
今日(4月20日)は「辰巳柳太郎 」の誕生日。
1905(明治38)年4月20日、兵庫県赤穂郡に生まれる。少年時代から旅芸人一座とともに転々とした後、1926(大正15)年、宝塚国民座に入座。大阪・浪花座公演中の新国劇を見て感動。1027(昭和2)年4月、坪内士行の紹介で、澤田正二郎主宰の新国劇に入団する。芸名は巳年生まれの自分と、辰年の沢田を合わせたものだそうだ。しかし、2年後の1929(昭和4)年に澤田正二郎が38歳の若さで急逝。支配人・俵藤丈夫は、すでに幹部だった島田正吾(24歳)と大部屋にいた無名の辰巳柳太郎を大抜擢、 2枚看板で再スタートすることを決めた。時に島田24歳、辰巳23歳だったという。暫く内部での紛争が起こり、巳柳も、幹部と同僚の板ばさみになり苦悩していたが、昭和6年頃から盟友島田正吾とともに交代で主役を演じるようになる。辰巳の面ざしは沢田によく似ていて、沢田の国定忠治、月形半平太役にぴったりだったようだ。そして、辰巳の豪快な演技、見事立ち回り、又一方の島田の内面的な演技、この持ち味のまったく違う2人によって、「沢正の新国劇」とまで言われた新国劇が再興される。
しかし、戦時中の1940(昭和15)年頃から満州、中国各地を慰問巡業するようになるが、敗戦後の1947(昭和22)年6月、新国劇創立30周年に、有楽座で「王将」を公演、辰巳は坂田三吉を演じ大好評を受ける。宿敵関根名人には島田正悟が扮した。この公演は大ヒットし、翌(昭和23)年・大映・伊藤大輔監督によって同名で映画化され、これまた空前の大ヒットとなった。映画では、主演の坂田三吉は阪東妻三郎、関根名人には滝沢修が扮した。この名画は今までに何度再放映されたことだろう。
辰巳と島田は共に、2人揃って、1969(昭和44)年に紫綬褒章を受章、1976(昭和51)年には勲四等旭日小綬章を受賞している。しかし、両者が余りにも突出していため、後継者が育たなかったと言われている。又、非常に斬新だった舞台も、後半は次第に型にはまったマンネリ化したものとなり、新鮮味もなくなってきた。
1987(昭和62)年9月7日、新国劇は創立70周年記念公演終了後、70年の歴史の幕を閉じた。その2年後、1989( 平成元)年7月29日、辰巳は心不全のため享年84歳で死去す。盟友島田正吾も、2004(平成16)年11月26日亡くなった。
「動の辰巳、静の島田」と好対照な2人の演技であった。独特の渋さをうりものとする島田正吾も良いが、独特の味のある演技をする辰巳柳太郎も好きである。
私は若い頃見た映画に、「わが町」(日活)がある。内容は、よく覚えていないが、ただ、大阪の下町を舞台にした人情物映画だったと思うが、主人公の頑固一徹な男他吉ことタァやん(辰巳柳太郎)がラストで、大阪のプラネタリウムで南十字星を見ながら眠るように死んでいったシーンがやけに記憶に残っている。このシーンでは、柄にもなく目が潤んだものだ。今調べなおしてみると、1956(昭和31)年の織田作之助の原作で、川島雄三監督作品であった。本当にいい映画だったが、今、こんなにいい映画なのにビデオ化はされていないらしい。他に、辰巳柳太郎が主役として出ている映画では、1955(昭和30)年の「王将一代」(新東宝)ぐらいしか記憶にないが、この映画は、再放送など含めて数回見ている。映画では、坂東妻三郎の王将・坂田三吉の方がよく知られており、確かに坂妻の演技も良いが、この辰巳柳太郎の坂田三吉も味があって甲乙つけがたい。余り、彼の作品を数見ているわけでもないのに、なぜか、すごく、近い人に感じる役者であった。
(画像は新歌舞伎座・新国劇公演チラシ、左:辰巳柳太郎、右島田正吾。)
参考:
上方芸能人顕彰
http://www.art-space.gr.jp/kamigata/h11b.html
辰巳柳太郎・出演映画
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0263520.htm
1905(明治38)年4月20日、兵庫県赤穂郡に生まれる。少年時代から旅芸人一座とともに転々とした後、1926(大正15)年、宝塚国民座に入座。大阪・浪花座公演中の新国劇を見て感動。1027(昭和2)年4月、坪内士行の紹介で、澤田正二郎主宰の新国劇に入団する。芸名は巳年生まれの自分と、辰年の沢田を合わせたものだそうだ。しかし、2年後の1929(昭和4)年に澤田正二郎が38歳の若さで急逝。支配人・俵藤丈夫は、すでに幹部だった島田正吾(24歳)と大部屋にいた無名の辰巳柳太郎を大抜擢、 2枚看板で再スタートすることを決めた。時に島田24歳、辰巳23歳だったという。暫く内部での紛争が起こり、巳柳も、幹部と同僚の板ばさみになり苦悩していたが、昭和6年頃から盟友島田正吾とともに交代で主役を演じるようになる。辰巳の面ざしは沢田によく似ていて、沢田の国定忠治、月形半平太役にぴったりだったようだ。そして、辰巳の豪快な演技、見事立ち回り、又一方の島田の内面的な演技、この持ち味のまったく違う2人によって、「沢正の新国劇」とまで言われた新国劇が再興される。
しかし、戦時中の1940(昭和15)年頃から満州、中国各地を慰問巡業するようになるが、敗戦後の1947(昭和22)年6月、新国劇創立30周年に、有楽座で「王将」を公演、辰巳は坂田三吉を演じ大好評を受ける。宿敵関根名人には島田正悟が扮した。この公演は大ヒットし、翌(昭和23)年・大映・伊藤大輔監督によって同名で映画化され、これまた空前の大ヒットとなった。映画では、主演の坂田三吉は阪東妻三郎、関根名人には滝沢修が扮した。この名画は今までに何度再放映されたことだろう。
辰巳と島田は共に、2人揃って、1969(昭和44)年に紫綬褒章を受章、1976(昭和51)年には勲四等旭日小綬章を受賞している。しかし、両者が余りにも突出していため、後継者が育たなかったと言われている。又、非常に斬新だった舞台も、後半は次第に型にはまったマンネリ化したものとなり、新鮮味もなくなってきた。
1987(昭和62)年9月7日、新国劇は創立70周年記念公演終了後、70年の歴史の幕を閉じた。その2年後、1989( 平成元)年7月29日、辰巳は心不全のため享年84歳で死去す。盟友島田正吾も、2004(平成16)年11月26日亡くなった。
「動の辰巳、静の島田」と好対照な2人の演技であった。独特の渋さをうりものとする島田正吾も良いが、独特の味のある演技をする辰巳柳太郎も好きである。
私は若い頃見た映画に、「わが町」(日活)がある。内容は、よく覚えていないが、ただ、大阪の下町を舞台にした人情物映画だったと思うが、主人公の頑固一徹な男他吉ことタァやん(辰巳柳太郎)がラストで、大阪のプラネタリウムで南十字星を見ながら眠るように死んでいったシーンがやけに記憶に残っている。このシーンでは、柄にもなく目が潤んだものだ。今調べなおしてみると、1956(昭和31)年の織田作之助の原作で、川島雄三監督作品であった。本当にいい映画だったが、今、こんなにいい映画なのにビデオ化はされていないらしい。他に、辰巳柳太郎が主役として出ている映画では、1955(昭和30)年の「王将一代」(新東宝)ぐらいしか記憶にないが、この映画は、再放送など含めて数回見ている。映画では、坂東妻三郎の王将・坂田三吉の方がよく知られており、確かに坂妻の演技も良いが、この辰巳柳太郎の坂田三吉も味があって甲乙つけがたい。余り、彼の作品を数見ているわけでもないのに、なぜか、すごく、近い人に感じる役者であった。
(画像は新歌舞伎座・新国劇公演チラシ、左:辰巳柳太郎、右島田正吾。)
参考:
上方芸能人顕彰
http://www.art-space.gr.jp/kamigata/h11b.html
辰巳柳太郎・出演映画
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0263520.htm
ただお名前で島田正悟さんはたぶん あの方かしらっとチラッとお顔が そして滝沢修さんは
わかりますわ
邦画もこの時代の作品は心に残りますものが多くございましたのでしょうね
洋画はジャンル問わず拝見しますのに 邦画見る機会がございませんわ
いつかじっくり観てみたいような(微笑)
澤田先生の相手役をされていた久松喜世子さんにも御正月にはお年玉を頂いておりました。
そんな関係で子供の頃から新国劇の舞台に触れており、子供心にカッコイイ!と思いながら観ていた記憶があります。国定忠治、本当にカッコ良かったですよ!今、あんな芝居をやってるところがあったら、観に行きたいです。
お父さんが新国劇に在籍していたのですか・・・
島田、辰巳 という偉大な役者に支えられていたが、結局その後を継ぐ役者が育たず、新国劇は、幕を閉じてしまったが、残念ですね。
本当は劇場で観て頂きたいのだが、このご時世だからしょうがない。
皆様、是非、心の琴線にふれる秀作を観て下さい。
関西出身。映画監督(を目指す)たーやんより。