今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

大噴火の日,ポンペイ最後の日

2006-08-24 | 記念日
今日(8月24日)は、「大噴火の日,ポンペイ最後の日」
西暦79年8月月24日、イタリアナポリ近郊のヴェスヴィオ火山が突然噴火し、麓のポンペイの市街が約8メートルの火山灰により埋没した日。
ポンペイ(ラテン語:Pompeii、イタリア語:Pompei)は、1世紀までナポリ近郊にあった都市国家。(インドにも同じ名前のボンベイがあるので混同しないように)。末期は、ローマの属国となり、ローマ人の余暇地として栄えていた。
紀元62年2月5日、激しい地震がポンペイを襲い、これにより、ポンペイや他のカンパニア諸都市は大きな被害を受けたが、町はすぐに以前より立派に再建された。しかし、その再建作業も完全に終わらない前の紀元79年8月24日に、ヴェスヴィオ火山が突然大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続け、翌25日には市街は完全に地中に埋まったという。
軍人でもあった博物学者の大プリニウスはポンペイの市民を救助するために船で急行したが、この現象を調査するため、船で再び陸に向かい、その時、煙に巻かれて死んだと甥の小プリニウスによる当時の記述には、あるそうで、二酸化炭素中毒による窒息死だと現在では考えられているそうだ。
この当時の唯一の信頼できる記録は、死亡した大プリニウスの甥の小プリニウスが歴史学者タキトゥスに宛てた手紙だそうで、これによると、大プリニウスはヴェスヴィオ火山の山頂、火口付近から、松の木のような形の暗い雲を見た。雲は山の斜面を急速に下り、海にまで雪崩れ込んだ。そして雲は火口から海までを覆ったという。小プリニウスが書いたこの現象は、現在では火砕流として知られる。これは、火山が噴火したときに、高温ガスや灰や岩石が雪崩れのように流れる現象である。プリニウスは、爆発時に地震を感じ、地面は非常に揺れた、と述べたという。さらに、灰がどんどん積もり、彼がいた村から逃げなければならなかった。そして、海の水がみるみる引いていき、「津波」がおきた。ただし、当時のヨーロッパ人は津波(Tsunami)という言葉を持っていなかったようで、プリニウスの表現は違っており、プリニウスの次の記述は、太陽が爆発によって覆われてよく見えなかった・・、と続いているそうだ。
火山噴火による壊滅後1000年以上経過しても、この地には集落が作られることはなかった。
1599年に建築家のドメニコ・フォンタナ(Fontana)が水路を作るためにサルノ川沿いを掘っていると壁画のある建物が現れた。しかしその時は、これがポンペイの遺跡だとはわからずにいたそうだ。そして、その後、散発的に古代の品が回収され、下に都市が埋まっていることが知られ所々盗掘されるようになったようだ。
それから、150年後に、ポンペイと共にヴェズヴィオ山の噴火により埋没した町、ヘルクラネウム(現在のエルコラーノにあった)が1738年に、ポンペイは1748年に発見された。これらの町は建造物の完全な形や当時の壁画を明らかにされるために、この後断続的に発掘された。
発掘によって現れたポンペイの町は、碁盤の目状に通りがあり、大きな通りは石により舗装され、市の中心には広場もあり、住居はもちろん、劇場や公衆浴場、下水道まで完備されていた。かなり計画的に設計された都市であったという。人口1万人以上と推定されるこの町には、壁画やモザイク画、市民が記した落書きなどが当時のまま残され、ローマ帝国の市民たちの贅沢で、享楽的な暮らしぶりを鮮やかに物語っているという。
当時のポンペイの町の守護者は美と恋愛の神ウェヌス(Venus 、日本語では英語読みヴィーナス=ビーナスで親しまれる)であったそうだ。娼婦の館などが発掘され、男女の交わりを描いた絵フレスコ画)が、多く出土したことからポンペイは快楽の都市であったのではないかとも言われているそうだが、この土地は火山噴火まではぶどうの産地で、主な産業はワイン醸造だったらしい。港湾都市でもあり、商業も盛んであったことは、ワインを運ぶための壺が多数出土されていることからも裏付けられるという。当時は性的におおらかな時代であり、ポンペイのような商業都市には商人向けの娼婦館のような施設も多かったのだろうともいわれている。
そうした平和な日々は、ベスピオ山の大噴火によって、一瞬にして奪われてしまった。逃げ遅れた人々は吹きつけた高熱のガスで窒息死し、その上に灰が降り積もった。灰は硬く固まり、肉体が朽ちて空洞が残った。研究者たちは、その空洞に石膏を流し込み、死の瞬間の姿を浮かび上がらせた。それは、家の中で身を寄せ合う家族、最後まで子どもに寄り添う母親、互いをかばい合うように抱き合う恋人などの姿であった。石膏の人型は、一瞬にして平和な日々を奪われたポンペイ市民の悲劇を伝えている。
現在は主要な部分が有料で一般公開され、その遺跡は世界遺産になっている。ポンペイ遺跡は、はかない人間の宿命を物語る世界遺産でもあるようだ。
以下のフォットギャラリーでは、放送時の撮影現場の風景や遺跡等が見れるよ。
古代ローマ・幻の都市ポンペイはなぜ19時間で消えたのか(TBS/2004年9月20日放送スペシャル番組)
歴史小説家リットンの『ポンペイ最後の日』は、この大噴火を題材にしたものである。又、1962(昭和37)年に三宅島が大噴火を起こしたのもこの日だった。三宅島は、富士火山帯南帯に属する火山島である。およそ3000年前に大規模な噴火が起こった形跡があり、それ以後、記録に残る1085(応徳2)年の噴火までのまに10数回の噴火があり、平均すると20年ごとに起こっていたようだ。昭和期には1940(昭和15)年、1962(昭和37)年、1983(昭和58)年と噴火があり、そして、2000(平成12)年6月にも噴火が起こり、住民が未だに、非難したまま島に帰れないでいることは皆さんもご存知の通りである。
それに、1995年(平成7年)1月17日の死者 : 6,434名  行方不明者 : 3名  負傷者 : 43,792名 の大災害をもたらした阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)も忘れることが出来ない。
高度成長を遂げた日本が誇る、技術の粋を集めた近代都市の、ぜい弱さと自然の猛威をあらためて思い知らされた震災である。震災発生まで、神戸市は神戸には、大地震は発生しないと言っていた。だから、神戸市民には神戸に大震災が発生するなどと考えた人は殆どいなかっただろう。しかし、地震が発生してから、分かったことであるがこの地震を予知していた専門家もいたのである。以下の記事を見てください。
岐阜海紀行/岐阜新聞1月13日付朝刊↓
 http://www.jic-gifu.or.jp/np/newspaper/kikaku/umi/umi9.htm
又、日本にも「日本のポンペイ」と呼ばれるところがある。岐阜県 白川村 の「帰雲城(かえりくもじょう)」跡がそうである。1585(天正13)年に、マグニチュード8クラスの直下型地震により山が崩壊、その土砂が城下町をまるごと飲み込み、数千人の人が生き埋めになってしまったのだという。ここは内ヶ島氏の領地で、内ヶ島氏が掘っていたという莫大な金塊とともに、人々は今も埋もれたままになっているという。
以下参考の「古代の自然科学」によれば、山岳成因説の父といわれるスイトラボーは、紀元前63年に生まれたギリシャ人であるが、ローマに住んで。ヨーロッパやアジア。アフリカを旅行し、山のできかたについて興味ある説を述べているという。つまり、ローマ帝国の本土であるイタリアは、火山と地震の多い国だったので、彼の考えには火山や地震に関連するものが多くあり、彼は,島の成因については2つに分けて、大陸の海岸近くにある島は地震によって大陸から分離したもので、大陸から離れたところの島は地下から火山によってもちあげられてできたと考えたそうだ。そして、大陸も火山の力によってもちあげられたところと考え、火山活動は地下にたまったガスが噴き出したものと述べているという。
日本など正に大陸の海岸近くにある島であり、地震によって大陸から分離したものであろう。日本は地震多発地帯にあり、また、その地層の特徴から山なども非常に崩れやすいと聞いている。東海大地震が来るとと言って東海地震ばかり研究していたが、東海地震が発生するまで各地に大地震が発生している。今後、他にも大地震が発生するだろう。
リットンの名作「ポンペイ最後の日」の本を私は読んではいないが、本では、活気あふれるポンペイの町で、当時の新興宗教であったキリスト教の伝道師がヴェスヴィオ山の噴火の危機を説くが人々は伝道師をからかい、石を投げつけて追い返す・・・このようなプロローグから物語が始まるらしい。
昨今、世界で、又、日本で起こっている地震や津波、そして、異常気象を見ていると、「地球の滅亡」「人類滅亡」の予言のような感じさえする。刻々とそんな近づいているのかと・・・。しかし、地球温暖化問題への対処すら、夫々の国のエゴによって遅々として進まない。1970(昭和45)年の小松左京の小説『日本沈没』は、地震で沈み行く日本列島をあとに日本人が船で脱出するシーンで終わる。「ポンペイ最後の日」では、最後に、主人公のグロウカスはアイオンや他の人々とともに白帆をはった小舟でポンペイを脱出するが、ギリシアかローマへ行くのであろう。『日本沈没』では日本を脱出した日本人は世界各国に散らばり、同化していくことになる。これは正に、「日本最後の日」とも言うべき小説であるが、2006年の今年、そのリメーク版が封切られた。今、アメリカ・ソ連などは、宇宙の開発競争をしている。「地球最後の日」には、一握りの人々だけが地球を脱出し火星かどこかに移住するのであろうか?
因みに、ヴェスヴィオ火山には、1880年に、山麓から火口まで登山電車(フニコラーレ)が開通した。これを記念して作られた歌(いわゆるコマーシャルソング)がナポリ民謡「フニクリ・フニクラ」である。
ヴェスヴィオ火山は、以降も頻繁に噴火を繰り返しているようである。1880(明治13)年には山麓から火口まで登山電車(フニコラーレ)が開通した。これを記念して作られた歌(いわゆるコマーシャルソング)がナポリ民謡「フニクリ・フニクラ」である。最近の噴火は1944年のもので、サン・セバスティアーノ村を埋没させたという。又、この登山電車は1944年のこのときの噴火で破壊されたという。ナポリ民謡「フニクリ・フニクラ」の歌詞の内容は、男性が登山鉄道に乗りつつ意中の女性に告白するかどうか悩んでおり、なかなか決断できないでいる、というものであるが、日本語版ではもともとの歌詞を完全に無視した、子供向けの歌詞で有名である。
二木紘三のMIDI歌声喫茶・「 フニクリ・フニクラ』→ここ
(画像は、旧ポンペイ市から見たヴェスヴィオ火山。79年に大噴火した。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
ポンペイ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%82%A4
古代ローマ・幻の都市ポンペイはなぜ19時間で消えたのか(TBS/2004年9月20日放送スペシャル番組)
http://www.tbs.co.jp/bansen/pompei/
偕成社版少年少女世界の名作/ポンペイ最後の日
ブルーワー=リットン・原作/柴田錬三郎・訳
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/7827/pompei.htm
気象庁 | 三宅島
http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/320_Miyakejima/320_index.html
阪神大震災 阪神大震災の教訓 阪神大震災の写真 災害画像
http://www.bo-sai.co.jp/sub6.html
岐阜海紀行/岐阜新聞1月13日付朝刊
http://www.jic-gifu.or.jp/np/newspaper/kikaku/umi/umi9.htm
帰雲城と内ヶ島氏の謎 - 白川村 - 戦国時代の白川郷の覇者「内ヶ島氏」、埋没した城についての検証。
http://www5.ocn.ne.jp/~tenpoint/
古代の自然科学
http://www.dino.or.jp/shiba/geohist/geohist01.html
世界遺産 無限都市ポンペイ
http://www.e-nakamas.com/fukui/pompei.htm
ポンペイ最後の日(1960) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD10325/index.html
歌詞と解説 『世界の民謡・童謡』 MIDI
http://www.worldfolksong.com/songbook/others/funiculi.htm
二木紘三のMIDI歌声喫茶・「 フニクリ・フニクラ」
http://www.duarbo.jp/versoj/v-gaikokuminyo/funiculi-funicula.htm

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