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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

「いとこいさん」の愛称で大阪の庶民に親しまれ漫才師夢路いとしの忌日

2009-09-25 | 人物
「いとこいさん」の愛称で大阪の庶民に親しまれ、豊かな大阪弁を生かした、「しゃべくり漫才」で人気を集めた兄弟コンビ「夢路いとし・喜味こいし」の兄・夢路いとし(本名・篠原博信=しのはら・ひろのぶ)が、亡くなったのは、今から6年前の2003(平成15)年9月25日。つまり、冒頭に掲載の向かって右の画像:大阪・難波千日前のワッハ上方演芸ホール(以下参考の※:「ワッハ上方」参考)での公演(2003年5月25日)から丁度4ヵ月後のことである。死因は、9月25日の午前0時35分、自然気胸肺炎を併発してのものだったそうだ。78歳だった。
大阪の漫才では、いわゆる「ボケ役」「ツッコミ役」と呼ばれる二つの役割(役割は「ボケとツッコミ」参照)をそれぞれが担当して演じられるが、「ツッコミ」役を弟のこいしさんが、「ボケ」役を兄であるいとしさんが演じていた。ボケ役は、そのとぼける行為によって笑いを誘うことが多かったことからとぼけ役と呼称されていたが、いとしさんのすーっと力を抜いたとぼけ役は、どこまでが、本当で、どこからが作り役かわからないしゃべくり。独特の間合いと柔らかなユーモアが時代と世代を超えて多くの人達を楽しませてくれた。
上方演芸界にその名を知られる漫才師のいとしさんが、大阪の出身ではなく、1925(大正14)年3月27日、神奈川県横浜市鶴見区の出身であることは、いとしさんが亡くなるまで知らなかった。彼らの家は旅回りの芸人一家であったため、彼もただ横浜生まれだというだけで、横浜以外にも、全国津々浦々の地を少年時代からまわっていたことから、2歳年下のこいしさんは、川越市で生まれたという。
1940(昭和15)年、上方漫才(関西圏の漫才をこう呼ぶ)の草分け、荒川芳丸に入門し、「荒川芳博・芳坊」と名乗り、兄弟コンビで漫才の修行時代に入る。その後、吉本興業に入り、子供漫才として舞台に立つた(デビュー)後、吉本が運営する寄席で稽古を積むが、「いとし・こいし」を名乗りだしたのは戦後間もなくのこと。
このコンビ名の由来は、当時の流行歌“昔恋しい銀座の柳・・・”から、「こいし」をとり、その対句「いとし」が浮かび、どちらにするかじゃんけんで決めたという(2003年9月29日朝日新聞朝刊)。
昔恋しい 銀座の柳
仇な年増を 誰が知ろ
ジャズで踊って リキュルで更けて
あけりゃダンサーの 涙雨
この歌は、「東京行進曲」。作詞:西條八十、作曲:中山晋平で唄は佐藤千夜子。1929(昭和4)年、日活制作の同名映画「東京行進曲」の主題歌だったようだ。わが国の映画主題歌第1号とされているそうだ。1番から4番まであるが、1番は、当時から日本一の繁華であった・銀座の様子が歌われており、2番では丸ビル界隈、3番浅草、4番新宿が歌われている。以下では、佐藤千夜子の歌と共に、当時の東京・銀座界隈の風俗が窺えて楽しいよ。
YouTube - 東京行進曲
http://www.youtube.com/watch?v=08RPHcsuUN4
少し余談だが、木造住宅のため火災の絶えなかった東京の都市構造上の欠陥を断ち切るために、1872(明治5)年の大火を機に1877(明治10)年頃、家屋をすべて石造りとして「銀座煉瓦街」ができた。
この時、風趣を添える街路樹として松、桜、まきの類も植えたが、風塵のために育たず、次第に柳だけになってしまった。それを、1921(大正10)年いちょうに植えかえられたが、柳の風情を惜しむ声が強く、1929(昭和4)年に、この昔恋しい銀座の柳”の「東京行進曲」が一世を風靡し、1931v(昭和6)年、柳並木が復活、そして再び西条、中山コンビが「銀座の柳」(1932年【昭和7年】制作同名映画主題歌)を作り「 植えてうれしい・・」と四家文子が歌った。しかし、第二次世界大戦での東京大空襲によりほとんどが焼失、その後復活したが、1968(昭和43)年銀座通りの大改修等により、銀座通りから柳並木がなくなってしまったという(以下参考の※:銀座柳の碑所在地、※:銀座の柳など参照)。
私など、どちらの歌も知ってはいるが、やはり、「銀座の柳」より「東京行進曲」の方が良いな~(以下参考の※:「懐かしの流行歌公開MIDIリスト」にはどちらのMIDIもあるので聞き比べてみると良いね)。
本題に戻るが、いとし・こいしが、音曲や言葉遊びで笑わせる演芸「萬歳」を、日常の会話スタイルの「しゃべくり漫才」にした漫才作家・故秋田實に出合ったのもこの頃である。
秋田は、戦争により寄席も壊滅し途方にくれていた若手漫才家たちの相談相手となり彼らを集めて1948(昭和23)年に結成した集団「MZ研進会」に加わり、この時「夢路いとし・喜味こいし」(当初は「夢路いと志・喜味こい志」)に改名し、腕を磨いた。そして、秋田が1950 (昭和25 )年に阪急電鉄(現在の阪急阪神ホールディングス)創業者の小林一三と立ち上げた軽演劇集団「宝塚新芸座」(以下参考の※:「ぼくが宝塚を愛でる理由(わけ5)※:「宝塚新芸座とは?」参照)に参加、この年9月から始まった関西喜劇番組の先駆となった「気まぐれショーボート」(NHKラジオ)で人気者に。その後、新芸座側が次第に演劇に傾倒してゆき、漫才師は漫才を中心にするものという信念をもっている秋田は、小林と対立。独立して芸能事務所「上方演芸」(のちの松竹芸能)を発足させ、いとしらもここに所属する。
その後は上方演芸から東宝芸能関西(のち、大宝芸能から大宝企画に改称)に所属。道頓堀角座(1984年閉鎖)、梅田トップホットシアター(1976年閉鎖)、道頓堀演芸の浪花座(2002年1月閉館)に定期的に出演するなど、舞台だけでなくラジオ、テレビ、映画と広範な活躍をしていた。
代表作は、ちびた鉛筆をなめながらメモを取るお巡りさんが登場する「交通巡査」、ネクタイ、ワイシャツをはさみで切り合う「洋服屋」、料理法を伝授する「ジンギスカン料理」など。身近な家庭の話題をうまくネタに取り入れることに定評があった。又、テレビの「がっちり買いまショウ」の司会でも有名で、「10万円7万円5万円、運命の分かれ道」などの早口芸や顔芸などもやっていた。
兄弟で2戸続きの家を買った際、仕切りの壁に穴を開けて1台の電話を置いたというネタは実話であったそうだ。同じ兄弟コンビの漫才で人気のあったダイラケ(中田ダイマル・ラケット)のような奇想天外なネタではなかったが、ひょうひょうとした味わいは何物にも代えがたく、おかしみを誘うものであった。
上方お笑い大賞上方漫才大賞など、お笑い関係の主要な賞のほか、1993(平成5 )年には芸術選奨文部大臣賞を受賞。1999(平成11)年11月には大阪市指定無形文化財にも指定されている。
今では、大阪でも、コントチックなネタを使う若手漫才師が人気のため、正統派のしゃべくり漫才を演じられ若手漫才師が余り見られなくなり残念である。
以下YouTubeでは懐かしい、いとし・こいし名コンビによる「ジンギスカン」他の名人芸等を見ることが出来る。大げさな動きもなければ、不自然な言葉も使わない。その呼吸、間、テンポなど話芸の妙をここで見てみよう。
YouTube -夢路いとし 喜味こいし「ジンギスカン」
http://www.youtube.com/watch?v=qEZWN_cttgQ&feature=related
YouTube - 「おかずと近所付き合い」 
http://www.youtube.com/watch?v=N0cWWozHTW0
夢路いとし・喜味こいし 「七十才からの挑戦」 
http://www.youtube.com/watch?v=5JnNDOGIsT0&feature=related
夢路いとし喜味こいし {花嫁の父」漫才 1/2
  http://www.youtube.com/watch?v=OfGniI8xHl4&feature=related
夢路いとし喜味こいし 漫才 2/2
http://www.youtube.com/watch?v=WBLbnVBtDII&feature=related

(画像は、向かって左:コレクションのチラシより、1993年3月4日、河内長野市立文化会館ラブリーホールでの「第5回らぶりい寄席」のチラシ。右:2003年2月23日大阪・難波千日前のワッハ上方演芸ホールで。朝日新聞掲載写真より)
参考:
※:銀座の柳
http://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-tokyo-march.html
※:銀座柳の碑所在地
http://www.chuo-kanko.or.jp/guide/spot/ginza/ginza_06.html
※:懐かしの流行歌公開MIDIリスト
http://www.geocities.jp/thirty30mydoog/_freemidilist.htm
西條八十 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%A1%E5%85%AB%E5%8D%81
※:宝塚新芸座とは?
http://wiki.freeml.com/%CA%F5%C4%CD%BF%B7%B7%DD%BA%C2
※:ぼくが宝塚を愛でる理由(わけ)5
http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/magazine/022/rensai/ren1.htm
※:ワッハ上方
http://www.wahha.or.jp/
夢路いとし - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2%E8%B7%AF%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%97
上方お笑い大賞 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%96%B9%E3%81%8A%E7%AC%91%E3%81%84%E5%A4%A7%E8%B3%9E
上方漫才大賞
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%96%B9%E6%BC%AB%E6%89%8D%E5%A4%A7%E8%B3%9E
芸術選奨 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E8%A1%93%E9%81%B8%E5%A5%A8
あのひと検索SPYSEE:夢路いとし
http://spysee.jp/%E5%A4%A2%E8%B7%AF%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%97/1505/
銀座煉瓦街 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E5%BA%A7%E7%85%89%E7%93%A6%E8%A1%97
東京行進曲: 二木紘三のうた物語
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/09/post_44cc.html
YouTube -“佐藤千夜子” のすべて。
http://www.youtube.com/results?search_query=%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%8D%83%E5%A4%9C%E5%AD%90&search=tag
geinin.jp: 受賞データ 大阪市指定無形文化財
http://www.geinin.jp/prize/1999/oosakashimukeibunkazai.html

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