今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

「納めの水天宮」の日

2006-12-05 | 行事
今日(12月5日)「納めの水天宮」の日
毎月5日は、「水天の縁日」であるが、1年の最後の月12月は「納めの水天宮」と呼ばれている。
東京都中央区日本橋 にある、水天宮地図)は、1923(大正12)年の9月1日関東大震災 が発生し、それに伴う火災、家屋倒壊で日本橋一帯も甚大なる被害を蒙たが、水天宮も、建造物倒壊の被害をうけ、そのため大事な「御神体」を新大橋のたもとに移したという。新大橋は東京大空襲の際にも隅田川の橋がことごとく焼け落ちる中でも唯一被災せず、避難の道として多数の人命を救ったため、「人助け橋(お助け橋)」と称されており、現在でも橋の西詰にある久松警察署浜町交番敷地裏に「大震火災記念碑」、および「人助け橋の由来碑」がある。この水天宮の御神体もこの橋に避難して難を逃れたと言われている。
全国に多くの水天宮があるが、水天宮の総本宮は、福岡県久留米市にある。
水天宮は、安徳天皇らを祭神とする神社。古くから農業、漁業、航海業者間からの信仰を集めているが、子どもの守護神、安産の神として、病難、火災などの除災招福のご利益でも知られる。( 地図
西暦1185(寿永4)年、壇ノ浦の戦いの後、高倉平中宮に仕えていた官女 按察使局(あぜちのつぼね)が、安徳天皇らの霊を慰めた祠を筑後川の河畔に建てたのが始まりである。その後兵禍を避けて諸所に移し、更に1650(慶安3)年久留米藩2代藩主有馬忠頼によって現在の地に社殿が整えられた。江戸時代、大名には参勤交代が義務づけられ、1818(文政元)年、第9代藩主頼徳が江戸詰めとなった際久留米藩江戸屋敷(現在の港区にあった)に分祀され、1818(文政元)年、現在の東京水天宮の始まりとなったそうだ。
水天宮公式サイトによると、”本来、お殿様の屋敷神として祀られたもので、一般の人がお参りすることはできなかったのだが、江戸っ子たちの信仰は次第に高まり、塀越しに賽銭を投げ込む人が後を絶たなかった。そして、遂に五の日に限り屋敷が開放され、参拝が許された。人々は、「情け深い」ことを感謝する際に、有馬家と水天宮を洒落て、「情けありまの水天宮」と口癖のように言うようになった。「恐れ入りやの鬼子母神」という言葉と共に、江戸の一種の流行語だった。1871(明治4)年、水天宮は屋敷の移転と共に赤坂に移り、さらに翌年、現在の日本橋蛎殻町に移転した。日本橋蛎殻町界隈は、人影もまばらな寂しい場所であったが、水天宮が移ると共に、商店が増え始め、大変な賑わいを見せるようになった。 ”という。
どうも、私には、江戸っ子が久留米の大名の江戸屋敷内にある水天宮に人気が集まり、直接参拝も出来ない水天宮を堀越しに賽銭を投げ込んでまで拝した理由がどうしてなのか、よく理解で出来ないのだが、このあたりの事については、水天宮のHPにも何もかかれていない。昔は、幼くしてなくなる子どもが多かった。幼くしてなくなった安徳天皇の悲劇と自分の子どもがなくなった悲しみとが結びつき特に水天宮への崇拝の気持ちが強かったのかもしれない。
現在でも、妊婦や結婚直後の夫婦あるいは無事出産できた夫婦などが、安産や子授かりの願掛けやお礼参りなどで平日・休日を問わず、遠方からも人々が訪れ人並みが途絶えることがないという。12月5日、今日の「納めの水天宮」は、年内に数ある縁日のみそかとなる。人々はさまざまな祈願をこめて参拝し、1年間の無事を感謝し、古いお札を納めに参る。当日は露天も多くならび、特ににぎわいを見せるという。
(画像は水天宮。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
水天宮 (久留米市) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E5%A4%A9%E5%AE%AE_(%E4%B9%85%E7%95%99%E7%B1%B3%E5%B8%82)
東京・水天宮公式サイト
http://www.suitengu.or.jp/index.html
関東大震災 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
新大橋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%A4%A7%E6%A9%8B
b-st-sumidagawa
http://www.kcc.zaq.ne.jp/dfdtc600/bridgesight/b-st-sumidagawa.html
全国総本宮 水天宮
http://www.suitengu.net/suitengu/suitengu/ingoki.htm
平徳子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%BE%B3%E5%AD%90



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2 コメント

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神さん (Linda)
2006-12-05 09:52:20
よーさん、お早うさんです。
水天宮のご神体が人が作ったお助け橋の傍に避難するって、面白いですね。本当ならご神体が人を救いそうなものですが・・・。

今も昔もお目にかかれないものの価値が高くなるのじゃないでしょうか。水天宮が何時でも誰でもお参り出来るようであれば、人気も出なかったのかもしれません。
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水天宮 (よーさん)
2006-12-08 07:13:38
水天宮Lindaさんが言われるとおりに、いつでも誰でもお参りできなかったからかえって人気が出たのかもしれませんね~。
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