今日(2月10日)は、「「布団の日」
全日本寝具寝装品協会が1997(平成9)年に制定。「ふ(2)とん(10)」の語呂合せ。
布団は日本で広く用いられる>寝具のひとつ。(ここでは、寝具の布団について書くので、寝具以外の座布団や炬燵布団などの事には触れない)
寝具は、睡眠の際に外気によって奪われる熱を遮断し、暖かく寝るための物である。Wikipediaによれば、ヒトという動物は元々、熱帯~亜熱帯にかけての気温に即した身体構造をしており、目が覚めている時間では、身体の恒常性維持を行う自律神経の働きで、ある程度の体温調節が効き、また衣類を着用する事で体温調節を行っている。しかし就寝時には自律神経の働きは鈍り、また活動時には動き易く暖かい着衣も、寝ているときには些か窮屈である。このため寝具が必要となると考えられているようだ。この布団は畳やベッドで寝るときなどに用いているが、大別すると、寝るとき上にかけて寝る掛け布団と下に敷いて使う敷布団とがある。今日では、布団の中には保温効果を高めるために、綿、化学繊維、羽毛、羊毛などを詰めたものが使用されている。睡眠は、身体の疲れをとるだけでなく、脳の休養とリフレッシュにも必要であり、十分な睡眠をとりたいものである。私たちは、一晩眠ってい間に牛乳ビン約1本分の汗をかくという。そして、ふとんの吸湿性が悪いと湿度が高くなって寝苦しくなるという。そのため、我家では、ベッドを使用しているが掛け布団としては、軽くて保温性の高い羽毛布団を使い、式布団には、吸湿性の高い綿の布団を使っている。それと、余談ではあるが、寝室には飲料水を常備している。水分補給のために目が覚める度に飲んでいる。
この「ふとん」は、田山花袋の小説「蒲団」にも見られるように、元は蒲団と書かれていたもので、蒲でできた円い敷物に由来する。(蒲団=唐音に、「布」の字を当てたもの)
"きりぎりす 鳴くや霜夜(しもよ)の さむしろに 衣(ころも)かたしき ひとりかも寝む "
小倉百人一首(91番)、『新古今和歌集』秋・51に詠まれている 後京極摂政太政大(九条良経)の歌である。「さむしろ」の「さ」は言葉を整える接頭語で「むしろ」(藁などで編んだ敷物)と「寒し」との掛詞になっている。意味は、「こおろぎが鳴いている、こんな霜の降る寒い夜に、むしろの上に衣の片袖を自分で敷いて、独り(さびしく)寝るのだろうか。」といったところで、平安時代は女性と男性がともに寝る時は、お互いの着物の袖を枕にして敷いていた。この歌では、自分で自分の袖を敷いて寝るのは「わびしい独り寝」だという訳だ。この歌に見られるように、当時は貴族でも寝るときには、床にむしろか畳などを敷いて、昼に着ていた物を何枚かかさねて寝るのが普通であり、その様な時代が長く続いた。
その後、夜着(よぎ)といわれるものが登場しているが、これは、袖と襟にのついた着物に綿の入ったものであった。もともとは、宿直物(とのいもの)、直垂衾(ひたたれ-ぶすま)ともいい、着物をかぶせて寝たものが、綿入れにかわったものである。今で言えば、丹前とかいわれる様なものである。上層の町屋や武家に普及するのは、江戸中期頃からである。以下の東京国立博物館の展示の胴服と言われるようなものから出来たのであろう。
東京国立博物館染分練緯地斜縞銀杏葉散らし模様胴服
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=E15&processId=00&colid=I4070&ref=2&Q1=&Q2=&Q3=&Q4=11411_17_____&Q5=&F1=&F2=
安土桃山時代に出没したとされる盗賊石川五右衛門が人気を博した理由は、浄瑠璃や歌舞伎の演題としてとりあげられ、これらの創作の中で次第に義賊として扱われるようになったためであるが、歌舞伎『金門五山桐』(以下参考の「楼門五三桐」を参照)の「山門」の場で「絶景かな、絶景かな、春の眺めは値千金とは小せえ、ちいせえ」と煙管(きせる)片手に見得を切り、楼門の場の科白で釜煎りにされながら詠む「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ(辞世の句とされている)」が有名である。山門は京都南禅寺の山門という設定。また、この場面で五右衛門は髪が伸び過ぎた状態を表す百日鬘(ひゃくにちかつら)に大どてらという格好をしており、これが今日の一般的な五右衛門像となっている。
今言われるところの丹前とは、綿を入れた日本式の上着のことで、よく温泉旅館などに行くと防寒用に出してくれる部屋着・・あの着物であるが、承応・明暦の頃、江戸神田雉子町(現在の淡路町付近)にあった丹前風呂(堀丹後守屋敷前の風呂屋の意)の湯女(ゆな)勝山に通った旗本奴などが、衿や袖口などにたっぷりと綿を入れた小袖を着る風俗が流行り丹前風といわれたが、要するに褞袍(どてら)のことである。江戸初期の彼らのような若い奴や侠客などは、派手な縞柄の広袖の綿入れ(丹前)に広幅の帯(丹前帯)をしめてだらしなく着流し風流を気取ったようだ。
以下参考の浮世絵閲覧システムでは五右衛門や奴の姿を見ることが出来る。
浮世絵閲覧システム gadai=[石川五右衛門」 ]
http://enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-1.php?gadai=%A1%D6%C0%D0%C0%EE%B8%DE%B1%A6%B1%D2%CC%E7%A1%D7&Max=10
浮世絵閲覧システム [ haiyakukensaku=奴妻平 ]
http://enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-1.php?Max=30&haiyakukensaku=%C5%DB%BA%CA%CA%BF
この着物のどてら(丹前)が改良され、寝具となったのが、今関東地方などで見られるかいまき布団だろうが、江戸時代ぐらいからはこのような布団を「夜着」と呼んでいる。
この言葉は、泉鏡花の小説「竜潭譚」(りゆうたんだん)のなかで、「あたりのめづらしければ起きむとする夜着(よぎ)の肩、ながく柔(やわら)かにおさへたまへり。」と出てくるし、 夏目漱石著「野分」(のわき)などにも、「暗いなかをなお暗くするために眼を 眠 ( ねむ ) って、 夜着 ( よぎ ) のなかへ頭をつき込んで、もうこれぎり世の中へ顔が出したくない。」などと使われている。しかし、関西では衾(四角い掛け具)から、現在の普通に見られる掛け布団へと変化してきており、幕末には、この四角い掛け布団も江戸に出まわり「大蒲団」といわれた。
私なども、若い頃、東京の会社に勤めていたがその当時、仕事で茨城県の山間部の猿島郡というところへ行き、仕事の都合で遅くなり、仕事先さんのご好意に甘えて先様の家に泊めて貰ったことがある。その時用意された夜具が、袖の付いたかいまき布団であった。関西人の私は、そんなどてらのような布団を始めて見たことがないので、最初は、どのようにして寝るのかと迷ったくらいに驚いたものだ。同様に、明治の頃など、関東のかいまき蒲団に慣れている人は、関西の四角い普通の布団で寝ると、どうも、肩口から風が入り冷えて寒いと感じたのかも・・・。
例えば、夏目漱石は、「京に着ける夕」の中で、始めて京都に来たときの寒い夜に、15年前を振り返って次のように書いている。
”若い坊さんが「御湯に 御這入(おはい)り」と云う。主人と居士(亡くなった親友の正岡子規のこと)は余が 顫(ふる)えているのを見兼て「 公(こう)、まず這入れ」と云う。 加茂(かも)の水の 透(す)き 徹(とお)るなかに全身を 浸(つ)けたときは歯の根が合わぬくらいであった。湯に 入(い)って顫えたものは 古往今来(こおうこんらい)たくさんあるまいと思う。湯から出たら「公まず 眠(ねぶ)れ」と云う。若い坊さんが厚い 蒲団(ふとん)を十二畳の部屋に 担(かつ)ぎ 込(こ)む。「 郡内(ぐんない)か」と聞いたら「 太織(ふとおり)だ」と答えた。「公のために新調したのだ」と説明がある上は安心して、わがものと心得て、 差支(さしつかえ)なしと考えた故、 御免(ごめん)を 蒙(こうぶ)って寝る。
寝心地はすこぶる 嬉(うれ)しかったが、上に掛ける二枚も、下へ敷く二枚も、ことごとく蒲団なので肩のあたりへ糺の森の風がひやりひやりと吹いて来る。車に寒く、湯に寒く、 果(はて)は蒲団にまで寒かったのは心得ぬ。京都では 袖(そで)のある 夜着(よぎ)はつくらぬものの由を主人から 承(うけたまわ)って、京都はよくよく人を寒がらせる所だと思う。”・・と。
確かに、私も、買い巻き布団を着たときには、肩口からすうすう風が入らないので暖かいと思った記憶がある。漱石は京都で、夜、相当寒い思いをしたらしい。
ところで、布団は、着て寝るものか?それとも掛けて寝るものか?といったことを言う人がいるが、夏目 漱石の「虞美人草」の中には以下のように書かれている。
”「おい、どうも東山が奇麗(きれい)に見えるぜ」
「そうか」
「おや、鴨川(かもがわ)を渉(わた)る奴(やつ)がある。実に詩的だな。おい、川を渉る奴があるよ」
「渉ってもいいよ」
「君、布団(ふとん)着て寝たる姿やとか何とか云うが、どこに布団を着ている訳かな。ちょっとここまで来て教えてくれんかな」”・・・と。
最後のくだりは、江戸時代前期の俳諧師・服部嵐雪 の句「布団(ふとん)着て 寝たる姿や 東山」を引用したものだろうが、関西では、四角い蒲団を「掛けて寝る」ので、「どこに布団を着ている訳かな」・・・?と言うことになるのだろう。因みに、家人にどちら?と聞いてみると「掛けて寝る」という。この「着て寝る」か、「掛けて寝る」かの使い方は、どのような蒲団で寝ているか・・・、地域によって、違ってくるのかな~。
(画像は、歌舞伎「児渕恋白浪(ちごがふちこいのしらなみ )」にて石川五右衛門を演じる役者 <4>中村 歌右衛門 、絵師:広貞。 以下参考の浮世絵閲覧システムより借用)
参考:
寝具 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9D%E5%85%B7
田山花袋著「田山花袋」(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000214/card1669.html
服部嵐雪 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E5%B5%90%E9%9B%AA
百人一首- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%BA%BA%E4%B8%80%E9%A6%96
小倉百人一首
http://contest2.thinkquest.jp/tqj2003/60413/index2.html
直垂 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E5%9E%82
泉鏡花著「竜潭譚」(りゆうたんだん)(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000050/card1091.html
夏目漱石著「野分」のわき(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card791.html
石川五右衛門 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E4%BA%94%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80
楼門五三桐(さんもんごさんのきり)
http://www.koalanet.ne.jp/~jawa/kabuki/enmoku/sanmon.html
石川五右衛門 賊禁秘誠談( ぞくきんひせいだん)
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/maiduru/goemonsyoseki.html
浮世絵閲覧システム
http://enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/default.htm
浮世絵閲覧システム gadai=[石川五右衛門」 ]
http://enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-1.php?gadai=%A1%D6%C0%D0%C0%EE%B8%DE%B1%A6%B1%D2%CC%E7%A1%D7&Max=10
色里文化・風俗
http://www.ikedakai.com/irosatoyogo3.html
夏目 漱石著「虞美人草」(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card761.html
服部嵐雪 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E5%B5%90%E9%9B%AA
全日本寝具寝装品協会
http://www.jba210.jp/
全日本寝具寝装品協会が1997(平成9)年に制定。「ふ(2)とん(10)」の語呂合せ。
布団は日本で広く用いられる>寝具のひとつ。(ここでは、寝具の布団について書くので、寝具以外の座布団や炬燵布団などの事には触れない)
寝具は、睡眠の際に外気によって奪われる熱を遮断し、暖かく寝るための物である。Wikipediaによれば、ヒトという動物は元々、熱帯~亜熱帯にかけての気温に即した身体構造をしており、目が覚めている時間では、身体の恒常性維持を行う自律神経の働きで、ある程度の体温調節が効き、また衣類を着用する事で体温調節を行っている。しかし就寝時には自律神経の働きは鈍り、また活動時には動き易く暖かい着衣も、寝ているときには些か窮屈である。このため寝具が必要となると考えられているようだ。この布団は畳やベッドで寝るときなどに用いているが、大別すると、寝るとき上にかけて寝る掛け布団と下に敷いて使う敷布団とがある。今日では、布団の中には保温効果を高めるために、綿、化学繊維、羽毛、羊毛などを詰めたものが使用されている。睡眠は、身体の疲れをとるだけでなく、脳の休養とリフレッシュにも必要であり、十分な睡眠をとりたいものである。私たちは、一晩眠ってい間に牛乳ビン約1本分の汗をかくという。そして、ふとんの吸湿性が悪いと湿度が高くなって寝苦しくなるという。そのため、我家では、ベッドを使用しているが掛け布団としては、軽くて保温性の高い羽毛布団を使い、式布団には、吸湿性の高い綿の布団を使っている。それと、余談ではあるが、寝室には飲料水を常備している。水分補給のために目が覚める度に飲んでいる。
この「ふとん」は、田山花袋の小説「蒲団」にも見られるように、元は蒲団と書かれていたもので、蒲でできた円い敷物に由来する。(蒲団=唐音に、「布」の字を当てたもの)
"きりぎりす 鳴くや霜夜(しもよ)の さむしろに 衣(ころも)かたしき ひとりかも寝む "
小倉百人一首(91番)、『新古今和歌集』秋・51に詠まれている 後京極摂政太政大(九条良経)の歌である。「さむしろ」の「さ」は言葉を整える接頭語で「むしろ」(藁などで編んだ敷物)と「寒し」との掛詞になっている。意味は、「こおろぎが鳴いている、こんな霜の降る寒い夜に、むしろの上に衣の片袖を自分で敷いて、独り(さびしく)寝るのだろうか。」といったところで、平安時代は女性と男性がともに寝る時は、お互いの着物の袖を枕にして敷いていた。この歌では、自分で自分の袖を敷いて寝るのは「わびしい独り寝」だという訳だ。この歌に見られるように、当時は貴族でも寝るときには、床にむしろか畳などを敷いて、昼に着ていた物を何枚かかさねて寝るのが普通であり、その様な時代が長く続いた。
その後、夜着(よぎ)といわれるものが登場しているが、これは、袖と襟にのついた着物に綿の入ったものであった。もともとは、宿直物(とのいもの)、直垂衾(ひたたれ-ぶすま)ともいい、着物をかぶせて寝たものが、綿入れにかわったものである。今で言えば、丹前とかいわれる様なものである。上層の町屋や武家に普及するのは、江戸中期頃からである。以下の東京国立博物館の展示の胴服と言われるようなものから出来たのであろう。
東京国立博物館染分練緯地斜縞銀杏葉散らし模様胴服
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=E15&processId=00&colid=I4070&ref=2&Q1=&Q2=&Q3=&Q4=11411_17_____&Q5=&F1=&F2=
安土桃山時代に出没したとされる盗賊石川五右衛門が人気を博した理由は、浄瑠璃や歌舞伎の演題としてとりあげられ、これらの創作の中で次第に義賊として扱われるようになったためであるが、歌舞伎『金門五山桐』(以下参考の「楼門五三桐」を参照)の「山門」の場で「絶景かな、絶景かな、春の眺めは値千金とは小せえ、ちいせえ」と煙管(きせる)片手に見得を切り、楼門の場の科白で釜煎りにされながら詠む「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ(辞世の句とされている)」が有名である。山門は京都南禅寺の山門という設定。また、この場面で五右衛門は髪が伸び過ぎた状態を表す百日鬘(ひゃくにちかつら)に大どてらという格好をしており、これが今日の一般的な五右衛門像となっている。
今言われるところの丹前とは、綿を入れた日本式の上着のことで、よく温泉旅館などに行くと防寒用に出してくれる部屋着・・あの着物であるが、承応・明暦の頃、江戸神田雉子町(現在の淡路町付近)にあった丹前風呂(堀丹後守屋敷前の風呂屋の意)の湯女(ゆな)勝山に通った旗本奴などが、衿や袖口などにたっぷりと綿を入れた小袖を着る風俗が流行り丹前風といわれたが、要するに褞袍(どてら)のことである。江戸初期の彼らのような若い奴や侠客などは、派手な縞柄の広袖の綿入れ(丹前)に広幅の帯(丹前帯)をしめてだらしなく着流し風流を気取ったようだ。
以下参考の浮世絵閲覧システムでは五右衛門や奴の姿を見ることが出来る。
浮世絵閲覧システム gadai=[石川五右衛門」 ]
http://enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-1.php?gadai=%A1%D6%C0%D0%C0%EE%B8%DE%B1%A6%B1%D2%CC%E7%A1%D7&Max=10
浮世絵閲覧システム [ haiyakukensaku=奴妻平 ]
http://enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-1.php?Max=30&haiyakukensaku=%C5%DB%BA%CA%CA%BF
この着物のどてら(丹前)が改良され、寝具となったのが、今関東地方などで見られるかいまき布団だろうが、江戸時代ぐらいからはこのような布団を「夜着」と呼んでいる。
この言葉は、泉鏡花の小説「竜潭譚」(りゆうたんだん)のなかで、「あたりのめづらしければ起きむとする夜着(よぎ)の肩、ながく柔(やわら)かにおさへたまへり。」と出てくるし、 夏目漱石著「野分」(のわき)などにも、「暗いなかをなお暗くするために眼を 眠 ( ねむ ) って、 夜着 ( よぎ ) のなかへ頭をつき込んで、もうこれぎり世の中へ顔が出したくない。」などと使われている。しかし、関西では衾(四角い掛け具)から、現在の普通に見られる掛け布団へと変化してきており、幕末には、この四角い掛け布団も江戸に出まわり「大蒲団」といわれた。
私なども、若い頃、東京の会社に勤めていたがその当時、仕事で茨城県の山間部の猿島郡というところへ行き、仕事の都合で遅くなり、仕事先さんのご好意に甘えて先様の家に泊めて貰ったことがある。その時用意された夜具が、袖の付いたかいまき布団であった。関西人の私は、そんなどてらのような布団を始めて見たことがないので、最初は、どのようにして寝るのかと迷ったくらいに驚いたものだ。同様に、明治の頃など、関東のかいまき蒲団に慣れている人は、関西の四角い普通の布団で寝ると、どうも、肩口から風が入り冷えて寒いと感じたのかも・・・。
例えば、夏目漱石は、「京に着ける夕」の中で、始めて京都に来たときの寒い夜に、15年前を振り返って次のように書いている。
”若い坊さんが「御湯に 御這入(おはい)り」と云う。主人と居士(亡くなった親友の正岡子規のこと)は余が 顫(ふる)えているのを見兼て「 公(こう)、まず這入れ」と云う。 加茂(かも)の水の 透(す)き 徹(とお)るなかに全身を 浸(つ)けたときは歯の根が合わぬくらいであった。湯に 入(い)って顫えたものは 古往今来(こおうこんらい)たくさんあるまいと思う。湯から出たら「公まず 眠(ねぶ)れ」と云う。若い坊さんが厚い 蒲団(ふとん)を十二畳の部屋に 担(かつ)ぎ 込(こ)む。「 郡内(ぐんない)か」と聞いたら「 太織(ふとおり)だ」と答えた。「公のために新調したのだ」と説明がある上は安心して、わがものと心得て、 差支(さしつかえ)なしと考えた故、 御免(ごめん)を 蒙(こうぶ)って寝る。
寝心地はすこぶる 嬉(うれ)しかったが、上に掛ける二枚も、下へ敷く二枚も、ことごとく蒲団なので肩のあたりへ糺の森の風がひやりひやりと吹いて来る。車に寒く、湯に寒く、 果(はて)は蒲団にまで寒かったのは心得ぬ。京都では 袖(そで)のある 夜着(よぎ)はつくらぬものの由を主人から 承(うけたまわ)って、京都はよくよく人を寒がらせる所だと思う。”・・と。
確かに、私も、買い巻き布団を着たときには、肩口からすうすう風が入らないので暖かいと思った記憶がある。漱石は京都で、夜、相当寒い思いをしたらしい。
ところで、布団は、着て寝るものか?それとも掛けて寝るものか?といったことを言う人がいるが、夏目 漱石の「虞美人草」の中には以下のように書かれている。
”「おい、どうも東山が奇麗(きれい)に見えるぜ」
「そうか」
「おや、鴨川(かもがわ)を渉(わた)る奴(やつ)がある。実に詩的だな。おい、川を渉る奴があるよ」
「渉ってもいいよ」
「君、布団(ふとん)着て寝たる姿やとか何とか云うが、どこに布団を着ている訳かな。ちょっとここまで来て教えてくれんかな」”・・・と。
最後のくだりは、江戸時代前期の俳諧師・服部嵐雪 の句「布団(ふとん)着て 寝たる姿や 東山」を引用したものだろうが、関西では、四角い蒲団を「掛けて寝る」ので、「どこに布団を着ている訳かな」・・・?と言うことになるのだろう。因みに、家人にどちら?と聞いてみると「掛けて寝る」という。この「着て寝る」か、「掛けて寝る」かの使い方は、どのような蒲団で寝ているか・・・、地域によって、違ってくるのかな~。
(画像は、歌舞伎「児渕恋白浪(ちごがふちこいのしらなみ )」にて石川五右衛門を演じる役者 <4>中村 歌右衛門 、絵師:広貞。 以下参考の浮世絵閲覧システムより借用)
参考:
寝具 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9D%E5%85%B7
田山花袋著「田山花袋」(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000214/card1669.html
服部嵐雪 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E5%B5%90%E9%9B%AA
百人一首- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%BA%BA%E4%B8%80%E9%A6%96
小倉百人一首
http://contest2.thinkquest.jp/tqj2003/60413/index2.html
直垂 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E5%9E%82
泉鏡花著「竜潭譚」(りゆうたんだん)(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000050/card1091.html
夏目漱石著「野分」のわき(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card791.html
石川五右衛門 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E4%BA%94%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80
楼門五三桐(さんもんごさんのきり)
http://www.koalanet.ne.jp/~jawa/kabuki/enmoku/sanmon.html
石川五右衛門 賊禁秘誠談( ぞくきんひせいだん)
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/maiduru/goemonsyoseki.html
浮世絵閲覧システム
http://enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/default.htm
浮世絵閲覧システム gadai=[石川五右衛門」 ]
http://enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-1.php?gadai=%A1%D6%C0%D0%C0%EE%B8%DE%B1%A6%B1%D2%CC%E7%A1%D7&Max=10
色里文化・風俗
http://www.ikedakai.com/irosatoyogo3.html
夏目 漱石著「虞美人草」(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card761.html
服部嵐雪 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E5%B5%90%E9%9B%AA
全日本寝具寝装品協会
http://www.jba210.jp/