今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

相続・贈与の日

2013-09-20 | 記念日
日本記念日協会に登録の今日の記念日に「相続・贈与の日」があった。
由来を見ると、彼岸の時期であり、先祖を供養するために家族が集まる機会も多いこの時期に、相続贈与についての知識を深め、家族で 話し合うきっかけにと、NPO法人・不動産承継支援ネットワーク(※1)が制定。高齢化社会が進行する中で、相続や贈与の準備、対 策を行うことの大切さをアピールするのが目的。春の彼岸の時期の3月20日と秋の彼岸の時期の9月20日を「相続・贈与の日 」に制定している。・・・とあった。

この様な話になると、時代劇映画大好き人間の私などはすぐに黒澤明監督による1985年(昭和60年)公開の日・仏合作映画「」を思い出す。
戦後、黒澤明の映画「羅生門」がベネチア国際映画祭で金獅子賞に輝いて以来、日本映画が海外の映画祭で受賞する回数は徐々に増加。一方で、日本経済は戦後の経済復興を成功させていた。
そんな日本に対して、「国際映画祭を開かないのはおかしい」という声が世界の映画人からあがった。そうした後押しもあって、パリに本部のある国際映画製作者連盟の公認を必要とする、優秀作品を選ぶコンペティション部門をもつ国際映画祭の開催が実現、1985 (昭和60)年5月31日に東京のNHKホールで開催式が行われた。
期間中に134作品が上映され、300人を超す映画関係者が世界中から集合、述べ10万5千人が入場したという。
この第1回のオープニングに公開されたのが、黒沢監督の新作「乱」(劇場公開6月1日)であり、黒澤はこの年、映画人として初の文化勲章を受章し、爛熟期にあった。

●上掲の写真中央は、12月2日に催された文化勲章受章祝賀パーティーでの黒澤明監督。来賓の挨拶には「今頃になって遅い」という批判が出たという。手前男性は映画評論家の淀川長治(左)と、女性(右)、小森和子である(『朝日クロニクル週刊20世紀』1885年号より)。
さて、その映画「乱」の粗筋は以下のようなものである。
過酷な戦国時代を生き抜いてきた猛将一文字秀虎は七十歳を迎え、ある日突然客人の前で、家督を三人の息子に譲る決心をした。「一本の矢は折れるが、三本束ねると折れぬ」と秀虎は、長男太郎は家督と一の城を、次郎は二の城を、三郎は三の城をそれぞれ守り協力し合うように命じ、自分は三つの城の客人となって余生を過ごしたいと告げた。
隣国の領主藤巻と綾部もこれには驚いた。しかし、父親思いの三男三郎は三本の矢を自分の膝に当てて無理矢理へし折り、父秀虎の甘さをいさめた。客人たちの前で愚弄されたと感じた秀虎は激怒し、三郎と重臣の平山丹後の二人を追放した。客人の一人藤巻はその三郎の気性が気に入り、藤巻家の婿として迎え入れることにした。一方、秀虎の残る2人の息子にかける期待は、思いのほか早く裏切られる。
長男は秀虎をひそかに憎む妻に懇願されるままに秀虎を冷遇し、そして次男も・・・。秀虎を待っていたのは息子たちの反逆と骨肉の争いだった。
失意のうちに家臣と居た三の城へ太郎と次郎が攻めてきて三の城は陥落、秀虎の郎党、侍女たちは全員討死。秀虎はこの生き地獄を目の当りにして自害しようとしたが太刀が折れて果たせず、発狂寸前のまま荒野をさまよい歩く。
藤巻の婿になった三郎のもとに、秀虎と道化の狂阿彌が行くあてもなくさまよっているとの知らせが丹後から届き、三郎は自陣を侍大将にまかせ、丹後、と共に父を探しに向かった。果たして秀虎はいた。心から打ちとけあう秀虎と三郎。・・・が、その時一発の銃弾が、三郎の命を奪う。秀虎はあまりのショックに発狂し、やがて息絶える・・・。

架空の戦国武将を主人公にその晩年と3人の息子との確執、兄弟同士の擾乱(じょうらん。入り乱れて騒ぐこと)を描いたこの物語の骨格はシェイクスピア作四大悲劇(『ハムレット』『オセロー』『マクベス』『リア王』)の一つ『リア王(King Lear)』をベースに、毛利元就の「三本の矢」の逸話(三子教訓状)なども取り入れて作られた日本の戦国時代を舞台に大規模な合戦シーンを交えて展開する悲劇である。
黒澤による監督作品としては第27作目であり、黒澤が製作した最後の時代劇となった。黒澤はこの作品を、自分の「ライフワーク」と位置づけ、また「人類への遺言」でもあるとしていたという。
日本の時代劇映画としてはストーリーにもなぜ?と思わせるようなところもあり、それを問題にする人もあるわけだが、どのシーンを取っても徹底して重厚で美しい映像はさすが黒澤らしい素晴らしい描写である。特に、私もファンである一文字秀虎役の仲代達矢の演技は鬼気迫るものであった。正に彼が演じた一文字秀虎は「リア王」そのもだ。

●上掲の画象は、おそらく1769年のジャン=フランソワ・デュシー(※3)による上演でリア王を演じたL・ドゥブリアン(Ludwig Devrienを描いた絵(作者不詳、1769年)といわれるもの。Wikipediaより借用。
黒澤は、映画「羅生門」で“人間の愚かさ”を描いたように、本作もシェイクスピアの悲劇「リア王」をベースに“人間の愚かさ”を描き切っている。
「羅生門」では、事件を目撃していた杣売(志村喬)が、下人(上田吉二郎)に語る事件の当事者たちの姿はあまりにも無様で、浅はかものであった。
ラストで、その話を聞いていた下人までもが、羅生門に捨てられていた赤ん坊の衣服を剥ぎ取って行ってしまい、呆然とたたずむ杣売と法師(千秋実)。だが、杣売が、赤ん坊を引き取って育てるという。法師が彼の行為に一縷の希望を見出して、映画は終わる。
しかし、映画」「乱」には「羅生門」のような“希望”はない。あるのは残酷なまでの“醜さ”だけだ。 舞台は架空の戦国時代であるが、現代社会にも通じる乱れた世界に対する“嘆き”が込められており、製作者黒澤のメッセージや深い想いが感じられる作品である。
ラストで、秀虎と三郎の死体を運ぶ行列を、秀虎が滅した末の方(次男次郎の正室)の生家梓城の石垣の上の、秀虎に命と引きかえに両眼をつぶされた末の弟鶴丸(野村萬斎)の姿が超ロングショットで映し出され、無常観をこの上なく醸し出していた。
「ピーター演じる道化の狂阿彌が本作の裏の主役でもあり、一見狂っているようにみえる彼が、“乱”れた世で一番まともだっ・・・と言いたいのだろう。
この映画は「リア王」をベースにした作品だから当然「乱」との共通点は多い。
「リア王」でも、年老いたリア王は娘に見放され1人荒野をさまよう羽目になってしまう。

映画ではなく本題に入るが、誰も」「乱」の秀虎やシェイクスピアのリア王のような惨めな老後は迎えたくはないだろう。そもそも彼らの悲劇の起こりはなんだろう。
リア王の場合、ことの起こりは、リア王が生前贈与で無一物になったことに始まる。生前贈与しなければ娘に見捨てられることはなかったはずである。
リア王は最後に、口下手のため遺産分与にあずかれなかった末娘に助けられるのだが、人の本心は口先だけでは分からないもの。実の子であっても用心が肝心。要領の良い人間ほど適当なことをしゃ~しゃ~というものだ。とにかく、不用意に財産を手放すことは、非常に危険ということ。それは、秀虎の場合も同じである。
リア王の時代や秀虎のいた戦国時代と現在とでは、世の中の仕組みは変わっていても、人の心はさほど変わっていないだろう。いや、むしろ、近世以降、資本主義社会における市場経済の進行と、自由競争の進んだ社会の中では、価値観道徳観も今流に変わってきており、拝金主義と言ってもいいほど「金」の重要性は高まっている。お金がないことでの危険性はより高いといえるだろう。

しかし、日本には、年金をはじめ各種の福祉など社会保障制度が曲がりなりにも機能している為、今まではなんとか最低限の生活が保障されているので、リア王のように荒野に放り出される心配はない・・・と、思われていたものだが・・・(※4)。

社会保障とは弱者の救済措置であり、病気・けが・出産・障害・死亡・老化・失業などの生活上の問題について貧困を予防する。そして貧困者を救い、生活を安定させるために国が所得を保障する。医療や介護サービスも実施する。社会保障とはそんな救済措置である。
日本での社会保障の始まりは、1927年に施行された健康保険法で、当時は対象者が限られ、加入も任意のものであった。1938年に国民健康保険法が制定され、1941年には、労働者を対象とした労働者年金保険法(※5)が創設され、その後、対象を職員や女子にも拡大する形で1944年には、厚生年金保険法が制定されるなどして、国民皆保険・皆年金となったのは1961年のことであった(※6:「一緒に学ぼう 社会保障のABC」の国民皆保険・皆年金(6)年金の歴史を参照)。
その後、約50年を経過しているが、現在の日本は当時と全く違う社会になっている。つまり、1961年当時の目論見が大きく外れてしまっているのですある。その原因は、少子高齢化にある。
1980年代後半から合計特殊出生率や経済成長率の低下で「社会保障の危機」が言われるようになった。
日本の人口の高齢化は世界で最もスピードが速いと言われており、年々増大する高齢者医療や高齢者介護や老齢年金の財源をいかに確保するかが最大の課題となっている。
しかし、現在の社会保障給付は7割が高齢者に充てられており、人口の高齢化による給付の増加が現役世代の負担を年々増やしているため、給付と負担のバランスの確保や世代間の不公平の是正が求められるようになっている(世代間格差や、社会保障#2.1.5 保障制度の見直しを参照)。
社会保障制度は基本的に、強者が弱者を救う制度。具体的には、現役世代が老人を救う制度であるが、少子高齢化により、その負担が現役世代に重くのしかかっており、このままでは従来通りのクオリティを維持することは困難となってきているのである。では一体どうしたらよいのであろう。まず、デフレ経済を脱却し企業が収益を上げ社会保障費を補えるだけの税収があればそれに越したことはない。

長く続いた不景気とデフレ安倍晋三首相の主導するアベノミクスは、この不景気と財政危機(日本の財政問題 参照)から脱却するためには、まずはデフレと円高から脱することが先決と考え、「3本の矢」として「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」が基本方針として掲げている(※7 )。
そのひとつである「大胆な金融政策」の一環として、2%のインフレ誘導目標を設定し、まさに大胆な金融緩和が行われている。
そして円安へ導くことにより輸出産業主体の日本の企業の収益アップを図り、さらに公共事業を増やすことでも企業の収益アップや働く人の賃金アップを目指して、それらがひいては税収アップをもたらすことにより財政の健全化を期待する政策を進めているのである。
確かに、昨年安倍政権誕生以来、その期待感から円安、株高が進み、トヨタ自動車など輸出関連企業は為替差益で大きな利益を上げている。
そして、狙い通りに、円安による輸入物価の上昇がデフレ経済下における物価の下げ止まりに大きく寄与し、この7月には小麦粉、パン、油、肉製品など、多くの品目で小売価格が値上げされている。又、ガソリンなどエネルギーの価格上昇が多くの消費者物価に転嫁される動きも見られ始めている。
ただ、円安による賃金上昇の恩恵を受けられるのは、当面、輸出関連産業に従事しているなどごく一部企業のの労働者が中心であり、これら円安によるメリットを享受できない中所企業やその労働者、又、老齢の年金生活者などは、ほとんどが物価上昇の負担だけを強いられることになる。これから、そんな円安のメリットを享受できずにデメリットのみを受ける層からの不満が徐々に高まってくるだろう。
アベノミクスでデフレ脱却の成長戦略を描く安倍政権にとって、賃金アップは欠かせない政策であり。2%の物価上昇目標を上回る率、つまり15円以上は上げないと消費拡大につながらないどころか、給料アップによる景気回復がいつまで経っても実感できないとの批判が強まる可能性がある」と言われている。
安倍政権の意向を踏まえ、厚生労働省の小委員会が2013年度の全国加重平均額(単に最低賃金を平均するのではなく、都道府県ごとの労働者人数の多い少ないも考慮した平均)を前年度比14円(昨年は7円)増の763円とすると決めた(※8)。
これを、デフレ脱却への一歩と歓迎する声もあるが、雇用への影響も懸念されている(※9)。経済成長をし、企業の利益が伸びなければ支払うことのできる賃金の全体額も増えない。したがって、経済成長のない企業では低賃金を上げれば雇用人数を減らさざるを得なくなり、負担がかえって大きくなる可能性もある。先にも述べたように、収益が伸びないのに円安による原材料費の高騰によりかえって経営が苦しくなっているという企業が多いとマスコミなどでは報道している。そのような企業は人件費の負担増が倒産にも結び付くかもしれない。
安倍内閣は、労働者派遣法の「改正」を成長戦略にうたっている。正社員を派遣労働者に置き換えることができるようにするものであり、正社員が減らされ、派遣労働者が増えることになる。つまり、労働者の平均賃金は減少してゆく危険性があるのである(※10)。

また、一方で、戦後日本の高度経済成長を支えてきた高齢者が今、そのアベノミクスから痛みを強いられようとしている。
実現すればいいことづくめに見えるアベノミクスだが、そのなかで気をつけておきたいのが、2%のインフレ誘導目標である。
物価の上昇があった場合、銀行預金やタンス預金はどうなることであろう。インフレになるとせっかく貯蓄したお金が目減りする。だって、インフレになっても、預・貯金金利は上がらずゼロに近い低金利のままなのだから・・・。老後のためにと若い時から休みも取らず遊ぶこともせず苦労して貯めてきた預貯金等が実質的に目減りしてしまうのだ。
インフレに強い金融商品といえば、株式、金、不動産が真っ先に挙げられる、若い人ならいざ知らず、これから先年金も減らされ、社会保障費の負担もアップしてゆく中で、リスクを伴う投資に金をつぎ込めるのは、それこそ、今高額の収益を上げている現役世代や富裕層に限られる。
昔は庶民のなけなしの預貯金を保護するために、マル優制度(少額貯蓄非課税制度)というものがあり、利子所得への課税が非課税扱いにされていたが、来年度から導入される日本版ISA=ニイサ(少額投資非課税制度。※11参照)は、株式や株式投資信託に投資した時に発生する所得や譲渡所得が非課税になるものであり、これらに投資をしないで預貯金に頼っている高齢者には恩恵はない。
その上、財政健全化のためにと「社会保障と税の一体改革」を名目に消費税増税を無理にでも押し通そうとしている。ますます、預貯金が減ってゆく。したがって、ますますお金を使うわけにはいかなくなる。
バブル経済が崩壊してからの20年間、日本経済は停滞が続いていたが、緩やかなデフレによって高齢者の購買力も緩やかに右肩上がりが続いてきた。
巨大な財政赤字を抱えている中で、無制限にでも国債を発行し、市中にじゃぶじゃぶに金をばらまき、インフレを起こして、これまでの状況を逆回転させようとしているアベノミクスは、パンドラの箱を開けたようなものだが、成長に向けた財源を捻出するため、比喩的にも実質的にも高齢者に重い負担をかけようとしているのは間違いない。
インフレ上昇や増税の見通しで高齢者が持つ700兆円を超えるともいわれる資産の流動化が始まれば、アベノミクスが効果を発揮する前に財政危機に火が点くことになりかねないと一部のアナリストやエコノミストは警戒している。
●上掲の画象はジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの描く「パンドーラー」Wikipediaより。

大胆な金融緩和や、起爆剤となる公共事業が関心を集める「アベノミクス」だが、2013年度税制改正(※12:)では、贈与税軽減など、世代間の資産移転を強く意識した政策もめじろ押しだ。
現行制度では、相続税の基礎控除について、定額控除額が5000万円から3000万円に引き下げ、法定相続人比例控除額が1000円から600万円に引き下げ、最税率を55%に引き上げ、税率区分が6段階から8段階にされる。
贈与額は、現行制度では「1000万円超」で50%、「600万円超-1000万円」で40%などの贈与税がかかる。これを、祖父母から孫や子に渡す場合に限り、それぞれ10%程度減らすなどの措置を検討している。
又、教育資金の一括贈与に係る贈与税の非課税措置の創設で、子・孫(30満に限る)の教育資金に充てるために祖父母等が金融機関等に信託等をした場合は、受贈者1人につき1500万円までの金額について非課税とするといったものである。
要するに、総額約44兆円ともいわれる眠れる資金「タンス預金」の活用が狙いだ。なるほど、高額のタンス預金をするだけの余裕ある富裕な人などは、従来より有利な条件で子や孫たちに生前贈与が出来ていいことだろう。しかし、息子や孫たちにそのような大金を贈与するだけの余裕のない者にとっては、メリットではない。
私なども、そうであるが、私たちの世代の者は歳をとって、子供達に老後の介護など面倒をかけないように、最後は、介護付きの有料老人ホームなどへ入って余生を過ごしたいと願っている人が多いことだろう。
しかし、そのためには、老齢年金だけで自分が望むようなところに入れるわけではない。入居前に支払う権利金や入居後の管理費等夫婦二人が入ろうと思うと相当な費用がかかる。
そのために今の楽しみも十分にせず、将来の為にと準備してきたものが、インフレや消費税アップなどによって、目減りしてまう。
そして、もし、その希望通りの良いところが見つからず、そのような施設に入れないまま死んだとしたら、子供達への相続税にがっぽりと税金がかかってしまうことになる。
「日本の個人金融資産の総額は、1434兆円にのぼる。2007年の家計調査では、その約6割は、60歳以上の世帯が保有している。 老後の生活に必要な資金をはるかに超えた額が消費に回らず、事実上眠っている。」とし、「国債による借金(ここ参照)は限界に近い。その余剰貯蓄を有効利用し、消費を刺激して景気回復を図る方策を真剣に考えるべき」であるといった論調がマスコミなどでなされている。
しかし、今高齢者が自らの意志で「死に場所」すら決められない現実が広がっているのである。
ひとり暮らしで体調を壊し、自宅にいられなくなり、病院や介護施設も満床で入れない・・・「死に場所」なき高齢者は、短期入所できるタイプの一時的に高齢者を預かってくれる施設を数か月おきに漂流し続けなければならない状況である。「歳をとり、周囲に迷惑をかけるだけの存在になりたくない…」 施設を転々とする高齢者は同じようにつぶやき、そしてじっと耐え続けているのが現状である。
中には、介護をしてもらうことのできない人の孤独死や自殺、年老いた子供が年老いた親を介護する老々介護での介護疲れからの自殺や、親殺しまでするという悲劇までもが発生している。
団塊世代の高齢化が始まった日本。現在、死亡する人の数は年間120万人位らしいが、2030年には160万人位へ急増する「多死」の時代が到来すると予想されている。
かってのような、病院など施設での介護ではなく「施設から在宅へ」という方針を加速させ平均在院日数を減らし、在宅医療を推進することで、医療・介護費を抑制しようとしている。
介護をしてくれる家族のいない一人暮らしや夫婦二人暮らしの高齢者までも、自宅へ戻されている。そこには公的な介護サービスも十分に受けられず、自宅で悲惨な最期を迎えなくてはならないという厳しい現実がある。まるで、高齢者の長生きは社会のお荷物・・・と言った感じである。
体の不自由な老夫婦や一人暮らしの老人がヘルパーなどへの費用を払いながら自宅介護で生活をしようと思ったらどれだけの費用が掛かるのか。不安は募るばかりである。
先行きどうなるかわからない将来不安の中で、「今、お金を使ってしまったらミジメになるかもしれない」と思っているから日本人は貯金に手を付けないのである。政府が最後の余生を安心して送れるようにしてくれれば、誰も、今楽しむべきことを楽しみもせず、むやみにお金を貯めるようなことをする人はないだろう。
今は医療技術の向上とある程度の社会保障の充実化により、死亡する確率がかなり低くなり平均寿命が急上昇している。サラリーマンが定年を迎えて後、何年生きなければならないのか。20年か、30年か、ひょっとしたらそれ以上かも・・・。
これだけの期間をそこそこの生活をしながら生きて行こうと思えば、いくらの費用が掛かるのか。サラリーマンなどの年金支給の見直しにより、至急年が伸びてゆくと定年から年金をもらうまでの空白期間は、退職後も働き続けることができればなんとかなるが、そうでなければ数年間の空白期間は収入ゼロになってしまう。
それに、国の年金はインフレに追随しないことをすでに決めているので、そのような目減りも考慮しておかなければならない。老後をどう生きるか自分のライフスタイルを考えたうえでその準備をしておかればならないだろう。

体の弱ってきた老人にとって、最も気がかりなのは、老後の介護問題である。その介護を社会保障に頼っているのが今の時代であるが、かっては年老いた親の世話は子供たちがするものであった。しかもそれをするのは、基本的に長男の役割であった。
私なども長男であるから、それを当然のことと受け止め、結婚の嫁選びの条件も老後の親を見てもらえることを前提に相手を選んだ。幸い、良い人が嫁に来てくれ、母ががん(癌)になって死ぬまで、長い年数であったが、よく面倒を見てくれて非常に感謝している。
昔は、先祖代々の稼業と遺産は長男が相続し、その代わり長男が、親の面倒をはじめ一家のすべてを取り仕切り、墓守も勤めた(例え相続する財産がなくてもである)。
ところが戦後の日本では、経済発展と共に進んだ近代化とともに、サラリーマン転勤族の増加、女性の社会進出等による核家族化への進行は、日本の伝統的家族制度そのものを崩壊させ、遺産相続も均等配分になったため、長男だけが親の面倒をみなければならない理由が希薄になった。保守的な農村部と違い都市部では、とくにこの傾向が強い。
その上、戦後の誤った自由主義平和主義の教育は、自己中心的で、利己主義な人間を育て、親の介護さえしたくないと言った人間を増やしており、実の子でない嫁などは、嫁ぎ先の親の面倒など他人事のように思っており、家へは顔さえも見せないといった人が増えている。私の近所でもそのようなことの不満を漏らす人がたくさんいる。
昔の姑は一家の権限を一手に握り嫁をいびる鬼にさえみられていたが、今は姑どころか舅すら嫁に遠慮しなければならない時代である。若い女性はますます強くなり、老人は子供たちにさえ気を遣いながら方も載せまい思い出生活しなければならない時代となっているのである。
このような 環境の中で、老親の介護は次第に家族の手を離れ、国の社会システムに肩代わりされつつある。しかし、その費用負担の問題が起こっているのである。
しかも、その上に、少子・高齢化が重なって、余計に社会保障問題が深刻になってきているのだ。
このことが社会保障問題の中で一番の重要なことなのである。今の若者は老人世代と若者世代では、若者世代の負担率が高いと嘆く。しかし、昔は、子供たちが年金などなかった時代の老親の生活の面倒から老後の世話まで必死に支えてきたのである。
だから、今の若者も、昔のように、現役を退いた老親の生活から老後の介護まで兄弟で手分けして面倒を見れば、医療費などの他大きな社会保障費を負担しなくてもよくなるだろう。
金を出して支援するか、自分の実を犠牲にして支援するか・・どちらが良いか・・ということだろう。
もし、今のように一人っ子で出来ないのであれば、子供を産めばよいことだ。教育費がかかるからとか言ったことを子供が産めない理由に挙げる人が多いがそれは詭弁である。事実、苦労しながら5人も6人も子供を育てている親は今でも多くいるし、そんな中で育った子が皆悪い子に育つかというとそんなことはない。今とんでもない犯罪をおかしている青少年は逆親に甘やかされ、贅沢に慣れ、我慢をすることもできない軟弱な子が何かちょっと気に入らないことがあるとキレて親殺しのような犯罪や秋葉原通り魔事件のようなとんでもない事件を引き起こしているのである。。
しかし、今更それを言っても、時計の針はもとに戻らないだろう。この様な時代に生きようと思えば、老人もしっかりと金を貯めておかなければ安心して生きてゆけない。
江戸時代の、井原西鶴はは、『日本永代蔵』の中で、最後に、
「人、若時貯して、年寄ての施肝要也。迚も向へは持て行ず、なふてならぬ物は銀の世中(人というものは、若い時に金を貯めて、年を取ってから消費することが大切だ。とてもあの世へ持ってはいけないが、なくてはならないのが金で、万事金が物を言う世の中だ)」という言葉で結んでいる。「苦は楽の種」ということわざがあるが、若い時は大いに働いて苦労を重ねながら金を貯め、年老いてからはその金を使えと言っているのである。西鶴がこう結んだのは、経済の理として、多くの人が金を使うことによって、その金が回り回って世のためになることを見抜いていたからだ。また、金がものを言う世の中だという現実を熟知していたからだ。金はただ貯め込むだけでは死に金になってしまうというのである。いかにも上方の町人らしい発想であった(※13:「永代蔵・胸算用に見る町人の姿」の第一章第三節消極的致富道たる始末を参照)。
親は子供のため、特にかわいい可愛い孫のためには、出来ることはしてやりたいもの、生前贈与をするだけの余裕があるのなら、無理をしない範囲でしてあげればよい。しかし「金の切れ目は縁の切れ目」ということわざもある。爺さんばあさんに甘えていても、現金なもので、お金もなく何も買ってやれなくなるとだんだんと離れていくもの。それが現実である。
定年後の20年、30年は短いようで長いもの。老後の介護をしてもらうだけの金も含めたお金をしっかりと貯めて持っておれば、子や孫に逃げられることはない。その上、年金があれば残りの人生そんなに心配することもないだろう。リア王の教訓は今も生きていると思った方がよい。念のため、参考の※14:「危険が一杯】 生前贈与について」なども詠んでおいた方がよいだろう。
それにしても、私は、常々余り長生きはしたくないと思っている。家人といつも 話し合っていることだが、年老いて病気になっても延命治療だけはしてくれるなと言ってあるし、このことは遺言状と共に文書で、残しておくことにしている。家人も同じ考えのようである。尊厳死については難しい問題があり人それぞれに、いろいろな考え方があるだろう。しかし、もし、日本人のだれもが、これを実行すれば、日本の社会保障費は相当助かるだろうと思うのだが・・・・。

冒頭の画像は、【DVD】乱 デジタル・リマスター版。

参考:
※1:NPO法人・不動産承継支援ネットワーク::当団体について
http://www.fudosanshokei.com/
※2:乱 - 前川ゼミ
http://www.fic.i.hosei.ac.jp/~maesemi/study/031nishino.html
※3:Jean-François Ducis
http://www.fra5.net/extrait/extrait270.html
※4:意外とイケてる? 日本の社会保障制度?-All About
http://allabout.co.jp/gm/gc/8393/
※5:労働者年金保険法 - Hi-HO
..http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/CL5.HTM..
※6:一緒に学ぼう 社会保障のABC
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=75216
※7 :アベノミクス「三本の矢」 - 内閣府
http://www5.cao.go.jp/keizai1/abenomics/abenomics.html
※8:「社会保障の給付と負担の見通し(平成18年5月推計):厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/futanminaoshi/index.html
※9:最低賃金アップは本当にいいこと? 今年度14円増を考える
http://ameblo.jp/yzyoichi/entry-11588106603.html
※10:全く知られていない改正労働者派遣法とその問題点 - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2135045250109382601
※11:日本版ISA=ニイサ(少額投資非課税制度)とは? - 雑学情報 - TypePad
http://convenience.typepad.jp/naze/2013/03/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B5.html
※12:2013年度税制改正の概要 | PwC
http://www.pwc.com/jp/ja/taxnews/taxnews-issue83.jhtml
※13:永代蔵・胸算用に見る町人の姿(html)
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=ohFn94CydPAJ&p=%E8%8B%A5%E3%81%84%E6%99%82%E3%81%AB%E9%87%91%E3%82%92%E8%B2%AF%E3%82%81%E3%81%A6%E3%80%81%E5%B9%B4%E3%82%92%E5%8F%96%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8B%E3%82%89%E6%B6%88%E8%B2%BB%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E5%A4%A7%E5%88%87%E3%81%A0%E3%80%82&u=onda.frontierseminar.com%2Fei.doc
※14:【危険が一杯】 生前贈与について
http://ie.user-infomation.com/rougo_sigo/si_07.htm
傍観者の独り言:高齢者の終末・・・長生きは社会のお荷物?(1)~(3)
http://blog.goo.ne.jp/nonasi8523/c/2709133d1b7e32fa8fa9bca1a862fcb0
『リア王』の演劇表現
http://www.misawa-ac.jp/drama/shinso/07.html
わたしが長生きしたくない3つの理由-All About
http://allabout.co.jp/gm/gc/8396/
平成25年度地域別最低賃金額改定の目安について
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000014598.html
円安による物価上昇と家計の不満 | コラム | 大和総研グループ | 橋本 政彦
http://www.dir.co.jp/library/column/20130722_007448.html
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/


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