今日(11月6日)は「お見合い記念日」(PartⅡ)
1947(昭和22)年、東京の多摩川河畔で集団お見合いが開催された。
今日の『お見合い記念日」については、昨年(2004年)11月6日のブログでも書いたのを忘れて、重複して書いてしまった。今回は昨年とは、若干違う視点でも書いており、お見合い記念日(PartⅡ)として見て欲しい。
結婚紹介雑誌『希望』が主催したもので、戦争のため婚期を逃した20~50歳の男女386人が参加したそうだ。会場で相手を探し、終了後、最高3人までの身上書を申し込むという仕組みだったという。なんとも、お見合いの場所が、東京・多摩川の河畔、というのはその時代を感じさせるね~。参加者は2対1の割合で男性が多かったそうだ。日本では1920(大正9年)に第1回の国勢調査が行われ、以後ほぼ5年に一度10月1日に行われている。しかし、1945(昭和20)年に実施されるはずの調査は、戦争直後のため行われず、代わりに1947(昭和22)年に、臨時国勢調査が実施された。そのときの人口の細かいことは分らないが、以下参考の「労働力状態,男女別15歳以上人口(大正9年~平成12年) 」によると、このときの人口(15歳以上の人口)は、総数: 61,390,725、男子:20,673,127、女子:31,717,598となっており、男子の数が女子より相当少ない。これは戦争の影響によるものと思われる。余談になるが、私が昭和30年代前半に就職し、夜は、ネオン街で飲みまくっていた時、「男性より多い数だけのホステスなど水商売の女性がいる」などと言う話を良く聞いた。事実、女性が、男性より多かったのは確かで、当時、男性が少ないために結婚できない女性が生活の為に水商売などをしていた人が多かったのも事実だろう。だから、先の昭和22年の多摩川の集団見合いでも、本当なら、男性より、女性の参加者の方が多いはずであろうが、当時の女性は、まだ、そのような集団見合いの場に出席するのは、恥ずかしくって出来ない人が多かったのだろう。
終戦後、特に昭和30年代に入って、経済成長が始まったころから、結婚も、従来の日本型の「見合い結婚」をするか、アメリカ型の「恋愛結婚」をするかが、若者の間ではよく話題になった。しかし、30年代では、まだまだ、従来型の「見合い結婚」が多くて、私も、その見合い結婚をした方だ。当時、私も、ファッションの業界で仕事をしており、商社や百貨店他衣料専門店、化粧品店などで多くの女性とも仕事上の交流があり、当然に交際している女性も何人かいた。しかし、私などは、最初から、結婚は「見合い結婚」と決めていたので、付き合っている女性は最初から単なる友達としての付き合いと割り切っていた。戦後、自由主義の思想が広がり、そして、家庭も核家族化が進んでいった。しかし、私たちの年代の者は、先の戦争で、人にはいえない苦労をし、そんな中、家族が皆で助け合い、必至に生き抜いてきた。そして、父親も学生時代に亡くし、貧困の中を私たち子供たちの為に、夜も眠らず食べるものも食べずに必至に働いて、育ててくれた母親の姿を見て育ってきた。だから、私も戦後自由主義の思想教育を受けてはきたが、今の若い人たちのように、結婚すれば、「はいさよなら」と、親のところを出て行くようなことはできない。子供のときから、成人し、自分に経済力が出来たら必ず、親の労に報いたい、一緒に住んで面倒を見てあげたい・・・との気持ちが常にあった。だから、結婚は、必ず母親が気に入った女性を貰う、又、自分の親を大切にしてくれる女性を結婚相手に選ぶことに決めていた。仲人は母の友人で、其の姪が家人であった。
今、私は、結婚に関して、「恋愛結婚」がよいか、「見合い結婚」がよいかと言ったようなことには、こだわってはいない。私が現役時代勤めていた会社でも最近は、「結婚しない女性」と「結婚できない男性」などといった言葉が流行語にさえなっていた。戦後、日本の女性は高学歴、自立心、価値観の多様化等により結婚しない女性、または結婚を求める女性でも男性に対してますます高い条件を提示することが一般的になってきているようである。その結果、結婚をしたくても結婚できない男性が多くなっているのだろう。しかし、女性にもてる男性は男性で、女性の選り好みをしていて結婚しない。結婚は、一夫一婦制なのだから、結婚できる男女の数は同じである。だから、結果的には、男性も、女性も結婚出来ないというか結婚しないと言うかそんな若者が増えてきていることだけは事実である。昔は、「お見合い結婚」なんて古臭い、「恋愛結婚」でないと時代遅れのような言い方をしていたが、今では、昔のようなおせっかいな人のために結婚相手の仲介をしてくれる仲人さんも少なくなってしまった。その結果、口では色々言ってはいても、結局は、結婚したくても出来ない男女が、集団見合いならぬ、名前だけは「コンパ」などと名を変えた場などでのお見合いが大流行である。そして、今では、結婚仲介業が一大産業にまで育っているのは皮肉といえるかもしれない。
そして、恋愛結婚などで、折角、相思相愛の結婚をしておきながら、離婚率は非常に高くなっているようだ。
1.49…というこの数字・・・・?。厚生労働省の調べでは、平成14年度の夫婦の離婚件数は、約29万2,000組とのことで、つまり単純に計算すると、1.49秒に1組が全国のどこかで離婚していることになるそうだ。全体のどのくらいの割合かと言うと、結婚した夫婦の3組に1組以上は、離婚している。 ただ、この数字はあくまでも法律上の離婚をした夫婦(離婚届けを役所に提出した夫婦)の件数なので、別居など事実上の離婚状態にある夫婦を含めると、さらに増え、夫婦の半数近くが離婚する時代だという。もう、こういった、悪い面だけは、アメリカなみになってきたね~。大半が恋愛結婚というのも、個人の意思が尊重されている証拠といえるかも知れないが、見方を変えれば、夫婦間の揉め事に他人が口を挟むことを拒み、その結果、夫婦仲を修復する機会を逸し、離婚を招きやすくなったとも言えるようだ。愛するとは、どういうことか、私には難しくてよく分からないが、結局は、相手を思いやる気持ちであろうと思う。戦後の、自由主義は、個人の自由を尊重するようになったのは良いが、反面、各人が、自己のことばかり考える、自己中心主義をはびこらせた。この風潮が亡くならない限り、結婚率も離婚率も改善はしないだろう。
結婚については多くの格言がある。
・結婚――いかなる羅針盤もかつて航路を発見したことのない荒海。(ハイネ)。
・結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。(キルケゴール)。
・結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。今考えると、あのとき食べておけばよかった。(アーサー・ゴッドフリー)。
・結婚は鳥カゴのようなものだ。カゴの外の鳥は餌箱をついばみたくて中へ入りたがり、カゴの中の鳥は空を飛びたくて外へ出たがる。(モンテーニュ)。
今一度、結婚とは何か、家庭とは何か、家族とは何かといった基本的なことを考え直す時期に来ているような気がする。恋愛も良し、見合いも良し。だけれども、結局結婚は、元を正せば赤の他人同士の共同生活なのである。いくら相手を分りあおうとしても、よほどの馬鹿ではない限り、愛し合っていればいるほどに、相手の前では、自分の悪い面、弱い面は見せないだろう。結婚後の幸せな家庭は、相互が、相手の立場に立って思いやる気持ちがないと築けないだろう。幸せな家庭は、勝手にどこかから来るものではなく、自分達の努力で地道に作り上げるものであり、それには、「我慢」することもとても大切な要素である。戦後、甘やかされて育った人たちには一番欠けていることだろう。
NHK連続ドラマに「お見合い放浪記」 と言うのがある。阿川佐和子さんの同名 エッセイを原案に、男性の嫁さんにしたい女性第一位といわれる水野真紀さん主演でドラマ化したものである。このドラマが好評で再放送されている。このドラマは「運命の男性との結婚」を純粋に夢見る女性の物語だそうだが、実際の水野真紀さんはもうちゃんと政治家さんと結婚し家庭をきずいているよね~。でも、ドラマの方は最後どうなるんだろうかな~???。
(画像は「阿川佐和子のお見合い放浪記」 講談社プラスアルファ文庫。阿川 佐和子 (著))
参考:
労働力状態,男女別15歳以上人口(大正9年~平成12年).
http://www.stat.go.jp/data/chouki/zuhyou/19-01.xls
結婚のお見合いマナー辞典
http://tantei.web.infoseek.co.jp/miai/
お見合い・結納・結婚準備 - [冠婚葬祭]All About(1/3)
http://allabout.co.jp/family/ceremony/subject/msub_konmiai.htm
NHK連続ドラマ「お見合い放浪記」 - NHK Drama
http://www.nhk.or.jp/drama/archives/omiai/
結婚の格言
http://kuroneko22.cool.ne.jp/marriage.htm
結婚の格言 No,2
http://kuroneko22.cool.ne.jp/marriage2.htm
1947(昭和22)年、東京の多摩川河畔で集団お見合いが開催された。
今日の『お見合い記念日」については、昨年(2004年)11月6日のブログでも書いたのを忘れて、重複して書いてしまった。今回は昨年とは、若干違う視点でも書いており、お見合い記念日(PartⅡ)として見て欲しい。
結婚紹介雑誌『希望』が主催したもので、戦争のため婚期を逃した20~50歳の男女386人が参加したそうだ。会場で相手を探し、終了後、最高3人までの身上書を申し込むという仕組みだったという。なんとも、お見合いの場所が、東京・多摩川の河畔、というのはその時代を感じさせるね~。参加者は2対1の割合で男性が多かったそうだ。日本では1920(大正9年)に第1回の国勢調査が行われ、以後ほぼ5年に一度10月1日に行われている。しかし、1945(昭和20)年に実施されるはずの調査は、戦争直後のため行われず、代わりに1947(昭和22)年に、臨時国勢調査が実施された。そのときの人口の細かいことは分らないが、以下参考の「労働力状態,男女別15歳以上人口(大正9年~平成12年) 」によると、このときの人口(15歳以上の人口)は、総数: 61,390,725、男子:20,673,127、女子:31,717,598となっており、男子の数が女子より相当少ない。これは戦争の影響によるものと思われる。余談になるが、私が昭和30年代前半に就職し、夜は、ネオン街で飲みまくっていた時、「男性より多い数だけのホステスなど水商売の女性がいる」などと言う話を良く聞いた。事実、女性が、男性より多かったのは確かで、当時、男性が少ないために結婚できない女性が生活の為に水商売などをしていた人が多かったのも事実だろう。だから、先の昭和22年の多摩川の集団見合いでも、本当なら、男性より、女性の参加者の方が多いはずであろうが、当時の女性は、まだ、そのような集団見合いの場に出席するのは、恥ずかしくって出来ない人が多かったのだろう。
終戦後、特に昭和30年代に入って、経済成長が始まったころから、結婚も、従来の日本型の「見合い結婚」をするか、アメリカ型の「恋愛結婚」をするかが、若者の間ではよく話題になった。しかし、30年代では、まだまだ、従来型の「見合い結婚」が多くて、私も、その見合い結婚をした方だ。当時、私も、ファッションの業界で仕事をしており、商社や百貨店他衣料専門店、化粧品店などで多くの女性とも仕事上の交流があり、当然に交際している女性も何人かいた。しかし、私などは、最初から、結婚は「見合い結婚」と決めていたので、付き合っている女性は最初から単なる友達としての付き合いと割り切っていた。戦後、自由主義の思想が広がり、そして、家庭も核家族化が進んでいった。しかし、私たちの年代の者は、先の戦争で、人にはいえない苦労をし、そんな中、家族が皆で助け合い、必至に生き抜いてきた。そして、父親も学生時代に亡くし、貧困の中を私たち子供たちの為に、夜も眠らず食べるものも食べずに必至に働いて、育ててくれた母親の姿を見て育ってきた。だから、私も戦後自由主義の思想教育を受けてはきたが、今の若い人たちのように、結婚すれば、「はいさよなら」と、親のところを出て行くようなことはできない。子供のときから、成人し、自分に経済力が出来たら必ず、親の労に報いたい、一緒に住んで面倒を見てあげたい・・・との気持ちが常にあった。だから、結婚は、必ず母親が気に入った女性を貰う、又、自分の親を大切にしてくれる女性を結婚相手に選ぶことに決めていた。仲人は母の友人で、其の姪が家人であった。
今、私は、結婚に関して、「恋愛結婚」がよいか、「見合い結婚」がよいかと言ったようなことには、こだわってはいない。私が現役時代勤めていた会社でも最近は、「結婚しない女性」と「結婚できない男性」などといった言葉が流行語にさえなっていた。戦後、日本の女性は高学歴、自立心、価値観の多様化等により結婚しない女性、または結婚を求める女性でも男性に対してますます高い条件を提示することが一般的になってきているようである。その結果、結婚をしたくても結婚できない男性が多くなっているのだろう。しかし、女性にもてる男性は男性で、女性の選り好みをしていて結婚しない。結婚は、一夫一婦制なのだから、結婚できる男女の数は同じである。だから、結果的には、男性も、女性も結婚出来ないというか結婚しないと言うかそんな若者が増えてきていることだけは事実である。昔は、「お見合い結婚」なんて古臭い、「恋愛結婚」でないと時代遅れのような言い方をしていたが、今では、昔のようなおせっかいな人のために結婚相手の仲介をしてくれる仲人さんも少なくなってしまった。その結果、口では色々言ってはいても、結局は、結婚したくても出来ない男女が、集団見合いならぬ、名前だけは「コンパ」などと名を変えた場などでのお見合いが大流行である。そして、今では、結婚仲介業が一大産業にまで育っているのは皮肉といえるかもしれない。
そして、恋愛結婚などで、折角、相思相愛の結婚をしておきながら、離婚率は非常に高くなっているようだ。
1.49…というこの数字・・・・?。厚生労働省の調べでは、平成14年度の夫婦の離婚件数は、約29万2,000組とのことで、つまり単純に計算すると、1.49秒に1組が全国のどこかで離婚していることになるそうだ。全体のどのくらいの割合かと言うと、結婚した夫婦の3組に1組以上は、離婚している。 ただ、この数字はあくまでも法律上の離婚をした夫婦(離婚届けを役所に提出した夫婦)の件数なので、別居など事実上の離婚状態にある夫婦を含めると、さらに増え、夫婦の半数近くが離婚する時代だという。もう、こういった、悪い面だけは、アメリカなみになってきたね~。大半が恋愛結婚というのも、個人の意思が尊重されている証拠といえるかも知れないが、見方を変えれば、夫婦間の揉め事に他人が口を挟むことを拒み、その結果、夫婦仲を修復する機会を逸し、離婚を招きやすくなったとも言えるようだ。愛するとは、どういうことか、私には難しくてよく分からないが、結局は、相手を思いやる気持ちであろうと思う。戦後の、自由主義は、個人の自由を尊重するようになったのは良いが、反面、各人が、自己のことばかり考える、自己中心主義をはびこらせた。この風潮が亡くならない限り、結婚率も離婚率も改善はしないだろう。
結婚については多くの格言がある。
・結婚――いかなる羅針盤もかつて航路を発見したことのない荒海。(ハイネ)。
・結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。(キルケゴール)。
・結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。今考えると、あのとき食べておけばよかった。(アーサー・ゴッドフリー)。
・結婚は鳥カゴのようなものだ。カゴの外の鳥は餌箱をついばみたくて中へ入りたがり、カゴの中の鳥は空を飛びたくて外へ出たがる。(モンテーニュ)。
今一度、結婚とは何か、家庭とは何か、家族とは何かといった基本的なことを考え直す時期に来ているような気がする。恋愛も良し、見合いも良し。だけれども、結局結婚は、元を正せば赤の他人同士の共同生活なのである。いくら相手を分りあおうとしても、よほどの馬鹿ではない限り、愛し合っていればいるほどに、相手の前では、自分の悪い面、弱い面は見せないだろう。結婚後の幸せな家庭は、相互が、相手の立場に立って思いやる気持ちがないと築けないだろう。幸せな家庭は、勝手にどこかから来るものではなく、自分達の努力で地道に作り上げるものであり、それには、「我慢」することもとても大切な要素である。戦後、甘やかされて育った人たちには一番欠けていることだろう。
NHK連続ドラマに「お見合い放浪記」 と言うのがある。阿川佐和子さんの同名 エッセイを原案に、男性の嫁さんにしたい女性第一位といわれる水野真紀さん主演でドラマ化したものである。このドラマが好評で再放送されている。このドラマは「運命の男性との結婚」を純粋に夢見る女性の物語だそうだが、実際の水野真紀さんはもうちゃんと政治家さんと結婚し家庭をきずいているよね~。でも、ドラマの方は最後どうなるんだろうかな~???。
(画像は「阿川佐和子のお見合い放浪記」 講談社プラスアルファ文庫。阿川 佐和子 (著))
参考:
労働力状態,男女別15歳以上人口(大正9年~平成12年).
http://www.stat.go.jp/data/chouki/zuhyou/19-01.xls
結婚のお見合いマナー辞典
http://tantei.web.infoseek.co.jp/miai/
お見合い・結納・結婚準備 - [冠婚葬祭]All About(1/3)
http://allabout.co.jp/family/ceremony/subject/msub_konmiai.htm
NHK連続ドラマ「お見合い放浪記」 - NHK Drama
http://www.nhk.or.jp/drama/archives/omiai/
結婚の格言
http://kuroneko22.cool.ne.jp/marriage.htm
結婚の格言 No,2
http://kuroneko22.cool.ne.jp/marriage2.htm
お見合い写真なども出品されてました。
それにしても、「お見合い記念日」なんてあったんですねぇ。