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今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

盆送り火

2005-08-16 | 行事
今日は(8月16日)は「盆送り火」(月遅れ)の日。
お盆は、祖先の冥福を祈る仏教行事で、地域や宗派により様々なしきたりや習慣がある。盆期間は旧暦7月15日を中心に、7月13日~16日(4日間)の期間に行われるが、今、全国的にみれば、月遅れの8月にするところが多いだろう。盆の入り(13日)の夕方、迎え火を焚いて先祖の霊をお迎えし、供養し、盆明けの今日(16日)の夕方、送り火を焚き、祖先の霊をあの世にお送りする。これが送り火。盆送り、送り盆などとも呼ばれている。
お盆の行事は、親戚一同が集まり、故郷を離れている人では帰郷する人も多い。このため、学校などの夏季休暇のある8月の方がやりやすいだろう。
8月16日の今日、京都で行われる「五山の送り火」も、大がかりな「送り火」。この送り火は、京都盆地を囲む周囲の5つの山に夜、それぞれ「大文字」「左大文字」「船形」「鳥居形」「妙法」の形に火をともすというもので、五つの山に5種類の送り火を焚くところから「五山の送り火」と呼ばれるようになった。非常に壮大で幻想的である。「大文字焼き」という名前で全国に広く知られている。「精霊送り」の意味を持つ盆行事の一形態で、葵祭・祇園祭・時代祭に加え、京都四大行事と称している。関西では、他に、奈良の「大文字送り火」が有名である。ややこしいので、京都の大文字は「五山の送り火」、奈良では「大文字送り火」と呼んでいる。
夏の風物詩ともなっている打ち上げ花火、今は、観光用として行われているが、この打ち上げ花火も元々は、精霊送りの行事であったらしい。江戸時代に初盆の供養として、精霊送りとともに「柱松の花火」という簡単な回転花火を上げていたが、その花火を熊野で作ったのが始まりとされている。私は見たことないが、熊野の花火も、時代とともに規模が拡大しているが、現在の花火大会でも、本来の目的である初精霊供養の要素は消える事が無く、初精霊供養の灯籠焼きや追善供養の打ち上げ花火などがプログラムに組み込まれているそうだ。余談であるが、熊野の花火は、三河地方の花火に続く古い歴史と伝統をもつ行事として受け継がれてきたと言われているが、全国に知られている「三河花火」は、徳川家康が生誕地に火薬製造を特別に認めたのが出発点で、軍事技術を平和利用、そして菅生神社の祭礼で奉納花火が始まったそうだ。三河地方の花火の中では、岡崎の花火が超有名。私は、若い頃、(35年位前)仕事で、岡崎に住んでいたことがある。仕事の関係先から桟敷席に招待され、花火を見たが、神戸などでは見たことのないその豪華さに驚かされ、感激したものである。
盆明けの16日には、送り火とともに、「精霊流し」(しょうりょうながし、またはしょうろうながし)をするところがある。お盆の間、帰って来ていた先祖の霊を、お供え物や灯籠を川や海に流すことで送り出す行事であり、雛祭りの原型とされる流し雛の行事との類似性が指摘されている。近年では河川や海の環境汚染を起こすことから放流を禁止する自治体が多い。
「精霊流し」・・・と言えば、長崎の「精霊流し」が、有名だが、それよりも、あの有名な歌『精霊流し』を思い出すよね~。

せんこう花火が見えますか 空の上から
約束どおりに あなたの愛した
レコードも一緒に 流しましょう
そしてあなたの 舟のあとを
ついてゆきましょう
私の小さな弟が
なんにも知らずに はしゃぎ回って
精霊流しが華やかに 始まるのです

長崎市出身の歌手・さだまさしさんが、自分の従兄弟の死に際して、長崎市で行なわれている精霊流しを題材にして、1974(昭和49)年に作ったそうだ。これが、グループ最初のヒット曲となり、さだまさしさんは、日本レコード大賞作詞賞を受賞した。
今日16日に聞く曲としてはぴったりの歌。とても、いい歌なので、懐かしいその曲を聞いてみよう。

MIDI 「霊(しょうろう)流し」さだまさし作詞・作曲 /歌詞付き
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/shourou.html

(画像は、京都大文送り火)
(参考:
お盆 (Wikipedia )
http://ja.wikipedia.org/wiki/お盆
京都新聞/大文字・五山送り火
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/gozan/dai.html
奈良大文字送り火
http://www1.sphere.ne.jp/naracity/j/ivnt/ivnt_data/ivnt97/
熊野大花火オフィシャルホームページ
http://www.ztv.ne.jp/web/kumanoshi-kankoukyoukai/

終戦記念日

2005-08-15 | 記念日
今日(8月15日)は、「終戦記念日」
1945(昭和20)年8月14日、政府はポツダム宣言を受諾し、翌15日の正午、昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられた。これにより第二次世界大戦が終結した。内務省の発表によれば、戦死者は約212万人、空襲による死者は約24万人という。1963(昭和38)年から毎年、政府主催による「全国戦没者追悼式」が東京九段にある日本武道館で行われている。今年2005年は、戦後60年という節目の年を迎える。式典には全国の遺族の代表などが参列。NHKの番組では正午の黙とう、天皇陛下のお言葉、内閣総理大臣の式辞などを中心に中継で報道される。
明治維新という近代化革命に奇跡的な成功を収めた日本は、日清、日露の両大戦の成果に奢り、中国大陸への侵略、国際連盟からの脱退、そして太平洋戦争へと突き進み、1945年8月惨澹たる状況の中でこの日を迎えた。
敗戦後、日本は、もう二度と戦争は嫌だという、生き残った人々の強烈な平和への共通意識が、あの焼け野原から、多くの困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてきた。わが国は、一時期、国策を誤り、戦争への道へ突き進み亡国の危機に陥り、外に対しては、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。この歴史の事実は謙虚に受け止めなくてはいけないだろう。しかし、思えば戦前も遠くなったものである。戦後も60年が経過し、平和で豊かな日本となった今日、ややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになる。同時に、戦争を直接体験した世代が政治、経済の指導的立場より姿を消し始めた今日、やたらと、勇ましい話も出始めた。そのため、戦争の悲惨さを、若い世代にきっちりと語り伝えていかなければならないだろう。
今日(8月15日)は、月遅れの「お盆」である。本来、終戦記念日とするのであれば、世界の例から見ると、ポツダム宣言を受諾した8月14日か、降伏文書に調印した9月2日が終戦の日となる。それを、8月15日の今日を、「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」(「終戦記念日」)と位置づけ、政府が閣議決定したのには、いろいろ思惑もあってのことだろう。お盆には、死者の魂を追慕し、供養すべき日として日本人の生活のなかに根付いている。先祖の供養とともに、「お国の為に戦争に行って亡くなられた多くの人の魂を弔いたい」という意識がつねに終戦記念日とともに沸いてくる。
私も今日は、お寺へお盆のお参りに行く。先祖とともに戦争で亡くなられた方たちの霊を慰めたいと思っている。
毎年、私は、先の戦争のことを想い、一つの優れた歌を聴く。寺島尚彦作詞・作曲の『さとうきび畑』である。
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる
夏の ひざしの中で
沖縄返還の5年前、1967(昭和42)年に作られたものといわれるが、森山良子他が歌っている。
淡々と,感情をおさえて歌っており、声高な反戦歌ではないものの、非戦・鎮魂の思いがひたひたと伝わってくる歌である。第二次大戦下、もはや日本の敗北必至の状況下の中、軍部は本土決戦を主張し、その本土防衛の盾となったのが沖縄である。沖縄では、本土決戦と同じ手法がテストされた。そのため、日本で唯一住民を巻き込んでの地上戦は悲惨であり、むごたらしいものであった。私の持っている写真雑誌にも、倒した敵が女性であり、それを呆然として見つめているアメリカ兵の姿がある。この歌は、そんな沖縄の状況を伝えようと作られた静かな静かな反戦のメッセージである。
以下に、楽譜付きのMIDIをリンクしておいた。長い詩である。歌を歌いながら、「先の戦争」とどう向き合うか、これからの日本の防衛問題などをどう考えてゆくべきか・・・静かに考えてみてはどうだろうか。
MIDI「さとうきび畑」
作詞・作曲:寺島尚彦。(二木紘三のMIDI歌声喫茶)

(画像は、戦った敵の日本兵が女であったのを見て愕然としている米兵。朝日クロニクル,週刊20世紀より)
参考:
終戦記念日 (Wikipedia )
http://ja.wikipedia.org/wiki/終戦記念日








「ポツダム宣言受諾」を決定。

2005-08-14 | 歴史
1945(昭和20)年の今日(8月14日)は、御前会議で「ポツダム宣言受諾」を決定した日。
1945(昭和20)年、すでに、4月28日には、イタリーのムッソリニーが処刑され、4月30日、ドイツのヒトラーは自殺、5月7日、ドイツが連合国軍に無条件降伏していた。米英ソの三国首脳は7月、ベルルンで会談し、ヨーロッパの戦後処理とともに、日本の降伏条件を決め、米英中(支那=中華民国・蒋介石)の三国は、26日、対日ポツダム宣言を発表した。そのポツダム宣言を黙殺するという鈴木首相談話がアメリカに拒否回答とみなされ、8月6日、米軍は最初の原爆を広島に、8月9日には長崎へも投下した。一方、日本から和平の仲介を要請されていたソ連も、日本のポツダム宣言拒否を理由に、8月8日、対日宣言を布告。南樺太、満州、千島に進行を開始した。
この原爆投下、ソ連の進行などにより、日本の敗戦が決定的となった8月9日の御前会議では、皇室の国法上の地位変更をしないこと(国体維持)を唯一の条件とする東郷茂徳外相らの意見と、軍隊の自主的撤兵、戦争犯罪人の自国での処理、保障占領は行わないなどの条件をつけ、叶わないときには、本土決戦を主張する軍部との対立があり、結論が出なかった。そこで、鈴木首相から、意見の対立がある以上、陛下の思し召しをもって会議を決定としたい旨が奏上され、天皇は、国体護持のみを受諾条件とするとの決定(聖断)を下し、直ちにポツダム宣言受諾の電報を発した。しかし、今度は連合国側で大論争となり、遂に回答が13日までかかるに至った。その上、受諾のためには、“天皇及び政府は連合軍最高司令官の制限の下に置かれる“という条件が付いたため、主戦論者の陸軍側に反対が起こり、閣議も最高戦争指導会議も遂に結論を得られなかった。結局、8月14日、再度御前会議を開き、天皇の聖断でポツダム宣言の受諾を決定、本土決戦回避、降伏が決定したとされている。そして、国民を安んじるため、自らマイクの前に立とうといわれ、翌8月15日正午、ラジオで「終戦の詔書」を放送(玉音放送)。日本は、「国体維持」を唯一の条件とし、長い戦争に終止符を打った。この、天皇の玉音放送によって、ポツダム宣言に無条件受諾が伝えられる直前、阿南陸相は、侍従武官時代に昭和天皇から拝領した純白のワイシャツを身につけ陸相官邸で割腹自決(自刃)する。ポツダム宣言受諾に際して、海軍の戦力はほとんど失われていたものの、当時の陸軍の兵力は内地、外地合わせて500万余も残っていたという。特に支那派遣軍は満8年連戦連勝の状態で、いきなり無条件降伏せよ、と言われても「絶対に承服」できないといきまいており、下手なポツダム宣言の受諾は、これ等陸軍が暴走しかねない状況にあったという。
ポツダム宣言受諾の天皇の命令に、全陸軍が直ちに従うためには、単なる命令だけでは徹底しないため、全軍の信頼を集めていた阿南陸相の切腹というショックを与えることによって、ポツダム宣言受諾の意思表示をしたと言うのである。阿南陸相は、御前会議でも「本土決戦に対しても、それだけの自信がある」と、陸軍を代表として強硬論を述べていたが、その影で、陸軍の暴走を招かない穏便な終戦工作に苦慮していたというのである。現代人から見ると、馬鹿げたように見えるかもしれないが、この時代では、阿南陸相の自刃は、天皇の命令を最も忠実に伝える日本的方式であったのかも知れない。
(画像は、昭和11年1月11日の、「御前会議」。朝日クロニクル、『週間20世紀』より)
参考:
御 前 会 議
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/gozennkaigi.htm
JOG(151) 阿南惟幾~軍を失うも国を失わず
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog151.html
阿南惟幾、ANAMI Korechika(1887-1945)
http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/ww2/biblo/japan/a/anami.html

函館夜景の日

2005-08-13 | 記念日
今日(8月13日)は「函館夜景の日」
函館出身の大学生の投書がきっかけで、函館夜景の日実行委員会(函館青年会議所・函館観光協会等)が1991(平成3)年から実施。
「や(8)けい(K=トランプの13)」の語呂合せ。函館に暮らす市民一人一人が「夜景」を創り出しているという意識を再認識することにより、函館に対する愛着を深める日だそうだ。
私も、北海道へツアーで行き、函館で宿泊したとき、オプションで、夜、函館山へ夜景を見に行った。標高334mの展望台からの夜景はすばらしかった。函館の夜景の特色は、街が小さいために、山上から見下ろすと、街全体が扇状に広がって、見渡せることだろう。ただ山上への往復は、車の渋滞で、時間がかかったのは、ちょっと、残念であった。
日本の三大夜景は、函館、神戸、長崎と言われており、神戸麻耶山上からの夜景は、1000万$の夜景と言われており、そのスケールは、函館に劣らない。日本各地を観光しても、夜景には、昼の景色とは違った感動がある。非常にロマンチックで、年をとった夫婦で見ていてもそっと、ワイフの肩や腰にに手かけたくなる。だから、若い恋人同士なら・・・。
函館や神戸、長崎などの夜景に、見られるように、日本の夜景がとても美しいのは、日本が島国である為、山上から街と海が見渡せるところにあるのだろう。又、都市部では、街での人口密度が高いため、灯される電灯の数も多い。神戸などは、特に人為的なことは行っていないが、函館などは、やはり人口が少ないせいもあるのか、観光ガイドの説明では、観光用に街の人たちに点灯に協力をしてもらっているようである。
今日は、「函館夜景の日」であるが、日本全国各地に夜景の綺麗なところがある。観光旅行などをしてもなかなか、夜景を見に行く機会は少ない。又、地元の人でも、そうあちこちの夜景を見ているわけではないだろう。今日は「夜景の日」とでもして、皆さんの地元又、見てみたい地域のすばらしい夜景を見て見るのも良いだろう。
以下参考の「こよなく夜景を愛する人へ」のHPは、夜景愛好家が集う夜景倶楽部の有志が作っているホームページで新日本三大夜景・夜景100選などが公開されている。
又、その下の「夜景webネットワーク」でも、全国各地のすばらしい夜景がパノラマ写真で見れるよ。この中にもある「瀬戸の夜景」の中から、わが街、港神戸の夜景(パノラマで見れる)を以下に紹介しておこう。今日は、理屈抜きで夜景を楽しもう。出来れば、夜、部屋の電気を消して、暗くしてみるとリアリティーで感動的だよ・・・。
皆さんご存知の神戸を代表する摩耶山からの1000万$の夜景です。
錨山から見た、三宮・元町付近の夜景です。
神戸の人気スポット、ビーナスブリッジです。
神戸市灘区 天狗岩の夜景です。</a>
神戸港 の夜景です。
ハーバーランドモザイクの夜景です。
神戸大橋 (ポートアイランドより)の夜景です。
淡路サービスエリアから見た、パールブリッジ(明石海峡大橋)です。
(画像は、函館の夜景)
参考:
こよなく夜景を愛する人へ/全国760ヶ所の夜景スポットを紹介
http://yakei.jp/index.html
夜景webネットワークindex
http://www1.plala.or.jp/yakei/
上記にも含まれているが、「瀬戸の夜景」はここ


君が代記念日

2005-08-12 | 記念日
今日(8月12日)は「君が代記念日」。
1893(明治26)年、文部省告示「小学校祝祭日大祭儀式規定」が公布され、小学校の祝日・大祭日の唱歌に『君が代』『一月一日』『紀元節』等8曲が定められた。1999(平成11)年、「国旗国歌法」により正式に国歌となった。
『君が代』は「あなた」をたたえる古歌にはじまったといわれる。
現在の歌詞:
「君が代は干代(ちよ)に八干代(やちよ)にさざれ石の巌(いわお)となりて苔(こけ)のむすまで」
この歌に出てくる「さざれ石」は、京都・護王神社にある「細(さざ)れ石(いし)」を詠ったものではないかといわれている。
この石は岐阜県揖斐(いび)郡春日村の産で、通称「ざされ石」と呼ばれている学名・石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)だそうで、石灰石が長い年月のうちに雨水に溶解し、時には乳液状となって大粒な石、小粒な石を次々と集結して自然に大きな巌となったものであり、大変御目出度い石とされているそうだ。
護王神社のパンフによれば、”平安時代前期の905(延喜5 )年に醍醐天皇の勅命によって撰進された「古今和歌集」の巻7「賀歌(がのうた)」に、天皇の大御代の弥栄を寿ぎこの石の如くましませと詠まれており、この歌の「わが君は」の部分が修正されて「君が代」となった”といわれている。(岐阜県指定天然記念物 春日谷のさざれ石公園にある「国歌君が代発祥の地」の記念碑は内閣総理大臣中曽根康弘の揮毫だそうだよ。)
この君が代の歌を国歌とすることと国旗の掲揚については、賛否両論があり、私は、意見を差し控えたいと思うが、この君が代の歌と国旗が良いか悪いかは別として、日本人として誇りの持てる国歌や国旗はあった方が良いとは思っている。
現在歌われている「君が代の歌」は、実際の歌の1番の途中までで、実際には2番もあるそうだ。現在のように1番途中までしか歌わなくなったのは、明治30年頃だと言われている。
それと、日の丸の国旗は正確に書けるかな?国旗の書き方は、「日の丸」の旗の縦横標準比率は、縦を横の3分の2とし、「日の丸」の直径は縦の5分の3とし、旗の中心に位置するように書くのだよ。私達は子供の頃学校で習ったが・・・。一応自分の国の国旗の書き方ぐらいは知っておいた方が良いのじゃない。日の丸の旗は非常にシンプルで有りながら目を引き、少なくとも、デザイン的には、世界の中でも誇れる旗ではないだろうか。
(画像は、日の丸の描き方)
参考:
君が代の起源は?(国歌「君が代」の作詞者はなぜ知られていなかったか?)
http://www.bigai.ne.jp/~miwa/miwa/kimigayo.html
京都・護王神社。国歌『君が代』に詠まれる「さざれ石」
http://www.gooujinja.or.jp/
さざれ石解説(岐阜県岡神社さざれ石」について) 
http://www.biwa.ne.jp/~m-nakura/sazareisikaisetu.htm
栃木県の大叶マインテック(株)・・・さざれ石は『石灰石』です 。
http://www.t-cnet.or.jp/%7Eohgano/sazare.htm
国旗国歌法案
http://gyosei.mine.utsunomiya-u.ac.jp/enshua00/okamotoy/okamotoy.htm