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伴淳三郎 (喜劇俳優) 忌日

2007-10-26 | 人物
今日(10月26日)は、1981(昭和56)年 の伴淳三郎 (喜劇俳優) の忌日<73歳>
伴淳三郎(本名・鈴木寛定)は、1908(明治41)年1月10日、山形県米沢市に南画家の息子として生れる。以下参考に記載の「米沢市芸術文化協会ホームページ」にあるプロフィールなどによると、父の絵が一向に売れず父の旅絵師家業に従って米沢から東京・山形・米沢・熊谷へと転々としていたらしい。小学6年のとき東京の呉服問屋へ丁稚奉公に出されるが、すぐ熊谷の家に戻り、高等科1年(14歳)で役者を志して家出、上京して新派の門を叩いたが、入門を許されず、関東大震災後に新劇研究所に入ったが、どうしても矯正できない東北弁を自覚して新劇への道を諦め、浅草の軽演劇界を渡り歩くことになる。1926(大正15)年、松竹キネマ(松竹)に入り、翌年日活に移って伴淳三郎の芸名で登場。しばらく、端役での出演が続いたが、1929(昭和 4)年、渡辺邦男監督の『竜巻長屋』で大役をもらう。以後、渡辺監督に喜劇俳優として重用されるようになったそうだ。
以後、大都映画(大映)・新興キネマ(戦後の大映現在の角川映画))と移籍し、1931(昭和6)年頃からトーキー映画に出演、東北弁を逆手にとって喜劇俳優としてスタートを切ったのだそうだ。その後も人気タレントの引き抜きを業としたり、劇団を創設したりと、色々なことをしていたらしいが、この辺のところは、よく分からない。
終戦後は、清川虹子笠置シヅ子らと浅草で活動、1949 (昭和24)年、「アジャパー」が流行語となるが、これは、伴淳が浅草の軽喜劇で使って流行したもので、 山形弁で驚きを表す「あじゃー」と終りの「パー」が合体したものだとか。因みにこの年、内海突破の「ギョッ」も流行語となっている。これは、驚き、感嘆を大げさに表現した言葉。NHKラジオ番組「陽気な喫茶店」で使われたギャグである。
そして、1951(昭和26年)頃から本格的に映画に復帰する。1953(昭和28)年には、主役映画『アジャパー天国」が斎藤寅次郎監督で作られるにいたり、「バンジュン」の愛称で主演映画が次々と封切られ売れっ子スターとなる。1955(昭和30)年からは、松竹で、「二等兵物語」シリーズ、「駅前旅館」(1958年) に始まる、森繁久弥フランキー堺と共演による「駅前シリーズ」が大ヒットする。この頃になると、私も「バンジュン」の映画を沢山見ているのでよく知っている。
戦前・戦中の戦争映画と言えば、プロパガンダ作品であったが、敗戦後につくられた映画は、逆に、旧軍隊を断罪する反戦映画1色であったが、戦後も10年経つと、軍隊生活に懐かしさを感じるようになるのかバンジュンと花菱アチャコ主演の戦争喜劇は兵役体験者に受けて大当たりした。映画化を企画したのは、梁取三義(やなとりみつよし)の原作タイトルに引かれ、松竹に企画を持ち込んだバンジュンだったそうだ。(アサヒクロニクル「週刊20世紀」)軍隊生活をコミカルに描いて笑わせたが、関心をもたれたのは、悪徳上等兵たちによる劇中での初年兵いじめのシーンであった。戦後10年も経つと、軍隊時代のつらい思い出を懐かしがるほどに、戦争が遠い出来事になりかけていたと言うべきだろう。兎に角、「二等兵物語」シリーズの古山源吉二等兵は、東北出身であった俳優・伴淳三郎の当り役となった。
喜劇俳優から性格俳優へ飛躍するのは1964(昭和39)年の内田吐夢監督の「飢餓海峡」からである。水上勉原作の社会派推理映画だが、殺人犯を10年にわたり追いつづける老刑事の執念を見事に演じ、シリアスな演技にも独特な味わいを見せた。このあとも映画やテレビで、労働者や老巡査役などで出演、いぶし銀のような演技をみせた。
しかし、私などは、バンジュンと言うとアジャパーの喜劇俳優としての印象が大きい。どちらかと言うと、B級の映画が多い。映画など、所詮娯楽であり、私など、余り理屈っぽいものよりも楽しければそれでいいと思っている。東北弁まるだしの台詞は回しは味があっていい。
バンジュンは、1935(昭和10)年に自分の一座を結成し、ここで日本を代表する喜劇女優清川虹子と出会う。彼女とは同棲もしていたらしいが、1952(昭和27)年には結婚もしたが、1959(昭和34)年に離婚している。バンジュンはかなり女癖が悪かったようでもありそれが離婚の原因のようだが、それでも、バンジュンの最後を看取ったのはかつて世話になりながら手酷い別れ方をした恋人清川虹子だった。聞くところによると、彼は、成功した喜劇役者とは裏腹の屈折した己の性格のゆえに、私生活では生涯不遇で孤独だったらしい。
(画像は、「二等兵物語」1955年松竹。伴淳三郎 と花菱アチャコ。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より)
参考:
伴淳三郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%B4%E6%B7%B3%E4%B8%89%E9%83%8E
伴淳三郎 (バンジュンザブロウ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/85955/index.html
梁取三義- goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/118298/index.html
伴淳三郎-映画
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0327010.htm
Category:演劇
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%BC%94%E5%8A%87
東北方言 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E6%96%B9%E8%A8%80
米沢市芸術文化協会ホームページ/米沢文化の先人たち/伴 淳三郎
http://www9.ocn.ne.jp/~yngeibun/geibun-yonezawabunka-no-senjintati.htm

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2 コメント

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流行語同好会(名前検討中 (村石太レディ&サスケ 大阪発)
2012-03-24 15:46:37
ウェーブで流行語を 見ています。プログで アジャパーで 検索しています。
今 動画で アジャパー天国を聴いています
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アジャパー (よーさん)
2012-03-27 15:06:50
村石太レディ&サスケさん書き込み有り難う。
動画のアジャパー天国見ましたよ。
昔を思い出します。
なつかしいです。
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