今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

滝沢修(俳優,演出家)の忌日

2007-06-22 | 人物
今日(6月22日)は滝沢修(俳優,演出家)の 2000(平成12)年の忌日。 <93歳>
滝沢脩(おさむ)・本名は、1906(明治39)年11月13日、東京都生まれである。1924(大正13)年6月13日、土方与志と、小山内薫が、東京の築地に地名を採った小劇場「築地小劇場」を開設した。これが、日本初の新劇の常設劇場である。また、築地小劇場とは劇場付属の劇団名でもあった。演劇の実験室としての役割を果たした。小山内の主張であった俳優の養成にも力を入れたため、日本の新劇運動の拠点となった。築地小劇場の出身者には千田是也滝沢修らがおり、第2次世界大戦後の演劇界に活躍する多くの人材を輩出した。滝沢は、開成中学卒業後の、1925(大正14)年に築地小劇場研修生となり、小山内薫の指導を受ける。1929(昭和4)年、左翼劇場に加わるが、激しい弾圧を受け、1934(昭和9)年に新協劇団結成に参加する。その第1回公演「夜明け前・第一部」で旗揚げ公演、重厚な演技で注目された。しかし、1940(昭和15)年伊藤3兄弟(演出・伊藤道郎舞台装置・伊藤熹朔[舞台美術家]、賛助出演・千田是也)を看板に、「大仏開眼」が2月2日、新地小劇場で幕を開けた。役人が奴隷を虐待しているシーンが「農民の搾取を連想させる」として、警視庁を刺戟し、8月19日、滝沢他宇野重吉、細川ちか子、千田是也ら新劇人100人以上が検挙された。しかし、この件の報道は禁止され、8月23日の新聞記事には当局の勧告で自発的に「新協」と、「新築地」両劇団が解散になったと報道されている。この辺の事情は以下が非常に詳しいので参照されるとよい。
法政大学大原社研_戦時中の新劇運動/第五編 言論統制と文化運動
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-216.html
1947(昭和22)年、宇野重吉らと「民衆芸術劇場 」を組織し、1950(昭和25)年からは劇団民藝 として再発足して代表となる。三好十郎作「炎の人-ゴッホ小伝」やアーサー・ミラーの「あるセールスマンの死」の名演技が知られている。映画、「霧の旗」、また1964(昭和39)年1月から始まったNHK大型時代劇「赤穂浪士」では長谷川一夫の大石内蔵助に対して、その敵役吉良上野介でいかにも憎たらしい役を演じるなどテレビでも活躍した。1970年代から演出も手掛け、1997(平成 9)年9月の東京芸術劇場での「あっぱれクライトン」が最後の舞台となった。
2000(平成12)年6月22日東京都三鷹市の病院で死去。93歳の大往生であった。芸術祭賞、芸術選奨文部大臣賞などの受賞のほか、1977(昭和52)年に紫綬褒章、1986(昭和61)年には勲三等瑞宝章も受章している。
滝沢は、リアリズムの演技を日本にどう根付かせるかを徹底的に追求した人だといわれている。1943(昭和18)年の芸文座(東宝劇団部、滝沢修・宇野重吉ほかが旗上げ公演をもった)公演、武者小路実篤『三笑』で異形の画家を主演したとき、滝沢は背中に詰め物をして、夕方、自宅近くの住宅街を歩き回った。人は異形の者を見たときどう反応するか、どんな歩速や歩き方がふさわしいか。気味悪がる通行人を下からねめあげながら冷静に観察した。そして、この芝居の体験を1冊の本『俳優の想像』にまとめるほど工夫は緻密を極めていたという。また、「夜明け前」では、彼の青山半蔵が精神を病んでフキの葉を頭にかぶり庭先を歩く有名な場面では、舞台を横切るのだが下駄の音が全然しない。演劇評論家の尾崎宏次がその方法を聞くと「お能の足遣い。下駄を足の裏に吸い付かせてしまうの」と答えたそうだ。レーニンを演じた時は、レーニン全集を読みきり、「炎の人」でゴッホ主演したときは南仏にゆき、ゴッホの使ったトイレまで実験したという。(アサヒクロニクル「週刊20世紀」)
こんな滝沢だがデビューのころは、悪声で悩んだのだという。それを、独学で矯正し、新協劇団で主演するときにはリアリズム演技を手に入れたという。
第一次世界大戦(1914年から1918年)後には、知識人、芸術家も参加したプロレタリア文化運動(プロレタリア文学参照)が盛んになる。この運動は1921(大正10)年の小牧近江の『種蒔く人』創刊をもって出発したとされている。そして、1925(大正14)年には日本プロレタリア文芸連盟が結成される。滝沢が築地小劇場研修生となった年である。この団体には次第にマルクス主義の影響が及ぶようになる。そして、1929(昭和4)年2月10日には日本プロレタリア作家同盟が結成された。以下参考に記載の「法政大学大原社研_『戦前日本社会運動の足あと』」にもあるように、20世紀芸術の世界的動向は、確実に日本にも影響が及んでいた。それがフォービズムであり、フィンセント・ファン・ゴッホポール・ゴーギャンらの後期印象派、あるいはロシアに起こった造形運動の構成主義であった。そしてこれらを信奉するものたちによる大正期新興美術運動が生まれ、1924(大正13)年村山知義柳瀬正夢などにより三科会が結成され、翌年には築地小劇場で「劇場の三科」という前衛劇が開催された。これはダダイズムの頂点となったものであるが、20年代後半になると、彼らはしだいにリアリズムに向かうようになる。こうして彼らはプロレタリア文化運動に接近したのである。 劇団民藝での演目には当然そのような思想の反映されたものが上演されることが多くなっているはずである。以下参照。
法政大学大原社研_「戦前日本社会運動の足あと」
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/museum/kaisetsu.html
滝沢亡き後、劇団民藝の現在の代表は大滝秀治奈良岡朋子の2名。
そう言えば、大滝秀治は、個性の強い、演技力のある俳優であったが、昔は、頭のてっぺんから声を出すような甲高い変な声で、私は、余り好きではなかった。それが、何時ごろからだろうか、突然のように声が野太いしゃがれ声になっていた。私の気がついたのはそう古いことではない、いい年になってからである。それから、彼の演技に深みが出てきたように思う。最近の「やずや」のCMでは、大滝が台本を読んでいる、舞台風景で、大滝の「「お前の声は壊れたハモニカだと言われた。だから、役者には向いていないと思う、とね。」・・・と、ぼそりとつぶやいているナレーションのものがある。これは、昔、アクの強い顔立ちと、独特の声が不評を買い、劇団民藝の主催者宇野重吉から言われたことばらしい。それで、役者人生を諦め舞台演出への道を歩みかけたが、役者への夢が捨てきれず創意工夫をしながら役者を続けたという。これは、同じ劇団民藝の創立者滝沢と同じ様だね~。やはり、役者であれ、歌手であれ、落語家であれ、何であれ、言葉で物事を表現するものにとって、最も大切なのはなんと言っても声であろう。最近は、声も出来ていない歌手や役者が多すぎる。このような職業を目指す者は先ず、声作りから始めるべきであろうと思うが・・・。
(画像は滝沢修演出・主演『終末の刻(とき)』チラシ。1993年10月シアター・ドラマシティーにて公演)
(画像は、1965年8月「夜明け前(第2部)」で主演の青山半蔵を演じる滝沢修。朝日クロニクル「週刊20世紀」掲載写真より)
参考:
滝沢修 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E6%B2%A2%E4%BF%AE
築地小劇場 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%89%E5%9C%B0%E5%B0%8F%E5%8A%87%E5%A0%B4
法政大学大原社研_戦時中の新劇運動/第五編 言論統制と文化運動
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-216.html
滝沢修 (タキザワオサム) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/95190/index.html
劇団民藝
http://www.gekidanmingei.co.jp/index.html
昭和から平成までの歴史年表
http://www.fuchu.or.jp/~stock/chrono/yeartop.html
日刊スポーツ・訃報・滝沢修さん
http://www.nikkansports.com/jinji/2000/seikyo000624.html
作家別作品リスト・島崎 藤村
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person158.html
千田是也 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E7%94%B0%E6%98%AF%E4%B9%9F
昔の新聞切抜き・0459=民芸 関西公演評 セールスマンの死=
http://homepage3.nifty.com/le-village/news/nwsppr/kiji451/459KB.htm
プロレタリア文学- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%96%87%E5%AD%A6
法政大学大原社研_「戦前日本社会運動の足あと」
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/museum/kaisetsu.html
大正期新興美術運動 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%9C%9F%E6%96%B0%E8%88%88%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%81%8B%E5%8B%95
フォービズム
http://www.asahi-net.or.jp/~cq7a-ymmz/fobi.html
画家 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%AE%B6

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