それでなくてもついつい長くなってしまうミニカーネタ。今回は話がさらに長くなりそうなので、2回に分けて書きます。
最後までどうかお付き合いを。
トヨタの名前がル・マンの記録に載ったのは1975年。
シグマートモーティブという会社が設計したクルマ(シグマMC75)にトヨタのターボ・エンジンを積んでル・マンに挑戦しました。
ドライバーはトヨタのドライバーでもあった高橋晴邦さんと鮒子田寛さん。
私にとっては懐かしいお二人ですが決勝では残念ながらリタイヤしています。
1980年には、トヨタ車向けのアフターパーツを製造販売しているトムスという会社が、セリカをベースにしたGTカーをエントリーしていますが残念ながらこのときは予選を通過することができずに終わりました。
車名も写真も見つかりません(うーむ、残念)。
その後、1985年には童夢(いずれブログで取り上げるときが来るかもしれません)・トムス・トヨタの三者でチームを組み、2台の「トムス85C」で参戦し、そのうちの1台が見事に総合12位で完走を果たしました。
ワークス・チームとしてのル・マン初挑戦は1987年になります。
チーム名は「トヨタ・チーム・トムス」。
しかし、この年出走した2台のクルマ「トヨタ87C」は2台ともリタイヤしてしまいました。
そして翌1988年。
2台エントリーしたうちの1台、カーナンバー36の「トヨタ88C」が見事に6位入賞を飾りました。
ドライバーはジェフ・リースさん、関谷正徳さん、星野薫さんの3名でした。
このクルマは精密機器メーカーだったミノルタのサポートを受けていた関係で「ミノルタトヨタ」と呼び習わされています。
なかなか素敵なカラーリングだと思います。
もう1台は紳士・婦人服の販売を行っていたタカキュー(英語名taka-Q)のサポートを受けていたため「taka-Qトヨタ」と呼ばれています。
こちらは総合24位の成績でした。
こちらもレースの世界では有名なカラーリングです。
タカキュー・カラーと呼ぶ人もいますが、黄色に白と黒の配色はどう見ても「ニューマン・カラー」ですよね。
小さく“NEWMAN”のロゴも入っているし。
2台の「88C」ともモデルはエブロ製です。
1989年(メルセデスが37年ぶりに優勝した年です)。
挑戦3年目になるミノルタ/タカキューに加え日本電装(DENSO)の3台体制で参加したトヨタ車ですが、エンジントラブルやアクシデントなどで3台とも完走することができませんでした。
1990年。
「ミノルタトヨタ90C-V」が総合6位入賞。
ドライバーはジェフ・リースさん、小河等さん、関谷正徳さん。
※「90C-V」は「88C」に似ていて、集める意欲がまだ起きません。
1991年は不参加(この年「マツダ787B」が日本車として初の総合優勝を飾っています)。
そして1992年。
新たなスポンサーを得てル・マンに参戦した3台のトヨタ車は総合2位、5位、9位と好成績を残しました。
写真は総合2位、初の表彰台に上がった「トヨタTS010」です。
のっぺりしたボディにシンプルなブルーのカラーリング。
ドライバーは関谷正徳さん、ピエール・アンリ・ラファエルさん、ケニー・アチソンさん。
モデルはイクソ製。
ちなみに他の2台の車名は「92C-V」といいます。
「TS010」とは参加カテゴリーが異なるようです。
ついに2位を獲得したトヨタ。
残るは1位の表彰台のみ。
しかし、苦難の歴史は続くのでした。(次回に続く)
最後までどうかお付き合いを。
トヨタの名前がル・マンの記録に載ったのは1975年。
シグマートモーティブという会社が設計したクルマ(シグマMC75)にトヨタのターボ・エンジンを積んでル・マンに挑戦しました。
ドライバーはトヨタのドライバーでもあった高橋晴邦さんと鮒子田寛さん。
私にとっては懐かしいお二人ですが決勝では残念ながらリタイヤしています。
1980年には、トヨタ車向けのアフターパーツを製造販売しているトムスという会社が、セリカをベースにしたGTカーをエントリーしていますが残念ながらこのときは予選を通過することができずに終わりました。
車名も写真も見つかりません(うーむ、残念)。
その後、1985年には童夢(いずれブログで取り上げるときが来るかもしれません)・トムス・トヨタの三者でチームを組み、2台の「トムス85C」で参戦し、そのうちの1台が見事に総合12位で完走を果たしました。
ワークス・チームとしてのル・マン初挑戦は1987年になります。
チーム名は「トヨタ・チーム・トムス」。
しかし、この年出走した2台のクルマ「トヨタ87C」は2台ともリタイヤしてしまいました。
そして翌1988年。
2台エントリーしたうちの1台、カーナンバー36の「トヨタ88C」が見事に6位入賞を飾りました。
ドライバーはジェフ・リースさん、関谷正徳さん、星野薫さんの3名でした。
このクルマは精密機器メーカーだったミノルタのサポートを受けていた関係で「ミノルタトヨタ」と呼び習わされています。
なかなか素敵なカラーリングだと思います。
もう1台は紳士・婦人服の販売を行っていたタカキュー(英語名taka-Q)のサポートを受けていたため「taka-Qトヨタ」と呼ばれています。
こちらは総合24位の成績でした。
こちらもレースの世界では有名なカラーリングです。
タカキュー・カラーと呼ぶ人もいますが、黄色に白と黒の配色はどう見ても「ニューマン・カラー」ですよね。
小さく“NEWMAN”のロゴも入っているし。
2台の「88C」ともモデルはエブロ製です。
1989年(メルセデスが37年ぶりに優勝した年です)。
挑戦3年目になるミノルタ/タカキューに加え日本電装(DENSO)の3台体制で参加したトヨタ車ですが、エンジントラブルやアクシデントなどで3台とも完走することができませんでした。
1990年。
「ミノルタトヨタ90C-V」が総合6位入賞。
ドライバーはジェフ・リースさん、小河等さん、関谷正徳さん。
※「90C-V」は「88C」に似ていて、集める意欲がまだ起きません。
1991年は不参加(この年「マツダ787B」が日本車として初の総合優勝を飾っています)。
そして1992年。
新たなスポンサーを得てル・マンに参戦した3台のトヨタ車は総合2位、5位、9位と好成績を残しました。
写真は総合2位、初の表彰台に上がった「トヨタTS010」です。
のっぺりしたボディにシンプルなブルーのカラーリング。
ドライバーは関谷正徳さん、ピエール・アンリ・ラファエルさん、ケニー・アチソンさん。
モデルはイクソ製。
ちなみに他の2台の車名は「92C-V」といいます。
「TS010」とは参加カテゴリーが異なるようです。
ついに2位を獲得したトヨタ。
残るは1位の表彰台のみ。
しかし、苦難の歴史は続くのでした。(次回に続く)
8年若輩者の神奈川在住とらっちと申します。
TQポルシェが優勝は出来ませんでしたが、NEWMANとはTQのカジュアルブランドとして締結をして販売していたこともありこのカラーなのもうなずけるかと思います。
当時TQの販売社員として、NewMaNポルシェ優勝の時よりF1ルマン応援をしていたのですが、今回ディアゴスティーによりルマンミニカー特集が連載販売され懐かしく購入し検索していたら貴殿のブログに当たりコメントさせていただきました。
なるほどそんな関係があったのですね。
勉強になりました。
先日ディアゴスティーニのルマンシリーズ第三弾のニューマンポルシェ956(とオマケのポルシェ919)が届きました。