、日本の昭和初期には、今日の鉄道網の原型ができあがり、このことが、今なお踏切問題の遠因となっている。
ただ、鉄道創業当時つまり、明治時代初期の踏み切りは、日本も国外のものと同じ構造で、いつも線路の方に遮断機が降りていたのだそうである。踏み切りのところでは、線路の両側に、汽車に対する危険合図が掲げられ、汽車がやってくると、踏切番が線路上の遮断装置を開いて、現代の踏み切りと同じように、道路の通行を遮断した。この方法が、1887(明治20)年ごろまで続いていたという。
その後、今度は、普段は道路の方に遮断機を下ろしておく、という方法に変わった。通行人が踏み切りにやってくると、踏切番は、道路の遮断機を開き、線路の方を遮断して、線路の遮断装置が閉ざされていることを列車に示す危険合図を掲げた。そして、通行人が渡り終えると、また元の状態に戻して列車を通した。 (※6:「『鉄道なるほど雑学事典』の“草創期の踏切は何と記者の通行を遮断していた!を参照)という。
明治初期の歩行者優先だった踏切はまるで横断歩道のようでうらやましい限りである。
因みに、現在、鉄路が遮断される形態の踏切は、阪神電気鉄道の武庫川信号場(武庫川駅至近)から本線へ出る連絡線上にあるものや、東京地下鉄銀座線の上野検車区入り口付近に設置されているものなどが挙げられる(※7参照。東京地下鉄銀座線上野検車区のものは動画も見ることができる)。ただし、いずれも通過は列車優先である。
鉄道建設や産業の発展に合わせ交通手段の主役が徒歩から急速に鉄道に切り替わってきたことに伴い、鉄道の利便性を求め鉄道路線に沿って市街地が拡大。鉄道が市街地に飲み込まれ、道路も整備され道路と鉄道の平面交差の踏切も増加した。
明治初期の歩行者優先だった踏切が現在の列車優先の踏切に変わったのもこのような経済成長と共にものの考え方そのものが効率重視に変わってきたせいだろう。
戦後の急激な大都市への人口流入に伴い昭和20~30年の間に踏切事故が激増した。
相次ぐ踏切事故を契機として、1952(昭和27)年に新設道路は鉄道と立体交差を原則とする旨道路法(※8)が規定化された。
1961(昭和36)年には、新設道路のみでなく、 既存の平面交差の都市計画道路等についても、 立体交差化の見直しが促進されることとなり、道路と鉄道の立体交差の促進のため、「踏切道改良促進法」(※2)が制定され、道路管理者も鉄道管理者も積極的に踏切除去、保安対策に手を付け、踏切数、踏切事故が急速に減少へ転じた。
しかし、昭和30年代以降高度経済成長を中心に大都市などの都市部に大規模な人口社会移動が発生し、鉄道沿線を中心に都市郊外住宅公団、沿線住宅開発が急速に進み、都市化社会の中で、市街地は急速に外延化(都市が郊外へ移る、拡大すること)した。
そして、市街化の進展や自動車利用の伸びに対応した道路整備も並行して行われたが、結果として、踏切数の増大をもたらし、市街地の外延化やモータりーゼーションの進展に伴い、道路交通量が増大するとともに、鉄道利用者の増大に対応した列車運行本数が増加し、踏切における交通遮断状況がますます深刻化することになった。
1961(昭和36)年の踏切道改良促進法の施行にともない、その結果、国土交通省の調べでは踏切数は、1961(昭和36)年をピークに減少しつづけ、現在(平成21年現在)では、JR(旧国鉄)、民鉄ともピーク時の約半分、合計約 3万4千箇所となり、また、モータリゼーションの進展に伴い、道路と鉄道の立体交差は1975(昭和50)年以降年々増加し、現在では立体交差化率(道路と鉄道の交差箇所数に対する立体交差数の比)は45%を越えているという(※9:の“踏切道の現状”を参照)。
踏切道における事故は、踏切道改良促進法導入後、著しく減少し、1979(昭和54)年以降、踏切事故件数の減少と踏切道の減少が同じような傾向になっている。
しかし、現在でも踏切全体の94%で歩道が未整備(歩道が無いか又は前後区間に比べ狭いもの)となっており、そのうち前後区間に比べ歩道が狭小な踏切だけでも約1,500箇所あるといい、歩行者の滞留や横断時における自動車と歩行者との錯綜がみられ、安全性の向上が課題となっている。
そんな中で、平成21年度の踏切事故は356件発生し、踏切事故による死傷者数は276人にもなっている(※9の“踏切の抱える問題”参照)。
国土交通省では、全国の道路管理者および鉄道事業者の協力のもと、全国の踏切交通実態総点検を実施したところ、緊急に対策の検討が必要な踏切は1,960箇所(平成19年4月あり)、その内訳は以下のようだたそうだ(※10参照)。
①開かずの踏切 : 589箇所、
②自動車と歩行者のボトルネック踏切 : 839箇所 (中・開かずの踏切:538箇所 ・歩行者ボトルネック踏切:301箇所 )
③歩道が狭隘な踏切(開かずの踏切との重複を除く) : 645箇所
ボトルネック踏切とは、通称「開かずの踏切」と呼ばれる踏切などの国土交通省による呼称であり、踏切交通遮断量(自動車1日あたりの交通量×1日あたりの踏切遮断時間)が5万台時/日以上の踏切のことを言い、開かずの踏切とは、ボトルネック踏切のうち、ピーク1時間あたりの遮断時間が40分以上の踏切のことを言うようだ。
用語の○速効対策とは、踏切の歩道拡幅、立体横断施設の整備、遮断時間の短縮を図る賢い踏切の導入など、効果が早期に発現する踏切交通の円滑化、安全性の向上を図る対策のことを、 ○ 抜本対策は、連続立体交差化など、踏切自体を除却することにより、踏切問題を抜本的に解消しなければならない対策を言うようだ(※9の“踏切交通実態総点検”参照)。
こうした調査を踏まえて国土交通省も特に問題が深刻な踏切などへの対応を打ち出してはいるのだが・・・。
2013年の今年、今月(10月)1日にも、午前11時半ごろ横浜市緑区中山町のJR横浜線の鴨居ー中山駅間の川和踏切で線路内にいた男性(74)を助けようとして同区台村町会社員の女性(40)が下り列車にはねられ死亡するといった事故が発生している。
●上掲の画象は、その時の現場の様子である。(2013・10・02朝日新聞朝刊より)
男性は左鎖骨を折るなどの重傷を負ったが命に別条はないという。神奈川県緑警察署によると、男性が下り線の線路上に横たわったまま踏切の遮断機が降下。
先頭で父親の運転する車の助手席に乗って踏切待ちしていた女性は、それを見て、車を降り、踏切に入ってはねられた。
現場を歩いて、踏切待ちをしていた男性(33)は、「『ひかれちゃう』と言いながら、女性は踏切に入った。自分が非常ボタンを押したが、間に合わなかった」と話していた。
父親の話によると、彼女は、踏切内の男性を見て「助けなきゃ」と話し、「ダメだよ、止めろ」と制する父親を振り切って車を降り、踏切に入り、線路上で横ばいになっていた男性のもとにしゃがみ込んで動かそうとしたという。
父親は彼女は「困っている人を放っておけない子だった。助けられた男性には長生きして欲しい」と語り目頭を拭っていたが、人のことなど知らんふりしている人が多くなった今の時代に、こんな優し良い人が、人を助けようとして亡くなってしまったこと非常に残念なことである。彼女のご冥福を心よりお祈りするしかない。
電車待ちしていた男性が助けに入った女性を見てすぐに非常ボタンを押したにもかかわらず電車は急停車が間に合わなかった。テレビ報道などによると電車の運転者側からは見通しの悪い場所の様である。そうなると、踏切がある以上は、このような大事故はなくならないことになる。
助けられた男性は入院中で緑警察では回復を待って踏切内にいた経緯を聞く方針というが、事故があったのは警報器も遮断機もある踏切というから第1種踏切出の意事故ということになる。
男性がどのような事情で踏切内に倒れていたかの詳細は分からないが、亡くなった女性の父親が言っているように助かった命、どうしても長生きしてあげなければ、女性は浮かばれないだろう・・・。
このような踏切内に倒れている人を助けようとして亡くなる事故は、昨年JR高崎線でもあったのを思い出した。詳細は覚えていないので、以下参考の※11:「埼玉県本庄市JR高崎線上町踏切~二人が亡くなった踏切」を参考に書かせてもらう。
それは、昨・2012年11月埼玉県本庄市JR高崎線の上町踏切で、男性(70)と、女性(60)が列車に撥ねられて亡くなった事故であり、列車は高崎発小田原行きの上り特別快速列車(10両編成)だった。
ここの踏切も、警報機、遮断機が設置されている第1種踏切で、また、車両を検知するための障害物検知装置(略して「障検」)と、踏切の異常を運転士に知らせるため、特殊発光器を発光させる非常ボタン(列車非常停止警報装置)が踏切の2か所に設置されていたという。
本庄署では列車の運転士の目撃情報から、女性が男性を助けようとして、下りていた遮断機をくぐって踏切内に入り、事故に巻き込まれたと見ている。同署の調べによると、列車の運転士は走行中、前方で踏切内にしゃがんでいる男性を発見し、ブレーキをかけた。その直後に、女性が遮断機をくぐって男性にかけより、背後から男性の両脇をかかえて線路の外に運び出そうとしていたという。しかし、電車はブレーキが間に合わず、二人を撥ね、二人は亡くなったとしている。ただ、通行人が非常ボタンを押した形跡はないという。
彼女も今回の横浜線で事故にあった女性同様、「困っている人を放っておけない性格」の人であったのだろう。自分が死ぬかもわからなくても困っている人を見たら助け出そうとする行動は、普通の人にはなかなか真似のできないことであるが、河でおぼれかけている人を助けようとして助けようとした人までもが一緒におぼれることが多いのと同様、このような危険な状況を目にしたら誰にでも助けてあげなさいとはなかなか言えないなかなか難しい問題でもある。
ただ、自転車に乗って横断していると、路面が悪く自転車がはずんで荷物を落とすこともある状況らしく、通行者が、そんな荷物などをとりに引き返したりしないよう路面の整備等はきちんとしてもらわなくては困るよね~。
それから、ここの踏切のことではないが、特殊信号発光機は、ボタンを押す以外にも、人(物)にも反応するそうで、心無い沿線住民が、踏切が降りてるのに平気で渡る(しかも複数が)ことから、信号が赤になったり青になったりして、列車乗務員にとって大変なようだ。そして、これにより、列車遅延の原因にもなり、設置を減らそうとしているとも言われている。通行人も交通ルールを守る必要はあるようだ(※12参照)。
それにこのような、警報機や遮断機のある踏切はまだいいが、これらがなにもない踏切(第4種踏切)のあるところはもっと事故が多い。以下参考の※13:【「必要悪?】死亡事故続出の「第4種踏切」、悲しい事情」によると、秩父鉄道には、70キロメートルを超える路線に第4種踏切が99カ所もあり、1999年以降の踏切事故死亡者は14人もいるという(ブログ更新日2013年07月02日)。
人が近付くと音声装置が、踏切であることを注意喚起するが、その時はまだ目の前に列車が近付いているわけではないので、この音声装置に慣れてくると、列車が来ないだろうと渡ってしまいかねない人が多いのだという。このような、第4種踏切は是非改善しないといけないよね~。
国土交通省が問題となる「緊急に対策が検討の必要な踏切」としているものの多くは大都市圏に存在し、東京23区の踏切数だけを見ても、海外の主要都市に比較して圧倒的に多く、パリの約60倍にも達している。
【東京23区と海外の主要都市との踏切数の比較】(※13参照)
東京23区672箇所(平成21年現在)
ニューヨーク 122箇所(平成17年現在)
ロンドン 10か所(平成17年現在)
ベルリン 46か所(平成17年現在)
パリ 11か所(平成21年現在)
急激な都市化や道路交通量の増大に対応した社会資本に追われてきた20世紀、踏切問題は20世紀の負の遺産ともいえる問題であり、早期に解消すべき事項であるが、なかなか、費用を要する問題でもあり、鉄道事業者、道路管理団体(地方公共団体)とも取り組みが消極的な様である。
しかし、踏切問題は、踏切の存する地域住民の生活に大きな影響を及ぼす問題でもあり、問題発生の原因者である鉄道関係者、道路管理者等はもっと積極的に解決に取り組んでもらいたいものだ。こんな不幸な事故を起こさないためにも・・・ね。
参考:
※1:今日は何の日~毎日が記念日~
http://www.nnh.to/
※2:昭和36年法律第195号【改正履歴等】(踏切道改良促進法について)
http://hourei.hounavi.jp/seitei/enkaku/S36/S36HO195.php
※3:鉄道に関する技術上の基準を定める省令
http://www.lawdata.org/law/htmldata/H13/H13F16001000151.html
※4:下級裁判例 平成20(ワ)8 損害賠償請求事件 (PDF) - 裁判所
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090417195030.pdf
※5:青空文庫:作家別作品リスト:No.160作家名: 海野 十三
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person160.html
※6:『鉄道なるほど雑学事典』
http://books.google.co.jp/books?id=dMNPpKB6ct8C&pg=PT136&lpg=PT136&dq=%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%BB%E3%81%A9%E9%9B%91%E5%AD%A6%E4%BA%8B%E5%85%B8&source=bl&ots=rQhqhVtrNL&sig=zam0WtzZkd_N-i_3zZnxfLyYSXY#v=onepage&q=%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%BB%E3%81%A9%E9%9B%91%E5%AD%A6%E4%BA%8B%E5%85%B8&f=false
※7:レイルエンヂニアリング 阪神本線 - 武庫川信号場
http://oomatipalk2.blog91.fc2.com/blog-entry-14.html
※8:道路法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S27/S27HO180.html
※9:国土交通省道路局| 踏切の現状と対策
http://www.mlit.go.jp/road/sisaku/fumikiri/fu_index.html
※10:緊急に対策の検討が必要な踏切箇所一覧(都道府県別)(Adobe PDF)
http://www.mlit.go.jp/common/000233453.pdf#search='%E7%B7%8A%E6%80%A5%E3%81%AB%E5%AF%BE%E7%AD%96%E3%81%8C%E6%A4%9C%E8%A8%8E%E3%81%AE%E5%BF%85%E8%A6%81%E3%81%AA%E8%B8%8F%E5%88%87'
※11:埼玉県本庄市JR高崎線上町踏切~二人が亡くなった踏切
http://tomosibi.blogspot.jp/2013/01/jr.html
※12:踏切非常ボタン(特殊信号発光機)|列車運転士のつぶやき
http://ameblo.jp/918101/entry-11463771882.html
※13:【必要悪?】死亡事故続出の「第4種踏切」、悲しい事情
http://matome.naver.jp/odai/2137272352111380201
※13;社会資本整備関係 参考資料(国際比較) 平成22年11月24日- 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/common/000129516.pdf#search='%E8%B8%8F%E5%88%87%E6%95%B0+%E8%AB%B8%E5%A4%96%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%AF%94%E8%BC%83'
川和踏切のリアルタイム検索結果
http://realtime.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E5%B7%9D%E5%92%8C%E8%B8%8F%E5%88%87
踏切 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B8%8F%E5%88%87
踏切は、検車区にもあるというブログ紹介でしたが、当方は「地下鉄に踏切」があるのは珍しいとして出かけて写真に撮ってきました。
場所は、もちろん東京地下鉄銀座線の上野検車区の踏切です。
踏切で、老人を助けたが自分が死んでしまう事故がありましたが、不幸な事件です。
美談ではありますが、助けた老人より若い女性が犠牲になったのですから、なんとも後味の悪い事件でした。
やはり、身の安全を確保するのが前提で救出に手を貸すべきです。
このような事故で、助けた人がなくなるというのは悲しいですね。
あなたの言うとおり、身の安全を確保するのが前提で救出に手を貸すべきでしょう。