1948年 の今日(1月30日)は、インドの独立運動家で「建国の父」と呼ばれるガンジー の忌日。[1869年10月2日生] <78歳>
政治家、思想家、インド国民会議派指導者、ガンジーは「非暴力、不服従」の手段で、インド民族運動を牽引,インドの独立、農村の復興、イスラム教徒とヒンズー教徒の融和などに努力した。
インドの大衆から「マハトマ(偉大な魂)」の尊称で親しまれた20世紀史上、最大の偉人、ガンジーは、1948年1月30日、デリーでの祈りの集会で、狂信的なヒンズー教徒の銃弾をを浴びて死んだ。遺灰は、チベットのマナサロワール湖に撒かれた。
この暗殺は世界中の人々に衝撃を与え、理論物理学者・アインシュタインは「このような人物が血と肉をもって、かっては地上を歩いていたとは、未来の世代は信じられないだろう」と深い畏敬の念を込めてその死を悼んだという。
ヒンズー社会の3番目のカースト「バイシャ(商人階級)に属し、裕福な家庭に生まれ、19歳でロンドンに渡り、22歳で弁護士の資格を得た、英国紳士と言ってもよいガンジーが、人間性に目覚め、同胞の差別撤回のため、英国からの独立運動を指揮するようになったのは、22歳から英国の属領であった南アフリカにわたり22年間移住し、現地でのアパルトヘイト(人種隔離政策)で、同胞が差別されている姿を目のあたりにしたからである。
ガンジーの戦い方は、民衆暴動の形をとるものではなく、「非暴力・不服従」を提唱し、「非暴力の戦士は入獄の辱め、酷暑、酷寒、飢え、強制労働、むち打ちも覚悟しなければならない。これを守れる者だけが、運動に参加できる」と呼びかけた。
弾圧を繰り返す政府に対して、ガンジーに指導された人々は、棍棒に打たれながら無抵抗で悪法を拒否し刑務所へと行進した。
ここでの非暴力、不服従の戦いのなかで、精神的指導者となったガンジーは、その後、インドに戻り、独立運動に身を投じるとともに、イスラム教対ヒンズー教の紛争にも心を痛め、宗教を超えた多くの人々に大きな影響を与え、人々は宗教的対立や、カースト、貧富の差をこえて団結していった。
彼は、無所有を唱え、精神的な豊かさは、貧しい暮らしの中でこそ到達できると考え、私物は最小限に抑えた。
生涯に何度も投獄されながらも、彼は一切の武力闘争を否定し、「非暴力・不服従」の姿勢を貫き、断食闘争などを続けた。この考え方は現代の反戦運動などの市民運動のあり方のベースとなっているといえるだろう。
ガンジーの訴えは、科学とモノ万能の現代文明のなかで、平和へのメッセージを発し続けている。
しかし、現実には、「非暴力」の精神さえも、それから約60年が経過した今の世界では、姿を消し、逆の方向へ行こうとしているのではないだろうか。軍事紛争やテロなどが後を絶たない。天国のガンジーが泣いていることだろ。
(画像はガンジー。アサヒクロニクル・週間20世紀より)
参考:
松岡正剛の千夜千冊『ガンジー自伝』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0266.html
Wikipedia - マハトマ・ガンジー
http://ja.wikipedia.org/wiki/マハトマ・ガンジー
政治家、思想家、インド国民会議派指導者、ガンジーは「非暴力、不服従」の手段で、インド民族運動を牽引,インドの独立、農村の復興、イスラム教徒とヒンズー教徒の融和などに努力した。
インドの大衆から「マハトマ(偉大な魂)」の尊称で親しまれた20世紀史上、最大の偉人、ガンジーは、1948年1月30日、デリーでの祈りの集会で、狂信的なヒンズー教徒の銃弾をを浴びて死んだ。遺灰は、チベットのマナサロワール湖に撒かれた。
この暗殺は世界中の人々に衝撃を与え、理論物理学者・アインシュタインは「このような人物が血と肉をもって、かっては地上を歩いていたとは、未来の世代は信じられないだろう」と深い畏敬の念を込めてその死を悼んだという。
ヒンズー社会の3番目のカースト「バイシャ(商人階級)に属し、裕福な家庭に生まれ、19歳でロンドンに渡り、22歳で弁護士の資格を得た、英国紳士と言ってもよいガンジーが、人間性に目覚め、同胞の差別撤回のため、英国からの独立運動を指揮するようになったのは、22歳から英国の属領であった南アフリカにわたり22年間移住し、現地でのアパルトヘイト(人種隔離政策)で、同胞が差別されている姿を目のあたりにしたからである。
ガンジーの戦い方は、民衆暴動の形をとるものではなく、「非暴力・不服従」を提唱し、「非暴力の戦士は入獄の辱め、酷暑、酷寒、飢え、強制労働、むち打ちも覚悟しなければならない。これを守れる者だけが、運動に参加できる」と呼びかけた。
弾圧を繰り返す政府に対して、ガンジーに指導された人々は、棍棒に打たれながら無抵抗で悪法を拒否し刑務所へと行進した。
ここでの非暴力、不服従の戦いのなかで、精神的指導者となったガンジーは、その後、インドに戻り、独立運動に身を投じるとともに、イスラム教対ヒンズー教の紛争にも心を痛め、宗教を超えた多くの人々に大きな影響を与え、人々は宗教的対立や、カースト、貧富の差をこえて団結していった。
彼は、無所有を唱え、精神的な豊かさは、貧しい暮らしの中でこそ到達できると考え、私物は最小限に抑えた。
生涯に何度も投獄されながらも、彼は一切の武力闘争を否定し、「非暴力・不服従」の姿勢を貫き、断食闘争などを続けた。この考え方は現代の反戦運動などの市民運動のあり方のベースとなっているといえるだろう。
ガンジーの訴えは、科学とモノ万能の現代文明のなかで、平和へのメッセージを発し続けている。
しかし、現実には、「非暴力」の精神さえも、それから約60年が経過した今の世界では、姿を消し、逆の方向へ行こうとしているのではないだろうか。軍事紛争やテロなどが後を絶たない。天国のガンジーが泣いていることだろ。
(画像はガンジー。アサヒクロニクル・週間20世紀より)
参考:
松岡正剛の千夜千冊『ガンジー自伝』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0266.html
Wikipedia - マハトマ・ガンジー
http://ja.wikipedia.org/wiki/マハトマ・ガンジー
ガンジーのような偉人はもう出ないかもしれませんね。ビンラディンもガンジーのような戦いをすれば世界中の共感を得ることが出来ると思うのですが・・。パレスチナの人々も同様です。僕の眼からは明らかに非はアメリカ、イスラエルにあると思うのですが、それに対して暴力で抵抗することが問題のすり替えに利用されているのだと思います。