今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

続・「太子会」の日

2007-02-22 | 行事
「太子会」の日・・続き
聖徳太子が605(推古天皇13)年に飛鳥の政界から退いて斑鳩宮(いかるがのみや)に住んで間もなく宮の西に原初の法起寺がつくられた。
『日本書紀』によれば、606 年(推古14)、聖徳太子が勝鬘経(しょうまんぎょう)と法華経を講説したとき、推古天皇はその功として皇子に播磨国揖保郡(いぼのこおり)の水田百町を与えた(『法隆寺縁起資財帳』には、このとき与えた水田の広さを219 町1段82歩と記す)。皇子はその土地を「鵤荘(いかるがのしょう)と名付け、斑鳩寺(法隆寺)に施入したという。それが現在の太子町と龍野市の一部にまたがる鵤荘と呼ばれる土地であり、以後、寺地は法隆寺領鵤荘として発展を遂げ、13~14世紀ごろには360余町を領有して、法隆寺の講料・会料を支える経済的基盤となったという。 昔は七堂伽藍、数十の坊庵が甍をならべ壮麗を極めたが、1542 (天文10)年、赤松山名の争乱の戦禍によって惜しく焼失した。 その後、楽々山円勝寺の昌仙法師らによって徐々に再建され、播磨地方の太子信仰の中心として栄えてきたという。 講義の模様は、斑鳩寺が所蔵する絹本(けんぽん)着色の仏画として描かれている。国重要文化財で鎌倉前期の作とみられる「勝鬘経講讃図」は、太子1 人ではなく、5 人の縁者らも描かれている。太子の息子・山背大兄王、師とあがめる高句麗(こうくり)僧・慧慈(えじ)、百済(くだら)博士・学呵(がつか)、蘇我馬子(そがのうまこ)、小野妹子が太子を取り囲んでいる。
約1400年の歴史を持つ聖徳太子ゆかりの地、聖徳太子の御廟(お墓)のある大阪府太子町、法隆寺の寺領のあった兵庫県太子町、法隆寺をはじめ聖徳太子ゆかりの歴史遺産が残る奈良県斑鳩町の3 町は、聖徳太子ゆかりの地友好都市の提携を行っているそうだ。
聖徳太子の命日に行われる縁日法要「太子春会式」が毎年、斑鳩寺境内で行われているようだ。(太子町観光協会HP参照)
兵庫県太子町・斑鳩寺から北へ10分ほどの所に、稗田(ひえた)神社がある。稗田神社は606(推古天皇14)年勅願により造建されたといわれ、古事記を編纂した稗田阿礼を祭神とする説と、聖徳太子妃である膳大夫人(膳大郎女(かしわでのおおいらつめ))を祭神とする二つの説があるそうだ。いずれにしても、中世において法隆寺・斑鳩寺と稗田神社は密接な関係があり、鵤荘開発過程において稗田神社が勧請されたこと、鵤荘斑鳩寺成立後、鎮守神的な役割を果たすようになったこと、法隆寺・斑鳩寺の管轄に置かれたことは確かと言えるようだ。
兵庫県の太子町は、兵庫県南西部(西播磨地域)に位置する町で、揖保郡に属する。揖保郡旧3町(揖保川町・新宮町・御津町)が平成17年(2005年)10月1日に龍野市と合併してたつの市になった為、揖保郡は太子町単独となった。
太子町~姫路市にまたがる標高165.1mの山「檀特山」がある。山頂にある大きな岩には伝説があり、岩のくぼみは応神天皇の御沓・御杖の跡、または聖徳太子が馬に乗って登り修行をした時についた蹄の跡と言われる。 (以下参考の檀特山参照)このように、このあたりは、非常に聖徳太子とのゆかりが深いが、兵庫県には、もう一つ、有名なところで、加古川市にある鶴林寺(かくりんじ)が聖徳太子とゆかりの深い寺とされている。
伝承では創建は崇峻天皇2年(589年)にさかのぼる。蘇我氏物部氏の争いを避け、高麗出身の僧・恵便は播磨の地に身を隠していた。聖徳太子が播磨の地にいた恵便の教えを受けるために播磨の地を訪ね建立、その後718(養老)年、身人部春則(むとべのはるのり/みとべのはるのり)なる人物が七堂伽藍を整備したという。創建時は「刀田山四天王聖霊院」という寺号であったものを、1112(天永3)年に鳥羽天皇によって勅願所に定められたのを期に「鶴林寺」と改めたという。
鶴林寺には、現に奈良時代の銅造聖観音像があり、金堂本尊の薬師三尊像は平安時代前期・10世紀にさかのぼる古像であることからみて、かなり古い歴史をもつ寺院であることは間違いない。現在も主要な堂塔だけで16棟の大伽藍を有するが、鎌倉・室町期には寺坊だけで30以上を有する規模であったという。(以下参考の鶴林寺の「鶴林寺の歴史」が詳しい。)
奈良の元興寺の前身である法興寺(本元興寺とも飛鳥寺とも呼ばれる)は、日本で最初の本格的仏教寺院である。敏達天皇は当時、皇后(後の推古天皇)に仏教の公認を願われたが、国論の不一致を理由に、その要望を聞き入れなかったが、数年後、国内に災害があったので、稲目の子の蘇我馬子が卜(占い)によって仏教の布教を願い出た。そして、許可が出たので馬子は仏道の修行者を探し求めたところ、播磨に高麗僧 恵便(えべん)と尼の法明がいたので、それを師として、出家した三人の尼を修業させたという。(詳しくは以下参考の「奈良の昔話元興寺(1)仏教伝来と法興寺」参照)
日本史の表舞台にも出てこない高麗僧・恵便であるが、日本の仏教を広めた元祖であったの」かもしれないね~。
地元のことのなったので、少々、くどくなってしまったが、それでも、まだまだ書き足りない事があるがこれで止めておこう。兎に角、播磨の地と聖徳太子のゆかりが深いことだけは分かっていただけたかな・・・。
(画像は、鵤荘の「筑紫大道」。法隆寺領播磨国鵤荘の1329(嘉永4)年絵図(斑鳩寺蔵)には、十条と十一条の境を東西に走る道路に「筑紫大道」という注記がある。1983年6月、この地点に相当する兵庫県龍野市誉田町福田(地図)の道路予定地を発掘したところ、地表の数10cm下から古い道路敷画発見された。[写真]。幅約6m、砂と土に河原石を混ぜて突き固め、両側に幅40~60cmの側溝がある。絵図の作成年代から見て、この道は、文永の役に急造された軍事道路だとする説が唱えられている。写真兵庫県教育委員会・太子町教育委員会。この画像は、週間朝日百科『日本の歴史」より借用)
参考:
聖徳太子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90
聖徳太子|財団法人聖徳太子会
http://shotokutaishikai.seesaa.net/
聖徳太子ゆかりの寺
http://bell.jp/pancho/travel/taisi-siseki/temple/cover2.htm
聖徳太子ゆかりの宮跡
http://bell.jp/pancho/travel/taisi-siseki/miyadokoro/cover1.htm
兵庫県/播磨国風土記
http://web.pref.hyogo.jp/area/c_harima/area_00007.html
兵庫県の山々
http://www2u.biglobe.ne.jp/~HASSHI/yama.htm
古代史獺祭 上宮聖徳法王帝説 フレーム版
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/taisetsu/frame/taisetsu_frame.htm
原内閣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%86%85%E9%96%A3
山背大兄王の謎
http://www.ten-f.com/yamashiro-ooe.htm
氏姓制度
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%8F%E5%A7%93%E5%88%B6%E5%BA%A6
伽藍 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BD%E8%97%8D
赤松氏 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%9D%BE%E6%B0%8F
斑鳩寺の仏像
http://nakaharima.jp/mypage/whcidb/tais/tais012.htm
斑鳩寺・聖徳太子ゆかりの天台宗寺院[神戸観光壁紙写真集]
http://kobe-mari.maxs.jp/taishi/ikaruga.htm
神奈備の兵庫県神社名鑑
http://www.kamnavi.net/ichiranhyogo.htm
大阪府太子町 の公式ホームページ
http://www.town.taishi.osaka.jp/
太子町HP
http://www.geocities.jp/itx59/taishityou/taishitoppage.htm
奈良県斑鳩町HP
http://www.town.ikaruga.nara.jp/
太子町 (兵庫県) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%AD%90%E7%94%BA_(%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C)
兵庫県/播磨国風土記
http://web.pref.hyogo.jp/area/c_harima/area_00007.html
稗田神社秋祭り
http://www.h-matsuri.com/mitsu/ikaruga.htm
稗田神社
http://nakaharima.jp/mypage/whcidb/tais/tais014.htm
古事記 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98
檀特山(165.1m)姫路市・太子町   
http://www2u.biglobe.ne.jp/~HASSHI/dantoku.htm
鶴林寺
http://www.geocities.jp/askawa2/kakurinji/kakurin.htm
増位山・随願寺[神戸観光壁紙写真集]
http://kobe-mari.maxs.jp/himeji/zuiganji.htm
[PDF]高麗僧・恵便・播磨の地ゆかりサミット
http://www.city.himeji.hyogo.jp/seisaku/yumeplan/soft/kouryosumit.pdf
[PDF] 六世紀の倭と朝鮮半島諸国
http://www.mofat.go.kr/pdffiles/1-05.pdf
奈良の昔話元興寺(1)仏教伝来と法興寺
http://www.mynara.co.jp/1DPic/d1-85.html
筑紫大道 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E7%B4%AB%E5%A4%A7%E9%81%93
歴史資料館 法隆寺領鵤荘と斑鳩寺 「法隆寺領鵤荘と斑鳩寺」より鵤荘・弘山荘・小宅荘の絵図
http://www.town.taishi.hyogo.jp/main.asp?fl=show&id=1000002685&clc=1000000041&cmc=1000000167&cli=1000000702&cmi=1000000704


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2 コメント

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厩戸王 (Linda)
2007-02-23 10:29:26
よーさん、お早うさんです。
ついこの間聖徳太子は実在しない説を知ったばかりです。僕なんか生半可な知識ですから「へー、そうかいな」とその節を信じ、また別の説に出くわすと「やっぱりな」とそれを信じてしまう状態です。
いずれにしても今は「厩戸王」って習うのですか。知りませんでした。
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聖徳太子 (よーさん)
2007-02-24 09:19:48
Lindaさん、歴史の解釈はどんどん変ってきていますね。事実がどうなのかは知りませんが、確かに聖徳太子は謎の多い人物ですよね~。
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